洞窟での作業を終えて、四人は立川とともに地上へ帰還する。そこには村人たちが御子を中心として集まって退路を塞いでいた。御子が立川を説得するも立川は自分の言葉ではっきりと拒絶する。
<ここから読んでも分かるようにはしてる>
でもできたら「ペルソナアフターパラレル」から読むともうちょっとわかりやすいかも。
あっちの事件でかかわった人が登場人物として再登場しているので。
よろしくお願いします~
【第7章】
帰る場所を選ぶ
最後の石段へ足を掛けたところで、陽介は背中を押していた地下の圧が、わずかに薄くなるのを感じた。
冷えた夜気が木戸の隙間から流れ込み、泥と酒と湿った石の臭いを、少しずつ後ろへ押し戻していく。
それでも、肺の奥まで楽になったわけではない。
地下の裂け目は閉じていない。崩れかけた外側の石輪を並べ直し、暴れようとする力を一時的に抑えただけだ。
足元の石段には、まだ低い振動が残っていた。
『陽介、急ぐな。後ろが詰まる』
(分かってるっつの)
陽介は返しながら、左肩へ預けられた立川の体重を支え直した。
立川は自分でも足を動かしていたが、一段上がるたびに膝が折れそうになり、そのたび陽介の肩を強く掴んだ。
右側では完二が立川の腰を支え、ほとんど二人がかりで運ぶ形になっている。
「立川さん、あと少しッス」
「……ああ」
返事は出たものの、立川の声は掠れていた。
地下で見たものを確かめるように、立川は一度だけ後ろを振り返った。
石段の下には直斗がいて、そのさらに後ろを鳴上が警戒しながら上ってくる。
薄暗い空間には、さっきまで確かに四柱の姿があった。
巨大な腕が崩れた足場を支え、刃を持つ影が石を押さえ、風と光が濁った空気の流れを縫い止めていた。
だが立川の目には、もうそれがはっきりとは残っていないらしい。
「俺、さっき……何か見たか」
「見たかもしんねえし、薬のせいかもしれねえ」
陽介は立川の足元を見ながら答えた。
「今は思い出さなくていい。上まで行くぞ」
「夢みてえだった」
「だったら夢でいい。転ぶなよ」
立川は小さく息を吐き、それ以上は尋ねなかった。
御神酒で鈍らされた意識は戻りつつあるが、地下の湿った空気がまとわりついているように、反応はまだ遅れている。
木戸の手前で直斗が先に横を抜け、戸板へ手を添えた。
「外の状態を確認します。完二、立川さんをお願いします」
「分かった。花村先輩、こっち寄せてください」
二人で立川を壁際へ寄せると、完二が体を入れ替えるようにして前へ出た。
鳴上は立川の顔色を確かめ、短く声を掛ける。
「立てるか」
「何とか」
「無理なら言え」
「……何とか、する」
鳴上はそれ以上励まさず、ただ立川の腕へ手を添えた。
直斗が木戸を指一本分だけ開くと、境内の冷たい空気が細く滑り込んだ。
地下の臭いよりはましだったが、清浄とは言い難い。濡れた石が放つ生臭い湿り気が、神社の内側へ残っている。
直斗は隙間から外を確認し、すぐには戸を広げなかった。
「人がいます」
「何人だ」
「見える範囲だけで二十人ほど。境内の外側にも気配があります」
陽介は立川の腕を掴んだまま、閉じた戸板へ顔を向けた。
「散ってねえのかよ」
「散る理由がないのでしょう」
直斗の声音は低く抑えられていた。
「彼らにとっては、僕たちが立川さんを連れて戻ることまで、待つべき手順なのかもしれません」
「冗談じゃねえ」
『陽介、前に出すぎるな』
(殴らねえよ、まだ)
『まだ、を付けるな』
陽介は奥歯を噛み、立川を支える腕へ余計な力が入らないよう指を緩めた。
木戸の向こうから、話し声は聞こえてこない。
それがかえって不気味だった。
誰かが怒鳴り、戸を叩き、無理に押し入ろうとしているなら、まだ分かりやすい。
外にいる者たちは、こちらが出てくるのを当然のように待っている。
「出ます」
直斗が戸を押し開け、先に境内へ踏み出した。
完二がすぐ後ろへ続き、陽介と立川を通すために両腕を広げた。
木戸を抜けた瞬間、夜気が火照った頬へ触れた。
陽介は思わず深く息を吸ったが、途中で胸が詰まった。
社殿裏から拝殿前へ続く石畳の両側に、村人たちが並んでいた。
