後半部分から視点が変わります。
トキワシティを西に抜けて、まっすぐに舗装された道を進む。半分ほども進まないうちに何かを悟ったのか、ムラサキは自分からバスケットを飛び降りていた。
僕は道路の片隅に自転車を停めて、戻りたがっているムラサキに手招きした。ムラサキは、それだけで僕が何をしようとしているのか理解したみたいだった。
……僕だって、ここに来るんじゃなかった、ってずっとぐるぐる考え続けてた。いやな気分だったし、なんなら思いきり泣きたかった。
でも「優れたトレーナー」を目指すなら。ほんとうの意味でムラサキの相棒になりたいのなら。きっと、避けては通れない道なんだってことも分かっている。
「ムラサキ。ここは二十二番道路、僕ときみが初めて出会った場所だよ」
寄ってきたムラサキを、僕は無意識に抱き上げていた。
出会ったばかりの頃は、こうやって何もなくてもつい腕の中に入れたりしていたっけ。変わらないぷにぷにした感触がたまらなくて、僕はそっと顔を埋めた。ムラサキは一度だけぷるっと体を震わせると、前の方にしげる草むらを凝視していた。
……オニスズメ。縄張り意識の強い、鳥ポケモン。
ここだけじゃなく全国各地に広く生息する彼らだけど、農家の人たちにはむしポケモンを退治してくれるからって理由で大切にされているって聞いている。見た目は小さいけど、彼らは仲間たちとの連携がよくとれていて、危険が迫ると甲高い声で鳴き合って向こう見ずに敵に襲いかかるんだって。
「……ムラサキ。僕の後ろに」
ちょうど目の前に、一匹のオニスズメが現れた。草むらから出てきたそいつは、僕が知っているやつよりまだうんと小さく見える。羽毛も短くて、目も大きくて、これもしかしてヒナなんじゃないか、って僕は考えた。それでつい、ムラサキを庇うようにして一歩前に踏み出していたんだ。
ムラサキは、この場所でこいつの群れに襲われた。
何か理由があるんじゃないか、元のすみかの手がかりがあるんじゃないか。そう思っていた僕は、こいつらの危険性をまだ分かっていなかったんだ。
「……うっ!?」
頭の上から、かみなりみたいに鋭い声が降った。見上げた先で、あのときと同じように空を埋め尽くすオニスズメたちと……その進化形、オニドリルの姿が見えた。
オニドリルだ。そんな簡単に会える相手じゃないはずなのに。それも、雄と雌なのか二匹もいる。大きな翼が、空を覆い隠すカーテンみたいに見えた。
もしかしてヒナの親鳥なのかな、そう思った頃には、僕たちの元に大群のオニスズメが雨あられと降下し始めていた。
「うわあっ!! む、ムラサキ! ……『へんしん』、からのっ、『砂かけ』!!」
救いだったのは、たまたま初撃の軌道の先にムラサキがいなかったこと。僕が盾がわりになって足を突っつかれたから、あの子は全くの無傷でいられた。
転びかけた僕に駆け寄ろうとしたムラサキは、僕のかけ声に即座に反応した。紫一色の腕が、茶色の小さな翼に変化する。
トキワの森近辺で見かける鳥ポケモン、ポッポを模した鳥の羽だ。僕は激しくついばまれながら、しめた、やった、なんて喜んでいた。
「……!!」
ぎゅっと目をつむったムラサキが、翼を後ろから前に思いっきり振り抜いた。地表の砂がかすかに浮き上がって、オニスズメたちの視界を塞ぐ。……と、思っていたんだけど、やっぱりそう上手くはいかないみたいだ。
ムラサキの翼と「砂かけ」はただ宙を空振りしただけで、本家本元のポッポがやるような大量の砂かけにはならなかった。
あ、やっぱり無理かぁ、なんて僕は瞬時に察したけど、それでもよかった。ムラサキが……初めて、僕の目の前でポケモンとしての意地を見せてくれた瞬間に立ち会うことができたから。
「ムラサキ! 走って!!」
僕は――そもそもこうなったのは全部僕がひとりで突っ走った結果、自業自得なんだし――はっとして振り向いたムラサキを素早く拾いあげて、駆け出した。
あの日と同じだ。空があっという間に黒く染まって、甲高いオニスズメたちの……そのリーダーと思わしき、オニドリルの声が響く。
僕はムラサキを抱きかかえてまたトキワシティめがけて全力で走った。自転車にまたがる余裕なんて端からなかった。
たぶん、あの日のムラサキもきっと僕とおんなじだったのに違いない。友達になろうとして、ちょっとした好奇心であのヒナに近づいちゃったんだ。そのまま縄張りの奥に入り込んだ敵だって認識されて……襲われたんだと思う。
そうでなきゃ、こうやって僕にしがみつきながらででも腕をぱたぱたさせて、群れ相手に反抗しようとは思わないはずだから。
