TS転生した俺が弟子に決闘で口説かれるまで   作:おいかぜ

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第四話 空欄◇

 

 ハーゲン先生の執務室は、いつ行っても書類の山が同じ形をしている。

 崩れそうで崩れない。あれで平衡が取れているのだと思う。換気のために窓を開ければ全て吹き飛んでいきそうだ。

 

「座って」

 

 勧められるまま、俺は革の張られたスツールに座った。

 ヴィルマ・デ・ハーゲン先生。おそらく、俺がこの学園で最もお世話になっている先生だ。特待生関係の業務を持っているということもあるし、魔法術式に関する研究をしていることも無関係ではない。

 先生は机の向こうで羽根ペンの尻を齧りながら、書類を一枚こちらに滑らせた。

 

 特待生審査申請書。俺の名前が書いてある。成績の欄。実績の欄。素行の欄。

 最後の欄が、空白のままだ。

 

「そこ」

「……はい」

「師弟関係の欄、空のまま出す気?」

 

 答えなかった。答えは決まっているが、口に出すと角が立つ。

 

 先生はペンを置いて、椅子の背にもたれた。この人は面倒くさそうにしている時ほど、面倒なことを言う。

 

「あなたね、成績は問題ないの。実技も問題ない。素行も、まあ、問題があるとすれば無口すぎるくらいで、それは規定にない」

「……」

「でも審査は総合よ。並べたときに、他の子の申請書は全部埋まってる。あなたのが一箇所だけ空欄。それがどう見えるか、分かる?」

 

 分かる。

 協調性がない。指導者としての資質がない。あるいは──独りでいたいだけの人間。

 残念ながら、集団に利益を還元できない人間は、一段と評価が落ちる。社会とはそういうものだし、その判断軸が間違っているとも思わない。

 しかも、可否のレベルじゃない。上級課程で特待生を維持している生徒が、弟子を探せないなんてことはありえないのだから、弟子がいないとすれば制度に反抗している人間だけだ。

 

「制度としてはね、下の子の面倒を見るのは推奨、義務じゃない。だから断ってもいいの。断ってもいいけど」

 

 先生は指で書類を叩いた。

 

「使えるものは使いなさい。あなた、学費を払える実家がないでしょう」

 

 俺は膝の上で手を組み直した。

 

 その通りだった。

 アッシュの家からは、金も手紙も来ない。俺も出さない。

 憎んでいるわけではないのだけれど、家族としての感情の接続がない。あの家の娘として過ごした年月が、俺の中では他人の家の記録みたいになっている。

 いずれは育てられた分の恩くらいは返す。ただ、互いにその程度の温度感だった。

 

 落ちれば辞める。辞めれば、行くところがない。一応魔法は使えるから、軍には採用されるだろうけれど。

 

「取りません」

「理由は?」

「……ありません」

 

 先生の目が、少しだけ動いた。

 

「本当は?」

「ありません」

 

 沈黙が落ちた。

 窓の外で、夕方の鐘が鳴っている。六年生の実技が終わる時間だ。

 

「──あなた、前期の」

 

 言いかけて、先生は止まった。

 書類の端を揃える音がした。明らかに誤魔化しの動作だった。

 

「……いえ。なんでもない」

 

 俺は膝の上の手を見ていた。

 息を吸うのを、一度、忘れていた。

 

 

 

「……とにかく、締切は後期末」

 

 咳払いと共に、先生はわざとらしく話題を変えた。

 

「それまでに志願者が来たら、断らずに一度会いなさい」

「……来ません」

「来たら、の話」

「来ません」

 

 二度言ってしまった。二度言うと、言い訳に聞こえる。断るための言い訳。

 先生はしばらく俺を見ていた。それから、思い出したみたいに言った。

 

「あなた、わたしに一度も質問しないわね」

「……はい」

「入学してから、一度も。訊けば教えることはいくらでもあるのに」

「……そうですか」

「そうですか、じゃないでしょう」

 

 面倒くさそうな声だった。手のかからない生徒をやっているつもりだが、代わりに心労は多く掛けているかもしれない。

 

 俺は立ち上がって、書類を持って、頭を下げた。

 扉に手をかけたところで、後ろから声がした。

 

「セラ」

 

 立ち止まって、振り返らなかった。

 

「……いいえ。何も言ってない。行きなさい」

 

 

 

 廊下は暗くなりかけていた。

 

 書類を丸めずに持って歩く。

 重要な書類なので、折り目がつくと再提出になる。毎年やっているので、そういうことだけは覚えた。

 

 志願者が来たら会いなさい、と先生は言った。

 来るわけがない、と思う。そんな都合が良いことは二度も起こらない。

 

 俺の実技を見た人間は、俺に近づかなくなる。それは事実として観測されている。三年半ぶんの標本がある。誰も話しかけてこないし、目も合わない。合っても逸らされる。

 

 合理的な反応だと思う。

 俺が逆の立場なら、同じことをする。

 

 加えて無口で、無表情で、何を考えているのか分からない。成績のことを抜きにしても近寄り難いだろう。

 

 北の旧演習場を抜けて帰る。遠回りだが、人がいない。

 

 道は、実技棟の裏から細くなる。石畳が途切れて、そこから先は踏み跡だけだ。踏み跡は年に何本か増えたり減ったりする。増えるのは春で、減るのは秋だ。いまは俺の踏み跡しかない。

 

 書類は、丸めずに、脇に挟んで持った。挟むと角が曲がるので、指で挟むほうが正しい。指で挟むと風で鳴る。鳴るのが鬱陶しいので、結局、脇に挟む。

 

 毎年、この道を、同じ書類を持って歩いている。

 

 三度目だ。

 三度目ということは、あと二回か三回、これをやれば終わるということでもある。もう半分が過ぎている。

 

 草の中に、誰か立っていた。遠目からは見えなかったから、真っ直ぐ歩いてきてしまった。

 

 栗色の髪。小柄。鞄を胸に抱えている。

 この前と、同じ立ち方だった。

 

 目が合った。丸い瞳が俺の形を捉える。

 その子が、息を吸った。

 

 黙って小走りで通り抜けようとして、思いとどまる。

 

 逃げなかった?

 

 いや。

 逃げようとして、書類を持っていることを思い出しただけだ。丸めると再提出になる。走れない。

 

 それだけの理由で、俺はそこに立って彼女の言葉を待ち構えた。

 




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