月野うさぎが最初から「プリンセス」だったら   作:鈴近

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十二歳 別れと再会

「ひかりー」

「んー」

「俺たち来年から東京を離れるかも」

「ん?」

「つーか海外に行くかも」

「うーん……とりあえず続けて」

 

 星野の部屋で寝そべって漫画を読みながら足をぷらぷらさせていたひかりは、よいしょと声を出して起き上がった。

 目を合わせずに大事なことを話し始めた星野は彼女の態度に笑った。いつだってひかりは相手に向き合おうとする。出会ったときにまっすぐ相対してきたように。

 

 感慨にふけりそうな感傷的な気持ちを振り払い、星野は話を続けた。

 

「前から芸能スカウトが来てたのは知ってるだろ?」

「うん。まあ三人とも紅顔の美少年だからね」

「それはその通りだけどな!」

 

 星野は顎を引いてふふんと笑った。

 

 東アジア人の骨格に白磁の肌を持ち、ぱっちりした目と切れ長の目とくりくりした目の三者三様の美少年が揃い踏み。手足も大きいため、高身長は約束されている。

 さらには成績優秀、眉目秀麗、運動神経抜群と、三人が三人ともそれぞれの強みを持ちながら美しい調和を描いているのだ。そのままアイドルグループとしてデビューできそうな個性バランスが、三人のコウにはある。

 

 苦りきった顔で星野は声を低くする。

 

「最近しっつこいスカウトマンがいてさ。今じゃ家まで押しかけてきて姉ちゃんに絡むんだ」

「あらら。その人もかわいそうね、よりによってあなたたちの逆鱗に触れて」

「で、いっそ田舎に移るか、逃げ切るために海外まで行くかって会議中。金は大気と姉ちゃんで株やってたからわりといけるんだよな~」

 

 星野は肩を竦め、ひかりはふむとうなずく。

 

「ふーん。田舎に行くなら離島とかにしたら。東京に比べたら不便なところはあるけど、桂子お姉さんの体調を考えるとその方がいいよ。車がいらないくらいのところにしたら動きやすいし……西欧圏はアジア人にちょっと冷たいから、中国の農村部でもいいかもね。でも外国に行くんだったら桂子お姉さんのガードを固めなきゃダメよ~? 隙を見せたら変な男に言い寄られちゃうわ」

 

 考えを述べてから星野に笑いかけると、彼は静かにひかりを見ている。

 

「……止めないんだな。寂しくねえの?」

 

 星野に覗き込まれて、ひかりはぱちぱちと瞬きをした。そのままこてりと首をかしげる。

 

「どうして? を出ていくわけじゃないでしょう?」

「そりゃそうだけどさあ……。俺たちはお前のことも心配なの。一人で中学に上がって大丈夫なのかなあ、この鈍感ちゃんは」

「え~? なにそれ。変な星野」

「あー、先が思いやられる」

 

 変な男に言い寄られそうなのはお前も同じだ、と星野は内心呟いた。

 

 ませている女の子たちに比べると、この年頃の男子は有り体に言ってバカだ。お猿さんと言っても過言ではない。星野は断言する。

 成熟した女性としての感覚も持ち合わせているからこそ、切って捨てる。

 

 ひかりが恋愛に対して夢も憧れも持っていなくて、男の子に興味がなくて、ルーツの星由来で純潔思考なのは知っている。月の王国に起きた悲劇の話を、四人は本人の口から聞いたから。

 それでも星野たちが彼女の幼なじみとして過ごすようになってから、最低な方法でひかりの気を引こうとするバカたちは後を絶たなかった。

 ひかりが慣れた手つきで捌いていくのを目にしても、事例を目撃するたびに夜天は怒髪天の勢いで怒り、大気は毛虫を見るような目で男子たちを見つめ、星野は二人がやりすぎないようひかりと一緒にストッパー役になりながら内心怒りを煮えたぎらせてきた。

 

 からかわれやすい気弱な男子女子にも分け隔てなくそうしてきたので、すでに三人は教室のアイドルだったし、ひかりはひかりで友達が多いのでいわゆる「人気者グループ」になっていたわけだ。