「……、……!!」
「大丈夫、大丈夫だから……ほら、あのときだって全然……」
僕は最後まで言葉を吐けない。
急旋回したオニドリルの片割れが、高速で僕たちのところに突っ込んできたからだ。本来なら、敵とは距離を取るはずの慎重な生態持ちであるはずなのに。
回避するしない以前に、巻き上げられた風にあおられて転んだおかげで、僕たちは鋭いくちばしに体を抉られずに済む。また転んじゃった、そうして歯噛みした僕は、肩のあたりに焼けるような痛みを覚えて体を跳ねさせた。
「いッ……!! あ……?」
痛い。痛い、痛い痛い、痛くてたまらない。顔を上げられない。
ゆっくりと視線を動かした先で、地面が真っ赤に濡れているのが見えた。何が起きているのか、分からなかった。
倒れ込んだ僕の上に、ムラサキがよく分からない水分を撒き散らしながら乗ってくる。重いよムラサキ、そう軽口を叩こうとして僕は激痛に顔を歪めた。
……このとき、僕の肩はオニドリルの脚の爪に引き裂かれて割れていたんだって。でもこれは、あとから聞かされた話だ。
僕は、ただ痛みに頭が真っ白になるばかりだった。なんとかムラサキだけでも逃がさなきゃ、そう思っても指を数本動かすだけで精一杯だった。
「――、」
目の前が真っ白から真っ暗に変わりかけたとき。僕は、急にまた視界一面が真っ白に染まり直した瞬間を見た。
意識が飛びかける最中、いつの間にか、僕の横に誰か知らない人が険しい顔をしながら立っているのが見えた。
「チュウ……チュ? ヂュウ!!」
「……」
キャップを被り直す。頭上には、数日前から人の往来に激しく反応すると噂になっていた大型のオニドリルのつがいが揃っていた。
空を埋め尽くすほどのオニスズメの群れ。あのつがい二匹だけの仕業ではないように思えたけど、手当たり次第に人間を襲うなら対策を考えなきゃいけない。
そうして噂を頼りになんとなしに二十二番道路にやってきた「ぼく」は、先客の姿があるのを見て現場に飛び込むのを躊躇した。
先客は二人。片方は人間。たぶん、十歳かそこらの子供だ。被っている赤色のキャップを見て、ふと「ぼく」たちが冒険に旅立った日のことを思い出した。
もう片方はポケモン。いわゆるメタモンだったけど、なぜかトレーナーに庇われる格好で抱きかかえられている。
「ぼく」は、いつの日か、同じように彼らの縄張りに入り込み悲惨な目に遭うはめになった――当時は野生だった、とある手持ちのポケモンのことを思い出す。ちらと視線を落とした先で、件の張本人が、両耳をたらんと下げて丸い目をしかめているのが見えた。
「……ピカチュウ」
「チュ? ピッ!!」
声をかければ、すぐさま臨戦態勢に入る。もう慣れたものだ。
「ぼく」が何か言うでもなく駆け出したピカチュウは、草むらを蹴り、宙に高く跳躍してから大きく両腕を広げた。
「……ヂュウッ!!」
視界が一気に白く染まる。彼お得意の「かみなり」だ。どれくらい得意かというと、さっきの先客二人や、オニスズメたちには直撃しないように放電の位置が絶妙に調整されている。
任せておいても大丈夫かな、と判断して「ぼく」は片腕につけられたポケギアを立ち上げた。
『……ん? よお、レッド! なんだよ、久しぶりだな』
通話機能の先で、聞き馴染みのある声がした。
「……」
『オレか? トキワジムのバトルフィールドのメンテナンス中だよ、言っただろ、ジムリーダーになったって。忙しいったらないぜ! 覚えてねーのか?』
あの日、「ぼく」と一緒にマサラタウンを出てともに研鑽を重ねてきたポケモントレーナーだ。
彼の強さのことは「ぼく」が誰よりも知っている。「ぼく」にとって負けられない相手であり、目指すべき相手でもあった。今でもそれは変わっていない。
「ぼく」は二十二番道路の事情のことを彼が知っているのか確かめたくて、ポケギアのフレームを小さく指で小突いたりした。
『進捗? ……まあ、残り二割ってとこかな。それで、おまえ今どこで何してんの?』
口数が少ない「ぼく」を理解しようと歩み寄ってくれるのは、彼ともう一人の幼馴染みの女の子くらいのものだ。
「ぼく」は小さく息を吐いて、今の状況をどう伝えたものかと思案した。
「……」
『そういや、アローラ地方に出張しに来てくれって依頼もきてたよな? 受けるのか? おまえが行くって言うならオレも行ってやってもいいが……』
「……メタモン」
『は?』
ポケギアの画面の向こうで、幼馴染み、グリーンが眉根を寄せた気配があった。
