四人は立川が検索していたルートをなぞって移動を開始する。携帯電話の電波が弱くなるほどの山中に目的の駅である比良谷駅はあった。駅員は四人を客として迎え入れながら、立川は昨日戻った、と発言する。
<ここから読んでも分かるようにはしてる>
でもできたら「ペルソナアフターパラレル」から読むともうちょっとわかりやすいかも。
あっちの事件でかかわった人が登場人物として再登場しているので。
よろしくお願いします~
翌朝の高円寺は薄い雲に覆われ、窓から入る光も冬の冷たさを残していた。
花村が目を覚ました時、テーブルには昨夜広げた地図と端末が置かれたままで、比良谷駅へ向かう乗換経路だけが画面に残っていた。眠ったという感覚はほとんどなく、目を閉じるたびに立川の指先が見えたせいで、身体を横にしていただけに近かった。
「陽介、起きてるか」
台所から鳴上の声が聞こえ、花村は毛布を押しのけながら上半身を起こした。
「見りゃ分かんだろ」
「返事が遅かったから確認した」
「寝起きの人間に速度を求めんな」
鳴上はすでに着替えを済ませ、湯気の立つマグカップを二つ持ってリビングへ戻ってきた。
花村の分には砂糖が入っているらしく、差し出されたカップから普段通りの甘い匂いがした。こんな朝にもいつもの分量を覚えていることが少し腹立たしく、同時にありがたかった。
「荷物は確認した」
鳴上は玄関脇に並べたバッグへ目を向けた。
「懐中電灯、防寒具、手袋、救急用品。水と食料も入ってる」
「充電器は」
「二人分ある。予備の端末も持った」
「立川の履歴は?」
「端末と紙の両方に残してある」
鳴上が一つずつ答える間にも、花村は時計を何度も確認していた。
出発予定まではまだ余裕があり、急いだところで電車が早く来るわけではない。それでも同じ場所へ座っていることが耐えがたく、飲みかけのカップを置いて立ち上がった。
『陽介、焦るな』
まだ姿を見せていないスサノオの声が、胸の奥から低く届いた。
(焦るなって方が無理だろ)
『駅までは逃げねえ。お前が足を取られる方が面倒だ』
(誰が取られるかよ)
『昨日、何もない地面に飛び込もうとしてただろ』
言い返す言葉が見つからず、花村は玄関へ向かうふりをしてマフラーを取り上げた。
鳴上の背後にもイザナギの気配が薄く残っている。はっきり姿が見えるわけではないが、朝の部屋に混じる静かな圧で、昨夜からずっと周囲を警戒していることは分かった。
「直斗たちとの合流は乗換駅だったな」
「ああ。予定通りなら、俺たちより先に着いている」
「完二は絶対早く来るだろ」
「直斗が一緒だからな」
花村がマフラーを巻く間に、鳴上はテーブルの地図を畳み、端末をバッグの外ポケットへ収めた。
「確認する。まず比良谷駅へ行く」
「分かってる」
「立川の検索履歴を、最初から最後まで辿る」
「車で近道はしない」
「駅を外部連絡の基点にする」
「それも分かってるって」
返事が強くなったところで、鳴上は花村の首元へ手を伸ばした。
マフラーの端がコートの襟へ挟まっていたらしく、布を引き出して形を整える。花村が何か言う前に手は離れたが、その自然な動作のおかげで、呼吸だけは少し落ち着いた。
「行くぞ、陽介」
「ああ」
二人は同じ玄関から外へ出て、鳴上が鍵を閉める音を並んで聞いた。
◇◇◇
乗換駅の改札前では、直斗と完二がすでに待っていた。
直斗は普段使っている鞄とは別に、黒く硬いケースを肩から提げている。完二も大きめのリュックを背負い、直斗の荷物へ何度も手を伸ばしては断られているようだった。
「鳴上先輩、花村先輩、こっちッス」
完二が大きく手を上げたため、周囲の通勤客が一瞬だけそちらを見た。
「声でけえよ」
「見つけやすい方がいいかと思って」
「俺らを迷子扱いすんな」
花村がいつもの調子で返すと、完二は少しだけ肩の力を抜いた。
「二人とも、予定より早いな」
鳴上が時計を確認すると、直斗は黒いケースを持ち直した。
「何か起きてから慌てるよりはいいでしょう」
「昨日言ってた衛星電話って、それか」
「正確には衛星通信端末です。音声通話だけでなく、短文と位置情報も送れます」
