ペルソナ アフターレガシー   作:erupon

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(あらすじ)
四人は地下へ向かった。奥には濡れた石でできた洞窟があり、しつらえられた座敷牢には立川が倒れるように眠っていた。座敷牢からなんとか立川を運び出したが、牢の横には奥へ続く通路があり、その奥には地面の割れ目があった。

<ここから読んでも分かるようにはしてる>
でもできたら「ペルソナアフターパラレル」から読むともうちょっとわかりやすいかも。
あっちの事件でかかわった人が登場人物として再登場しているので。


よろしくお願いします~




 鳴上が地下階段の一段目へ足を下ろし、花村たちも決めた順番のまま後へ続いた。

 背後に残った木戸からは、境内の薄い日差しが差し込んでいる。御子は木戸の横に立ったまま、四人を案内する様子も、引き止める様子も見せなかった。

 二段目までは、地上の参道と変わらない灰色の石で作られている。

 三段目には黒い筋が混じり、四段目から先には、表面だけが濡れて見える石が大きく使われていた。

 鳴上は四段目の手前で足を止め、壁と階段の境目へ目を向けた。

「ここからだ」

「スサノオも、同じこと言ってる」

 花村は胸の内側へ意識を向けた。

『陽介、ここは風が死ぬ』

(嫌な言い方すんな)

『なら、風が迷子になるって言うか?』

(余計に嫌だわ)

 内側から声は聞こえているが、地上よりも輪郭が薄い。スサノオとの間に距離ができたのではなく、二人をつなぐ感覚の周囲へ重い泥を詰められたようだった。

 鳴上が四段目へ足を置いた。

 靴底が黒い石へ触れた瞬間、その肩がわずかに沈んだ。

 花村も同じ段へ足を下ろすと、冷たさとは別の重みが膝から上へ伝わった。空気が濃くなったわけではないのに、息を吸う動作へ余計な力が必要になる。

 背中側から届いていた境内の空気も、そこで途切れた。

 花村は振り返った。

 木戸の外には、白装束の御子がまだ立っている。

 距離は十段も離れていない。それなのに、御子の姿だけが薄い膜の向こうにあるようにぼやけ、地上の明るさも地下まで届かなくなっていた。

「音も変だな」

 花村が小さく靴底を鳴らすと、乾いた音が階段の下へ落ちた。

 本来なら石壁へ当たり、少し遅れて反響が返ってくるはずだった。しかし音は途中で消え、代わりに右側の壁から短い擦過音だけが聞こえた。

「真っ直ぐ返ってきていません」

 直斗は端末のライトをつけ、両側の壁を照らした。

「壁の形だけで説明できる反響ではないですね。音の進む方向が途中で変わっています」

「風も似たようなもんだ」

 花村は壁へ触れないよう注意しながら、弱い流れだけを前方へ送った。

 空気は五段ほど下へ進み、黒い石が増えた場所で急に広がった。左右へ分かれたのではなく、流れとしてのまとまりを失い、その場へ薄く散らばっていく。

『壁の石が通さねえ』

(階段だけじゃねえのか)

