TS転生した俺が弟子に決闘で口説かれるまで   作:おいかぜ

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第六話 距離◇

 翌日、あの子は旧演習場に立っていた。

 

 ほとんど使われていない空き地だ。かろうじて整備はされているが、授業で訪れる機会もほとんどない。だから、なにか用事がなければあそこに誰かがいることは有り得ない。たとえば、誰かを待っているとか。

 

 俺は南回りに変えた。遠回りの、さらに遠回りになる。門を出るまでに十五分余計にかかる。

 

 その次の日は、講義棟の出口にいた。俺は反対側の階段を降りた。

 

 その次の日は、両方にいた。

 どちらにも行かなかった。渡り廊下を三本渡って、工房棟の裏から出た。工房棟の裏に出口があることを、俺はその日初めて知った。

 

 四日目、食堂にいた。

 入口から見て、三列目の端。俺の通る動線の上ではない。塞いでもいない。見えるが邪魔にならない位置。

 毎回そうだった。あの子は必ず、避けようと思えば避けられる場所に立つ。

 

 それが一番、たちが悪い。

 

 塞がれていたら押しのけて通ればいい。追いかけられたら走ればいい。

 避けられる場所に立たれると、避けたのは俺の判断になる。

 

 俺は皿を持ったまま、外に出た。

 

 

 

「あれ、逃げてんの?」

 

 五日目の講義で、ドリーが隣に座るなり言った。

 

「……別に」

「一年の子でしょ。栗色の。ずっと同じ子だよね」

「……」

「三日前、あんたが工房棟の裏から出てくの見たよ。あそこ出口あったんだ」

 

 見られていた。

 ドリーに見られているということは、他の生徒にも見られているということだ。大きな不都合はないが、むず痒い。

 

「弟子にしてくれって言われた?」

「……」

「ふぅん。言われたんだ」

 

 俺は何も言っていない。だがドリーは、俺が何も言わないことから、正確に情報を取る。三年半ずっとそれをやられている。嘘をつくのに言葉を重ねない俺の沈黙は、肯定として処理される。

 

「断ったんでしょ」

「……取らないから」

「うん、知ってる。ずーっと言ってるもんね」

 

 ドリーは頬杖をついて、それきり黙った。

 

 この女はここで止まる。

 なぜ取らないのか、とは訊かない。もったいないとも、あの子がかわいそうだとも言わない。三年半、一度も言ったことがない。

 

 訊かれたら、俺はたぶん逃げる。逃げれば、隣の席は空く。

 空かなかったのは、この女が訊かなかったからだ。

 

 そこに彼女なりの配慮があったのかどうか、俺には判断しかねる。

 

「寒いね、今日」

「……そうですか」

「敬語やめてよ、同い年」

「……そう」

 

 どうでもいい話をして、返事がなくても気にしない。

 黒板の板書を写す音が、隣で続いている。

 

 

 大きな問題は、あの子の魔力量だった。

 

 初日に見てしまった。

 志願してきたとき、正面に立たれたせいで嫌でも分かってしまった。

 

 少なすぎる。あの量では、正統派の術式は組めない。詠唱を最後まで通す前に空になる。実技の点が伸びるはずがない。この学園にいるのが不思議なくらいだ。魔法を打てて一発か二発。上級以上は発動さえ望めないかもしれない。

 

 そして、それを見た瞬間に、俺の頭は勝手に計算を始めていた。

 

 余剰消費をゼロにすれば、術式一つあたりの消費は理論上約七割減る。詠唱を省けば、維持にかかるぶんがさらに落ちる。

 つまり──魔力量が少ない者ほど、俺の式の恩恵は大きい。

 

 あの量なら、伸びる。

 伸びるどころではない。あの子は、俺の体系にとって、最も条件のいい器だ。

 

 俺は板書を写す手を止めた。

 そこまで考えてしまったことが、もう手遅れだった。

 

 あの子に教えたいと思っている。それが一番、まずい。

 

 ……いや。

 

 これは技術的な観察だ。目の前に条件の合う素材があれば効率を計算する。それだけの癖だ。誰でも同じことを考える。

 

 ──いや。

 

 嘘だ。

 誰でもは考えたりしない。たぶん。

 

「あんたさ」

 

 ドリーの声で、手が動いた。

 

「なんか、ずっと同じとこ書いてるよ」

 

 俺のノートには、同じ一行が三回書いてあった。

 

 

 

 その週の終わりに、ハーゲン先生から呼び出しの札が来た。

 執務室に行くと、先生は書類を見もせずに言った。

 

「締切、明後日」

「……はい」

「志願者は」

「……いません」

 

 嘘はついていない。

 志願は断った。断った以上、志願者は存在しない。書類上はそうなる。

 

 先生はしばらく俺を見ていた。それから、羽根ペンの尻を齧った。

 

「そう」

 

 それだけだった。

 この人も踏み込まない。踏み込まない理由が、ドリーとは違う。

 

 帰り道は南回りにした。

 

 南回りは、実技棟の南側から中庭の外を回って、寮の裏へ抜ける。人は多いが、その多さの中では、俺は一人ぶんの塊としてしか見られない。北の道は誰もいないぶん、いれば必ず見つかる。

 

 六日で、俺はこの学園の道の使い方を組み替えた。

 