直斗がケースの留め具を軽く示すと、完二が横から重さを確かめるように覗き込んだ。
「予備の電源も入ってんスよ。直斗、それ重くねえか」
「持てない重さではありません」
「持てるかどうかじゃなくて、俺が持つって言ってんだよ」
「必要な時にすぐ操作できる方が持ちます」
「じゃあ、使わねえ間は俺でいいだろ」
二人のやり取りは朝から普段通りだったが、完二は直斗の斜め後ろから離れず、周囲の人の流れまで確かめていた。
花村にはロクテンマオウの声は聞こえない。それでも完二が時折背後へ意識を向け、何もない空間から短い助言を受け取っているように見えることはあった。
「通常回線は、もう確認したのか」
鳴上の問いに、直斗は自分のスマートフォンを取り出した。
「比良谷駅周辺までは、通信可能と表示されています。ただし、山道へ入れば圏外になる可能性が高いです」
「衛星なら山でも通じるんだろ」
「空が開けていれば、通常回線よりは期待できます」
直斗は断言を避け、端末のケースへ手を添えた。
「ですが、地形や周囲の異常が通信へ影響しない保証はありません。現地では、すべての連絡手段が使えなくなる前提で動きます」
「比良谷駅を基点にする」
鳴上が確認すると、直斗は短く肯定した。
「薬師寺には、駅周辺へ到着する時刻を後ほど連絡します。僕たちより遅れて車で向かってもらう予定です」
直斗が自身の執事の名を言えば、完二は少し首を傾げる。
「最初から一緒に来てもらわねえのか」
「立川さんの検索履歴を再現することが優先です。薬師寺さんには、現実側の退路を確保してもらいます」
「帰ってくる場所を残しとくってことか」
完二の言葉に、直斗は一度だけ目を上げた。
「そう考えてください」
改札の案内表示が切り替わり、四人が乗る電車の時刻が近づいた。
「行こう」
鳴上が先に歩き出し、花村たちも続いて改札を通った。
◇◇◇
都心を離れるにつれて、車窓の外から建物の密度が少しずつ減っていった。
最初の電車には通勤客や学生が多く、四人はまとまって座ることができなかった。二度目の乗換を過ぎる頃には空席が目立ち始め、最後の路線へ入った時には、一つのボックス席を四人で囲めるほど車内が空いていた。
花村は窓側へ座り、流れていく景色を何度も見直した。
住宅街の向こうへ低い山が現れ、しばらくすると線路の両側へ木々が迫ってきた。電車がカーブを曲がるたび、冬の枝の隙間から細い川や古い道路が見えたが、立川へつながるものは何も見つからない。
「立川の検索履歴、本当にこの電車なんだな」
「列車の時刻まで一致しています」
向かいに座った直斗は、複製した検索履歴と現在の運行情報を交互に確認していた。
「立川さんは約一か月の間に、同じ経路を十六回検索しています。時刻は異なりますが、乗換駅と終点はすべて同じです」
「一回も実際には乗ってねえんだよな」
「交通系ICカードの利用記録には残っていません」
「昨日、初めて連れていかれたってことか」
「少なくとも、通常の移動記録ではそうなります」
直斗の答えは慎重だったが、花村の胸に浮かんだ苛立ちは消えなかった。
「比良守村は出ねえのに、駅だけあるって何だよ」
「比良谷という地名自体は、現在も残っています」
直斗は地図を拡大し、駅周辺の区域を表示した。
「ただ、昨日追加で調査したのですが、やはり自治体の公開情報や住所表記に『比良守』という名称はありません。廃村、旧村名、通称のいずれとしても確認できませんでした」
「誰かが消したとかじゃねえの」
完二が窓の外から端末へ目を戻した。
「意図的に記録を消した可能性も否定はできませんが、証拠はありません」
「古い地図にもないんだろ」
花村の問いに、鳴上が昨夜の調査結果を引き継いだ。
「村の名前はなかった。山の形と、比良谷の地名だけが一致している」
「神社は?」
「比良光神社という名称は、断片的に表示されます」
直斗が別の資料を開くと、現在の地図と古い地図の画像が並んだ。
「ただ、表示される位置が安定していません。縮尺や提供元によっては名称が消え、古い地図では神社らしき記号だけが残っています」