『右の壁にも入ってる。左は、もっと奥だ』

 ライトを向けると、石壁の隙間に黒い塊がいくつも埋め込まれていた。

 どれも濡れて見えるが、周囲の灰色の岩や木の手すりには水滴がついていない。石の表面だけが、光を鈍く飲み込んでいた。

「壁にもあります」

 直斗がライトを止め、黒い石の間隔を確認した。

「階段と同じく、下へ進むほど数が増えています」

 完二は最後尾から木戸を見上げ、村人が入ってこないことを確認した。

「後ろは動いてません。御子も、まだ上にいます」

「木戸を閉める気配は?」

「今んとこはない」

 花村は御子の白い姿を見上げた。

「俺たちが下へ行っても、本当に気にしてねえんだな」

 御子は聞こえたのか、木戸の脇から静かに答えた。

「見たいのであれば、奥へ」

「立川に触るなって言ってなかったか」

「外の方が触れるものではありません」

「止めに来ねえなら、連れて帰るぞ」

 御子は返答せず、そのまま地下を見下ろしていた。

 鳴上が階段の先へ顔を戻し、手すりから距離を取った。

 直斗は端末の通信表示を確認したが、画面には圏外の文字さえ出ていなかった。

「通常通信も衛星接続も使えません。時刻表示だけは動いていますが、正確かどうかは保証できません」

「時計まで信用できねえのかよ」

「現在は端末内部の情報です。ただ、この先でどうなるかは分かりません」

 完二が一段下り、頭上の岩へ目を向けた。見れば、その背後に顕現した金糸雀色の光を帯びた影が天井の岩を触っている。

「岩の状態はロクテンマオウならすぐに分かる。調べながら行きます」

 完二の言葉に鳴上が短く頷き、再び階段を下り始めた。

 十段ほど進むと、背後の木戸は曲がり角へ隠れた。

 地上から差していた光が完全に消え、壁へ取りつけられた裸電球だけが、四人の足元を狭く照らしている。

 花村は一度だけ立ち止まり、背中側の空気を探った。

 地上へ続く流れは、もう見つからなかった。

 階段そのものが消えたわけではない。

 ただ、風だけが帰り道を覚えていなかった。

 

◇◇◇

 

 地下階段を下り切ると、細い洞窟が左右へ伸びていた。

 自然にできた岩肌へ、古い木材で梁を渡し、崩れやすい箇所だけを支えている。足元には平たい石が敷かれているが、隙間から覗く土は黒く、靴底へまとわりつくほど湿っていた。

 正面の岩壁には、白い布が垂らされている。

 布の前には低い木台が置かれ、その上へ大小の器が並べられていた。欠けた杯、蓋のない徳利、木製の柄杓、変色した鈴が、使う順番を待つように整えられている。

「祭具か」

 花村が近づこうとすると、鳴上が右手を上げた。

「触るな」

「見るだけだよ」

 花村は木台から一歩分の距離を残し、並べられた器へ目を凝らした。

 徳利の一つには、薄く白濁した液体が残っている。

 酒に似た甘い匂いへ、薬草のような苦い臭いが混ざっていた。嗅いだだけで、舌の奥に妙な痺れを思い出しそうな匂いだった。

 直斗は手袋をはめ、端末で木台と器を撮影した。

「飲用の器に見えますが、通常の御神酒とは匂いが違います」

「立川に飲ませたやつか」

「可能性は高いでしょう」

 直斗は器へ触れず、液体の表面だけをライトで照らした。

「御子は、抵抗が長かったため眠らせたと言っていました。単なる酒ではなく、意識を鈍らせるものが混じっているかもしれません」

「眠らせて、そのまま地下へ慣らすってことか」

「この場所へ急に入れば、僕たちでも息苦しさを感じます」

 直斗は周囲の黒い石へ目を向けた。

「立川さんは一か月近く影響を受けていたとはいえ、ここへ運ばれた直後は強く抵抗したはずです。意識を落とし、身体の反応を弱める目的なら説明はつきます」

「慣らすって、人間を何だと思ってんだよ」

 花村の手が徳利へ伸びかけ、途中で止まった。

 器を叩き落としても、立川へ飲ませた事実は消えない。周囲へ撒けば石や床へ何が起こるかも分からず、花村は指を曲げて腕を下ろした。

『割るなよ』

(分かってる)

『今のお前、全然分かってる顔じゃなかったぞ』

(顔は見えてねえだろ)

