TS転生した俺が決闘で弟子に口説かれるまで   作:おいかぜ

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第十五話 冒涜◆

 

 二年生になった。

 あの人は、五年になった。

 

 名簿でそれを確かめたとき、あと二年だと思った。二年あれば、たぶん、なんとかなると思っていた。わたしと、あの人の関係に何かを残すことが。

 

 教室が二階に上がって、講義が増えて、実技が学年混合になった。混合になると、上の学年の顔を覚えることになる。

 

 アデライド・フォン・エーレンベルクの名前は、初日に覚えた。

 覚えたくなくても覚える。教官が三回名前を呼んで、三回とも「見本を」と続けたからだ。

 

 彼女の魔法は、言うなれば大きかった。

 

 輪を作って、詠唱を六節通して、溜めて、放つ。

 放った瞬間、演習場が白くなる。風が起きる。髪が持っていかれる。的が割れる音が、腹に響く。

 

 わたしの目には、金色に映った。

 

 節が進むごとに、輪が一重ずつ閉じていく。一重目より二重目が大きくて、二重目より三重目が大きい。歪みがない。

 重ねた輪の中で、金色が、縁のところまで来て止まっている。

 

 止めていられる量ではないのに止めている。実際には、あの人が言うところの「ムダ」がある。輪の中では絶えず光が走り、音が鳴っている。

 

 だから、きれいだとは思わなかった。

 

 でも、すごいとは思った。あの量をあの精度で、あの速さで通せる人は、この学年に他にいない。教官が三回呼ぶのは当然だった。

 

 問題は、そのあとだ。

 

「次、ケルト」

 

 わたしは線の上に立って、線を一本引いた。

 

 乾いた音がひとつして、それで終わりだった。風は起きない。まぶしくもない。

 

 的の割れ目は、彼女のより浅かった。でも、わたしの残量はまだ九割以上あった。

 

「……ケルト。消費、見せなさい」

 

 教官が計器を寄越した。数字を見て、教官は黙った。

 演習場の後ろのほうで、誰かが小さく言った。

 

「あれ、無音の雷のやり方だろ」

 

 久しぶりに聞いたな、とだけ思った。

 

 休憩のとき彼女が近付いてきた。

 背が高かった。制服の襟に刺繍が入っている。上級貴族はああいう襟を許されているのだと、いつかゾフィさんが教えてくれた。

 

「ニーナ・ケルト」

 

 名前を、まるごと呼ばれた。

 

「はい」

「あなた、セラ・アッシュの弟子だそうですわね」

「はい」

「そう」

 

 彼女は、わたしの杖を見た。それから、わたしの制服の袖を見た。繕ってあるところを見られたのが分かった。

 

「わたくし、あの方の実力は疑っておりません」

 

 意外な入り方だった。

 

「あの方が四年のとき、演習で一度だけ見ております。あれは本物です。この学園に、あの方より上手に魔力を扱う人はおそらくおりません」

「……はい」

「ですから、余計に申し上げるのです」

 

 彼女は、まっすぐわたしを見た。

 

「あれは、魔法への冒涜です」

 

 

 

「魔法は、捧げるものです」

 

 彼女の声は、大きくなかった。なのに力を持っている。硬くて、古くて、暗記したみたいな喋り方だった。

 

「詠唱は、ただ順番を守るための道具ではありません。捧げるという行為そのものです。輪を描くのは、力を溜めるためではありません。捧げる形を作るためです。光が出るのは、無駄ではありません。捧げたことの証です」

「……」

「あの方は、その全部を『無駄』と呼んで削り落とした。残ったのは、結果だけです」

 

 わたしは、何も答えなかった。

 反論しなかったのは、その言い分が、わたしの中で全然的外れではなかったからだ。

 あの人は、たしかに、そういう組み方をする。実のところわたしも、感性そのものはアデライドさんのものに近い。そういうものだと習ってきたからだ。

 

「効率を求める者は、魔法を愛しておりません」

 

 彼女は言った。

 

「そして、あなた」

 

 わたしのほうに、指が向いた。

 

「あなたは、あの方の腰巾着ですわね」

 

 

 最初、意味を理解し損ねた。

 

「点数が跳ねたと聞きました。結構なことです。ですが、あなたが跳ねたのは、あなたが何かを積んだからではありません。上手に人を選んだからです」

「……」

「あの方の背中に隠れて、あの方の削った式をなぞって、それで順位が上がった。それを実力とお呼びになるのは、ご自由ですけれど」

 

 わたしは、自分の手が冷たくなっていくのを感じていた。

 腰巾着。上手に人を選んだ。背中に隠れて。

 

 それは、たぶん、半分は本当だった。

 わたしは何も積んでいない。もらったものを、そのまま使っている。

 

