ある日曜日。
ひかりはおめかし用の華やかなひざ丈ワンピースとレース付き靴下を身にまとい、リビングでそわそわとしていた。
みちるから、あの人から承諾がとれた、という連絡があった。それで三人のスケジュールを合わせて、今日がその日だった。
(変なところ、ないよね? 大丈夫だよね?)
念入りに洗顔とブローをして、さらに「まだ早いんじゃない?」という母親の意見を突っぱねて薄くファンデーションとリップ、チークを塗った姿は、どこからどう見ても恋する乙女。そう見られているのを知らないのはひかり本人だけだ。
家の男性陣は戦慄とショックで震え、母は彼らに発破をかけた。「今からそんなのでどうするの! いつかひかりだってお嫁に行くかお婿を迎えるのよ!」と鋭く言われ、父は寝込んだ。
相手を見極めねば……と己を奮い立たせている進悟の方がタフだ。娘とは常に父親の泣き所なのである。
そんなことはつゆ知らず、キンコンと呼び鈴が鳴ったのを聞いたひかりはすぐにインターホンに向かった。そして待ち人が来たことを知ると、とても嬉しそうに外に飛び出していく。
ドアを開けた先で、長身の美青年を傍らに、みちるが輝く笑顔で待っていた。
「みちるちゃん!」
「ひかり! 会いたかったわ」
二人は熱い抱擁を交わした。それを覗き見ていた進悟はめまいがした。
女の子同士はスキンシップが激しい。でも、もう幼稚園生や低学年ではないのだから、外で手を繋いだり抱き合ったりはしない。せいぜい感極まったときのハグだ。
そしてひかりは、今までそんな風に誰かと触れ合ってこなかったことを、弟はしっかり知っていた。幼なじみの星野たちとだって手を繋いでいたのは小学校に入学したばかりの頃までなのだから。
しかし次の瞬間、進悟をさらなる衝撃が襲った。
「こんにちは、プリンセス」
そう言ってキザに笑った青年は、ひかりの手を取るとその手の甲に口付けを落としたのだ!
「今日は不肖この僕にエスコートをさせてほしい。いいかな?」
「喜んで」
色っぽい流し目で見上げられているのに、姉はくすくす笑うだけで顔色一つ変えていない。進悟は震えた。
(姉ちゃん、鈍感越えて心臓が強すぎる……!)
そして彼ら二人に見つかる前にそそくさと家の中に引っ込み──進悟は即座に兄貴分に電話した。
『どうしよう星野兄ちゃん、姉ちゃんが年上の美男子と美女に言い寄られてる……』
異郷の地で、星野は椅子から転げ落ちた。
青年は天王はるかと名乗った。中性的な美貌を持っているが、骨格はしっかり男性である。
しかしひかりは特に気負うことなく、みちるとはるかに挟まれて(みちるには腕を絡められて)うきうきと出かけた。
「みちるちゃん、はるかさんを紹介してくれてありがとう」
「ふふふ、よくってよ。はるかだってあなたの話をしたらすぐに会いたがったんだから」
「やめろよ、カッコつかないだろ」
「そう? あたしは関心を持ってもらえて嬉しいわ。みちるちゃんの大事な人に会うのは楽しみだったし」
「あら、ひかりだって私の大事な人よ」
「うん、ありがと。嬉しい」
みちるが拗ねたように唇を尖らせてひかりの腕をよりいっそう抱き込むのを見て、はるかは内心驚いていた。
ビジョンと前世のこと、使命のことから逃げないと覚悟を決めたはるかだったが、いざ前世で守れなかったプリンセスを前にするとなると、緊張だってする。
それに彼女が前世のことは思い出していても力が完全に覚醒しているわけではないという、ある意味半端な状態なのも引っかかっていた。
彼女は……はるかたちの使命と覚悟を聞いて、どう思うだろうか。そして、普通の中学二年生でもある自分たちに、なにを感じるだろうか。
はるかがひかりに会いたいと思ったのは、決して前向きな理由とは言えない。このプリンセスを守りたいと思えるか──それを見定めるためだった。
前世の記憶によれば、「プリンセス・セレニティ」は穏やかで思慮深く、とても優しい人だった。月の王国の滅亡の一端を彼女が担っているとは思えないほどに。
しかし、優しいならば……はるかたちの使命を知ったとき、彼女は自分たちを拒絶するかもしれない。そうなったとき、みちるを守れるのは自分だけだと、はるかは考えていた。
今日の行き先はプラネタリウム。二人きりなら間違いなくデートなのだが、三人だとどうだろう。
移動の傍ら、はるかは戯れのようにひかりにちょっかいを掛けたが、すべて暖簾に腕押しだった。はるかにはひかりが男慣れしているようには見えなかったが、実際ひかりは「からかい」をいなすことはめっぽう得意だった。
父親から大事にされてきたこともあって、レディ扱いされることへの躊躇いもない。
