耳をつんざく爆音が大地を揺らした。黒煙が空を覆い崩れ落ちた建物から土埃が舞い上がり幼い少女は必死に姉の手を握って走っていた。
「セレナ! 離れちゃ駄目!」
前を走る少女……マリアが振り返りながら叫ぶ。
「うん!」
小さな手は決して離すまいと力いっぱい握り返す。二人の前には、避難民を先導する大人の背中があった。
「急ぎなさい! もう少しで救援部隊と合流できます!」
誰もが生き延びることだけを願っていた。だがその願いを嘲笑うように、砲弾が炸裂する。
「きゃあ!」
そして轟音が、爆風が、崩れ落ちる瓦礫が刻一刻と状況の悪化を告げている。
「きゃっ!」
衝撃で身体が宙に浮き、小さな手がほどける。
「セレナ!」
マリアが叫ぶ。だが伸ばされた手はあと少し届かない。
「嘘……セレナ逃げて!」
瓦礫が二人の間へ雪崩れ込み、視界を土煙が覆った。
「姉さん!」
泣き叫びながら瓦礫へ駆け寄る。
必死に石をどかそうとする。
しかし幼い少女の力では、一つ動かすことすら叶わない。
「セレナ! どこ!? 返事して!」
返事はない。代わりに聞こえるのは、遠くで続く銃声だけだった。
「君! こんな所で何をしている」
背後から誰かが抱き上げる。
国連の救援隊だった。
「いやっ! お姉ちゃんが!」
必死にもがく。
「まだ向こうに!」
だが救援隊員は首を振った。
「危険だ! ここは崩れる!」
「いやあぁぁぁっ!」
泣き叫ぶ声だけが戦場へ消えていく。瓦礫の向こうから、もうマリアの姿は見えなかった。
◇
気が付けば、見知らぬ天井だった。消毒液の匂いに白い壁。そして窓の外には、戦場とは違う静かな青空が広がっている。
「……ここは?」
幼い声が震える。
隣にいた女性が優しく微笑んだ。
「安心してください。あなたは助かりました」
聞き慣れない言葉。
理解できない。
少女はただ、不安そうに辺りを見回した。
「……姉さん?」
誰も答えない。
「姉さんは?」
女性は表情を曇らせた。
「……ごめんなさい」
その一言だけで十分だった。幼いセレナは顔を伏せ、小さく嗚咽を漏らした。あの戦火は、姉妹を引き裂いた。
◇
数日後。セレナは身元不明の戦災孤児として、少女は日本へ送られることになった。
「姉さんは……生きてるよね……?」
飛行機の窓から見える雲を眺めて涙は止まらない。
「もう二度と会えないなんて……ないよね?」
そう思っていた。
一方その頃──
瓦礫の反対側。
救助されたマリアもまた、泣き崩れていた。
「セレナ……!」
何度名前を呼んでも返事はない。そして救助隊員は静かに少女を抱き締める。
「……行きましょう」
「嫌!」
「セレナを探す!」
それでも現実は残酷だった。再び砲撃が始まり、これ以上その場へ留まることはできない。
「セレナぁ……」
マリアは何度も振り返りながら、その場を離れるしかなかった。
その日……二人は互いに、【相手は死んだ】と思ってしまった。
そして数年後……対立する二つの組織を繋ぐ少女達の物語の始まりになるとは、まだ誰も知らなかった。
日本へ渡ってから、どれほどの月日が流れただろうか。
言葉は分からないし文字も読めない。食事も文化も、何もかもが知らないものばかりだった。
「寂しい……よぉ……」
夜になるたび、セレナは小さなベッドの中で泣いた。夢の中ではいつもマリアが笑っているしかし……
「やっぱり……夢……なんだ……」
だが目を覚ませばその姿はどこにもない。そんな日々が続いていた。
◇
「おはよう」
朝になると、決まって同じ男性が声を掛けてくる。
「おは……よう……?」
大きな体格に無精髭。だが怖そうな顔とは裏腹に笑顔はどこか優しい。
風鳴弦十郎……特異災害対策機動部二課司令その人だ。まだ幼いセレナは、その肩書きなど知る由もなかった。だが1つだけ知っているのは、
「この人は怖くない」
その事実だけだった。そして彼の隣には、いつも黒いスーツ姿の青年──緒川慎次が立っている。
セレナにとっては慣れない日本語を、根気よく教えてくれる先生でもあった。
