TS転生した俺が弟子に決闘で口説かれるまで   作:おいかぜ

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第五話 乱れ ◆

 

 放課後、三日待った。

 待っているあいだ、何を言うべきかずっと考えていた。

 

 あの、この間の、すごくきれいでした。あれはどうやって組んでいるんですか。

 口の中で、三十回くらい繰り返した。

 繰り返すたびに順番が変わって、変わるたびに、どれがいちばん失礼じゃないかを考え直した。

 

 三十回も練習することかな、と、途中で思った。やればやるだけ思考が煮詰まって、意味がないような気がした。授業の復習をやっていた方がマシだ。

 それでもやめなかった。

 

 一日目は来なかった。二日目も来なかった。

 北の旧演習場は本当に誰も通らなくて、折れた結界柱と伸びた草と、風の音しかない。

 

 二日目の夜、ゾフィさんに「毎日来てるらしいって聞いたのに」と言ったら、「毎日じゃないって。人がいたら別の道を使うんだって」と返ってきた。

 

 だからわたしは、三日目、草の中に立った。

 道の真ん中じゃなくて、端。柱の影。見えるけど、塞いでいない場所。

 

 それが正解だったのかどうかは、いまでも分からない。

 ただ、三日目に、あの人は来た。

 

 書類を一枚、丸めずに持っていた。

 

 

 

 目が合った。

 息を吸った。今度は、ちゃんと吸えた。

 

「あの」

 

 声が出た。それだけで、心臓がおかしなことになった。

 あの人は立ち止まっていた。逃げなかった。というより、逃げようとした形の途中で止まったように見えた。

 

「一年の、ニーナ・ケルトといいます」

 

 名乗った。名乗るのが先だと、昨日の夜、練習した通りに。

 

「弟子にしてください」

 

 言った。

 ついに言ってしまった。

 

 風が建物の間を吹き抜ける。あの人はしばらく何も言わなかった。夕方の光が斜めから当たっていて、銀灰色の髪の端だけが、金色みたいに見えた。

 

「……取らない」

 

 小さな拒絶だけが零れ落ちた。

 短くて、静かで、たぶん、怒ってはいなかった。

 

「どうしてですか」

 

 沈黙。答えはなかった。

 

「あの、わたし、成績はよくないんです。魔力量も、学年で下から二番目で。だから、その」

 

 言いながら、自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。だめな理由を自分から並べている。逆だ。

 

「だから、あの、魔法の使い方が下手なんじゃなくて、そもそも量が足りなくて、それで」

 

 あの人が、口を開いた。

 開いて──何か言いかけて、閉じた。

 

 言葉の形はしていなかった。息の音だけだった。

 でも、たしかに、何かを言いかけた。

 

 それが何だったのかを、わたしが知るのは、ずっと後になる。

 

「……取らない」

 

 二度目だった。

 一度目とまったく同じ音だった。

 

 

 

「あの日、見ました」

 

 ひとつ、ふたつ、みっつ。深呼吸をしてから。

 あらためてわたしは口を開いた。

 

「第三実技棟の前で、暴発があった日です。わたし、渡り廊下から見てました」

 

 あの人の目が、こっちを向いた。

 

「みんな、結果しか見てなかったんです。白い光の流れがあって、消えた、って。でも、あいだに数秒ありました」

「……」

「絡まってたのが、ほどけて。揃って。束ねられて。上に抜けていきました。押さえつけたんじゃなくて、ほどいたんですよね」

 

 風が止まった。

 止まったように、感じただけかもしれない。

 

「音がしませんでした。光も、こぼれませんでした。一滴も」

 

 言おうと思って、三日ぶん練習した言葉が、あった。

 

「世界で一番きれいだと思いました」

 

 あの人は、何も言わなかった。

 

 顔も、変わらなかった。目も逸らさなかった。まっすぐこっちを見たままだった。表情というものが、そこにはほとんどなかった。

 

 だから、たぶん、誰が見てもこう思う。

 この人には、何も届いていない。

 

「……取らない」

 

 三度目だった。

 そして、あの人は背を向けた。

 

 

 

 その瞬間だった。

 流れが、揺れた。

 

 あの日、旧演習場で通り過ぎられたとき、わたしはこの人の魔力を見た。

 

 まっすぐで、静かで、乱れひとつなかった。器から一滴もこぼさずに水を運ぶみたいに。だから、わたしのことなんて何とも思っていないんだと思った。

 

 それが、揺れた。

 

 表情や声では分からない。

 背中を向けて、二歩目を踏み出したところで、あの澄んだ流れの底のほうが、水面を撫でられたみたいに、ふるっと震えた。

 

 一秒もなかった。すぐに戻った。

 

 何が起きているのかは、分からない。

 なぜなのかも、分からない。わたしに読めるのはそこまでだ。何かが起きた、という事実だけ。

 

 でも、ひとつだけ、はっきり分かることがある。

 

 顔で断って、声で断って、三回同じ言葉で断って、それでも、断ったあとに流れが乱れる人は。

 

 わたしを、嫌ってはいない。

 

 嫌われているのなら、拒絶のときに揺らぐ。人と話すのが嫌なら、話しかけたときに揺らぐ。断ったあとに揺らぐのは、それが後ろめたいと思っているからだ。

 

 もちろん、これは経験則に基づく推測に過ぎないけれど。

 魔力の流れを意識している人はほとんどいない。それが感情に連動していることを知っている人も、これまではいなかった。だから、感情を隠すのに魔力を鎮めるという発想がない。魔力は素直に感情を表現する。

 

 

 背中が遠ざかっていく。草が膝に当たる音がする。

 わたしは、そこに立ったまま、その背中を見ていた。

 

 日が落ちきるまで、そこにいた。

 

 いたのは、帰る理由がなかったからだ。

 寮に帰れば夕食で、夕食が終われば復習で、復習が終われば消灯だ。全部、待っていてくれる。急ぐ必要がない。

 

 折れた結界柱が、二本。上のほうが斜めに割れていて、割れ口が風化している。折れてから何年経っているのかは分からない。誰も直しに来ないということだけが、事実として横たわっている。

 

 忘れられた道を、あの人は毎日通っている。

 

 嫌われてはいない。

 わたしには、それが分かってしまった。

 

 ──だから、諦める理由にはならなかった。

 

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