ペルソナ アフターレガシー   作:erupon

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(あらすじ)
花村が鳴上、直斗、完二を呼び出したら思いのほか早く現場に現れる。現場検証して立川の家の様子も見たところ、謎の石がたくさん転がっていた。はやる気持ちになっている花村をなだめつつ鳴上は明日の朝携帯に残った履歴をたどることを告げた。

<ここから読んでも分かるようにはしてる>
でもできたら「ペルソナアフターパラレル」から読むともうちょっとわかりやすいかも。
あっちの事件でかかわった人が登場人物として再登場しているので。


よろしくお願いします~


帰らずの比良守村
帰らずの比良守村 1


 冬期試験の答案を提出した学生たちが、夕方のT大構内から次々と吐き出されていた。

 研究棟前の広場では、解放感に任せた笑い声と、試験問題への恨み言が入り混じっている。鳴上悠は借りていた資料を図書館へ返し、高円寺へ戻るため正門へ向かっていた。

 花村の試験も今日で終わると聞いている。帰宅時間が合えば、途中で夕食の材料を買うつもりだった。

 その程度の予定しかない、普段通りの冬の夕方だった。

『主、急げ』

 背後へ重なっていた自身のペルソナであるイザナギの気配が、前触れなく鋭くなった。

 鳴上は足を止めず、人の流れから外れるように広場の端へ寄った。イザナギがこれほど強く警告するのは、明確な敵意か、目前の危険を察知した時に限られている。

(何があった)

『花村の風が荒れている』

 言葉と共に伝わってきたのは、声ではなく、強く引かれた糸が震えるような感覚だった。

 離れた場所にいるスサノオが、何かを拒み、押し返そうとしている。普段なら鳴上へ届くはずのない警戒が、イザナギを介して薄く胸の奥へ響いていた。

(陽介が呼んだのか)

『違う。スサノオ自身も、こちらへ伝えようとしたわけではない』

 イザナギの返答は短く、普段より輪郭が曖昧だった。

『以前から、小さな震えはあった。今、急に強くなった』

(以前から?)

『まだ見えていない。だが、M大の方角だ』

 鳴上は正門を出る前に進路を変え、M大へ最も早く向かえる道を選んだ。

 T大とM大は都内の離れた大学ではあるが、この時間に鳴上がいた研究棟は、二つの大学を結ぶ路線の駅に近い。正門前の横断歩道を抜け、ちょうど停車したタクシーへ手を上げる。