老人もいれば、作業着姿の中年もいる。割烹着の上へ厚い上着を重ねた女や、畑仕事に使う長靴を履いたままの男もいた。
見覚えのある顔も混じっていた。
道の脇からこちらを見ていた者や、子供たちの穴の周りに立っていた親らしい者たちだった。
誰も武器らしいものは持っていない。
しかし、誰一人として帰ろうとはしていなかった。
濡れた石で組まれた柵の内側を、村人たちが半円状に塞いでいる。
その後ろには鳥居が見えたが、そこへ向かう道だけが狭く閉じられていた。
直斗は境内へ出るなり、左右と背後へ視線を走らせた。
鳴上は木戸から離れず、地下への入口と村人の双方を見られる位置に立った。
完二は立川の前へ半歩出て、近づく者がいれば体で止められるよう構えた。
陽介も立川を自分の背後へ寄せかけ、途中で踏みとどまった。
隠して守るだけでは、立川から周囲が見えなくなる。
それでも肩を貸したまま、誰にも腕を伸ばさせない位置だけは譲らなかった。
社殿の正面には、御子が立っていた。
白装束には地下の土汚れさえ見えず、階段を下りる前と同じ姿に見える。
ただ、その足元を避けるように、境内を抜ける風がわずかに歪んでいた。
『御子の周り、また風が避けてる』
(地下とまだ繋がってんのか)
『分からない。ただ、切れてはいない』
御子は木戸から出てきた立川を見ると、静かに両手を重ねた。
その仕草は出迎えにも見えたが、陽介には人を迎える形だとは思えなかった。
「戻られた方を、こちらへ」
御子の声が境内へ通った。
村人たちは返事をせず、立川へ顔を向けた。
その動きだけが、打ち合わせていたように揃っていた。
立川の指が、陽介の上着を強く掴んだ。
「大丈夫だ」
陽介は周囲から目を離さず、小さく言った。
「俺らがいる」
立川は返事をしなかったが、掴んだ手は離さなかった。
◇◇◇
最初に動いたのは、杖を持った老人だった。
老人は石畳を二歩だけ進み、完二が腕を上げると、その場で立ち止まった。
「戻られた方を、外へ連れていくな」
怒鳴る声ではなかった。
近所の者へ戸締まりを頼むような、落ち着いた言い方だった。
「下のお務めが、まだ済んでおらん」
「戻ったんじゃねえだろ」
陽介の声が、夜の境内へ強く響いた。
「こいつは大学にいた。いきなり穴が開いて、そこへ落とされたんだよ」
老人は眉を寄せたが、陽介へ向ける目に怒りは見えなかった。
話が通じない子供を困って見るような表情だけがあった。
「外の方には、そう見えたのだろう」
「見えたんじゃねえ。俺が見たんだ」
「呼ばれた者は、道を通って戻る」
「だから、それを連れてきたって言ってんだよ」
陽介が一歩踏み出しかけると、内側から鋭い声が飛んだ。
『言い合うな。立川を見ろ』
陽介は言葉を飲み込み、肩越しに立川を確かめた。
立川は老人を見たまま、血の気を失った唇をわずかに動かしている。
「俺……戻ったのか」
かすかな声だったが、近くにいた全員へ届いた。
村人たちの間から、息をつく音が幾つも重なった。
「そうですとも」
割烹着姿の女が、胸元で手を組んだ。
「長く離れておられましたが、戻る方は戻られるんです」
「御子様も、ずっとお待ちでした」
別の男が穏やかな声を重ねた。
「立川の血なら、務めを果たせる。村も保たれる」
「立川さんに近づくな」
完二が腕を横へ広げた。
女は驚いたように足を止めたが、すぐに困惑した顔へ戻った。
「怖がらせるつもりはありません」
「もう十分怖がらせてんだろうが」
完二の声は低く、普段の敬語が消えていた。
その背後で、直斗が立川の立つ位置と鳥居までの距離を素早く確かめている。
「皆さんは、立川さんが望んで戻ったと考えているのですか」
「望むかどうかの話ではありません」
作業着の男が答えた。
「戻るべき時に、戻られた。それだけのことです」
「それでは、本人の意思を確認していない」
「意思で村が保たれるわけではないでしょう」
男は直斗へ向き直り、畑の天候でも語るように続けた。
「水が要る時に水を引き、土が痩せれば肥やしを入れる。務めに入る方がおられれば、下へお納めする。村には村の続け方があります」
陽介の腹の底で、熱が一気に膨らんだ。