『お前の半身だぞ。そんくらい分かる』

 花村は木台から離れ、通路の奥へ視線を向けた。

 白い布の脇には、太い縄が何本も束ねられている。縄は湿って黒ずんでいるが、腐った臭いはせず、手入れされたものだけが残されていた。

 別の棚には、折り畳まれた白布と、細い木札が積まれている。

 木札に文字は見当たらない。

 名前を書く前の札なのか、文字が消えたのかも判断できなかった。

「信仰の場所というより、準備をする場所に見えます」

 直斗は祭具の並びを撮影し、足元の石も記録した。

「人をここへ運び、飲ませ、着替えさせる。そうした一連の行為を、同じ順番で繰り返すための場所ではないでしょうか」

「儀式の前室みたいなもんか」

「その表現が近いと思います。ただし、何へ進めるための準備かは分かりません」

「分からなくていい」

 鳴上は通路の奥を見た。

「立川を見つける」

 木台の先から、洞窟は緩く右へ曲がっている。

 曲がり角には黒い石を積んだ低い壁があり、風も音もそこで途切れていた。

 花村は弱い風を送り込んだが、石壁の前へ届いた流れは、左右へ分かれずにその場で止まった。

『壁の石が通さねえ』

(向こうは分かるか)

 数秒の沈黙が続いた。

『奥に人の気配がある』

(立川か)

『たぶん。だが、薄い』

(薄いって何だよ)

『息はある。でも、周りの空気に埋もれてる』

 花村は返事をするより先に、曲がり角へ駆け出しかけた。

 鳴上が腕を伸ばし、胸の前で進路を止める。

「陽介、足元を見ろ」

 曲がり角の直前には、細い縄が膝の高さへ張られていた。

 縄の中央には小さな鈴がついているが、花村たちが近づいても鳴らない。鈴の舌にも黒い石が結びつけられ、動きを止めていた。

「罠か?」

「警告のための縄にも見えます」

 直斗がライトを下げ、縄の固定箇所を確認した。

「ただし、触れた時に何が起こるか分かりません。跨ぎましょう」

 鳴上が先に縄を越え、花村も靴を引っ掛けないよう注意して続いた。

 直斗が三番目に越え、完二は最後まで背後を警戒してから足を上げた。

 全員が通り過ぎても、鈴は一度も鳴らなかった。

 曲がり角の先では、通路の両側が黒い石で覆われていた。

 自然の岩壁へ石を積み、さらに白い縄を網のように掛けている。石はどれも濡れて見えるが、縄も床も乾いたままだった。

「ここから先、風がほとんど動かねえ」

 花村は声を落とした。

「息苦しさも強くなっています」

 直斗は自分の呼吸を確かめ、歩調を少し落とした。

「花村先輩、頭痛や吐き気は?」

「今んとこは重いだけだ。完二は?」

「大丈夫。ただ、耳の奥が変な感じがする。ロクテンマオウはまだ維持できる」

「鳴上先輩は?」

「問題ないが、長居はしない方がいい」

 鳴上の返事は短かったが、歩みは止めなかった。

 通路を進むほど、酒と薬草の混じった匂いが濃くなっていく。

 花村はその匂いを追いながら、壁の向こうへ何度も意識を伸ばした。

『近い。右側だ』

(立川だな)

『ああ。今度は分かる』

 通路の先に、木格子が見えた。

 

◇◇◇

 

 座敷牢は、洞窟の壁を削った小さな横穴へ作られていた。

 太い木格子が通路と室内を隔て、中央には古い鉄の錠が掛かっている。格子の上下には黒い石が埋め込まれ、床へも細い石の列が続いていた。

 牢の中には、畳に似た敷物が二枚置かれている。

 敷物の上へ白い布が敷かれ、その中央に立川が横たわっていた。

「立川!」

 花村は格子の前まで駆け寄った。

 立川は割れ目に落ちたときの服装ではなく、白い薄手の着物を着せられている。手首には柔らかそうな白布が巻かれていたが、片側だけ床の金具へ結ばれていた。

 顔色は青白く、額には細かな汗が浮かんでいる。

 胸はゆっくり上下していた。

『立川だ。だが、気配が薄い』

(生きてんだな)