「現代の神社制度上の情報とも一致しないんだよな」
「はい。神社本庁や県神社庁の公開情報からは、該当する神社を確認しづらいです。宗教法人としての記録も、現在まで見つかっていません」
直斗は画面を閉じ、花村と完二を順に見た。
「神社という名前だけで、通常の神社と判断しない方がよいでしょう」
「村はない。神社も怪しい。でも駅だけは普通に電車が止まる」
花村は座席の背へ身体を預けたが、落ち着くことはできなかった。
「だったら、駅で何が分かるんだよ」
「立川の履歴は、駅で止まっている」
鳴上は窓の外へ目を向けたまま、短く答えた。
「画面に残らない道なら、現地で探すしかない」
「車だと見落とすかもしれないって話だった」
完二が確認すると、直斗は端末へ乗換履歴を再表示した。
「立川さんは、駅から先の車道やタクシーを一度も調べていません。徒歩経路だけが短時間表示された形跡はありますが、現在は再現できません」
「隠れた道があるかもしれねえ」
「ええ。駅からの動きを見ずに車で近づけば、その入口を通り過ぎる可能性があります」
「薬師寺さんの車は、帰りのために駅へ置く」
鳴上が整理すると、直斗は頷く代わりに「その通りです」と答えた。
花村は窓へ額を寄せかけ、冷えたガラスの手前で動きを止めた。
立川も、この景色を何度も画面の中で見ていたのだろうか。検索するたびに乗ることを思いとどまり、それでも最後には大学の地面から強引に連れ去られた。
『陽介、焦るな』
(分かってるって言ってんだろ)
『分かってるやつは、降りる前から走ろうとしねえ』
花村は無意識に膝へ力を入れていたことに気づき、足を床へ戻した。
「花村先輩、急ぎたいのは分かりますけど」
完二も花村の姿勢を見ていたらしく、少し言いづらそうに口を開いた。
「駅着いて、一人で先行くのはなしッスよ」
「行かねえよ」
「今の返事、あんま信用できねえな」
「お前まで悠みたいなこと言うな」
「鳴上先輩が言うなら、たぶん合ってんだろ」
完二は冗談めかして答えたが、その目は真剣なままだった。
「俺も立川さんのことはほとんど知らねえッス。でも、花村先輩のダチなんだろ」
「ああ」
「だったら連れて帰りましょう。四人で来た意味、そこしかねえし」
花村は返事の代わりに窓の外へ目を戻した。
電車はさらに山の間へ入り、車輪が継ぎ目を通過する音だけが一定の間隔で続いている。乗客は乗換のたびに減り、車両の前方には地元の老人が一人座っているだけになっていた。
『駅までは普通だ』
スサノオが周囲の空気を確かめるように告げた。
(じゃあ、どこから変わる)
『近づいてる。風の戻りが遅くなってる』
(戻りって何だよ)
『山へ入った風が、向こう側から返ってこねえ』
花村自身に分かるのは、窓の隙間から入る微かな空気が妙に湿っていることだけだった。
外は晴れており、車窓から見える山肌にも雨の跡はない。それでも鼻の奥には濡れた土に近い匂いが残り、立川の部屋で見た石を思い出させた。
鳴上も何かを感じたらしく、背後にいるイザナギへ意識を向けるように一度目を伏せた。
「悠?」
「山の形は、古地図と同じらしい」
「イザナギか」
「ああ。駅も、今の位置で間違いない」
鳴上の言葉が終わると同時に、車内放送が次の停車駅を告げた。
聞き慣れない駅名の後で、比良谷駅という音だけがはっきり耳へ残った。
◇◇◇
比良谷駅へ降りた乗客は、四人の他に誰もいなかった。
電車は短い停車時間を終えると、開いた扉から冬の空気を残し、山の向こうへ走り去っていった。車輪の音が遠ざかるにつれ、ホームには風と古い時計の音だけが残った。
駅舎は木造部分の多い小さな建物で、屋根や柱は何度も修繕されている。掲示板には色褪せた観光案内と運休時の連絡先が貼られ、待合室には古い石油ストーブの匂いが染みついていた。
「普通の駅に見えるな」
完二がホームを見回しながら言った。
「駅までは普通だって、スサノオも言ってた」
花村は小声で返し、自分のスマートフォンを確認した。