 名物幼なじみ四人組とも言う。ひかりは誰に対しても「色目を使わない」上に友達が多いため、紅一点のひかりを悪く言う女の子も少なかった。もしひかりを口汚く罵る子どもがいたとすれば、それは強いストレスに晒されているか、自分に自信がないかのどちらかだろうと星野は踏んでいる。

 

 星野たちは火球の傍から離れられないし、離れる気もない。けれどそれと同時に、ひかりを一人で残していくことを気がかりに思うだけの情があった。

 

 はあ、と星野はため息を吐いて前髪を掻きあげた。

 

「そろそろお前の守護戦士が目覚めたらいいのに」

「あら。平和が一番よ。いずれその時が来るとしてもね」

 

 ひかりの微笑みは鉄壁だ。彼女が本気でそう思っていることが見て取れる。

 星野はまた深くため息を吐いた。

 

「……そうだなー」

 

 使命と絆で結ばれた仲間が傍にいたなら、部外者の自分がひかりの学生生活のことでこんなに気を揉んだりしなくていいだろうに。

 そして当のひかりはのほほんとしているのだ。星野が彼女の守護戦士たちに八つ当たりをしたくなるのは当然の流れだった。

 

 銀河の運命を揺るがす戦いについては、彼はあまり心配をしていない。星野は火球が見たビジョンを信じていたし、ひかりの強さを知っていた。

 十二年しか生きていないとは思えないほど、ひかりは月のプリンセスとして完成されている。

 

(俺たちが戦いの舞台に上がるのは、アイツがこの星に狙いを定めたときだ)

 

 だからこそ星野たちは少しでも力を蓄えなければならなかったし、火球は心身を回復させなければならない。

 

 一方、ひかりは虚空を眺め、前世の光景を頭の中に思い描いた。

 太陽系のセーラー戦士は八人。セレニティの近衛の四戦士と、外敵を拒む海と天空、時空を監視する番人、そして終焉を導く者。

 

 クイーンは、銀河で戦うセーラー戦士であった少女たちに「普通の幸せ」を与えようとこの時代に転生させた。ひかりはエリオスからすでに聞いていた。

 恋に恋する少女だったみんなの普通の幸せとは──当たり前みたいに恋をして、愛する人と結ばれること。

 ぽつりとひかりは呟いた。

 

「みんなが今、フツーの女の子として幸せに生きていられるのなら、それでいいのよ。覚醒は始まったら止められない。お付きのあの子が私の前に現れたら、それは戦いの火蓋が切られたのと同じね」

「……それは、そうなんだけどお~~!! 俺が心配してるのはそこじゃない!」

 

 星野は頭を掻きむしって吠えた。きょとんとひかりが首をかしげる。

 

「そこじゃないの?」

「とりあえず復唱! 男はオオカミ!」

「……おとこはおおかみ」

「誰彼構わず優しくしない!」

「だれかれかまわずやさしくしない」

「告白を断るときは真摯に!」

「しんしに……」

「女子の噂話を味方につける!」

「待って本当になにを心配してるの?」

「お前がタチの悪い男に絡まれるか、引っかかるかすること! あーもう! 響いてないみたいだから進悟に言い含めてくる!」

「えー?」

 

 星野は呆気に取られているひかりを残して、風のように駆けていった。

 

 

 それから半年の期間を使い、丹羽家の引越し計画はゆっくり推し進められていった。

 桂子が学校に説明をしたのは冬休みに入ってから。教員から情報通の母親の耳に入り、同じ中学校に行けないことを悟った同学年女の子たちは阿鼻叫喚になった。

 

 素直な男の子たちは「星野がいなかったらつまんねーよ!」「大気くんともう一緒に勉強できないなんて……!」「夜天くんともう猫スポットに行けない!?」と衝撃を受け、一部のひねくれた男の子たちはライバルがいなくなることに安心しつつ、自分の性根に嫌悪を抱いた。

 送別会を開くことが決まるのは当たり前で、クラスの女の子は意気消沈しながら「絶対いい思い出を作る!!」と闘志を燃やした。

 

 六年生の大告白ラッシュ到来である。バレンタインは校舎が凄まじい気迫で満たされた。そしてみんな、次々と恋を散らせていった……。

 