 だから、そこには怒れなかった。

 

 わたしの胸に込み上げた怒りは、苛立ちは──

 

「──あの人は」

 

 声が出た。自分の声じゃないみたいだった。低く、喉を引っ掻くような感じがした。

 

「あの人は、魔法を愛してないって、いま言いましたよね」

 

 彼女が、まばたきをした。

 

「そう申し上げました」

「取り消してください」

 

 演習場が、静かになった。

 

「わたしのことは、なんとでも言ってください。腰巾着でも、なんでもいいです。全部当たってます。わたしは何も積んでません。もらっただけです」

 

 息が、うまく続かなかった。

 

「でも、あの人の話は、違います」

「……」

「あの人は、削ったんじゃありません。捨てるものを、一つも作らなかったんです。あの人の魔法は、余りが出ないんです。一滴も出ないんです。それは、雑だからじゃなくて」

 

 言葉が、追いつかなかった。

 

「……ちゃんと最後まで、手放していないからです」

 

 風が、演習場を通った。

 

「捧げてないんじゃなくて、捨ててないんです。捧げるのと、捨てないのと、どっちが愛してないんですか」

 

 アデライド・フォン・エーレンベルクは、しばらく黙っていた。

 それから、わたしの言葉が堪えていないかのように言った。

 

「あなた、ご自分のことでは怒らないのね」

 

 わたしのことは、本当に事実ばかりだった。酷いことを言われているのだとは思うけれど、反論は思いつかない。

 

「わたくしは、あなたを腰巾着と申しました。あなたはそれを認めた。そして、あの方の話になった途端に、そこまで喋る」

 

 彼女は、襟を直した。

 

「──よろしい。取り消しはいたしません」

「……」

「取り消すべきかどうかは、わたくしが自分で見て決めます。人に言われて意見を変える者に、価値はありませんので」

 

 彼女は背を向けた。

 

「大会がございます。学年混合の。お出になる?」

「……出ます」

「そう」

 

 振り返らずに、彼女は言った。

 

「では、そのときに」

 

 

 

 その日の夕方、旧演習場で、わたしは何も言わなかった。

 言えば、この人はたぶん、わたしのことを心配する。心配して、そして、もしかすると距離を取る。

 

 わたしが庇ったせいでこの人が遠ざかるなんて、そんな馬鹿な話はない。

 

「……ケルトさん」

「はい」

「今日、何かあった?」

 

 わたしは顔を上げた。三度目の質問だった。

 

「……ありません」

 

 嘘をついた。

 あの人は、しばらくわたしを見ていた。それから、的のほうを向いた。

 

 わたしの流れは、たぶん、めちゃくちゃに濁っていたと思う。でも、この人にはそれが読めない。その事実に安堵する。

 

 読めないのにわざわざ訊いてきたということは、誰かがアッシュ先輩の耳に入れたか、それともわたしの表情があまりにもわかりやすいかだ。

 

 あなたの腰巾着だと言われましたと言えば、この人は、たぶんわたしに謝る。謝ってから、距離を取ろうとする。距離を取ることが、この人の考える優しさだから。

 

 だから言わない。言えない。

 

 言わないでいると、この人は代わりに指導を延ばす。

 その日の指導は、またすこしだけ長かった。

 

 

 

 

 図書室の三階には上がったことがなかった。

 

 その日、普段利用しない三階へ上がったのは、いわば気まぐれだった。

 寮に帰れば、ゾフィさんがいる。あの人はわたしの顔を見たら、たぶん全部当てる。もしかすると、既に噂は広まっているかもしれない。

 旧演習場には行けない。もしかするとあの人がいる。

 

 だから図書室に来た。二階に人がいたので三階まで上がった。

 夕方の指導までは、まだ間があった。

 

 上がった瞬間、空気が静かになった。

 音の話ではない。二階の物音は、ここまで聞こえてくる。人や動きの話だ。

 

 人がいないと、流れもない。下から響いてくる音は、床や本棚に吸収されて薄れる。

 

 学園はどこへ行っても誰かの色が薄く混ざっていて、ざわざわして見える。食堂も、講義棟も、廊下も。ここだけが、何も見えなかった。

 

 わたしは、その中でやっと息をした。

 

 ──あなたが跳ねたのは、あなたが何かを積んだからではありません。上手に人を選んだからです。

 

 昨日言われたことが、まだ耳の内側で鳴っていた。

 

 

 そんなことを考えているうち、わたしはとある場所へ視線を吸い寄せられた。

 

 いちばん奥の、窓際の机だった。

 

 本が三冊積んであって、その手前に、あの人が腕を組んで突っ伏していた。

 銀灰色が、机の上に広がっていた。束ねたところが緩んで、半分ほどけている。

 

 わたしは、通路の入口で止まった。意図しない遭遇に、少しだけこころが揺れた。

 

 起こしてはいけない、と思った。

 それから、逃げなければと思った。

 

 どちらも足が動かなかった。

 

 

 

 魔力の流れを見た。

 癖だ。この人の前に立ったら、まず流れを見る。自然と魔力の流れを追っている。半年以上ずっとそうしてきた。

 

 ただ、今は見えるものがなかった。

 

 動きがほとんどなかった。ゆっくりで、平らで、読むところがひとつもなかった。……眠っている? 

