フシギな話で、僕たちが合流し終える頃にはあれほど猛威を奮っていたはずの砂嵐は吹き止んでいた。地震は相変わらずだったけど、それでもエントランスを歩くのに困らない程度には環境が落ち着いたみたいに感じられた。
ユズは、「安全が保証されたワケじゃねえだろ」って言ってなんとかムラサキと地球に残れないかなぁって考え始めた僕を何度も止めてくれた。
……言われてみれば、僕には乾いた土を潤すことも、枯れた木に木の実をもう一度実らせることも、崩れた道路を直すことも、電気を作ることさえ出来ない。
どう足掻いたって限界だ、お偉い研究者さんたちでもどうにも出来なかったんだから……そう吐き捨てる幼馴染みの顔は苦渋に歪んでいた。
「ユズはさ、えっと……何番だっけ、とにかく次の便で出るんでしょ?」
「このバカ、お前も行くんだよ! なに他人事みたいに言ってんだ。はっきり言って、俺たちみたいにごねてごねてごねまくった連中を連れ出す最終便だぞ」
「……はは」
「笑って誤魔化すな。お前になんかあったら、俺がムラサキに顔向け出来ねーんだよ」
そこまで言われたら何も言えないじゃないか、つい反抗した僕に、ザマーミロ、とユズは笑った。
指定されたパソコンにムラサキのモンスターボールを托し、次はユズのコイルを、ってなったところで事件は起きた。僕は相変わらず砂でぐじゅぐじゅになった目をこすっていたんだけど、いざボールをセットした瞬間コイルがボールから飛び出したんだ。
「あ。……コイル」
ユズのあんなに呆けた声を聞いたのは、初めてだった。
コイルは、くるんとその場で回転するとお得意の「でんじふゆう」を使って物凄い速さでポケモンセンターを飛び出していった。僕たちはすぐさま彼を追ったけど、どうしてかコイルはユズが何度呼び止めても戻ってこようとしなかった。
「……嘘だろ」
「ゆ、ユズ……」
「はは……嘘だろ? なんでっ! なんでこんなときに!! ……俺、あいつにそんな悪いことしてたのか。もしかしてずっと、嫌われてたのか」
力なくその場にしゃがみ込む幼馴染みに、僕はどう声をかけたらいいかも分からない。けど、ここでこうしていたって事態は変わらない。
僕は、思いっきり自分の頬を引っ叩いた。音に顔を上げたユズは、僕に負けず劣らず顔面をぐしゃぐしゃにしている。
「ユズ。最終便まで、あとどれくらいある?」
「お前、何言って……確か、一般人ならあと三日四日。残ろうとするバカを回収する猶予を見込めば、一週間とか言ってたな……」
ユズは、コイルが飛んでいった方向に視線を向けた。真っ赤な夕焼けが反射して、金髪と緑の瞳が輝いていた。
「じゃあ探そうよ。時間ならまだあるよね? ……諦めたくないだろ、相棒のこと」
「今までだって十分ごねたぞ!? 尊敬してるマチスさんだってわざわざ説得に来てくれたのに! この最終便で避難するって、約束したんだ!」
「無茶やらないと会えない、って言ったのお前だろ! ジムリーダー? 知らないよそんなの。僕なんかもうムラサキを預けたのに、なんなんだよ。卑怯者」
酷い言い方してるよなぁ、なんて自分でも思ったよ。
けど、僕の煽り文句にユズは自分を奮い立たせることができたみたいで、勢いよく立ち上がる。歯噛みしながら睨まれて、僕は昔の癖で少しだけ後退りした。
「言ったな、このバカ。お前、地球に戻ってこれたとき覚悟しとけよ。お前のムラサキ、お前ごとボコボコにしてやるからな」
「コイルには逃げられちゃってるだろ。こんなところでバトルの宣戦布告してる場合じゃないんじゃない?」
「うるせえよ! 俺は本当は、ガキの頃お前とバトルしてみたかったんだよ、楽しみにしてたんだよ! なのにお前は、ムラサキに構ってばっかりで……」
失言した、とばかりにユズは顔を赤くしてうずくまった。初めて聞く話に僕も驚いたけど、今はそんなことを話してる場合じゃない。
「ねえ、ユズ。僕、こんなときだけどどうしてもやりたいことが出来たんだ。必ず最終便には間に合わせるからさ、きみはコイルを探しに行ってあげなよ」
