わたしの魔力量は、学年で下から二番目だった。
入試の時から何となくわかっていて、測定の度に現実としての確度が上がっている。
いちばん下の子は体を壊して休学しているので、実質いちばん下だ。実技の補習にはもう十回近く出ている。先生は親切だし、同級生も別に意地悪じゃない。ただ、みんなちょっと困った顔をする。
頑張れば伸びるものだと信じている人たち。そして、魔力量という才能は絶対だと知っている人たち。
その日も補習の帰りだった。魔力の使い過ぎで手のひらがまだ痺れていて、鞄が重かった。
渡り廊下は二階にあって、第三実技棟の前庭を見下ろす形になっている。
別課一年の実習が終わりかけていた。円になった同級生たちを、なんとなく見ながら歩いていた。
円の真ん中で、順番に魔法を撃っている。濁った小さい輪が閉じて、白っぽい光が、ぱち、と鳴る。焦げた匂いが、二階まで薄く届く。いつもの、実習の音だった。
悲鳴が聞こえたのは、そのときだ。
わたしは手すりを掴んで、下を見た。
──白い。
わたしの目には、魔力が色みたいに見える。
見えている、というのは正確じゃないかもしれない。でも「感じる」よりは「見える」のほうがずっと近い。
一度だけ先生に言ったことがある。魔力の流れは感じるものではなく操るものです、と返されて、それきり言っていないけれど。
だからあまり一般的な感覚ではないのだろう、とだけ受け止めている。
暴走した魔力は、白かった。
白くて、めちゃくちゃだった。糸を一抱えぶん床にぶちまけて、それが全部、勝手に暴れているみたいな。どこもかしこも引っかかって、絡まって、絡まったところが熱を持って、ぶちぶち切れながら膨らんでいく。
みんなが下がる。壁のほうへ。
わたしも、たぶん、下がりたかったと思う。二階にいたのに。
壁が背中に触れて、誰も逃げられなくなった。みんなの感情が急速に膨れ上がって、爆発する寸前だった。……パニックが起こる。
そのとき、銀灰色の人が円の中に入った。
広がり続ける円の外径とは裏腹に、一人だけ中心へ歩いていく。
左手が、上がった。
──そこからの数秒を、わたしはきっと生涯忘れない。
絡まっていた糸が、ほどけた。
押さえつけられたのでも、断ち切られたのでもなく、ほどけたのだ。引っかかっていたところが順番に外れていって、外れた端から、揃った。何百本もあった糸が、ぜんぶ同じ方向を向いた。
それから、束ねられた。
撚られて、細くなって、一本になって。
白かったものが、途中で色をなくした。
濁りが取れると魔力からも色は消えるのだと、そのとき初めて知った。
汚れた水を漉していくと、最後は水になる。それと同じことが、目の前で起きていた。
空へ、抜けた。
音は、しなかった。
光も、こぼれなかった。
一滴も。ほんとうに、一滴も。
魔法にはいつも音や光が出る。バチバチいうし、まぶしいし、風が起きるし、においがする。わたしみたいに魔力の少ない人間はそれを出すだけで空っぽになる。魔法とはそういうものだと思っていた。
あの人の魔法には、それがなかった。
捨てるものが、何ひとつなかった。
わたしは手すりを掴んだまま、動けなかった。
下では、みんなが結果を見ていた。
「消えた」
「え、今の、何」
「上級生が止めたんじゃない?」
誰も、途中を見ていない。気にしていない。
結果だけなら、たしかに一瞬だ。白いのがあって、次の瞬間なくなっていた。それだけの出来事に見える。
でも違う。あいだに、ちゃんと数秒あった。
ほどけて、揃って、束ねられて、空へ行くまでの数秒が。
わたしだけが、それを見ていた。
生まれて初めて、確信をもって「見えた」と思った。
誰かが言った。
「無音の雷だ」
声が、低くなった。円がまた少し広がった。今度は暴走から離れるためじゃない。あの人から離れるために。
助けられた子は、座り込んだままだった。
あの人が何か短く言って、それでも返事をしなかった。というより、できなかったんだと思う。喉が動いていなかった。
あの人が背を向けて歩き出してから、やっと空気が戻った。
「……こわ」
誰かが小さく言った。
こわい?
わたしには、その言葉の意味が、まったく分からなかった。
放課後、探して回った。
銀灰色の髪。背が高い。上級生。
それだけを頼りに、講義棟をふたつと、食堂と、それから中庭を。見つからなかった。名前も知らないのだから当たり前だ。誰かに訊けばよかったのに、なんて訊けばいいのか分からなかった。
さっき、すごくきれいな魔法を使った人を探しています。
それを言ったら、たぶんまた、みんなちょっと困った顔をする。
日が傾いて、寮に戻るつもりが、ひとつ道を間違えた。
校舎の外側を迂回して、北の外れに出た。おそらく、ほとんど使われていない演習場だった。結界の柱が二本折れていて、草が膝の高さまで伸びていて、風がまっすぐ通り抜けていく。学園の中にこんな場所があるなんて知らなかった。
足音がした。
振り返る前から、分かった。
流れが、静かだったから。
色が、なかった。
人の魔力には、たいてい色がある。濃いか薄いか、跳ねるか沈むか、その人らしさが必ず出る。
この人には、それがない。濁っていないのではなくて、濁るためのものが、何も混ざっていない。
透明な器に注がれた水のような魔力。
目が合った。
言おうとしたことは、ちゃんとあった。頭の中にはあった。
あの、さっきの。すごくきれいでした。あれはどうやって。
喉が、まったく動かなかった。
あの人はわたしを一度見て、それだけで、横を通り過ぎていった。
通り過ぎる瞬間、わたしはその流れを見た。
まっすぐで、静かで、乱れひとつなかった。
……そうか、と思った。
わたしのことなんて、何とも思っていないんだ。
「あ」
やっと出た声は、それだけだった。背中はもう遠かった。
草の中に立って、しばらく動けなかった。
風が北から通っていた。
折れた結界柱が二本、傾いたまま立っていて、そのあいだを風が抜けていく。草が同じ方向へ倒れて、戻って、また倒れる。
わたしは、その音を、たぶん半刻くらい聞いていた。
こわかったわけじゃない。
声が出なかったのは、あんまりきれいだったからだ。
そう、言えばよかった。
次に会ったら、絶対に言おうと思った。
名前を訊くのは、たぶんそのあとでいい。