電波表示は一本まで減っていたが、完全な圏外ではない。直斗も端末を取り出し、通常回線と衛星通信端末の状態を順番に確かめた。
「通常回線は不安定です。駅舎の外なら、短い通話はできるでしょう」
「山へ入ったら切れそうか」
「その可能性が高いです」
改札は有人だったが、駅員の姿は見えなかった。
四人が切符を手に窓口へ近づくと、奥の事務室から制服姿の男が出てきた。年齢は五十代ほどで、眼鏡の奥に眠そうな目をしており、地方駅の朝番として不自然なところは何もない。
「お待たせしました」
駅員は切符を受け取り、一枚ずつ確認した。
「遠くからですか」
「東京から来ました」
直斗が答えると、駅員は四人の荷物を見回した。
「山へ行かれるんですか」
「比良守村を探しています」
花村が先に名前を出すと、駅員の手が一瞬だけ止まった。
驚いた様子ではなく、聞き慣れた地名を確認する程度の間だった。
「比良守ですか」
「知ってるんですか」
「ええ。山の中にありますよ」
あまりにも普通に返されたため、花村は聞き間違えたのかと思った。
直斗もすぐには次の質問をせず、駅員の顔を確かめている。完二は窓口の横へ位置をずらし、駅舎の入口と事務室の奥を同時に見られる場所へ立った。
「昨日、ここへ若い男が来ませんでしたか」
鳴上が静かな声で尋ねた。
「背は俺と同じくらいで、大学生です。立川という名前です」
「ああ、立川の方なら戻られましたよ」
駅員は切符を重ねながら、天気の話でもするように答えた。
「昨日のうちに、村へ向かわれました」
「戻った?」
花村は窓口へ一歩近づいた。
「どういう意味だよ。立川はここに来たのか」
「落ち着け」
鳴上が腕を軽く押さえたため、花村は駅員との間に残っていた距離を詰めずに済んだ。
「話を聞こう」
「でも、こいつ今、戻ったって」
「聞いてる。だから確認する」
鳴上の声は低かったが、花村を止める手には余計な力が入っていなかった。
直斗が窓口へ向き直り、駅員へ質問を重ねた。
「立川さんが到着した時刻は分かりますか」
「昨日の夕方ですね」
「どの列車で来ましたか」
「列車ではありませんよ」
駅員は不思議そうに首を傾けた。
「戻られる方は、列車で来るとは限りませんので」
花村の背中へ冷たいものが走った。
「じゃあ、どうやってここに来た」
「それは私には分かりません」
「見たんだろ」
「駅前に立っておられました。少し疲れていたようですが、歩けない様子ではありませんでしたよ」
「一人だったのか」
「ええ。立川の者ですから、道は分かるでしょう」
駅員の言葉には説明を省いている様子がなく、本当にそれだけで十分だと思っているようだった。
「立川の者、というのは何ですか」
直斗が尋ねると、駅員は眼鏡の位置を直した。
「立川は立川でしょう」
「名字の話ですか」
「村の立川です。戻る時期でしたので」
駅舎の壁時計が小さな音を立て、針を一つ先へ進めた。
その間にも駅員は穏やかな表情を崩さず、四人が理解できていないことの方を不思議に思っているように見えた。
「戻る時期って、誰が決めた」
花村の声が再び強くなった。
「立川は、自分から来たんじゃねえ」
「外では、そういう言い方をされるんですね」
「何だと」
「花村先輩」
直斗が短く呼びかけたため、花村は奥歯を噛んで口を閉ざした。
駅員は花村の苛立ちを気にする様子もなく、切符を箱へ入れた。
「村へ行かれるのでしたら、駅を出て右の道です。橋を渡り、そのまま山へ入ってください」
「距離はどれくらいですか」
「歩いて一時間ほどでしょうか」
「車は入れますか」
「軽トラックなら通ることもあります。ただ、道が細いので、外の車は入らない方がいいですよ」
「立川さんも歩いたんですか」
直斗の問いに、駅員は当然のこととして答えた。
「ええ。戻る方ですから」
「一人で山へ入れたのかよ」
完二の声には、抑えきれない苛立ちが混じっていた。
「具合が悪そうだったんだろ」
「村までは一本道です。迷うことはありません」
「そういう話じゃねえ」
完二が窓口へ手をつきかけ、直斗がその袖を軽く引いた。
「村の入口に目印はありますか」
「古い標識と、お地蔵様があります」