人一人を土や肥料と並べたことに、男自身は何の違和感も持っていないらしい。
「人を手順みたいに言うな」
「外でどのように暮らしていたとしても、立川の方であることは変わりません」
御子が静かに口を開いた。
白い袖を重ねた姿は、村人たちの生活じみた服装から浮いていた。
「戻るべき場所へ戻られました。まだ、手順は終わっていません」
「地下から助け出した人間を、また戻すつもりですか」
直斗が問いかけると、御子はわずかに顔を傾けた。
「助け出す、という言葉は正確ではありません」
「では、何と呼ぶのです」
「外へ出された状態です」
「本人が望んで出たとしても?」
「戻られた方が、途中で外へ出ることはありません」
言葉は滑らかだったが、直斗の質問へ答えてはいなかった。
御子の中では、立川が自分から出たいと望む可能性そのものが、初めから除かれている。
直斗はそれを確かめるように、一度だけ息を置いた。
「つまり、拒否する意思は想定していないのですね」
「拒む必要がありません」
「必要かどうかを決めるのは、あなたではありません」
直斗の声がわずかに硬くなった。
「立川さんの返答を聞くべきです」
御子は直斗ではなく、陽介の隣にいる立川へ目を向けた。
「抵抗は弱めました。苦しみも少なくします」
立川の肩が大きく揺れた。
陽介の上着を掴む指が、布越しに食い込んでくる。
「何、されたんだ、俺」
「眠っていただきました」
「何で」
「下へ納めるためです」
「何で、俺が」
「立川の方だからです」
御子の返答には、迷いもためらいもなかった。
姓だけで、地下へ入れられる理由が完成している。
陽介には、それが地下で聞いたどんな音より気味悪く思えた。
「立川、聞かなくていい」
思わずそう言いかけたところで、スサノオの声が内側から割り込んだ。
『陽介、言わせろ。あいつの口で』
(黙って見てろってことかよ)
『違う。横にいろ。口だけ奪うな』
陽介は奥歯を噛んだまま、立川へ向き直った。
何か言えば、立川を守れる気がした。
村人の言葉を全部叩き潰し、地下で見たものを並べ、こんな場所へ戻る必要はないと言い切ってやりたかった。
だが、それを陽介が言い切れば、村人が決めた帰る場所を、今度は自分が逆側から決めることになる。
「……悪い」
陽介は聞こえるかどうかの声で呟いた。
立川は返事をせず、境内に並ぶ村人たちを見回した。
その顔には、誰一人として見覚えがないらしい。
それでも村人たちは、昔から知っていた者が帰ったような目を向けている。
「帰る場所を間違えてはいけない」
年配の女が、子供を諭すような声で言った。
「外は仮の暮らしです。こちらへ戻れば、もう迷わずに済みます」
「大学の方々にも、ご迷惑をかけたでしょう」
別の女が言葉を継いだ。
「下へ戻して差し上げれば、皆さんもお帰りになれます」
「俺らは、こいつを連れて帰るために来た」
陽介は立川の代わりにならない範囲で、はっきりと言った。
「ここへ置いていく気はねえよ」
「それは外の方の都合です」
御子は感情を動かさず、同じ調子で答えた。
「立川の方は、お役目に入っていただきます」
「役目って、何するんだ」
立川が掠れた声を絞り出した。
御子は一拍だけ間を置いた。
「下へ納まり、外の輪を保ちます」
「その後は」
「保たれます」
「俺は、どうなる」
「失われるのではありません」
御子の答えを聞いた瞬間、陽介の背中へ冷たいものが走った。
死なないとは言わない。
帰れるとも、助かるとも言わない。
ただ、何かが保たれると言うだけだった。
「死ぬってことか」
立川が尋ねた。
村人たちの間に、わずかなざわめきが起こった。
御子は立川を真っ直ぐに見たまま、静かに答えた。
「死ぬ、という言葉は正確ではありません」
「じゃあ、何なんだよ」
「立川の方として、役目を果たしていただきます」
立川の膝から力が抜け、陽介と完二が同時に体を支えた。
「立川さん、無理に立たなくていいッス」
「いや……立つ」
完二の腕へ縋りながら、立川は足を戻そうとした。
足裏が石畳を擦り、靴の中で何度か滑った。
それでも、完全に体重を預けることはせず、震える膝で地面を踏み直した。