『息はある。早く出せ』

「立川、聞こえるか。俺だ、花村だ」

 花村は格子を掴みそうになり、黒い石が埋め込まれていることへ気づいて手を止めた。

 鳴上もすぐ隣へ進み、牢の中と周囲を確認した。

「立川」

 呼びかけても、最初は反応がなかった。

 花村がもう一度名前を呼ぶと、立川の瞼がわずかに動いた。

「立川、起きろ。迎えに来たぞ」

 立川は時間を掛けて目を開け、木格子の向こうへ焦点の合わない目を向けた。

「……花村?」

「ああ。俺だ」

「なんで……」

「助けに来た。今、出してやる」

 立川は花村の顔を見ようとしたが、首を動かしただけで眉を寄せた。

「俺、学校にいたよな」

「ああ。試験が終わった後だ」

「落ちた、んだよな」

「そうだ。あの割れ目から、ここへ連れてこられた」

 立川は目を閉じかけ、花村の声を追うように再び瞼を上げた。

「ここ、どこだよ」

「比良守村の神社の下だ」

「村……?」

 立川の口元が小さく動いた。

「なんか、眠い」

「寝るな。もう少しだけ起きてろ」

「口の中、変な味がする」

 花村は牢の隅へ目を向けた。

 立川の枕元には、小さな朱塗りの杯が置かれている。中身は残っていなかったが、祭具の並んだ場所と同じ甘い臭いが漂っていた。

 花村の手が格子の前で硬く止まった。

「ふざけやがって」

「花村先輩、立川さんの状態を見ます」

 直斗が格子の隙間からライトを当て、立川の瞳と呼吸を確認した。

「立川さん、僕の声が聞こえますか」

「……はい」

「呼吸はできますか。胸や喉に痛みは?」

「分から、ない。身体、重い」

「吐き気はありますか」

 立川はすぐに答えず、浅く息を吸った。

「ちょっと、気持ち悪い」

「分かりました。無理に起き上がらないでください」

 直斗は格子越しに手を伸ばし、立川の手首へ指を当てた。

「脈は遅めですが、極端に弱くはありません。呼吸も保たれています」

「薬か、あの酒のせいか」

「両方の可能性があります。地下の環境自体も影響しているでしょう」

『やはりそうだ』

 木格子の隙間から光を伸ばして、ロクテンマオウが盃のふちをなでるように触っていた。

「何が分かった」

『濡れた石が混じってる』

 一瞬、誰も言葉を発することができなかった。

「そんなもん、……立川に飲ませたのかよ」

 ロクテンマオウは花村へと視線を向ける。

『それは……通りをよくするため、だろうな』

「……クソ」

 花村は低く呟く。

 立川は天井へ目を向けたまま、途切れ途切れに声を出した。

「帰らなきゃって、思った」

 花村は返事を急がず、格子の向こうにいる立川を見た。

「でも、どこにだよ」

「今は考えなくていい」

 鳴上が静かに答えた。

「ここから出る。それだけでいい」

 立川は鳴上の声が聞こえたのか、わずかに顔を動かした。

 それ以上の言葉は続かず、瞼がまた重そうに下がっていく。

「立川、寝るなって」

「花村先輩、意識を保たせる必要はありますが、強く揺さぶらないでください」

「分かってる」

 花村は声量を落とし、格子の隙間から立川へ呼びかけた。

「俺たちがいる。もう一人じゃねえからな」

 立川の指が、敷物の上でかすかに動いた。

 完二とロクテンマオウは牢の錠と格子を確認し、黒い石へ触れない位置から顔を近づけた。

「鍵は古いけど、錠だけ壊すと格子まで引っ張りそうだ」

『主、床側にも石が入っている』

 直斗は立川の脈から指を離し、格子の上下へライトを向けた。

「この柱を力任せに動かせば、石の列が崩れる可能性があります」

「外せそうな場所は?」

「確認します。完二君とロクテンマオウはまだ力を掛けないでください」

「分かってる」

 完二は錠の周囲へ視線だけを動かした。

 鳴上は牢の外周を見て回り、右側の柱へ手を近づけた。

 指先が木へ届く前に動きを止め、床の石の並びへ目を落とす。

「ここは押すな」

「石につながっていますか」

「ああ。柱へ掛けた力が、床へ流れる」

「なら、左上の蝶番側を外します」

 直斗は格子の端へ移動し、錆びた金具と木材の隙間を確認した。

「下側は石へ固定されていますが、上側には木の楔があります。楔だけ抜けば、格子全体を少し傾けられるかもしれません」

「俺が抜く」

 完二はロクテンマオウに目くばせしつつ立ち上がる。

「まず周囲へ力が伝わらないよう、鳴上先輩に支えていただきます」

 鳴上は左側の柱へ移り、両手を広げて格子の枠へ添えた。

「陽介は立川を見ていてくれ」

「ああ。風は使わねえ方がいいよな」

『吹かすな。牢の外で風が切れてる』

(分かってる。土台を揺らしたくねえ)

 格子の内側へ風を通そうとしても、黒い石の列で流れが断たれる。無理に押し込めば、行き場を失った力が木枠や床へ当たる可能性があった。

 花村は格子から手を離し、立川の顔が見える位置へ膝をついた。

「立川、もうすぐ開けるぞ」

 立川は薄く目を開けたが、声は返ってこなかった。

 

◇◇◇

 