『何? メタモンなんざこの辺には……おまえ、今どこからかけてんの?』
グリーンの声が低くなる。背後の放電音とオニスズメたちの羽ばたきが聞こえたのに違いない。
彼は凄いトレーナーだ。バトルが強いだけじゃなく、ポケモンを育てる技術にも富んでいる。だから「ぼく」が何か言わずとも状況は把握できると踏んだ。彼の耳ならオニスズメがどれくらいこの場に出現しているか、あるいはこの状況がどれだけ危険か、すぐに分かるだろうと思ったんだ。
『まあいいや、分かった分かった! いいか、オレさまが行くまでそこから動くんじゃねーぞ!』
通話が切られる直前、モンスターボールが開く音がした。強い風切り音と高めのポケモンの鳴き声がして、彼の手持ちのピジョットの優雅な姿を思い出す。
小さく笑って、「ぼく」は二十二番道路の現状に振り向いた。あらかたのかみなりを放ち終えたのか、四足で着地したピカチュウが前傾姿勢のまま、固まっている。
「……」
片腕を前に突き出すと、ピカチュウはすぐさま前に飛び出した。迫りくるオニスズメのうち、一匹、直後、一匹二匹三匹と重ねるようにして蹴り飛ばす。
こいつは昔から「でんこうせっか」の出も速いポケモンだった。可愛い見た目に反して、血の気の多い電気鼠だとも思う。
「――おい、レッド! って……おいおい、なんだこりゃ!?」
ピカチュウが技ポイントぎりぎりのかみなりを放ち終えたとき、空からグリーンが降ってきた。慣れた様子で着地してすぐさま状況把握に乗り出す姿は、トキワジムのリーダーに相応しい風格だとしみじみ思う。
グリーンは「ぼく」たちに構わず、倒れたままのトレーナーに駆け寄って容態を確認し始めた。
さっきの電話の片手間に「ぼく」なりに血止めをしておいたはずだったんだけど、処置が不十分だったみたいで、なにやらごちゃごちゃと文句を言っている。
「よし、状況は分かった。おまえひとりでやれそうか?」
「……」
「相変わらず無口だな! まあいいさ。一応聞いとくけど、あのメタモンっておまえのじゃないよな?」
どういう意味合いの質問か、よく分からない。
思わず視線を横に向けると、グリーンは昔から馴染みのある、底意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「へっ。あのメタモン、変わり者みてえだからよ! おまえの新しい手持ちなんじゃねーかって、ちょっと思っただけさ!」
グリーンがそう言い終えると同時、「ぼく」は正面に、グリーンは後ろに向かって走り出した。
「おい、レッド! 分かってると思うが、調査用に何匹かは捕まえておけよ! あとでじーさんに調べてもらうからな」
「……」
「チュ! ヂュウゥ!!」
「よお、ピカチュウ。おまえとも久しぶりだが、おまえの方がよっぽどオレさまの話を分かってるみてえだな!」
違いないね、と「ぼく」は小さく笑った。
グリーンがあの子供を介抱しながら身元確認を進めている間、「ぼく」とピカチュウはオニスズメたちの撃退に専念する。
やっぱりグリーンを呼んで正解だった。作業は思ったよりサクサク進んで、日が沈む前にオニスズメの大群を二十二番道路から追い払うことに成功していた。
「……」
「ん? ああ、こいつ旅人みてえだな。見りゃ分かるか。本籍までは、荷物を見たくらいじゃ分かんねーよ」
落ちていたリュックを拾って土埃を払い落としてやりながら、グリーンは小さく肩を竦めてみせた。
「……ポケモン図鑑」
「うお、喋っ……セキチクシティから来てることは分かったぜ。けどこの怪我だ。パソコン経由で親に連絡して、先に手当てを受けさせた方がいいだろうな」
それもそうか、と「ぼく」は頷き返した。何か言われるでもなく子供を抱えた「ぼく」を、グリーンはどこか目を細めて物言いたげに眺めている。
その下で、ピカチュウとメタモンがごちゃごちゃと何かやりとりしていた。メタモンの方はもう完全に泣き崩れる感じで、姿形が液状化しつつさえあった。
可哀想に、とは思わない。オニスズメの群れについてはポケモンセンターから通知が出されていたはずだし、知らなかったのなら自業自得だ。
でも……彼はまだ子供だ。あの日の、かつての「ぼく」たちとおんなじ子供なんだ。子供は失敗したって当たり前だし、なにより、メタモンが悲しんでいる。
気づけば「ぼく」は、血と砂ですっかり汚れた彼のキャップを頭から取り外してやっていた。代わりに今まで自分が被っていたキャップを乗せておく。
グリーンとピジョットに先導されながら、「ぼく」たちはトキワシティまでの道のりを急いだ。