「M大の正門まで。急いでください」

 運転手へ告げた直後、コートのポケットでスマートフォンが震えた。

 画面に表示された花村の名前を見た時点で、鳴上は通話を取っていた。

「陽介」

『悠、……立川が、消えた』

 途切れた呼吸と、普段とは違う声の硬さだけで、イザナギの警告が花村自身の危険と無関係ではないことが分かった。

「落ち着け。聞いてる」

『M大の構内で、地面が開いたんだよ。穴っつうか、割れ目みたいなのが、立川の下だけ』

「立川は落ちたのか」

『落ちた。俺、手ぇ伸ばしたけど、掴めなくて……それで、閉じた』

「地面はどうなってる」

『何もねえ。穴も傷も残ってねえんだよ』

 電話の向こうから、女性の声と、男性が誰かを制止する声が重なって聞こえた。

 鳴上は運転手へ行き先をもう一度告げ、花村へ質問を続けた。

「何が残ってる」

『立川の鞄とスマホと、家の鍵。それと、濡れた石が一個ある』

「石には触るな」

『スサノオにも言われた。まだ触ってねえ』

「現場を動かすな。地面の写真を撮って、周りへ人を近づけないでくれ」

『普通の地面しか写らねえぞ』

「何も残っていないことも情報になる」

 自分の口から出た言葉が、直斗の判断に似ていると鳴上は思った。詳しい検証は本人へ任せるべきだが、到着までにできることはある。

「直斗にも共有する」

『俺からも連絡する。悠、今どこだ』

「もう向かってる」

 花村の呼吸が一瞬だけ止まった。

『何でだよ。俺、今電話したばっかだぞ』

「イザナギが警告した。詳しくは着いてから話す」

『スサノオが?』

「たぶんそうだ。あと五分ほどで着く」

『五分って、早すぎねえ?』

「陽介はそこを動くな。一人で追うなよ」

『追う穴が残ってねえんだよ』

 荒い返事の奥に、届かなかったことへの悔しさが滲んでいた。

「分かってる。すぐ行く」

 鳴上は通話を切り、直斗へ短いメッセージを送った。

 送信を終えるより先に、直斗から「M大へ向かっています」と返信が届いた。

 イザナギの警告が、自分だけに届いたものではない。その事実に疑問を抱く時間はあったが、今は立川を探す方が先だった。

◇◇◇

 花村は、鳴上がM大構内へ入るのを見つけて目を見開いた。

 本当に連絡してから五分ほどしか経っていない。

「えっ、早すぎね? マジで五分で来たのかよ」

「電話の前から向かっていた」

 鳴上は早々に花村の肩と腕を目で確かめ、目立った怪我がないことを確認する。

「イザナギが、スサノオの警戒を感じたらしい」

(スサノオ、お前そんなことしてたのか)