 直斗は上側の蝶番へライトを固定し、木の楔が入っている隙間を細い工具で示した。

「ここです。周囲の木材を割らず、楔だけを手前へ抜いてください」

「どのくらいの力でいける」

「最初は指で動く程度から。抵抗が強ければ止めます」

 完二は格子へ身体を寄せ、楔の端を工具越しに掴んだ。

「鳴上先輩、いきます」

「ああ」

 鳴上が木枠の左右へ手を添え、完二は呼吸を整えてから、ゆっくり工具を引いた。

 楔は最初の数ミリだけ動き、途中で止まった。

 格子の下に埋め込まれた黒い石が、電灯の光を濃く返したように見える。

「止めてください」

 直斗の声で、完二はすぐに力を抜いた。

「何かあったか」

「楔の奥に、細い縄があります」

 直斗は角度を変え、金具の裏側を照らした。

「単なる補強かもしれませんが、石の列へ続いています。先に縄を緩めましょう」

「切るのは駄目か」

 花村が尋ねると、直斗は縄の先を目で追った。

「どこへつながっているか分かりません。切断より、結び目を外す方が安全です」

 結び目は蝶番の裏へ隠され、指を入れるだけの隙間がなかった。

 完二が格子を持ち上げようとしたが、鳴上が短く止めた。

「押すな。床が動く」

「じゃあ、上だけ浮かせます」

「俺が支える。完二は縄を外せ」

 鳴上が枠の上部へ手を添え、木材へ必要最小限の力を掛けた。

 格子が一センチほど持ち上がり、金具と木枠の間へ細い隙間ができる。

 完二は工具の先を差し込み、ロクテンマオウに固定させつつ縄の結び目を少しずつ手前へ引き出した。

「直斗、これか」

「はい。その輪を左へ回してください」

「左って、こっちか」

「反対です。完二から見て左です」

「最初からそう言えよ」

「今、言いました」

 緊張した声のやり取りを挟みながらも、完二の手は止まらなかった。

 縄の輪が一つ外れ、楔の奥から黒い小石が転がりかけた。

 直斗が布を差し出し、石へ直接触れずに受け止める。

「下へ落とさないでください」

「分かってる」

 完二は石を布ごと床へ置き、もう一度楔を掴んだ。

「今度はいけます」

 直斗の合図で、完二がゆっくり工具を引く。

 楔は硬い音を立てながら抜け、蝶番の上側が木枠から離れた。

 鳴上が格子を支え、床へ重さが掛からないよう角度を保つ。

「下側は外さない」

「このまま内側へ傾けます」

 完二が格子の端を持ち、鳴上と呼吸を合わせて少しずつ動かした。

 木材が軋み、床の石が一つだけ小さく震えた。

「止まれ」

 鳴上の声で、二人の動きが止まる。

 黒い石の震えは数秒で収まり、周囲の壁にも変化は起こらなかった。

「あと少しで、人が通れます」

 直斗は隙間を確認し、立川の肩幅と見比べた。

「完二君だけ先に入り、立川さんを抱えて出してください」

「任せろ」

 完二は身体を横へ向け、格子と枠の間へ慎重に入った。

 鳴上が格子を支えている間に、完二は立川の枕元へ膝をついた。

「立川さん、今から起こします」

 立川は目を薄く開けたが、返事はしなかった。

 完二は手首をつないでいた白布を確認した。

 布の結び目は固いが、床の金具へ直接固定されているだけで、黒い石とはつながっていない。