幼馴染みからの返事はなかった。うなだれたまま頭を掻きむしるユズを放置して、僕は旅の支度を済ませるためにシェルターに戻る。栄養食と飲料水、着替え、あとは自転車。この自転車は昔乗っていたやつじゃなく、僕がバイトで貯めたお金で買ったオフロード仕様の最新型だ。
余計な物は持たずに、僕はさっさと自転車を走らせた。サイクリングロードは「路面点検のため通行止め」なんて紙が貼られていたから、諦めて北東に進む。
途中、ユズとすれ違った。僕は北東、ユズは南に向かって走っている最中で、目が合ったのは一瞬の出来事だった。
僕たちは無言のままそこで別れた。お互いに相棒のことで頭がいっぱいだったわけだから、実は似た者同士だったのかな、と今では思う。
「――ひどいな。全然、人がいない」
手始めに僕が向かったのは、クチバシティ。ムラサキと初めて訪れた、セキチクシティ以外の街だ。
空はどんよりと曇っていて、お日様の光はまるで届かない。人気もないから、昼のはずなのにまるで深夜を一人で彷徨っているような気分になった。遠くに停泊しているサント・アンヌ号もとっくに放棄されてしまったみたいで、遠目から見て分かるほどだった明かりも消えている。
津波で流されてしまったのか、堤防が崩れて地盤が剥き出しになっているところもあった。街の北部にはその名残か、粘土質の土が山のように堆積している。
僕は辛うじて原形を留めているポケモンセンターに立ち寄った。残念ながらそこももぬけの殻で、ポケモン一匹の姿すら見つけられない。
……ムラサキと来た頃は、街全体が賑わっていたのに。僕は小さなメモ帳を取り出して手短に旅の思い出を書き込むと、乱暴にカバンのなかへと押し込んだ。
エントランスから出たとき何かが落ちたような音がしたけど、僕はそのまま振り返らずに自転車を走らせた。
「――ひどい臭いだ。空気が濁ってる」
ムラサキを連れてこなくてある意味正解だったと思った。
道路が崩れてハナダシティには行けなくなっていたから、少しだけ遠回りをしてニビシティに向かう。おつきみを楽しんだ気分が、嘘みたいに薄れていった。
タイヤが空回りしたから仕方なく自転車を引いて進む。周辺の山だけでなく、科学博物館までの大通りまで火山灰に埋もれていた。
……仕方ないんだ。ここら一帯は、激しい噴火のせいで人が住めない街になってしまったそうだから。
オンラインニュースでそれを知ったとき、僕はなんとも言えない気分になってしまった。情けないことにムラサキに頭を撫でてもらって過ごしたときもある。こんなんじゃ、どっちがトレーナーなのか分からないや。
「……おーい! そこの、きみ!」
三回目のタイヤの埋まりにひいひい言っていたとき、空から声が降ってきた。何事かと仰ぎ見たら見たことのないポケモンが空を飛んでいる。
ムラサキの体をちょっとくすませたような色をしていて、背中には人が乗っていた。その人はすぐに降りてきて、自転車を引っこ抜くのを手伝ってくれた。
彼は、自分はニビシティのジムリーダーを勤めていたんだ、と優しい口調で教えてくれた。ムラサキと観た試合でも見た顔だった。
なんでも、彼が乗っていたポケモンはかせきポケモンのプテラというやつらしくて、普段は知り合いのトレーナーが手持ちとして扱っている子なんだそうだ。本当は自分でもプテラを育成していたけど、「他の人たちも我慢しているから」って理由で真っ先にポケモンセンターに預けてしまったんだって。
そんな彼が今でもここにいる理由は、僕みたいに街に残っている人がいないかボランティアで巡回しているからなんだそう。根が真面目で良い人なんだなぁ、って僕は初対面ながら素直に感動してしまっていた。
「気持ちは分かるが、きみのポケモンもきみが危険な目に遭うことは望んでいないはずだ。早めに避難した方がいい」
「……大丈夫です。あとひとつだけ街をまわったら、発着所に行きますから」