「比良光神社は、村の中ですか」
直斗が名称を出した瞬間、駅員はほんの少しだけ口を閉ざした。
それまでの質問より長い間を置いた後、同じ穏やかな声で答える。
「神社へ行かれるなら、村の方に聞いてください」
「あなたは場所を知らないんですか」
「駅の者が、お話しすることではありませんので」
拒絶は柔らかかったが、そこから先へ踏み込ませない硬さがあった。
「外の方も行かれるのですか」
駅員は改めて四人を見回した。
「立川を連れ戻しに行く」
花村が答えると、駅員はその言葉を直さなかった。
「戻られた方を迎えに行くのなら、急がれた方がいいでしょう」
「何で急ぐ必要がある」
「日が傾くと、山道が見えづらくなりますから」
駅員は最後まで普通の案内として答え、四人を改札の外へ通した。
花村は駅舎を出る直前に振り返ったが、駅員はすでに窓口の奥へ戻り、古い帳面へ何かを書き込んでいた。
『駅員の周り、風が薄い』
スサノオの声が、外へ出た花村の胸へ低く届いた。
(あいつも何かされてんのか)
『分からねえ。けど、嘘をつく時の乱れ方じゃなかった』
(じゃあ、本気で立川が戻ったと思ってんのかよ)
『少なくとも、あいつには当たり前なんだろ』
それが最も気味の悪い答えだった。
◇◇◇
駅前には小さなロータリーと、屋根の錆びたバス停が一つあるだけだった。
商店らしい建物は閉まっており、民家も駅から離れた場所へ数軒見える程度だった。山へ続く道路は確かに右手へ伸びていたが、案内標識に比良守村の名は書かれていない。
「先に薬師寺へ連絡します」
直斗は駅舎の軒下へ移動し、通常回線が残っているうちに電話をかけた。
数度の呼び出しの後、端末から落ち着いた男の声が聞こえた。
『直斗様、到着されましたか』
「はい。僕たちはこれから山道へ入ります」
直斗は現在地と予定を簡潔に伝え、薬師寺へ比良谷駅まで車で来るよう依頼した。
「駅前か、車を安全に止められる場所で待機してください。僕たちから連絡が途絶えても、山道へは入らないでください」
『承知しました』
「一定時間を過ぎても戻らない場合は、事務所へ連絡を。警察への対応も準備しておいてください」
『何を積んで向かいましょう』
「水、毛布、応急処置用品をお願いします。可能なら簡単な食料も」
『人数は五名分でよろしいですか』
薬師寺の確認に、花村は思わず直斗へ顔を向けた。
直斗は間を置かず答えた。
「はい。五名分です」
『承知しました。駅周辺へ到着しましたら、こちらから短文でお知らせします』
「お願いします」
通話を終えると、完二が直斗の顔を覗き込んだ。
「五人分って言い切ったな」
「立川さんを連れて戻るために来たんです」
「そうだった」
完二は短く答え、自分のリュックの肩紐を締め直した。
直斗は通常回線の状態をもう一度確認してから、黒いケースを開いた。中には折り畳まれたアンテナと小型端末、予備の電源が整然と収められている。
「衛星通信は、ここでは接続できています」
「山で切れたら」
「送れる時に、位置と状況を短文で送ります。連絡ができなくなった場合は、予定時刻を優先してください」
「直斗、それ俺が持つ」
完二が再び手を出すと、今度は直斗も少し考えてから予備電源の入った袋を渡した。
「では、こちらをお願いします。端末本体は僕が持ちます」
「最初からそうすりゃいいんだよ」
「すべて渡すとは言っていません」
二人のやり取りを横で聞きながら、花村は山へ続く道を見た。
舗装はされているが、駅前を離れるとすぐに幅が狭くなり、白線も途中で消えている。橋の向こうには背の高い木々が続き、その先の道は山の陰へ入り込んで見えなくなっていた。
「歩くしかないなら、行こう」
鳴上が地図をしまい、四人の位置を確認した。
「完二、前を頼む。直斗は通信と道を見てくれ」
「分かりました」
「了解ッス」
「陽介は俺と真ん中だ」
「監視すんなよ」
「昨日の今日だからな」
否定できる材料がなく、花村は鳴上と並んで歩き出した。
駅前の橋を渡ると、水量の少ない川が眼下を流れていた。澄んだ水の音は普通だったが、橋を渡り切った瞬間から、駅の方角に残っていた生活音が急に遠くなった。