「直斗、これ外していいか」

「布だけなら問題ありません。皮膚を傷つけないようにしてください」

 完二は結び目へ指を入れ、強く引かずに少しずつ緩めた。

 白布が外れると、立川の手首には赤い跡が残っていた。

「立川さん、肩へ腕を回します」

 完二は立川の背中と膝裏へ腕を入れ、首が落ちないよう胸元へ支えた。

 立川の身体が持ち上がっても、立川から言葉は出なかった。

 瞼は開いているが焦点が合わず、完二の上着を掴む力もほとんどない。

「出します」

「ゆっくり来い」

 鳴上と完二が格子の角度を調整し、立川の頭と肩が木枠へ当たらないよう隙間を広げた。

 花村は外側から腕を伸ばし、立川の肩と背中を支えた。

「立川、こっちだ。もう牢の外だからな」

 立川の唇は動かなかった。

 花村の声が届いているかも分からないまま、完二と二人で身体を通路へ移す。

 直斗は敷いていた白布の一枚を引き寄せ、冷たい床へ直接寝かせないよう広げた。

 完二が立川をその上へ下ろし、背中を壁へ預ける。

「頭を上げすぎないでください」

 直斗は立川の首元と手首を確認し、再び脈を測った。

「先ほどより極端に悪化してはいません。ただ、外へ出した刺激にも反応が鈍い」

「酒のせいか」

「それだけとは限りませんが」

 直斗は立川の瞳へライトを当て、反応を確かめた。

「地下の空気から完全に切り離せば、逆に状態が変わる可能性もあります。現時点では、急に運び上げるより、呼吸と意識を見ながら移動すべきです」

「ここへ置いとく方が危ねえだろ」

「ええ。ですから、すぐ地上へ戻ります」

 鳴上は格子から手を離さず、周囲の石の震えが収まっていることを確認した。

「元には戻さない。このまま通れる幅を残す」

「閉じ込められた時の退路にもなりますね」

 直斗は器具を片づけ、立川のそばに置かれていた朱塗りの杯を見た。

「持ち出せれば調べたいですが、今は立川さんが優先です」

「そんなもん、置いてけ」

 花村は立川の口元に残る甘い臭いに顔をしかめ、声を低くした。

「これ以上、触らせる気もねえよ」

 完二は立川の右腕を自分の肩へ回し、腰を支えながら立ち上がらせた。

 立川の膝はすぐに折れ、体重のほとんどが完二へ掛かった。

「歩かせんのは無理ッスね」

「背負えそうか」

「はい。ただ、狭い通路じゃ頭をぶつけるかもしれねえけど」

「まずは肩で支えて進みましょう」

 直斗は立川の反対側へ回り、腕を取ろうとした。

 完二がすぐに首を振る。

「直斗は前を見ろ。こいつは俺が持つ」

「一人で重くありませんか」

「このくらいなら余裕だ」

 完二は立川の身体を抱え直し、自分の胸へ預けた。

 立川は目を開けたままだったが、もう何も話さなかった。

 花村はその顔を覗き込み、声を掛け続ける。

「立川、聞こえてなくてもいい。俺たちが連れて帰るからな」

 その時、座敷牢の奥から、低い震えが伝わった。

 音ではない。

 足元の石が揺れたわけでもない。

 それでも、洞窟全体の空気が一度だけ方向を変え、花村の耳の奥へ圧が掛かった。

『陽介、さらに奥がある』

(奥って、まだあんのかよ)