「『ありがとう』」
「……ありが、と」
「上手です」
褒められる。それだけで、少しだけ笑顔になれた。
◇
二課には、研究員や整備士、事務員まで、多くの人が働いていた。その誰もセレナを「実験体」とは呼ばない。
「セレナちゃん」と名前で呼び、
一緒に食卓を囲み、誕生日には小さなケーキまで用意してくれた。それは戦場しか知らなかった少女にとって、あまりにも温かい日常だった。
◇
「あなたがセレナちゃん?」
ある日、一人の少女が話しかけてきた。
艶のある長い黒髪と真っ直ぐな瞳。まだ幼さを残しながら……しかしどこか凛とした空気を纏っている。
「……?」
「私は風鳴翼」
少女は少し照れ臭そうに笑った。
「よろしく」
日本語はまだ難しい。それでも……
「……セ、レナ」
自分の名前だけはしっかりと言えた。翼は嬉しそうに笑う。
「うん。よろしくね、セレナ」
それが、二人の出会いだった。
◇
年齢はセレナの方が少し上だった。だから自然と、お姉さん役になることが多い。日本語を覚え始めると、一緒に勉強をした。食堂では好き嫌いを注意したし、転んだ翼の膝に絆創膏を貼ったこともある。
「翼ちゃん、大丈夫?」
「う、うん……」
「また転んじゃった」
「……うぅ」
そんな他愛ない毎日セレナは少しずつ笑うことを思い出していった。
「よくは分からないけど……良い人だね……」
一方で翼もまた、異国から来た少女を自然と姉のように慕うようになる。
◇
そんなある日。
「セレナさん、検査の時間です」
研究員に呼ばれ、セレナは地下施設へ向かう。そこには、金色の欠片が厳重に保管されていた。
「聖遺物との適合試験を行います」
難しい説明は理解できない。ただ、いつもの検査だと思っていた。
「怖くない……はず……」
しかし金色の欠片へ近付いた瞬間。光が溢れた。
警報が鳴り響き慌ただしく飛び交う研究員の声。
「反応値が急上昇!」
「適合率九十パーセント以上!」
「対象を保護!」
セレナ自身は何が起きたのか分からない。ただ身体が温かい。
「どこか懐かしい……?」
その感覚だけが胸を満たしていた。
◇
数日後。二課会議室。
「確認された聖遺物はアガートラーム。まさか彼女にこれほど適合するとは……」
研究主任が資料を机へ置く。
「これほどの適合率は前例がありません」
弦十郎は腕を組み、静かに目を閉じる。
「……まだ子どもだ。実戦投入は考えん。保護を最優先とする」
その一言で結論は決まっていた。セレナを兵器ではない一人の少女として育てる。それが二課の答えだった。
◇
その夜。
「今日は何してたの?」
翼が部屋へ遊びに来る。
「……けんさ」
「また?」
「うん」
翼は少しだけ不満そうな顔をした。
「難しいことは分からないけど……」
「無理しちゃ駄目だからね?」
セレナは小さく笑う。
「うん」
その返事に、翼も笑顔を返した。まだ二人は知らない。過ごしてきた当たり前の日常が永遠には続かないことを。そして数年後……
「貴女とこんな場所で再会したくなかった」
「それだけは同意だ。しかし……」
一人は日本を守る剣となり、
一人は世界を救うために戦う少女となる。
互いを大切に思ったまま、違う道を歩むことになり対峙することになると。
この時の二人は想像すらしていなかった。
──-
日本に保護されて2年目の冬の朝だった。吐く息が白く染まる中で二課の格納庫には一機の輸送機が待機していた。
「時間ですね……」
セレナは小さな旅行鞄を胸に抱え、ゆっくりとタラップを見上げ、その隣には弦十郎と緒川が……そして研究員たちが並んでいた。
誰も笑っていない。
それだけで、この別れが一時的なものではないことを悟ってしまう。
「……本当に、行かなきゃ駄目なの?」
まだ幼さの残る声で翼が小さく呟いた。そしてセレナは困ったように笑う。
「うん」
「どうして?」
誰もが答えに詰まる。そもそも本当の理由はセレナにも分からなかった。
しかし研究員からは何度も説明を受けている。
【アガートラーム】
【適合者】