「それはよかった。……この街には小さな名店があってね。そこのすり潰しサラダはおれのポケモンの好物なんだが、店主も街に残ると言って聞かなくてな」
ジムリーダー、タケシさんはがっしりした体に似合わない優しい笑みを浮かべた。糸目がより細くなってケーシィみたいに見える。
アンズさんもそうだったけどジムリーダーの人にも色々なタイプがあるんだなぁ……なんて、助けてもらっておきながら僕は失礼すぎることを考えていた。
「そのレストランのことなら知ってます。僕のポケモンも、興味しんしんだったから」
「そうなのか。『カゴの実』が好みだったのかい?」
「うーん……食べ物っていうより、料理を作る過程? そっちの方が気になるみたいでした。人の行動を見るのが、好きな子だったんです」
「それは面白い子だ、可愛かっただろうな。それにしても、そのキャップといい……きみはどこか、おれの知り合いに似ているな」
「え?」
「なんでもないんだ。さあ、噴火は落ち着いているが空気は見ての通りだ。急いで、しかし安全第一で行くといい」
「ありがとう。タケシさんも、お元気で」
手を振り合って、僕たちはその場で別れた。ふと振り向いたときには、タケシさんの背中はプテラと一緒に小さくなり始めていた。
僕はもう一度メモ帳を取り出そうとして……どうしてか一冊目がなくなっていたから、予備の一冊を引っ張り出した。いつかのレストランで、昔母さんの横で皿洗いを見ていたときと同じように店主さんの調理工程を観察していた、ムラサキの姿を書き留める。
発進しようとした瞬間またタイヤが埋もれた。無理やり引っこ抜いた勢いで今度は開きっぱなしのリュックから荷物が落っこちたけど、どうせ中身は少ない。
僕はしょっぱい気分になりながら片付けをして、ニビシティをあとにした。
「――遠回りになったなって思ってたけど。もう、原形を留めていないじゃないか……」
タケシさんに宣言していたとおり、僕は今回の旅をここで終わらせようと決めていた。本来ならタマムシシティがあった場所だ。
驚いたことに、地盤が浮かんで、一部の建物、土地が大地から剥離していた。まるでキラキラ光る浮島――空に浮かぶフシギな街が突然現れたみたいだった。
「よいしょ、っと。これじゃ、自転車の使いようがないなぁ」
本音を言えば、これは隆起なんて生易しいものじゃない。僕の体は、もはや空の中にあった。
緊急避難所に指定されていた「ゲート」をくぐった僕は、時折地響きと一緒に地面がせり上がってくる感覚を足裏に受けながら歩みを進めた。
なんでも、このあたりの地盤は急速に隆起し続けていて……原因は地中からせり出してきた謎の鉱石群らしいんだけど、結局解明されずじまいだったみたい。
被害は近くの街、ヤマブキシティにも及んでいるみたいだった。明るい山吹のコンクリートが、ひどくもの悲しげな色に見える。
キラキラした大都会が、キラキラした青色の鉱石のせいで青空へ持ち上げられる……建物は崩れ、道路は割れて、進むだけでも途方に暮れるほどの有り様だ。なんて皮肉めいた光景だろう。ムラサキと図鑑片手に歩いた日のことが、嘘みたいだった。
「ここのポケモンセンターは……もう崩れ始めちゃってるみたい」
また大きな震動があった。このままだと下に降りられなくなるかもしれない。
僕は三冊目のメモ帳に街の様子を書き記した。何冊もメモをなくすのは、やっぱりそれだけ動揺しているってことなんだと思う。
ムラサキと旅をした日のこと。そもそも、ムラサキ自身のこと。忘れたくなくてこうして旅に出てはみたけど、どうしたって、ムラサキがいないのは……。
「あれじゃ、自販機も見に行けないや」
ポケモンセンター跡地を離れて、視線を上へ。見上げた先の建物がタマムシシティのタマムシデパートなのか、それともヤマブキシティのシルフカンパニーなのか、僕には区別がつかなかった。