『さっきまで石に隠れてた。今、向こうから押し返してきた』

 花村は座敷牢の先へ目を向けた。

 木格子の横には、通路がもう一本続いている。

 来た時には岩壁の影にしか見えなかったが、角度を変えると、人が二人並べるほどの幅があった。

 その奥から、甘い酒の匂いとは違う、冷えた土と鉄の臭いが流れてくる。

「悠、奥に何かある」

 鳴上もすでに通路を見ていた。

 目を伏せた後、右手を壁へ近づけ、触れる前に止める。

「イザナギも反応してる」

「立川さんを連れて戻るべきです」

 直斗は奥の通路と立川を交互に見た。

「ただ、この揺れが帰路へ影響するものなら、確認せずに動くのも危険です」

「俺が立川さんを見とくんで」

 完二は立川を支え直し、洞窟の壁から距離を取った。

「三人で見てきてください。何か来たら、すぐ下がります」

「離れすぎない」

 鳴上は奥の通路を示した。

「全員で入口まで行く。危険なら、すぐ戻る」

 花村は立川の顔を見た。

 呼吸は続いている。

 完二の腕の中で身体を支えられ、先ほどより姿勢も安定していた。

「すぐ確認する。立川は俺たちの真ん中だ」

 直斗が前方へライトを向け、鳴上が先頭へ立った。

 花村は二番目に進み、完二は立川を抱えたまま後へ続いた。

 

◇◇◇

 

 座敷牢の先にある通路では、壁へ埋め込まれた黒い石がさらに増えていた。

 石と石の間には白い縄が張られ、何本もの線が奥へ向かって続いている。縄は途中で天井や床へ分かれ、洞窟全体を縫い合わせるように渡されていた。

 花村は前方へ弱い風を送った。

 流れは数メートル先まで進んだ後、急に行き先を失った。

『吸われてるんじゃない』

(じゃあ何だよ)

『向きを奪われてる。前も後ろもなくなってる』

 花村は足を止め、ライトの届かない奥を見た。

 通路は下り坂になっているように見える。しかし風を使って距離を測ろうとしても、傾きも曲がりも掴めなかった。

「ここから先、風で奥行きが分からねえ」

「音も同じです」

 直斗は小石を投げず、靴底で床を軽く叩いた。

 音は前へ進んだ直後に途切れ、数秒後には背後の座敷牢側から小さく返ってきた。

「通路の形と、反響が一致していません」

「進むぞ。壁には触るな」

 鳴上は歩幅を狭め、足元を一歩ずつ確かめた。

 通路の終わりには、木製の柵があった。

 柵は扉ではなく、人が誤って先へ出ないよう置かれた簡単な仕切りに見える。中央には隙間があり、四人は身体を横へ向ければ通り抜けられた。

 柵の先で、洞窟が急に広がっていた。

 鳴上が最初に足を止める。

 花村も隣まで進み、ライトの光が届く範囲へ目を向けた。

 地下空洞は、神社の境内がそのまま入るほど広かった。

 天井は高く、上部の岩肌は暗闇へ溶けている。壁際には黒い石が積まれ、そこから何本もの縄が空洞の中央へ伸びていた。

 中央には、地面を大きく裂く亀裂がある。

 長さも深さも、ライトでは確かめられない。

 亀裂の縁は黒く濡れて見えるが、周囲の岩盤は乾いていた。底へ光を向けても、暗闇に吸い込まれるのではなく、光の筋が途中で細く曲がり、方向を失って消えていく。

 花村は呼吸を忘れ、裂け目を見つめた。

 M大の構内で、立川の足元へ開いたものと似ている。

 あの時は、人一人を飲み込めるほどの大きさしかなかった。

 目の前の裂け目は、それよりもはるかに長く、深く、空洞の岩盤そのものへ食い込んでいる。

『陽介、上のはこれじゃない』

(分かってる)