すっかり調子が狂っているはるかを見て、みちるはくすくす笑っていた。
上映の際もひかりが真ん中になって三人はシートに座った。はるかが盗み見た、星々の動きを見つめるひかりの視線は、どこまでも静謐だった。
「いい上映だったね。あたし、ギリシャ神話って好き」
「そうなの?」
「生々しいと思うけど……」
「そこがいいの。天地を作った神様が身近に感じられるところ」
そんな話をしていたとき、バッグを開いたみちるが顔を上げた。
「あら。落し物をしてしまったみたいだわ。少し二人で待っていてくれる?」
みちるははるかに「あそこのソファなら人通りも少ないわよ」と耳打ちして、おまけにウインクまでして去っていった。
思わず苦笑する。願ってもない機会だったが、今二人にするのは勘弁してくれとはるかは思った。
呼び止めようとして空を切った手が物悲しい。
とはいえ、エスコートをすると言った手前、ひかりの傍から離れるのははるかの美学に反する。
はるかはひかりを連れてソファに向かい、少し隙間を開けて腰掛けた。
少しの沈黙が広がったあと、ひかりは潜めた声でこう言った。
「みちるちゃんは、あなたが覚醒したら連れてくるって言っていたわ」
「……ああ。僕がセーラーウラヌスだ」
「そう。みちるちゃんと会ったときも驚いたけれど、あなたも外見や声はちっとも変わっていないわね。クイーンのお力かしら」
「そうだろうね。……僕たちの姿を知っていたの?」
「お話させてもらえなかっただけで、絵姿や映像は見せてもらえたの。プルートとサターンも、顔は知っているわ」
「そうか……」
また、沈黙が落ちる。
はるかはいつもの調子が出ない。ひかりは動揺しないし、慌てたり照れたりもしない。
相手の調子を崩して主導権を握ってから踏み込むはるかのやり方に対し、ひかりはあまりに難攻不落だった。
せっかくみちるが二人きりにしていっても、はるかの性格だと柔らかく踏み込むということができない。
さて、どうしたものか。そう考えていたとき、ひかりははるかを見ないままに口を開いた。
「こんなタイトルの小説があったわ。『月は無慈悲な夜の女王』。──あなたはどう思う?」
思わずはるかはひかりの方を見た。それに合わせて、ひかりもはるかを見る。
「内容を踏まえると大きく話が変わってくるけど……君が指しているのは、タイトルだけだ」
「ええ。だって、あの小説で支配を受け、革命を起こすのは月だもの」
青い瞳が、じっとはるかを見つめていた。
かつて暴動を起こしたゴールデン・キングダムの民からしたら、月は無慈悲な監視者だったのだろう。
そして、今はるかを観察しているひかりも。
意識して深く息を吸い、はるかは挑戦的な目つきでひかりを見た。
「君みたいだって言ったら、気を悪くするかい?」
ふふふ、とひかりは笑った。
「いいえ? あたしにもそういう側面はあるもの」
揺らがない。怒りもしない。
はるかは嘆息した。降参だった。
彼女はすでに、王への道を歩み始めている。
「君は、全然甘ちゃんじゃなかったな。試して悪かった、ごめん」
「気にしないで。だって、あたしたち、あの頃は語り合えもしなかった。その上、使命の方向性も違うわ。あなたたちは外敵の排除。あたしは守りと、悪意の浄化。月は牙を剥けないの。イメージが先行するのは当然よ」
「それならどうして……月は滅んだんだ?」
月は無敵の存在だった。遠く離れた自分たちの要塞で、はるかの前世はひとりその滅亡を見つめることしかできなかった。──静寂の鎌が振り下ろされる、その瞬間までは。
ひかりは憂いを滲ませて目を伏せた。
「きっかけは些細なことだったわ」
外交の際に、地球の王子とその婚約者がシルバー・ミレニアムに来たのだとひかりは言葉を続ける。
確かにあたしたち、惹かれあったと思う。共感があったと思う。でも、なにもなかった。なにもなかったのよ。
それでも、あたしたちが思いあっていると勘違いして、嫉妬した娘によって──その心の闇につけ込んだ邪悪によって、あたしの星は滅びたの。
そう、淡々と語るひかりの表情に悲哀は見つけられない。
そして、はるかにまっすぐ向けられた視線は、銃口をつきつけるように、はるかの心を覗き込んでいる。
「セーラー戦士は万能のヒーローじゃない。すべてを守ることはできない。多くを守るために、少数を切り捨てることだってある。銀水晶はあらゆる生命を癒すけれど──その癒しも結果論に過ぎないわ。クイーンは地球の人々を滅ぼせなかったから、あたしたちは斃れ、そして生まれ変わった。そしてまだ戦いは続いている。……もうじき、あたしは完全に覚醒するでしょう。あたしにも使命が授けられる」
憂いを帯びながらも、凛と気高いそのかんばせ。