『後で怒れ。今は石だ』

 花村は小さく顔をしかめた。それを横目で見つつ、鳴上は周囲を見回す。

「立川が消えた場所は」

「ここだ」

 花村が示した舗装には、穴もひびも見つからなかった。

 周囲の部分と色も質感も変わらず、冬の乾いた砂が表面へ薄く残っている。人一人が落ちた直後とは思えず、工事の跡や地盤沈下の兆候さえなかった。

「穴、残ってねえんだ」

 花村は何度目か分からない言葉を吐き、靴先で地面を確かめようとした。

「陽介、触るな」

「分かってる。ただ、本当に何もねえんだよ」

 鳴上は現場の周囲を回り、地面の高さや近くの植え込みを確認した。

 落下したなら衣服や土が擦れた跡が残り、鞄が肩から外れた時にも何かが散るはずだった。しかし、舗装の上には立川の持ち物だけが、本人から分けられたように残されている。

 ベンチには鞄とスマートフォンがあり、その横に鍵束が置かれていた。少し離れた地面には、黒灰色の小石が一つ転がっている。

 石は雨に濡れたような光を返していたが、触れている舗装は乾いたままだった。

「これが濡れた石か」

「立川が、一か月くらい前から出るって言ってた」

 花村は石を睨みながら、寝不足や奇妙な夢について立川から聞いたことを簡潔に話した。

「知らねえ村を検索してた。たしか、比良守村だ」

「スマホに履歴は残ってるか」

「画面は点く。開いてた履歴にも、その名前があった」

 鳴上は素手で端末へ触れず、花村が撮影していた画面の写真を確認した。

 検索欄には「比良守村」と「比良谷駅」が並び、さらに下へ「比良光神社」という名称が残っている。

 鳴上は人目を避ける位置へ立ち、背後にいるイザナギへ意識を向けた。

「イザナギ、頼めるか」

『何を調べる、主』

「比良守村と比良谷駅。それから比良光神社だ。新しい地図だけじゃなく、古地図と古い地誌も見てくれ」

『承知した』

 黒い影が人の流れの外側へ溶けるように薄くなり、イザナギの気配が大学構内から遠ざかっていった。

 鳴上が再び現場へ向き直ると、凪嶋がスマートフォンを握ったまま近づいてきた。

「鳴上くん、立川くんはどこに行ったの」

「まだ分からない」

「警察を呼ぶよね。大学にも言わなきゃいけないし、救急も、地面の下なら工事の人も必要で」

 凪嶋の言葉は続いていたが、何から連絡すればよいのか整理できていなかった。

 寺田はその横に立ち、鳴上を見てから嫌そうに口元を歪めた。

「やっぱり鳴上が来たか」

「寺田、大丈夫か」

「大丈夫に見えるなら、お前も相当疲れてるぞ」

 寺田は短く答え、濡れた石から距離を取った。

「花村と鳴上と探偵王子が揃うような話なら、俺は正直また勘弁してほしい」

「今回は寺田たちを巻き込まない」

「立川が目の前で消えた時点で、もう巻き込まれてる」

 返された言葉に、鳴上は否定できなかった。

 寺田は以前の事件で、詳しい事情を知らされないまま異常の中心へ置かれている。その経験があるからこそ、目の前の出来事を事故だけで処理できないと察していた。

「警察だけじゃ無理なんだろ」

「ああ。だが、警察と大学への連絡も必要だ」

「地面が開いたって言って、信じるか?」

「伝え方は直斗と相談しよう」

 鳴上が答えた直後、広場の入口から足音が近づいた。

◇◇◇

 花村の電話から十分ほどで、白鐘直斗と巽完二がM大構内へ到着した。

 直斗は小型の鞄と端末を持ち、普段より歩幅を広くしている。その半歩後ろには、黒いウールのコートを着た完二が続いていた。

「花村先輩、大丈夫ですか」

「直斗まで早すぎねえ?」

 花村は鳴上と二人を見比べ、混乱を隠さないまま両手を広げた。

「何でお前ら、俺が連絡して十分で全員揃ってんだよ」

「僕も、連絡を受ける前から向かっていました」

 直斗は歩きながら手袋を取り出し、地面の状態へ目を向けた。

「ヤマトタケルから異常を知らされました。完二も、ロクテンマオウから警告を受けています」

「ペルソナ同士で連絡取り合ってたってことか」

「電話のように話したわけではありません」

 直斗は現場の手前で足を止め、花村の問いへ簡潔に答えた。

「以前から、スサノオの警戒が弱い共鳴として伝わっていたようです。今回は、それが急に強くなりました」

(前からって、俺は聞いてねえぞ)