『似てるだけだ。あっちは口だ』

 スサノオの声が、胸の奥で低く響いた。

『こっちが腹だ』

 裂け目の外側には、濡れた石が輪状に並べられていた。

 一重ではない。

 外側へ広がるように三つの輪が作られ、それぞれが白い縄で結ばれている。石の間には古い木札や小さな鈴も置かれ、通路から伸びてきた縄が外側の輪へつながっていた。

 だが、輪の一部は崩れている。

 右手前では石が三つ外側へ転がり、縄が切れかけていた。反対側では内側の石が裂け目へ傾き、わずかな振動でも落ちそうに見える。

「崩れています」

 直斗は空洞へ踏み込まず、柵の内側から石の配置を追った。

「外側の輪が二か所、内側も少なくとも一か所ずれています」

「これが、裂け目を押さえてんのか」

「その可能性はあります。ただ、石が封じているのか、力の流れを整えているのかまでは分かりません」

 鳴上は裂け目へ目を向けたまま、右手をわずかに上げた。

 何かへ触れるように指を動かし、すぐに腕を下ろす。

「近づくな」

「イザナギが何か感じたか」

「似ている。でも、黄泉じゃない」

 鳴上の短い言葉が、空洞へ落ちた。

 花村は裂け目から目を離せなかった。

 風が流れている気配はない。

 それでも空洞の中央では、空気の向きが何度も変わっていた。吸い込まれるのではなく、前へ進んだ風が前という意味を失い、そのまま薄く潰れていく。

 完二が立川を抱えたまま、柵から一歩下がった。

「ここで暴れたら、まずいッスね」

「ああ。石へ当てたら何が起こるか分からない」

 花村は立川の顔を確認した。

 立川は完二の腕の中で目を閉じているが、呼吸は続いている。

 救出はできたし牢からも出したが、目の前にあるものは何一つ解決していない。

 裂け目の縁から、声になる前の低い圧が持ち上がった。

 耳で聞こえたわけではないのに、花村の奥歯が小さく震える。空洞の石輪も呼応するように軋み、外側へ転がっていた一つが、さらにわずかに傾いた。

「戻るだけじゃ済まない」

 鳴上が石の輪を見たまま告げた。

 花村の脳裏へ、M大構内の光景が重なった。

 人の気配が薄くなった通路。急に変わった風。立川の足元に開いた黒い割れ目。

 あれは別の場所へ偶然つながった穴ではなかった。

 この地下から伸びたものが、東京の地面へ一瞬だけ口を開いたのだ。

「あの割れ目は、これの影だったのか」

 花村の声が、方向を失った空気の中へ落ちていく。

 崩れかけた濡れた石の輪の内側で、地下の裂け目だけが、次の動きを待つように暗く開いていた。

 

 




【今回出てくるキャラ】
花村陽介(20)
M大経済学部に在籍している大学生。口を開けばガッカリ王子なのは相変わらずだが、見た目の良さとコミュニケーション力の高さ、たまに学校に来なくなるけど(事件に巻き込まれてるため)成績は上々ということで学内では人気がある。
鳴上悠(20)
T大理工学部に在籍している大学生。冷静沈着に状況を見て判断を下すも、たまに天然ボケが挟まる。見た目はよいのだが着る服などに頓着しておらず、花村とルームシェアしてからはもっぱら言われた服を着ている模様。
白鐘直斗(20)
五反田にある「白鐘探偵事務所」の所長を務める【探偵王子】。いつでも冷静ではあるが、お化けが苦手。情報処理能力は鳴上以上。正直美人である。
巽完二(20)
東京にある服飾系専門学校に通っている。物理が得意なのはいつもの通り。ガタイはでかいが繊細な布仕事は校内でも評判である。

立川(20)
陽介と同じ学部に通っているいつメン。「立川の方」などと呼ばれ、理不尽にさらわれてしまった。

御子()
白い着物に赤い袴という見た目巫女の人物。山道を通った割にはきれいななりで、やつもまた怪しい挙動をする。

<Pixivにも掲載してます>
https://www.pixiv.net/novel/series/16257151

来週もよろしくです!
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