 ちなみにひかりは、「なんか今日は暑いな」と思いながらかわいい友チョコを交換し、放課後遊びに来た三人と弟にはくるみ入りブラウニーを振る舞ったのだった。

 

 

 さて、卒業式はすでに終わり、今日は丹羽家が東京を出る日だ。

 桂子は何度も月野夫妻に礼を言い、二人は「なにかあったら連絡してほしい。力になる」と約束した。桂子は瞳を潤ませた。

 大気はよくできた弟として姉に付き添い、夜天は借りてきた猫のようになりながらただ黙ってひかりの近くにいた。

 そして星野は、進悟の肩を両手でつかんで切々と訴えていた。

 

「進悟、お前を男と見込んで頼むぞ。ひかりのことは任せたからな……!」

「もちろんだよ星野兄ちゃん! 姉ちゃんが誰かに絡まれたらすぐ撃退法を実践するから! 困ったときも連絡する!」

「よーし! ひかりもいい弟を持ったぜ、まったく! お前はしっかり者のいいやつだ!」

「へへへ」

 

 ぐしゃぐしゃと頭を撫でると、進悟は嬉しそうにはにかんだ。

 小生意気なところがありながらも、愛嬌があって素直なところは姉譲りなのだろう。星野は一年足らずで離れることになった、この小さな男の子のことも気に入っていた。

 

 ひかりの本格的な覚醒が近いことに勘づいてはいたが、子どもの一年はとにかく長い。近くでこの子が目を光らせているうちは、ひかりにベタベタくっつく男はそうそう現れないだろう。星野は確信していた。

 そして四人はタクシーに乗り込み、空港へ出発した。

 ひかりは笑顔で彼らを送り出した。「落ち着いたら手紙をちょうだいね」と、一つだけ注文をつけて。

 

 

 さて、ひかりは近所の麻布十番中学校に入学し、相変わらず楽しく学生生活を送っている。

 東京生まれ東京育ち、23区内の戸建て住み、母の育子は専業主婦。ここからわかる通り、月野家は裕福な中流家庭だ。

 

 本人たちにやる気さえあれば習い事とその送り迎えはすぐにできる手筈だったが、姉弟は落ち着きと天真爛漫さを併せ持ち、とにかく友達と学校が好きだった。

 サードプレイスが必要ないくらいの元気っぷり。それは幼なじみの三人がいなくなってからも変わらず、相変わらずひかりと進悟は塾も習い事もしていない。

 

 しかし、父の仕事の付き合いや、母の学生時代の友人からの誘いで、観劇やコンサート、発表会を見に行くことは多々あった。

 春休みに、ひかりは母と一緒にバイオリンのコンクールを見に行った。

 そこで海王みちると出会ったのだ。

 

 

 みちるはさらりと一位をかっさらっていったが、ひかりは彼女の顔を一目見たときからみちると話がしたくて堪らなかった。出待ちなんて無謀な真似をしてしまうくらいに。

 

 結果の発表が終わると同時に母に表向きの理由を話し、ひかりは小さなハンドバッグだけを持ってできる限りの早歩きでホールを出た。会場を出てからは走り出し、出入口付近のベンチを陣取って文庫本片手にひたすら待ったのだ。

 

(ネプチューンは……もう覚醒している。彼女はすでに、自分の使命を知っている)

 

 音色を聞いたとき、ひかりはひとつのビジョンを見た。

 崩壊していく世界。この世を救うメシア。そしてセーラー戦士……。

 

 鮮烈なまでの星の輝きはひかりの持つ銀水晶と共鳴して響き合い、ひかりはただ呆然と音に酔いしれていた。

 

 誰かが出てくるたびに顔を上げ、みちるでないとわかったらすぐに視線を落とす。

 コンクールはコンサートと違って楽屋で挨拶なんてことはないし、花束を渡すこともない。出遅れたわけでないのなら、待っていればいつかはみちるが現れるはずだった。

 みちるが、ひかりの持つ星の輝きに気づいていたなら、なおさら。

 

 誰かがひかりの前で立ち止まる。ひかりは、ゆっくりと顔を上げた。

 みちるが不安そうに瞳を揺らして、立っていた。

 

「ごきげんよう、プリンセス。私とお茶でもどうかしら」

「あの海王みちるさんにそう呼ばれるなんて、光栄ね」

 