『形がなかった。言えば陽介は立川に言うだろ?』

 スサノオの声を受けた花村が、眉間を押さえながら黙り込んだ。

 鳴上もイザナギが以前から小さな震えを感じていたと話し、短く息を吐いた。

「こっちもだ。思うところはあるが、今はこれをどうするかだな」

「……後で全員まとめて話し合いだからな」

 花村が誰へともなく言うと、直斗は濡れた石の前で腰を落とした。

「まず現場を確認します。持ち物には素手で触らないでください」

 直斗は割れ目が開いた位置、残された鞄と鍵、石の距離を撮影し、花村たちが立っていた場所を順番に聞き取った。

「周囲に目撃者はいましたか」

「立川が落ちる直前だけ、人通りが減った」

 花村が答えると、凪嶋が小さく手を上げた。

「遠くには人がいました。でも、誰もこっちを見てなかったです」

「監視カメラは、あの建物の角にあります」

 寺田が講義棟の外壁を指した。

「ここが映るかは分からないけど、大学へ確認してもらえると思う」

「ありがとうございます。映像は消去されないよう、すぐに保存を依頼しましょう」

 直斗は地面へ定規を当て、わずかな段差や温度差まで確認した。

「舗装に破損はありません。地盤沈下の兆候も見当たりませんね」

「だから言っただろ。開いて、閉じたんだよ」

「花村先輩の証言を疑っているわけではありません」

 直斗は目を上げず、石の表面を拡大して撮影した。

「通常の落下事故では説明できないことを、現場の状態から確認しています」

 一方、完二は調査の邪魔にならない位置へ回り、寺田と凪嶋の前に立った。

「寺田さん、大丈夫ッスか」

「まあ、何とか」

 寺田は完二の体格と明るい髪を見上げ、わずかに後ろへ重心を移した。

「……この人、味方なんだよな?」

「完二は味方だ」

 花村が答えると、完二は困ったように眉を下げた。

「その言い方、俺が怪しいみてえじゃないスか」

「初対面でその見た目なら、ちょっと警戒はするだろ」

「寺田、正直すぎるって」

 凪嶋も完二を見上げていたが、何かに気づいたように視線を下へ移した。

 完二の濃紺の鞄には、小さな白い兎の編みぐるみが付いていた。丸い耳の内側だけ淡い桃色で、首元には細いマフラーまで巻かれている。

「それ、自作ですか」

「え?」

 完二が鞄へ目を落とすと、凪嶋は混乱した顔のまま編みぐるみを指した。

「その兎です。普通にかわいいんですけど」

「自作ッスけど」

「縫い目めちゃくちゃ綺麗ですね」

「今そこ見る空気じゃねえ気もしますけど」

 完二は耳を赤くしながら答えたが、凪嶋の呼吸は少しだけ落ち着いた。

「ごめんなさい、今そこじゃないですよね」

「いや、別に。立ってんのきつかったら座れます?」

「大丈夫です。たぶん」

 完二は凪嶋をベンチへ誘導し、寺田にも無理に現場を見続けないよう声をかけた。

 その間にも、直斗は花村の撮影した写真と現場を照合していた。

「石の周囲だけ、舗装の表面温度がわずかに低いですね」

「風も通ってねえ」

 花村が答えると、直斗は落ち葉と砂の向きを確認した。

「確かに、石の周辺だけ動きが不自然です。ただし、現段階で原因は判断できません」

「立川の行き先は」

「持ち物と検索履歴を確認する必要があります」

 直斗は立ち上がり、鳴上へ顔を向けた。

「警察と大学事務局への連絡を先に整理しましょう。現実側の対応を止めるべきではありません」