完二は手を離さなかったが、立川が自分で立とうとする分だけ、支える力をわずかに緩めた。
鳴上はその様子を黙って見ていた。
村人へ怒鳴ることも、御子へ答えを迫ることもせず、立川の顔から目を逸らさなかった。
その沈黙に気づいたように、立川が鳴上を見る。
鳴上は立川の名を短く呼んだ。
「立川」
「……何だ」
「どうしたい」
境内のざわめきが、そこで一度途切れた。
◇◇◇
立川はすぐには答えなかった。
口を開いても息だけが漏れ、言葉になる前に喉の奥へ戻っていく。
陽介は何も挟まず、立川を支える肩だけを動かさなかった。
鳴上の問いは短かった。
帰るのか、帰らないのかとも言わない。
どちらを選べとも迫らず、ただ立川本人の意思だけを待っている。
「どうしたいと聞かれても、戻られた方に選ぶことはない」
杖を持った老人が、静かな声を重ねた。
「務めは、選んで果たすものではない」
「今は黙ってください」
直斗が老人の前へ半歩出た。
「本人が答えようとしています」
「外の者が迷わせているだけだ」
「違う」
直斗の声は抑えられていたが、退く気配はなかった。
「あなた方が、本人の返答を許していないのです」
老人の隣にいた男が進み出ようとすると、完二が立川を支えたまま右腕を上げた。
「近づくな」
「その方を支えているだけではないか」
「本人が来いって言ったかよ」
「戻すのに許しは要らん」
「だったら、なおさら近づくな」
完二の背後で、薄い雷光が一瞬だけ揺れた。
輪郭を結ぶほどではなかったが、巨大な気配が完二の肩越しへ重なる。
『主、焼くな。守るんだな』
「分かってる」
完二の返事が誰へ向けたものか、村人たちには分からなかったらしい。
何人かが足を止め、互いの顔を見合わせた。
直斗の背後でも、青白い少年の輪郭が一瞬だけ浮かんだ。
『直斗、後ろにもいる』
「確認しています」
直斗は振り返らず、鳥居側へ回り込もうとしていた村人へ顔を向けた。
「退路を塞ぐ行為はやめてください」
村人は足を止めたが、その場から退きはしなかった。
陽介は周囲の動きを目で追いながら、立川の呼吸を聞いていた。
浅く、速い呼吸が何度か続き、その合間に掠れた声が漏れる。
「俺……どうしたいって」
「誰に言われたかじゃない」
鳴上は急かさずに答えた。
「お前の口で言え」
「俺の」
「俺たちは聞く」
立川は自分の口元へ触れようとして、途中で腕を落とした。
指先にはまだ力が戻っていない。
「帰ってきたって、みんな言ってる」
立川は御子ではなく、石畳の一点を見ながら言った。
「一か月くらい、ずっと……帰らなきゃって思ってた。寝ても、起きても、駅を調べてた」
陽介は黙って聞いた。
「机に石があって、鞄にも入ってて、捨てても戻ってきて……俺が忘れてるだけかと思ってた」
立川の声は何度も途切れた。
それでも、今まで押し込められていた言葉を一つずつ確かめるように続ける。
「ここを知ってる気がしてた。帰らなきゃいけない気がしてた」
「そうです」
御子が静かに応じた。
「あなたは戻る道を覚えておられました」
立川の肩が揺れ、顔が御子へ向きかけた。
「黙ってろ」
陽介の口から、押さえきれない声が出た。
御子の目が陽介へ移る。
「立川の方へ、お伝えしています」
「今はこいつが喋ってんだよ」
『陽介、それでいい。そこまでだ』
陽介は拳を握ったまま、それ以上の言葉を止めた。
立川は御子を見ていたが、やがて首を横へ向け、陽介の顔を確かめた。
「花村」
「何だ」
「俺、学校にいたよな」
「ああ」
「試験、終わって……寺田と凪嶋もいて」
「ああ。俺もいた」
「帰ろうとしてた」
「そうだ」
立川の眉間へ深い皺が寄った。
何かを思い出そうとするたび、頭の奥が痛むように目を細めている。
「人が、いなくなって」
「周りの音が消えた」
「お前が、俺を呼んだ」
「呼んだ」
「足元が……黒くなった」
立川の呼吸が一度止まった。
陽介の脳裏にも、あの時の光景が戻ってくる。
大学の構内で人の気配が薄れ、立川の足元へあり得ない黒い割れ目が走った。
手を伸ばした時には遅く、立川の体は地面の下へ引き込まれていた。