山道の入口には案内板も柵もなく、ひび割れた舗装だけが木々の間へ続いている。
『ここから先が違う』
スサノオの声に、花村は歩調を緩めず周囲へ目を向けた。
(何が変わった)
『風が山へ入って、戻らない』
冬の風は背中から吹き、四人を山の奥へ押していた。
枝先は揺れているのに、前方から返ってくる空気がない。花村自身には、道の先だけが息を吸い続けているような重さとして感じられた。
「風がおかしい」
花村が告げると、鳴上も山の斜面へ目を向けた。
「スサノオか」
「ああ。山へ入ったまま、戻ってこねえって」
「イザナギも、先が見えにくいらしい」
鳴上は一度目を伏せ、背後の気配へ短く意識を向けた。
「道そのものは続いている。でも、距離が掴みにくい」
「地図だと一時間くらいですよね」
完二が前方から振り返ると、直斗は地図アプリと紙の地形図を見比べた。
「駅員の説明と、古い地図上の距離は一致します。ただし、現在地の表示が少し遅れています」
「もう電波切れたのか」
花村がスマートフォンを見ると、表示は圏外と一本の間を繰り返していた。
「通常回線は、ほぼ使えません」
直斗は衛星通信端末を取り出し、空が見える場所で接続を確認した。
「こちらはまだ接続できます。ただ、送信には少し時間がかかっています」
「駅から十分も歩いてねえぞ」
「通信断絶を前提にして正解でした」
道は次第に狭くなり、舗装の端から草や土がせり出していた。
車が通った轍は残っているものの、普通乗用車では枝や斜面へ擦りそうな幅しかない。軽トラックならどうにか進めるという駅員の説明は、誇張ではなかった。
四人は一列になったり、少し広い場所では二人ずつ並んだりしながら進んだ。
完二は前方だけでなく斜面や背後へ何度も目を配り、落石や獣の気配まで確かめている。直斗は道の分岐を記録していたが、駅員の言葉通り、村へ向かうと思われる道は一本しかなかった。
「立川さん、ここ通ったんスかね」
完二が足元の轍を見ながら尋ねた。
「駅員は歩いたと言っていた」
鳴上が答えると、花村は前方の道へ目を凝らした。
「靴跡とか残ってねえのか」
「昨夜から今朝にかけて、何人か通った形跡はあります」
直斗は道端の柔らかい土を確認した。
「ただ、立川さんのものかは判断できません。靴の特徴も分かりませんから」
「俺、昨日見たはずなのにな」
花村は立川の足元を思い出そうとしたが、割れ目へ沈んでいく姿ばかりが浮かび、靴の形までは思い出せなかった。
鳴上がすぐ隣から、花村の歩幅へ合わせるように速度を落とした。
「前を見よう」
「分かってる」
山道を三十分ほど進んだ頃、最初の地蔵が現れた。
斜面を削った小さなくぼみに置かれ、赤い布は日に焼けて色を失っている。顔は風雨で削れていたが、足元だけは新しく掃除されたように落ち葉が避けられていた。
「誰か手入れしてんだな」
完二が近づこうとすると、花村の内側でスサノオが鋭く声を上げた。
『石がある』
「完二、待て」
花村が呼び止め、地蔵の足元を指した。
落ち葉の間には、黒灰色の小石が三つ並べられていた。
どれも立川の部屋にあったものと同じように濡れて見えるが、下の土は乾いている。地蔵へ供えられたというより、道を向くように一直線へ置かれていた。
「またこの石かよ」
完二はすぐに距離を取り、直斗が前へ出るのを庇う位置へ移った。
「触らないでください」
「触らねえよ。昨日散々言われたし」
直斗は端末で石と地蔵を撮影し、位置情報を記録しようとした。
「衛星測位の誤差が大きくなっています」
「山だからじゃねえの」
「それだけなら、もう少し安定してもよいはずです」
直斗は画面の数値を確認し、周囲の空を見上げた。
「この石の近くで、通信状態が下がっています」
「石が電波を邪魔してるってことか」
「まだ断定はできません。ただ、立川さんの部屋で空気の流れが弱くなっていたことと、無関係とは考えにくいでしょう」
『風も通らねえ』
スサノオが不機嫌そうに告げた。
(地蔵が止めてんのか、石が止めてんのか)