◇◇◇

 大学の警備員が到着する前に、直斗は寺田と凪嶋へ説明の仕方を確認した。

「まず、学生が目の前で行方不明になったと伝えてください」

「地面が開いたことは言わないの?」

 凪嶋は座ったまま、まだ震えの残る指で通話画面を開いていた。

「聞かれた場合は、見たことを隠す必要はありません。ただ、最初から説明すると、混乱だけが先に立つ可能性があります」

「持ち物が全部残ってることと、本人に連絡が取れないことを先に言う」

 寺田が確認すると、直斗は短く肯定した。

「現場保存が必要なことも伝えてください。監視カメラの映像は、大学事務局から警備部門へ保存を依頼してもらいましょう」

「石のことは?」

 寺田が濡れた小石へ目を向けた。

「現時点では、落とし物の一部として不用意に渡さない方がいいです」

「何でだよ」

「性質が分かっていません。触れた人へ影響がある可能性も否定できませんから」

 直斗は凪嶋へ向き直り、ゆっくり言葉を選んだ。

「凪嶋さんは、大学事務局へ連絡してください。立川さんの所属と、今日の試験へ出席していたことも確認してもらえますか」

「分かりました」

「寺田さんは、警察への説明を手伝ってください。凪嶋さんを一人にしないようお願いします」

「俺はそっちの方がいい」

 寺田は安堵を隠さないまま答えたが、花村へ向ける顔には心配が残っていた。

「花村、お前はどうする」

「立川の部屋を調べる」

「勝手に入れんのか」

「鍵が残っています」

 直斗がベンチの鍵束を示し、端末へ管理会社の情報を表示した。

「警察と管理会社へ事情を通し、立ち会いを頼みます。本人が行方不明で、異変が一か月ほど続いていたなら、部屋を確認する理由になります」

「俺たちも行った方がいいか」

「寺田さんと凪嶋さんは、ここで現実側の対応をお願いします」

 直斗の答えに、寺田はすぐ反論しなかった。

 以前の事件で自分を助けた鳴上と花村、探偵王子として知る直斗が揃っている。詳しい事情は理解できなくても、自分が同行するより、凪嶋の傍にいる方がよいと判断したらしい。

「分かった。警察には、学生が急に消えて持ち物が残ってるって話す」

「監視カメラも頼む」

「凪嶋、大学の方は任せた」

「うん。でも、花村くん」

 凪嶋はスマートフォンを握ったまま、花村を見上げた。

「立川くん、見つかるよね」

 花村はすぐには答えられず、閉じた地面へ目を向けた。

 鳴上がその隣へ立ち、短く言葉を引き取った。

「見つける。そのために部屋を確認する」

 凪嶋は不安の残る顔で、それでも小さく頷いた。

「寺田、凪嶋を頼む」

「任せろ。お前は無茶すんなよ」

「しねえよ」

「その返事、前にも聞いた気がする」

 警備員と大学職員が広場へ入ってくるのが見え、直斗は四人の立ち位置を調整した。

 鳴上たちは濡れた石の存在を伏せたまま、立川が目の前から消え、持ち物が残された事実を現実側の言葉へ置き換えて説明した。

 地面には、最後まで立川がいた痕跡が戻らなかった。

◇◇◇

 立川の部屋へ入れた頃には、冬の日が完全に落ちていた。

 警察の事情聴取と大学側の確認を終え、管理会社へ連絡が通るまでに数時間を要している。立川の鍵が現場へ残っていたこともあり、管理人の立ち会いと、室内を荒らさないことを条件に確認が認められた。