鞄もスマートフォンも鍵も、立川がそこにいた証拠だけを残して、割れ目は跡形もなく閉じた。
「俺、歩いて来たんじゃない」
立川が呟いた。
「電車にも乗ってない」
「そうだ」
「駅から村まで来たんでもない」
「ああ」
「落ちたんだ」
立川の声が震えた。
境内に並ぶ村人たちの表情が、わずかに硬くなる。
「学校で、穴に落ちた。気づいたら暗い所にいて、酒みてえなの飲まされて……寝てた」
「抵抗が長く続いていました」
御子が補うように言った。
「眠っていただく必要がありました」
「必要だったのは、お前らにとってだろ」
陽介は短く返し、すぐ立川へ顔を戻した。
立川の言葉をまた奪いそうになったことに気づき、続きを急かさず待つ。
「俺が帰りたかったんじゃない」
立川は自分へ言い聞かせるように言った。
「でも、帰らなきゃって思ってた」
「立川さん」
直斗が村人から目を離さず、穏やかに声を掛けた。
「そう思うように追い込まれていた可能性があります」
「俺の考えじゃなかったってことか」
「どこまでが影響だったのかは、まだ断定できません」
直斗は慎重に言葉を選んだ。
「ですが、少なくとも大学で起きたことは、帰還ではありません」
「これは帰還ではなく、拉致です」
その一言に、村人たちから不満げな声が漏れた。
「そのような言い方をするな」
「立川の者を、立川の地へ戻しただけだ」
「外の暮らしで忘れていただけです」
「帰る場所を、思い出させたのだ」
幾つもの声が重なったが、誰も叫んではいなかった。
どの声も、間違った説明を正しているつもりの落ち着きを保っている。
立川はそれらを聞きながら、額へ片手を当てた。
足元が揺れたため、陽介と完二が再び体を支える。
「立川さん、無理しないでください」
「いや……言う」
立川は完二の腕を掴み、自分の足を石畳へ押しつけた。
陽介の肩から少しだけ体を起こし、御子へ顔を向ける。
「俺は、帰ってきたんじゃない」
御子は表情を変えなかった。
「戻られました」
「違う」
立川の声は小さかったが、今度は言い直すまでに間を置かなかった。
「俺は学校にいた。帰り道に、落とされた」
「道が開かれたのです」
「開けてくれなんて言ってない」
「必要な時が来ました」
「俺には必要じゃなかった」
立川はそこで息を詰まらせ、胸元を押さえた。
陽介は背中へ手を回したが、代わりに続きを言うことはしなかった。
「俺は……連れてこられたんだ」
その言葉が出た途端、境内の空気がわずかに変わった。
風が強まったわけではない。
むしろ、鳥居の内側を流れていた風が一瞬だけ止まり、御子を中心に避ける向きを変えた。
『陽介、御子の線が揺れた』
薄く浮かんだスサノオの気配が、陽介の背後で囁いた。
(聞こえたんだな)
『ああ。今の言葉を、あれは受け取った』
御子は立川を見つめたまま、ほんのわずかに首を傾けた。
「連れてくる、という手順ではありません」
「俺には同じだ」
「戻る方を、戻しました」
「俺は帰ってきてない」
「立川の方です」
「それが何だよ」
立川の声に、初めて怒りが混じった。
強い声ではない。
喉は掠れ、膝も震えたままだったが、御子の言葉へ押し戻されずに残った。
陽介は立川の横顔を見ながら、胸の奥で張り詰めていたものが少しだけほどけるのを感じた。
立川はまだ倒れそうなほど弱っている。
それでも今は、誰かに言わされた言葉ではなく、自分で拾い直した言葉を口にしている。
鳴上が立川の正面へ一歩だけ寄った。
「帰る場所は、選べる」
立川は鳴上を見た。
「選んでいいのか」
「お前の場所だ」
鳴上はそれだけ答えた。
村人たちの間から、再び静かな声が上がる。
「村を捨てるおつもりか」
「御子様を困らせてはならん」
「あなたが下へ入らなければ、村が保たない」
「外にいた者には、務めの重さが分からない」
「立川の血を持つ者が、果たすべきことです」
言葉の一つ一つが、立川を囲う柵のように重なっていく。
だが立川は目を伏せず、声のする方を順番に見回した。
そこに自分を知る顔がないことを確かめるような、ゆっくりとした動きだった。
「俺のこと、誰も知らないだろ」