『石だ。地蔵は置かれてるだけだろ』
(何のために)
『分からねえ。けど、道の外へ風を逃がさないように並べてる』
花村は石へ近づかず、地蔵の向いている先を見た。
地蔵の顔は村の方角ではなく、駅へ戻る道へ向けられているように見えた。誰かを迎えるためなのか、外へ出さないためなのかは分からない。
「進もう」
鳴上は地蔵の周囲を一度確認し、先へ続く道を選んだ。
「ここで止まっても答えは出ない」
「右の道です」
直斗が地図を確認したが、見たところ分岐らしい分岐はなかった。
「右って、一本道じゃねえか」
完二が不思議そうに言うと、直斗は画面を見直した。
「古い地形図では、この先に左へ下りる道が表示されています」
「今はないのか」
「斜面と藪しか見えません」
四人は地蔵を背にして歩き出した。
その後も道沿いには、間隔を空けて同じ地蔵が現れた。二つ目の足元には濡れた石が五つあり、三つ目の周囲には十個近い石が半円を描いていた。
村へ近づくほど石の数が増えていることに、誰も口へ出さなくても気づいていた。
花村のスマートフォンは完全に圏外となり、直斗の衛星通信端末だけが時間をかけて接続を保っている。山の中には鳥の声が聞こえていたが、四人の進行方向から鳴き返すものはなかった。
『陽介、近い』
(立川がか)
『そこまでは言えねえ。風が落ちる場所だ』
「悠」
花村が呼ぶと、鳴上はすぐに歩みを止めた。
「スサノオが、近いって言ってる」
「何に」
「風が落ちる場所に」
鳴上は道の先へ目を凝らし、その背後にいるイザナギの気配へ短く問いかけた。
「山の形が変わった」
「どういう意味だよ」
「地図と同じ場所にいるはずなのに、見える斜面が一つ多いらしい」
「一つ多いって、山が増えたってことッスか」
完二が辺りを見回したが、陽介にもただ木々の重なった斜面しか見えなかった。
「視界の問題か、地図の問題かは分からない」
鳴上は断定せず、道の先を指した。
「ただ、あそこから空気が変わっている」
前方の木々が少し途切れ、冬の日差しが細い道へ落ちていた。
四人がその場所まで進むと、道の左側へ傾いた木製の標識が現れた。表面は苔と泥に覆われ、文字の大半は削れていたが、残った墨の跡だけは読むことができた。
比良守。
標識の両脇には顔の削れた地蔵が一体ずつ置かれ、その足元から道の奥へ、濡れた石が切れ目なく並んでいる。
木々の隙間には、黒い瓦屋根がいくつか見えていた。
煙は上がっていない。それでも、無人の廃村とは違う気配が、見えない家々の間に沈んでいた。
直斗のスマートフォンから電波表示が消え、衛星通信端末だけが小さな待機表示を残している。
『ここから先だ』
スサノオの声が、これまでより近く聞こえた。
鳴上は標識の手前で一度立ち止まり、花村へ顔を向けた。
「行くぞ」
「ああ」
花村は立川の名を口にせず、濡れた石の先に見える村の入口を見据えた。
<今回出てきたキャラ>
花村陽介(20)
M大経済学部に在籍している大学生。口を開けばガッカリ王子なのは相変わらずだが、見た目の良さとコミュニケーション力の高さ、たまに学校に来なくなるけど(事件に巻き込まれてるため)成績は上々ということで学内では人気がある。
鳴上悠(20)
T大理工学部に在籍している大学生。冷静沈着に状況を見て判断を下すも、たまに天然ボケが挟まる。見た目はよいのだが着る服などに頓着しておらず、花村とルームシェアしてからはもっぱら言われた服を着ている模様。
白鐘直斗(20)
五反田にある「白鐘探偵事務所」の所長を務める【探偵王子】。いつでも冷静ではあるが、お化けが苦手。情報処理能力は鳴上以上。正直美人である。
巽完二(20)
東京にある服飾系専門学校に通っている。物理が得意なのはいつもの通り。ガタイはでかいが繊細な布仕事は校内でも評判である。
駅員
比良谷駅の駅員。
真面目に職務を全うしている駅員。
<Pixivにも掲載してます>
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=28797964
来週もよろしくです!