 花村、鳴上、直斗、完二の四人は靴を脱ぎ、管理人が廊下へ下がった後で室内を見回した。

 玄関には履き潰しかけたスニーカーが二足あり、狭い台所には洗っていないマグカップとインスタント食品の容器が残されている。床には試験範囲を印刷した紙が積まれ、ベッドの脇には空の栄養飲料が並んでいた。

 散らかってはいるが、試験期間中の学生部屋として特別ひどい状態ではない。

「立川さん、マジで消えたんスよね」

 完二は声を抑えながら、机の周囲を見渡した。

「俺と寺田と凪嶋の目の前でな」

「穴が閉じたって、どんな感じだったんスか」

「説明できたら苦労してねえよ」

 花村の声が強くなったところで、鳴上が肩へ軽く手を置いた。

「完二も状況を確認してるだけだ」

「分かってる」

「陽介、順番に見よう」

 鳴上は花村の呼吸が戻るのを待ち、机の上へ視線を移した。

「睡眠を取れていなかった形跡があります」

 直斗は使い捨ての手袋をはめ、レシートと空容器の日付を確認した。

「栄養飲料やコーヒーの購入が、約一か月前から増えています。試験勉強だけが理由とは考えにくいですね」

「立川は、徹夜で詰め込むタイプじゃねえんだよ」

 花村はベッドへ近づき、枕元に置かれた目覚まし時計を確認した。

 複数の時刻へアラームが設定され、古い携帯端末まで予備として置かれている。眠れない夜が続いていたのか、眠った後に起きられないことを恐れていたのか、残された物だけでは判断できなかった。

『陽介、窓を見ろ』

 スサノオの声を受け、花村はカーテンを少しだけ開いた。

 換気口は開いており、外では冬の風が電線を揺らしている。それなのに室内のカーテンは動かず、外から入るはずの冷気もほとんど感じられなかった。

「風が入ってねえ」

「換気口が詰まってるんじゃないッスか」

 完二が壁際へ近づこうとすると、鳴上が片手を上げた。

「待て。床に石がある」

 ベッドと壁の間には、黒灰色の小石が二つ並んでいた。

 水をかけたように表面が濡れているが、下の敷物にも壁紙にも染みはない。机の上へ目を移すと、教科書の陰と空のマグカップの横にも同じ石が置かれていた。

「こんな石、立川の部屋にもあんのか」

 花村が足を進める前に、鳴上が腕を伸ばして制止した。

「石には触らない方がいい」

「分かってる。見るだけだ」

「花村先輩、こっちにもあります」

 完二は本棚の前へ腰を落とし、雑誌の隙間に落ちた五つ目の石を指した。

「この石、嫌な感じしますね」

 完二は手を伸ばしかけたまま止まり、直斗を庇うように一歩横へ移動した。背後にいるロクテンマオウから、短い警告でも受けたような反応だった。

『濡れてるのに、床が濡れてない』

(大学に落ちてたやつと同じか)

『たぶんな。けど、こっちは前からある』

(何で分かる)

『周りの風の曲がり方が違う』

 花村には風が曲がる感覚を正確に理解できなかったが、石へ近づくほど空気が行き止まりになるような息苦しさは感じられた。

「やっぱり……風が通らない」

 花村が告げると、直斗はカーテンと床の埃を確認した。

「換気口の問題ではなさそうですね。石の周囲だけ、空気の流れが弱くなっています」

「直斗にも分かるのか」

「目に見える動きから推測しているだけです。異常の性質までは判断できません」

 直斗は石の位置を一つずつ撮影し、互いの距離を記録した。

 鳴上は机の椅子を引き、試験資料の下から開かれたノートを取り上げた。

「陽介、これを見てくれ」

 ノートの前半には授業の要点や試験範囲が整然と書かれていたが、最後の数ページだけ筆跡が乱れていた。

 同じ駅名と乗換経路が何度も書かれ、余白には時刻や運賃が細かく残されている。一部は線で消されていたものの、薄い筆圧の下から文字を読み取ることができた。

「比良谷駅」

 花村が声に出すと、直斗は立川のスマートフォンを確認した。

「検索履歴にも、同じ駅名があります」

 机の引き出しからは、小さく折られたメモも見つかった。

 比良守村。

 比良光神社。

 二つの名前の横には疑問符が付き、その下へ「どこ」「何で検索した」と乱れた字が残されていた。

「立川は、自分でも分かってなかったんだ」

 花村はメモを見つめ、失踪直前に聞いた言葉を思い返した。

「気づいたら検索してたって言ってた。帰らなきゃって思うけど、どこに帰るのか分かんねえって」

「一か月ほど前からか」

 鳴上が確認すると、花村は短く答えた。

「ああ。濡れた石も、その頃から出てたらしい」

『前から死んでた』

 スサノオの声が、普段より低く聞こえた。

(何がだよ)