立川が言った。
村人たちは答えなかった。
「俺が何の大学に行ってるか知ってるか。何の試験を受けてたか知ってるか。寺田と凪嶋がどんな奴か、花村と何話してたか知ってるか」
返事の代わりに、何人かが戸惑ったように目を伏せた。
「知らないくせに、血だけ知ってんのかよ」
「血が分かれば、十分です」
作業着の男が答えた。
「務めに必要なのは、それです」
立川の指が震えながら、完二の腕を掴み直した。
「じゃあ、俺じゃなくてもいいんじゃねえか」
男は答えず、御子へ目を向けた。
御子は一切迷わず、立川へ言葉を返した。
「立川の方であることが必要です」
「名前だけだろ」
「血と、戻る道があります」
「俺の人生は要らないのか」
御子の返答が、そこで初めて遅れた。
「下へ納まれば、保たれます」
「答えてねえよ」
立川は呼吸を乱しながら、それでも御子から目を逸らさなかった。
「俺が何してきたかも、誰といたかも、これから何したいかも、お前らにはどうでもいいんだろ」
「お役目に入れば、迷う必要はありません」
「それを死ぬって言うんじゃねえのか」
御子の口元が、わずかに止まった。
陽介は背後で鳴上が体勢を変えた気配に気づいた。
鳴上の背後へ、刃を持つ長身の影が淡く重なっている。
姿は夜気の中へ溶けるほど薄いが、御子から立川へ向かう何かを警戒していることだけは分かった。
『主、あれはまだ続いている』
低い声が、夜の境内へ小さく落ちた。
鳴上は御子から目を離さず、陽介へ告げる。
「陽介、立川の横にいろ」
「最初からいる」
「離れるな」
「分かってる」
陽介は立川の腕を自分の肩へ回させ、倒れそうになればすぐ引けるよう腰を落とした。
完二も反対側で立川を支え、直斗はその前方へ立った。
逃げ道を作るための配置ではない。
今は立川が自分の言葉を最後まで言えるよう、周囲を止めるための形だった。
◇◇◇
「立川の方」
御子が呼びかけた。
「下へ戻れば、苦しみは少なくなります」
立川は浅い呼吸を整えながら、御子の白い顔を見返した。
「何も考えなくてよくなるってことか」
「迷いは、必要ありません」
「俺が嫌だって言っても?」
「戻られた方が拒むことはありません」
「今、拒んでる」
「抵抗が残っているだけです」
「じゃあ、また酒飲ませるのか」
「必要であれば」
村人たちの中から、それを当然と受け取るような小さな息遣いが漏れた。
陽介は指先が冷えるほど拳を握った。
立川が拒めば、弱っているからだと言う。
逃げれば迷っていると言い、助けを求めれば外の者に惑わされたと言う。
どんな言葉を出しても、村と御子の側で意味をすり替え、最後には同じ地下へ戻す。
「立川」
陽介は横から声を掛けた。
立川が少しだけ顔を向ける。
「俺らは連れて帰るために来た」
陽介はそこで言葉を切った。
「けど、決めんのはお前だ」
立川の目が、わずかに見開かれた。
陽介は何度も言いたくなった答えを、喉の奥へ押し戻した。
こんな村は捨てろ。地下へ戻るな。東京へ帰れ。
どれも間違ってはいないと思う。
それでも最後の一歩は、立川自身が踏まなければならない。
『そうだ。それでいい』
(偉そうに言うな)
『今くらいは言わせろ』
立川は陽介から鳴上へ、鳴上から直斗と完二へ順番に顔を向けた。
直斗は短く答える。
「あなたが何を選んでも、まずここで拘束されることは止めます」
完二は立川を支えたまま、前にいる村人へ目を向けていた。
「言いたいこと、言ってください。近づく奴は俺が止めます」
「完二」
「何スか」
「腕、痛え」
「あ、すんません」
完二が慌てて力を緩めると、立川の口元がほんの少しだけ歪んだ。
笑ったと呼べるほどのものではなかったが、張り詰めていた呼吸が一度だけほどけた。
「立川さん、立てますか」
「まだ、何とか」
「じゃあ、何とかの分だけ立っててください。残りは持ちます」
「意味分かんねえよ」
「俺も分かんねえッス」
短いやり取りの後、立川は再び御子へ向き直った。
今度は陽介の肩へ預ける重さが、ほんの少しだけ減っていた。
「俺は、ここを知らない」
立川はゆっくりと言った。