【国際共同研究】
そのどれもが難しい言葉ばかりだった。しかし一つだけ理解できたことがある。
「自分にしかできないことがある。二課の皆さんが私にしてくれたことに恩返し出来るなら……私は頑張れるから……」
それだけだった。
「……すぐ帰ってくる?」
翼はセレナの服をぎゅっと掴んだ。
その震える手に、セレナはそっと自分の手を重ねる。
「約束するよ。また……会おうね?」
小指を差し出す。
「また会おう」
翼も涙を堪えながら、小さな指を絡めた。
「……約束」
その約束を見届けた弦十郎は静かに口を開く。
「セレナ」
「はい」
「お前は兵器じゃない」
ゆっくりと、大きな手が頭に乗せられる。
「辛くなったら帰って来い」
「ここはもう、お前の家だ」
その一言で、張り詰めていたものが切れた。
「……はい」
涙が止まらなかった。
◇
輸送機は日本を離れた。二課に保護された時を想起しながら窓の外に広がる雲を眺めながめ、あの時と異なる印象を受ける空。セレナは何度もポケットへ手を入れる。そこには翼から貰った、小さなお守りが入っていた。
「また会おう」
その約束だけを胸に抱き締める。
◇
数時間後。降り立った施設は日本とはまるで違っていた。
古びたコンクリートの建物……最低限の設備……廊下を歩く研究員達の疲れ切った表情。二課のような華やかさとは程遠い環境がそこにあった。
「……よく来てくれた」
研究主任が申し訳なさそうに笑う。
「歓迎できるような場所ではありませんが……」
セレナは小さく首を振る。
「大丈夫です。覚悟は……してきました」
その時だった。
「……セレナ?」
聞き覚えのある声に振り返る。そこには一人の少女が立ち尽くしていた。
「え……? なんで……ここに……?」
長い桃色の髪。
驚きに見開かれた青い瞳。
セレナも息を呑む。
「……マリア……姉さん……?」
少女は信じられないという表情のまま、一歩、また一歩と近付いてくる。
「セレナ……?」
震える指先が頬へ触れる。
温かい。
夢ではない。
「セレナ!」
次の瞬間、強く抱き締められた。
「生きてた……! 生きてたのね!」
マリアは泣きながら何度も名前を呼ぶ。
セレナも涙が止まらない。
「マリア姉さん……ッ! 会いたかった……会いたかったよ!!」
戦火の日から何年も。
死んだと思っていた姉妹は、ようやく再会を果たした。
少し離れた場所では、1人の女性が静かに涙を拭っていた。
「……神様」
ナスターシャは微笑む。
「ありがとう」
◇
その夜。
食堂には久しぶりの笑い声が響いていた。
マリアがセレナの皿へ料理を盛る。
「食べなさい」
「そんなに食べられないよ」
「痩せたもの」
二人のやり取りを見ながら、小さな少女が首を傾げた。
「マリア……その娘は……誰?」
黒髪の少女だった。
「紹介するわ」
マリアは優しく笑う。
「私の妹」
「セレナよ」
もう一人、金髪の髪を揺らした少女が興味津々で顔を覗き込む。
「妹デスか! よろしくデース!」
調と切歌。
まだ幼い二人との出会いだった。
セレナは自然と微笑み返す。
「よろしく」
その笑顔を見たナスターシャは、静かに胸を撫で下ろした。
「この子には、また家族ができた」
そう思えたからだ。しかし、その温かな食卓とは裏腹に、施設の現実は厳しかった。
「しかしここは……」
老朽化した設備。不足する医薬品。限られた食料。研究員たちの疲弊。
「彼女が二課で過ごした日々とは、あまりにも違う」
食後一人廊下を歩きながら、セレナは窓の外を見つめる。冷たい夜風が頬を撫でた。
(ここも……みんなの居場所なんだ。二課が私の家だったように。だったら私は……)
セレナは静かに拳を握る。
(今度は、私がこの家族を守ろう)
その小さな決意が、やがてアガートラームの正規適合者として、自ら実験へ身を投じる選択へと繋がっていく。
次回でプロローグを終えて本編に入ります。
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