『立川の周りの風だ。完全じゃねえけど、時々、向きが消えてた』

(何で言わなかった)

『分からねえことは何も言えねえよ』

 花村は反射的に言い返しかけたが、スサノオも異常の正体を把握できていなかったことは分かった。

『ただ、立川本人の近くで強く出たのは、今日が初めてだ』

(後で話すからな)

『だから、後で怒れって言ってんだろ』

 花村が小さく舌打ちしたところで、直斗が検索結果を机へ表示した。

◇◇◇

「比良守村という行政地名は確認できません」

 直斗は複数の地図と自治体の公開情報を切り替えながら、検索結果を整理した。

「現行の住所だけでなく、廃村や旧村名としての記録も見つかっていません」

「検索履歴には残ってんのにか」

 花村が端末を覗き込むと、直斗は履歴と検索結果を並べた。

「立川さんが、その語句を入力した事実が残っているだけです。検索先に、村の所在地を示す情報はありません」

「比良谷駅は」

「実在します」

 地図上には山間部を走る小さな路線が表示され、その途中へ比良谷駅の名が記されていた。

「立川さんの乗換検索は、すべてこの駅を目的地にしています。ただし、駅から先の経路は途中で途切れています」

「比良光神社は?」

 鳴上が尋ねると、直斗は地図の縮尺を変え、過去の情報も重ねた。

「名称だけなら、断片的に表示されます。ただ、地図の提供元や縮尺によって位置がずれ、表示そのものが消える場合もあります」

「正式な神社じゃねえのか」

 完二が本棚の前から戻り、画面を覗き込んだ。

「県神社庁や神社本庁系の公開情報には、該当を確認しにくいです。宗教法人としての記録も、現時点では見つかっていません」

 直斗は比良光神社の名称だけが浮かぶ地図を閉じた。

「神社と呼ばれていますが、現代制度上の神社としては不自然です。ただし、通常の神社ではないと断定する材料もありません」

「場所は山の中か」

 鳴上が地形図を確認すると、直斗は比良谷駅周辺を拡大した。

「駅から先は山間部です。集落へ続く道路らしいものはありますが、地図によって表示が異なっています」

「今から行こう」

 花村が即座に言い、立川の乗換履歴へ手を伸ばした。

「立川が落ちてから、もう何時間も経ってる。夜でも電車はあるだろ」

「現地の状況が分からないまま、夜の山へ入るのは危険です」

 直斗は声を強くせず、地形図の周囲へ指を滑らせた。

「通常の携帯回線が届かない可能性もあります。道を見失えば、立川さんを探す前に僕たちが動けなくなります」

「だからって、ここで待ってても立川は戻らねえ」

「陽介」

 鳴上が二人の間へ立ち、花村の目を正面から見た。

「俺もすぐ行きたい。でも、今から着く頃には山の中は完全に暗い」

「悠まで待てって言うのか」

「立川を連れて戻る準備が必要だ」

 鳴上は地図と検索履歴を順に指した。

「通信手段、帰りの足、現地で迷わないための記録。それを揃えずに入れば、助ける可能性まで失う」

 花村は拳を握ったまま黙り込み、部屋の各所に置かれた濡れた石へ目を向けた。

 大学で立川の手へ届かなかった時と同じように、相手の性質が分からないまま踏み込めば、人数が増えただけで何も変わらないかもしれない。

「衛星電話か衛星通信端末を持っていきます」

 直斗は端末へ必要な装備を記録した。

「通信が断たれる前提で動いた方がいいでしょう。比良谷駅を外部連絡の基点にし、薬師寺にも車で待機できる準備を頼みます」

「車で直接行った方が早くねえか」

 完二の問いに、直斗は立川の履歴を表示した。

「立川さんは、何度も同じ電車の経路を検索しています。車の経路は一度も調べていません」

「それに意味があるのか」

「分かりません。ただ、この検索履歴が強制的に残されたものなら、経路そのものが手がかりの可能性があります」

 鳴上は比良谷駅から先へ伸びない地図を見つめ、短く結論を出した。

「まず電車で比良谷駅へ行く」

「検索履歴を再現するのか」

「ああ。車で近づけば、駅から続く道や入口を見落とすかもしれない」

「駅を基点にすれば、薬師寺の車も待機させられます」

 直斗が補足すると、完二は迷わず一歩前へ出た。

「明日、俺も行きます」

「完二君、現地の危険度はまだ分かっていません」

「直斗が行くのに、俺だけ残る理由ねえだろ」

「そういう問題ではありません」

「花村先輩と鳴上先輩だけでも行くんスよね」

 完二は直斗から目を逸らさず、低い声で続けた。

「だったら、俺も行きます。立川さんを連れて帰るなら、守れる人数は多い方がいい」

 直斗は端末へ目を落とした後、短く息を吐いた。

「分かりました。ただし、勝手な行動はしないでください」

「直斗もな」

「僕はしません」

「そう言うやつが一番するんだよ」

 完二の返しに、張りつめていた部屋の空気がわずかに緩んだ。

 直斗は衛星通信端末の手配について確認を始め、薬師寺へ車と救急用品の準備を頼む短文を送った。

「朝一で行く」

 花村はようやく地図から手を離し、鳴上へ顔を向けた。

「それ以上は待たねえ」

「ああ。今日は戻って整理しよう」

「うちにか」

「イザナギの報告も聞く必要がある」

 鳴上は立川の机に残されたメモを撮影し、管理人へ室内確認を終えたことを伝えるため玄関へ向かった。

◇◇◇

 高円寺の同居部屋へ戻った時には、日付が変わるまで一時間を切っていた。

 玄関には朝に脱いだ花村の靴が斜めに残り、台所には鳴上が出かける前に研いだ米がそのまま置かれている。普段なら安心するはずの生活感が、今夜は別の部屋から眺めているように遠く感じられた。

「何か食べるか」

 鳴上はコートを脱ぎながら尋ねた。

「いらねえ」

「朝から試験しか食べてないだろ」

「試験は食い物じゃねえよ」

「返事ができるなら、少しは大丈夫だな」

 鳴上は台所へ入り、冷蔵庫から保存容器を取り出した。

 花村はリビングへ鞄を置き、直斗から送られた検索履歴と写真をテーブルへ広げた。立川の部屋にあった石やメモの実物は持ち出さず、管理人と警察へ状況を共有した上で室内へ残している。