はるかは──ウラヌスは、跪いてしまいたかった。
確かに彼女は守られるべきプリンセスで、守られた経験から周囲を守るために強くなるのだろう。けれども、今の彼女は女王の雛だった。
力よりも先に目覚めた記憶が、孤独と共にそれと向き合った時間が、彼女を鍛え上げたのだと理解した。彼女の手にかかれば、月光は鋭い刃へと変わるのではないか、とはるかはその強さに打ち震えた。
ウラヌスとしての忠誠と、今すっかり魅せられてしまったはるかの心が混ざり合う。
そして彼女の手をとって、もう一度甲にキスをしようとしたとき、見計らったようにみちるが戻ってきた。
女王然とした雰囲気が霧散し、ひかりはみちるの名前を呼んで笑いかける。はるかはパッとひかりの手を離した。
それから立ち上がり、ひかりに向かってニコッと笑った。戦士からただのはるかに戻った瞬間だった。
「そうだ、ひかりちゃん、僕のことははるかって呼んで」
「呼び捨て?」
「そう、呼び捨て。敬称ひとつで男だとか女だとか決まるのはおかしいだろ? ……それとも、僕がどちらなのか気になる?」
「全然。だってはるかさんははるかさんよ。世間の評価がどうだってね」
「ふふ、『さん』付け」
あ、となってからひかりが「はるか」と呼びかけると、はるかはとろけるように笑う。
まあ、なんて美しいの。ひかりの胸に湧き起こった感情はそれだけだった。
しかし一方で、頬を膨らませた少女がひとり。
みちるは後ろからひかりの両肩をつかんで、はるかから引き離した。
「もう、はるかったら。ひかりにまで手を出すつもり?」
「そんなつもりはないよ!」
はるかは慌てて弁明したが、みちるはそっぽを向いてふんと鼻を鳴らす。
「当然よ。私の目が黒いうちは、はるかにだってひかりはあげないんだから」
「あらあら。みちるちゃんたら、あたしたち両方にやきもち妬いちゃったの?」
みちるはきょとんとして腕の中の少女を見た。「だいじょーぶよ、あたし、恋愛はまだてんでわからないもの」と、彼女は笑う。
年相応の笑みを浮かべる彼女がかわいくてかわいくて、みちるは思わずぎゅうっと抱きしめた。「わあ」と声が上がったが、ひかりは大人しくされるがままでいた。みちるを信じている証拠だと、はるかは思った。
(……みちるの方が手を出しかねないんじゃないか?)
はるかは内心苦笑した。
けれども、はるかより先にセーラー戦士として覚醒していて、友達の一人も作らなくなっていたみちるが、ひかりに対しては親密な友達として甘えられている。それはとてもいいことだと、はるかは感じていた。
「このあとはどうするの?」
「アフタヌーンティーに行きましょう。軽食とスイーツを楽しむの」
「当然個室さ。みちるは有名人だからね」
「それに、私たちの奢りよ。今日付き合ってくれたお礼」
「……もう、全然隙がないんだから」
「ふふふっ。さ、行きましょ」
少しむくれてから、「うんっ」と笑ったひかりは、愛されて育ったのがよくわかる、ただの十二歳の女の子だった。
その日の夜。
鬼電したい気持ちを抑えて一日を過ごし、星野は帰宅したひかりから話を聞いていた。
『ええ? 進悟ったらそんな風に言ったの』
「そりゃお前……年上の美男美女が家にまで迎えに来たらそうなるだろ……進悟はそいつらのことを知らなかったんだから。ウラヌスはセーラー戦士でも、出生届は男で出てるってお前が言ったんだぜ」
『それもそうね。とりあえず、進悟にはみちるちゃんとはるかが付き合ってるって説明しておくわ』
「はあ……。部外者の俺が言うことじゃないけど、守護戦士だからってあんまり甘えすぎるなよ」
『どうして?』
「守護戦士からのプリンセスの想いは恋にそっくりだ。素直にそこまで発展させる戦士が少ないだけでな。線引きを間違えたらお前、頭からパクッととって食われるぜ」
『うーん……まあ、ないことはないか。そうね、覚えておくわ』
「そーしろ、そーしろ。お前が恋をしたいと思える日まで」
『うん。ありがとう、星野』
「どういたしまして。それじゃ、また電話する」
「…………」
「なんだよ夜天。なにか言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「……はあ。星野ってホント、損な性分だよね」
「はあ~? どういう意味だよっ!」
「わからないならいいんじゃない、それはそれで」
そう言って、夜天はふいっと顔を背けた。
星野は顔をしかめたが、そのうち考えるのをやめた。
星野たち三人が忠誠と愛を捧げる人は火球ただひとり。それは不動の真実なのだから。
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