「知ってる気がしてただけだ。帰らなきゃいけないって、ずっと頭にあっただけだ」
「それが戻る道です」
御子は答えた。
「違う」
立川は首を横へ振った。
「俺が選んだ道じゃない」
「選ぶ必要はありません」
「俺にはある」
立川の声が震えた。
震えは消えなかったが、言葉の形は崩れなかった。
「俺は贄になるために帰ってきたんじゃない」
村人たちの間へ、はっきりと動揺が走った。
「そのような言い方をしてはならん」
老人が杖を鳴らした。
「お役目だ。村を保つための、大切なお務めだ」
「俺は、役目じゃない」
「立川の者として生まれた以上――」
「俺のこと知らねえだろ!」
立川の声が境内へ響いた。
叫んだ反動で体が崩れかけ、陽介と完二が左右から支える。
それでも立川は顔を伏せず、息を切らしながら老人を見た。
「誰も俺のこと知らないくせに、勝手に役目にするな」
「外の暮らしで、余計な考えを覚えただけです」
年配の女が悲しげに眉を下げた。
「戻れば、いずれ分かります」
「分かりたくない」
「村が保たなくなります」
「だからって、俺を埋めるのかよ」
「お納めするのです」
「同じだろ」
立川は吐き捨てるように言った後、喉を押さえて咳き込んだ。
陽介は背中を支えながら、村人たちを睨んだ。
「聞こえただろ」
「弱っておられるだけだ」
男が御子へ縋るような目を向けた。
「御子様、下へ戻して差し上げてください。休めば、また正しいことがお分かりになる」
「ふざけんな」
陽介が前へ出ようとすると、立川の腕が肩に掛かったまま動かなかった。
弱い力だったが、止めようとしていることだけは分かった。
「立川?」
「俺が言う」
立川は息を整え、陽介の肩を借りながら御子へ向き直った。
鳴上も何も言わず、立川の言葉を待っている。
「俺の帰る場所は、ここじゃない」
御子の白い袖が、夜気の中でわずかに揺れた。
風は吹いていない。
「立川の方の戻る場所は、ここです」
「違う」
「外の暮らしは、戻るまでの間のものです」
「違うって言ってる」
「あなたは、立川の方です」
「それでも、ここじゃない」
立川は陽介の肩から腕を外そうとした。
足元がすぐに揺れたため、完全には離れられなかったが、自分の両足へ少しずつ体重を戻していく。
完二が腰へ手を添え、倒れないぎりぎりのところだけを支えた。
立川は震える膝で石畳を踏み、御子と村人たちへ顔を向ける。
「もう帰らない」
境内が、異様なほど静かになった。
先ほどまで重なっていた村人たちの声が消え、濡れた石の柵を撫でる空気の音だけが残った。
立川は大きく息を吸ったが、胸が痛むのか途中で顔を歪めた。
それでも、一度出した言葉を引き戻さなかった。
「俺を下へ戻すな」
御子は立川を見つめていた。
その表情は変わらない。
だが、これまで滑らかに続いていた返答が、すぐには出てこなかった。
「戻られた方は、下へ納まります」
「戻ってない」
「手順は、まだ終わっていません」
「俺は終わりだって言ってる」
「終わるのは、外の輪が保たれた後です」
「俺を使うな」
「立川の方が、拒むという――」
御子の言葉が途中で止まった。
陽介の背後で、スサノオの気配が急に強くなる。
『陽介、風が沈む』
境内を巡っていた冷たい空気が、鳥居の内側へ押し込められた。
地下へ向かって吸われたのではない。
石畳の下から重いものが持ち上がり、上にある空気を押し潰しているようだった。
鳴上の背後でイザナギの輪郭が濃くなり、直斗も御子の足元へ目を落とした。
「鳴上先輩」
「見えてる」
御子の白装束、その右袖の先から黒い雫が落ちた。
石畳に触れた雫は水のように弾けず、粘りのある泥となって小さく広がった。
村人の一人が、押し殺した声を漏らす。
「御子様」
別の女が両手を合わせ、その場へ膝をついた。
「どうか、お鎮まりください」
御子は祈る村人を見なかった。
立川だけを見つめ、止まった言葉を組み直すように唇を動かしている。
「戻られた方が、拒むという手順はありません」
声の高さは先ほどまでと同じだった。
しかし、言葉と言葉の間に、不自然な隙間が生まれていた。
「拒むことは、ありません。戻られた方は、戻り、下へ納まり、外の輪を――」