 鳴上が簡単な雑炊を作る間も、花村の頭から立川が消えた瞬間は離れなかった。

「手が届いたと思ったんだ」

 花村が呟くと、鍋を運んできた鳴上が正面へ座った。

「指には触れた。なのに、掴めなかった」

「陽介のせいじゃない」

「俺の目の前にいたんだぞ」

「それでもだ」

 鳴上は慰めだけで終わらせず、花村の前へ椀を置いた。

「次に届くために、今できることをする」

「分かってる」

「なら、少し食べろ」

「そこで飯に戻すのかよ」

「空腹のまま山へ行かせる気はない」

 花村は不満を残しながら椀を受け取り、温かい雑炊を一口だけ口へ運んだ。

 食欲はないと思っていたが、身体は空腹だったらしい。湯気と出汁の匂いが喉を通るにつれ、強張っていた呼吸が少しずつ戻った。

 窓の外を走る電車の音が遠ざかった頃、部屋の明かりへ薄い影が重なった。

 鳴上の背後には、銀糸のステッチが走る黒い輪郭が静かに現れている。大きく顕現した姿ではなく、イザナギの一部だけが夜の室内へ重なるように浮かんでいた。

 花村の横にも、スサノオの気配が風を伴わずに立ち上がった。

『主、戻った』

「ありがとう。何か見つかったか」

 鳴上の問いに、イザナギはゆっくり首を横へ振った。

『比良守村、なんてものは見つけられなかった』

 花村は椀を置き、イザナギへ身体を向けた。

「古い地図にもないのか」

『村としてはない。地名の一覧にも、廃村の記録にも残っていない』

「じゃあ、立川が調べてた名前は何なんだよ」

『それは分からない』

 イザナギは断定せず、テーブルへ広げられた地図を見下ろした。

『比良谷という地名はある。駅も、今の地図と古い記録の両方に残っている』

「比良光神社は」

『神社らしき記号だけならある』

 鳴上が古地図の画像を端末へ表示し、現在の地図と山の稜線を重ねた。

 川の表記や道筋は年代によって変化しているが、山の形だけはほぼ一致している。その一角には小さな鳥居の記号があり、別の年代の地図では何の印も残されていなかった。

『名前は書かれていない。時代によって、記号そのものが消えている』

「建てたり壊したりしただけじゃねえの」

『同じ場所に現れ、また消えている。道は、どの地図にもはっきり残っていない』

 イザナギの報告は、直斗が調べた内容と重なっていた。

 村の名はない。

 駅だけは存在する。

 神社らしい記号は、古い地図へ現れたり消えたりしている。

『山の形は一致する』

 イザナギは地図上の稜線へ手を向けた。

『名を避けたか、残せなかったかだ。ただ、どちらかまでは分からない』

「立川の部屋のこと、スサノオはどう見た」

 鳴上が尋ねると、スサノオの気配が花村の横でわずかに揺れた。

『部屋そのものが塞がってたわけじゃねえ』

「じゃあ何だよ」

『石の周りだけ、風の向きがなくなってた』

「大学の割れ目と同じか」

『近い。でも、あの割れ目は立川を下へ引いた。部屋の石は、立川の場所を確かめてたみてえだった』

「確かめるって、誰が」

『知らねえよ。分かってたら先に言ってる』

 スサノオの声には、花村と同じ種類の苛立ちが混じっていた。

「一か月前から気づいてたんだろ」

『時々、風が死んでた。それだけだ』

「俺には言えなかったのか」

『言えなかった。昼にも言ったが、まだ形がなかったし、立川の近くで強く出たのは今日が初めてだ』

 花村は言い返そうとして、口を閉ざした。

 曖昧な違和感をすべて危険として扱えば、日常生活そのものが成り立たない。スサノオも自分と同じく、今日まで異常の輪郭を掴めなかったのだろう。

 鳴上は二柱の気配を見比べ、静かな声で口を挟んだ。

「ペルソナ同士の共有については、帰ってから改めて話そう」

「今もう帰ってるだろ」

「立川を連れ戻してからだ」

 花村は鳴上の言葉に反論せず、地図へ目を落とした。

 高円寺の夜を走る電車の音が、閉じた窓の向こうでいつもより遠く聞こえていた。

 

 




<今回でてきたキャラ>
花村陽介(20)
M大経済学部に在籍している大学生。口を開けばガッカリ王子なのは相変わらずだが、見た目の良さとコミュニケーション力の高さ、たまに学校に来なくなるけど(事件に巻き込まれてるため)成績は上々ということで学内では人気がある。
立川(20)
花村と同じ学部に在籍している大学生。花村とよくつるんでいるいつメン。一か月前あたりから周辺で異変が起こり始めており、本人は寝不足となっている。なお四人の中では一番成績がよい。地面に空いた穴についに落ちてしまった。
寺田(20)
花村と同じ学部に在籍している大学生。花村とよくつるんでいるいつメン。本郷の居酒屋でバイトしていて、かつて「T大生暴動事件(アーカムの魔女事案)」に巻き込まれた経験者。四人の中では真面目枠。実は実家が太いらしい。
凪嶋(20)
花村と同じ学部に在籍している大学生。花村とよくつるんでいるいつメン。四人の中では紅一点。本人はソシャゲ等二次元キャラにお金と労力をささげていて、オタク趣味を話しても動じない三人と一緒にいる。いわゆる一般人枠。
鳴上悠(20)
T大理工学部に在籍している大学生。冷静沈着に状況を見て判断を下すも、たまに天然ボケが挟まる。見た目はよいのだが着る服などに頓着しておらず、花村とルームシェアしてからはもっぱら言われた服を着ている模様。
白鐘直斗(20)
五反田にある「白鐘探偵事務所」の所長を務める【探偵王子】。いつでも冷静ではあるが、お化けが苦手。情報処理能力は鳴上以上。正直美人である。
巽完二(20)
東京にある服飾系専門学校に通っている。物理が得意なのはいつもの通り。ガタイはでかいが繊細な布仕事は校内でも評判である。

<Pixivにも掲載してます>
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=28746674

また次週ーー
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