 

 わたしは逃避さえも手につかなくなって、立ち尽くした。

 

 視線が、アッシュ先輩の顔に吸い込まれた。

 

 わたしはこの人の魔力なら、目をつぶっても描ける。

 どこが跳ねて、どこが張って、どの速さで流れて、断るときにどこが揺れるか。紙に描けと言われたら、たぶん描ける。

 

 顔は、描けないかもしれない。

 

 半年以上、わたしはこの人を毎日見てきた。

 見ていたのは顔ではなかった。唯一語る、魔力だ。今は、魔力が見えない。

 

 目の下に、隈があった。

 噂で聞いたとおりだった。でも、噂で聞いたのより、ずっと薄かった。もっと不健康なものを想像していた。

 

 睫毛が長かった。頬に、影が落ちていた。

 頬に小さい傷跡があった。古い傷だ。子どものときのだと思う。

 この学園の四千人が、たぶん、この傷を知らない。

 

 口が、少し開いていた。

 喋らない人が、寝ているあいだだけ、口を開けている。

 

 わたしは、そこで、息を止めていた。

 

 止めていたことに、苦しくなってから気がついた。

 

 心臓が、鳴っていた。鼓動の一回ずつが、耳の奥まで届いた。

 

 顔が熱かった。三階は寒いのに。

 

 わたしは、通路の柱に手をついた。ついてから、それが音を立てないように、ゆっくり体重を移した。

 

 何が起きているのか、分からなかった。

 

 分からないので、いつもどおりに処理した。

 

 ──きれいだから。

 

 あの人の魔法がきれいだから、わたしはこうなる。渡り廊下の日と同じだ。あのときも息が止まった。あのときも動けなかった。

 

 同じだ。

 

 同じだと、思うことにした。

 

 いま、この人は、魔法をひとつも使っていない。

 

 それには、気づかないことにした。

 

 

 

 どれくらい立っていたのか、分からない。

 窓の光の角度が変わっていたので、たぶん一刻以上。

 

 アッシュ先輩が身動ぎした。

 わたしは、反射で視線を落とした。

 

 顔から、顔の少し内側へ。

 

 半年以上やってきた動きだったので、体が勝手にやった。

 

「……」

 

 あの人が顔を上げた。髪が半分ほどけたまま、こっちを見た。

 

 流れが戻ってきていた。

 起きた瞬間にいつもの澄んだ形に戻って、それから、少しだけ張った。

 

「……ケルトさん」

「あの」

「……」

「すみません、通りかかっただけで」

 

 嘘だった。でも、起きたばかりのあの人に判断するすべはない。

 

「……そう」

 

 あの人は、髪を結び直した。

 いつも通りに下手だった。何年も自分で結んでいるはずなのに、下手だった。右から巻いて、最後に一回捻る。捻り方が甘いから、夕方には緩む。

 

 わたしは、それを見ていた。

 見ていて、また息が止まりかけた。

 

「またあとで」

「はい」

 

 あの人は、本を三冊持って立ち上がった。

 通路を通るときわたしの横を過ぎた。

 

 わたしは、振り返らなかった。

 振り返ったら、たぶん、顔を見てしまう。

 

 階段を降りる音が遠くなってから、わたしは、その机まで歩いた。

 誰もいない椅子があった。

 

 机の木目に、腕の形の跡が、まだ薄く残っていた。

 

 わたしは、そこに手を置いた。

 

 しばらく、その手をどけられなかった。

 

 

 いちど寮に帰る道で、アデライドさんに言われたことを思い出そうとした。

 

 咄嗟に思い出せなかった。

 昼にあれだけ刺さったものが、夕方には、もうどこかへ行っていた。

 

 かわりに残っていたのは、頬の小さい傷跡だった。

 

 わたしは、それを誰にも言わないことにした。

 

 言うと、噂が増える。

 

 ……ううん。

 

 違う。

 

 言いたくなかっただけだ。

 

 




すみません、次回更新はしばらくあとになるかもしれません。
向いてない書き方をして失敗しているモチベ問題と、単に別のタスクの競合の問題です。ご容赦ください。
プロットは自信あるんだけどなぁ……なんならリメイク……いやそれはエタの予兆すぎる……
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