左の袖口からも、黒い泥が滲んだ。
白い布地の内側へ染みが広がり、乾いた衣の形を内側から押し崩していく。
「御子様、立川の者をお納めください」
「村をお守りください」
「手順をお続けください」
村人たちの声が、今度は御子へ向かって重なった。
立川を説得していた時の静けさが崩れ、恐怖を隠しきれない声へ変わっている。
御子の足元から泥がもう一滴落ち、最初の染みと繋がった。
直斗が一歩下がりながら、完二へ声を掛ける。
「完二、立川さんを守ってください」
「下がってろ、直斗」
完二が立川と直斗の前へ出る。
その背後へロクテンマオウの巨大な影が重なり、広い肩が二人を覆うように構えた。
鳴上も立川の前へ半歩入り、イザナギの刃先を御子ではなく地面へ向けさせる。
攻撃するためではない。
何かが地下から持ち上がった時、立川へ届かせないための構えだった。
陽介は立川の腕を再び自分の肩へ回し、鳥居側の村人と御子の両方を見た。
「悠」
「ああ」
「来るよな、これ」
「まだ分からない」
「分からない顔じゃねえだろ」
鳴上は答えず、御子から目を離さなかった。
御子の襟元へ、新しい黒い染みが浮かんだ。
それは衣へ付着した汚れではなく、白装束の下にある何かが、形を保てずに滲み出しているように見えた。
「戻られた方は、拒みません」
御子がもう一度告げた。
先ほどと同じ意味のはずなのに、今度の声には、無理に形を整えたような揺れが混じっていた。
「拒む方は、戻られた方では――ありません。ですが、立川の方は、戻られた方で――」
言葉が繋がらない。
御子の首が、わずかに右へ傾いた。
白い頬には変化がないのに、襟の内側から黒い泥が押し出され、細い筋となって胸元を伝った。
立川の呼吸が止まり、陽介の肩を掴む手へ再び力が入る。
「花村」
「いる」
「俺、間違ってないよな」
陽介は御子を見たまま、立川の腕を強く支えた。
「間違ってねえよ」
村人たちが何を言おうと、地下の何かがどれだけ形を変えようと、その言葉だけは迷わず返せた。
「帰る場所は、死ぬ場所じゃない」
立川が陽介を見る。
陽介は一度だけ顔を向け、はっきりと言い直した。
「お前が死ぬ場所を、帰る場所って呼ばせんな」
立川は答えなかった。
しかし、御子から目を逸らさず、震える足で石畳を踏み続けた。
御子の足元では、黒い泥が白装束の裾を越え、濡れた石の隙間へ細く入り込んでいく。
地下の奥で抑えたはずの振動が、今度は境内の真下から伝わってきた。
石の柵が低く軋み、鳥居に編み込まれた注連縄の石が、互いに擦れる音を立てる。
スサノオの声が、陽介のすぐ背後から落ちた。
『陽介、来るぞ』
御子の白い袖が内側から大きく膨らみ、その先端から黒い泥が石畳へ落ちた。
泥は今度こそ止まらず、御子の足元を中心に、ゆっくりと円を描き始めた。
【今回出てくるキャラ】
花村陽介
M大経済学部に在籍している大学生。攫われた立川を追い仲間たちと比良守村までたどりついた。ペルソナであるスサノオとともに立川を助けるべく奮闘する。
鳴上悠
T大理工学部に在籍している大学生。陽介を通じてM大経済学部のいつメンと交流がある。ペルソナはイザナギだが、ほかの強力なペルソナとも付け替え可能。
白鐘直斗
五反田にある「白鐘探偵事務所」の所長を務める【探偵王子】。いつでも冷静ではあるが、お化けが苦手。情報処理能力は鳴上以上。ペルソナであるヤマトタケルは直斗に甘えたさんである。
巽完二
東京にある服飾系専門学校に通っている。物理が得意なのはいつもの通り。ペルソナであるロクテンマオウは見て触ったものを寸分たがわずコピーする能力を持つ。
立川
M大学経済学部に在籍している大学生。なんと地面に穴があいて攫われた挙句、謎の薬酒飲まされて虫の息になっている。いわゆる今回のかわいそう枠。
御子()
白い着物に赤い袴という見た目巫女の人物。
むらびと()
盲目に御子に祈りをささげ、村の掟を忠実に守るものたち。
<Pixivにも掲載してます>
https://www.pixiv.net/novel/series/16257151
来週もよろしくです!