 朝は東の階段。昼は食堂の入口を三列目側から。午後は講義棟の裏。夕方は南回り。

 三年半かけて作った動線を、たった一人のために、六日で全部引き直した。

 

 引き直しながら、思っていたことがある。

 

 三年半前、俺はこの動線を、大勢から逃げるために作った。

 いま使っているのは、一人から逃げるためだ。

 

 効率が悪い。

 

 門まで十五分余計にかかる道を歩きながら、俺は北のほうを見なかった。

 

 見なくても、いるのは分かっていた。

 

 

 

 

 

 締切の前日、雪が降った。

 

 この土地の雪は湿っていて、ほとんど積もらない。降りながら溶けて石畳を黒く染め、風を刺すように冷たくする。傘を差す学生と差さない学生が半々で、俺は差さない側だった。

 

 ハーゲン先生の執務室を出たのは、日の落ちかけた頃だった。

 書類はまだ空欄のままだ。

 

「明日の夕刻まで受け付けます」

 

 先生はそれ以上何も言わなかった。使えるものは使いなさいとも、志願者に会いなさいとも、もう言わなかった。

 言っても無駄だと判断されたのだと思う。妥当な判断だった。

 

 南回りの門は、この時間には閉まる。

 だから北を通った。それだけの理由だった。

 

 草が雪で倒れている。

 折れた結界柱の影に、あの子が立っていた。

 

 鞄を胸に抱えている。肩に雪が積もりかけていて、指が赤くなっていた。手袋をしていない。忘れたわけじゃないだろう。俺の家にもなかった。

 

 あれから七日目だった。

 当たり前のように目が合った。

 

「あの」

 

 その子は、口を開いて、それから閉じた。

 三日目に言ったことを、もう一度言おうとして、やめたのだと思う。同じことを言っても同じ返事が返ることを、六日かけて学習したのだろう。

 

 賢い。あるいは、賢しい。あの魔力量でこの学園にいる時点で、それは担保されているのだったか。

 

 俺は立ち止まった。止まる必要はないはずだった。

 

 六日間、俺は止まらずに通り過ぎてきた。通り過ぎるのは簡単だ。歩幅を変えずに、視線を落として、四歩で横を抜ける。そのあいだ息を止めれば、声も出ない。

 

 その日、四歩目で足が止まった。

 

 理由はたぶん、雪だ。

 この子は手袋をしていない。寒さに指が赤く染まっていた。

 鞄を胸に抱えているのは、そうすると少し暖かいからだ。俺も昔やっていたからよくわかる。

 

 このままだと、風邪をひく。勉強にも遅れる。この世界の風邪はときに致命的だ。医療も未発達なこの土地では、風邪ひとつが簡単に命を奪う。そうでなくともあとに引きずるかもしれない。

 

 雪が髪に落ちて溶けている。束ねた先が濡れて重い。切ればいいのだが、切りに行くのも面倒で、二年ほどこのままになっている。

 

 言うべきことは決まっていた。弟子は取らない。

 四度言えば、さすがに来ないだろう。

 

 この子は明日から来なくなる。旧演習場は元通り誰も通らない場所になる。書類は空欄で出て、審査には響くが、特待はたぶん今年も通る。

 

 全部、予測できていた。予測できていて、望ましいはずだった。

 口を開いた。

 

「……名前」

 

 聞こえてきたのはたしかに自分の声だった。ただ、予想していた音とはまるで違った。

 

 三年半、誰にも個人的な質問をしなかった。

 答えはする。答えるだけならこちらの領分で済む。訊くというのは、相手の中に何かを取りに行くことだ。取りに行けば貸し借りが生まれる。生まれた貸し借りは、いつか近づく理由になる。

 

 だから訊かなかった。

 三年半、一度もだ。

 

 だと言うのに口をついて出たのは、目の前の一年生の名前を問う音だった。衝動が理性よりも先に立っている。それを自覚しつつも、咎めるべき理性が俺の口を縫い付けるより先に、彼女が口を開く。

 

「ニーナ・ケルトです」

 

 その子は、鞄を落としそうになりながら答えた。信じられないような顔をして私を見る。

 

「一年の、ニーナ・ケルトです」

「……そう」

 

 頷いてから、頷いたことに遅れて気づいた。馬鹿みたいだ。結局、感情が先に立つ。

 

「……明日、執務室に来て。夕刻より前に」

 

 言ってしまった。

 

 命令の形にはしなかった。しなかったが、意味は同じだった。俺は自分の言葉が、こんなに簡単に出てくるものだと知らなかった。

 

 その子は、動かなかった。

 三秒くらい、雪の中に立っていた。

 

 それから、

 

「はい」

 

 と言った。

 声が、ひっくり返っていた。

 


 

 背を向けて歩いた。

 書類は明日出せばいい。空欄に一行書き足すだけだ。特待は今年も通る。今回は危なげなく。

 

 そういう話にしておくべきだった。

 

 歩く速度が落ちていた。

 

 肋骨の内側のあたりが、妙に熱を持っている。指先にはもう感覚がないのに、そこだけ温度がある。

 

 嬉しい、と思った。

 

 ──いや。

 

 寒いだけだ。

 

 雪が濡れた石畳に落ちて、音もなく消えていく。

 北の空は、もう暗かった。

 

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