ぐっと口を結んで自転車に乗り直す。十メートルも進まないうちにタイヤが大きく跳ねて、体がぽんと高く浮かんだ。また、荷物が落ちていく音がした。
バランスをとるのもやっとだったから、振り返ることなんてとても出来ない。まっすぐに、僕はセキチクシティに続く道を急いだ。
そのあとのことは、正直よく覚えていない。
僕の家があったセキチクシティは、他の街と似たような感じで荒れ果てていた。要するに、旅に出た日とそんなに状況は変わっていない。戻ってきたとき、ああこんなものか、なんてことをぼんやりと思った気がする。そのあとは、約束通り幼馴染みとポケモンセンター前で再会した。
僕は、合流したユズからコイルが見つからなかったことと、自分も含めて、いい加減出発準備を進めるようボランティアの人に勧められたことを教えられた。
その中にタケシさんやグリーンさんはいたんだろうか? よく分からないし、覚えていない。
……ユズ曰く、僕は言われるままに淡々と支度を進めていたらしい。分からないことは自分から質問して、足りないものは物資供給所に貰いに行って、と終始落ち着いた様子だったみたい。
コイルの話をしたくても出来なかったっていうのは、実際に大気圏を抜けた後に聞かされた話だった。なんか、話しかけられる雰囲気じゃなかったんだって。
「そんなこと言われても、全然覚えてないからなぁ」
僕たちのような、嫌々ながら、渋々、仕方なく、みたいに遅れて出立した人たちは、希望すれば個人か少人数向けの宇宙船に乗ることも出来るみたいだった。一人の時間をもつことで少しでも気分が紛れるなら……とか、多めに造ったらあまりが出たとか、そんなことを言われた気がする。
らしいとかみたいとか書いてるけど、なんていうか、僕はとにかく宇宙に出るまでの記憶が曖昧だった。
ユズの勧めで個人向けの宇宙船が割り当てられたけど、宇宙飛行の練習だって難なくこなせたんだ。なんでそこまで心配されるのか、分からなかった。
「あ……レッドさんの帽子」
飛行訓練を終えて、いよいよ本当の意味で宇宙服を着ようというときに。その赤色が視界に入って、僕は一瞬息を詰まらせる。
もともと着ていた服は発着所に置いていくつもりでいた。宇宙に行けば着る機会なんてないだろうし、いつここに戻ってこられるかも分からなかったから。
「いつか必ず戻ってくる」。メモ帳にはそう書いたけど、本音を言うと自信はなかった。
いつ戻ってこられるんだろう。誰がそれを保証してくれるんだろう。誰が……なんにも力を持たない僕に、手を貸してくれるっていうんだろう。
僕は中途半端に宇宙服を着かけたまま、その場で独り立ち尽くした。いつもならここにムラサキがいて、それ似合うね、みたいにニパリと笑ってくれるのに。
「……う」
黒い丸の、二つ分。それを思い出した途端、視界が急速にぼやけていった。気づけば喉が枯れる勢いで声を張り上げていた。
「訓練所は壁が分厚い鋼鉄で出来ているから、万が一のことがあっても大丈夫」。発着所の人にそう言われたこともあって、もう抑えることが出来なかった。
ムラサキがいない。二度と会えないかもしれない。こんなことってない……だって、あんなに僕と一緒にいてくれたのに。
「こんなことなら、はじめからポケモンに興味なんて持たなきゃよかったんだ……」
そう喋ったつもりでいたけど、音になっていたかどうかは分からない。のろのろと扉を押し開けて、僕はひとり出発口までの道を急いだ。
……そのとき、僕はほんとうにあの赤色キャップのことを忘れていたんだ。まさか、扉の影に僕を呼びに来たユズ以外の人がいたなんて気づけるはずもなかった。
その人は僕がいた部屋に入ると、残されていたキャップを手に取った。
「……」
ぱたぱたと細かい埃を叩いて落として、型を整えてからリュックに入れる。数秒もしないうちに親友兼ライバルが呼びに来て、「彼」もその場をあとにした。
その人は、拾いあげたキャップと同じ型の帽子を目深に被った人物だった。
サイト掲載:26/07/30