 ひかりの言葉にみちるは泣きそうに笑う。

 彼女が差し出した手を、ひかりは優しく握った。

 そっと顔を近づけて耳打ちする。

 

「会えて嬉しいわ、ネプチューン」

「……今のお名前は、なんていうの?」

「ひかりよ。月野ひかり」

「ふふ……なんてあなたらしいのかしら」

 

 そしてみちるは、感極まったままひかりを抱擁したのだった。

 

 

 みちるはひかりの母に連絡を入れると、すぐさまひかりを個室がある高級カフェに引っ張っていった。

 移動は当然車だ。彼女はバイオリニストとして活躍すると同時に、すでに画家としても脚光を浴びている。パトロンは掃いて捨てるほどいた。

 

 むしろ、才能が輝くほど──そして前世、現世の使命を思い出したことをきっかけに一足飛びに成熟してしまったことから、両親とは疎遠になってしまったと言う。

 

 二人がけのソファに並んで紅茶を飲んでいるときに打ち明けられたことだった。ひかりは堪らなくなって、みちるの手に自分のそれを重ねた。

 物憂げに伏せていた目を和らげ、みちるは頬を薔薇色に染めて微笑んだ。

 

「本当に、会えて嬉しいわ……シルバーミレニアムが滅んでいくのを見ていることしかできなかったのは、苦しかった……」

「ごめんね、外からは三人で守っていてくれたのに……」

「いいのよ。こうしてまた会えたんだもの。それに、地球が闇に侵されて反旗を翻すなんて、誰も考えられなかったわ。クイーンでさえも」

 

 ひかりは深く頷いた。

 エリオスとの会話から、ひかりが戦士として覚醒したときに戦う相手には目星がついていた。あのとき、月の王国を滅ぼした地球国民──を扇動していた首魁だ。

 

 そしてみちるの使命は別にある。彼女の孤独な戦いはすでに始まっている。

 外部太陽系の四戦士は、常に孤独で、そして彼女たちは気高かった。

 

 ひかりはほわりと微笑みかけた。

 

「ねえ、みちるちゃんって呼んでもいい?」

「えっ?」

「私たちはセレニティとネプチューンでもあるけれど、月野ひかりと海王みちるでもあるでしょう。それに、あの頃は会いにすらいけなかったんだもの。今度こそお友達になりたいわ」

 

 頬を赤らめたひかりに「ダメ?」と上目遣いで見られたみちるは、即座にうなずいた。

 考えるより先に体が動いた。

 プリンセスがかわいすぎた。頭からぺろりといきたいくらいかわいかった。

 そんな衝動はおくびにも出さず、みちるは上品に微笑む。

 

「じゃあ、私はひかりって呼ぶわね」

「うん!」

「そうだ、あなたって今何歳なの? 学校はどこ?」

「えっとね……」

 

 それから二人は、年頃の少女らしく、長いおしゃべりを始めた。

 

 

 何杯目かの紅茶をカップに注いでから、ひかりはひとつの疑問を投げかけた。

 

「そういえばウラヌスとはまだ会っていないの?」

「目星はついているのよ。無事に覚醒したら会わせるわね」

 

 みちるは眉を下げ、「でも、本当はあの人じゃなければいいのにって、ずっと思っているわ」と呟く。

 

 覚醒は不可逆だ。みちるが目覚めたのはいつだろう? 一年前? 二年前? それでもきっと、ひかりよりは遅かったに違いない。

 

 みちるの中には戦士としての使命に殉じる心と、思春期の少女としての未来を夢見る心の二つがある。そして、その二つが危うい均衡でせめぎ合っているのをひかりは見抜いていた。

 

 だからこそひかりは、いっそ冷徹なまでに、運命が二人を結びつけることを確信している。

 

(……ってことは、ウラヌスが目覚めたらキンモク星の件でおにーさまと一緒に怒られるしかないんだな……)

 

「ひかり? どうしたの?」

「なんでもないわ、みちるちゃん。みちるちゃんの好きな人に会うの、楽しみにしてるね」

 

 みちるは口に手を当ててぱちくりと瞬いたあと、花が綻ぶように笑った。

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