サイバーパンク:ジャンク・アルケミー   作:たこ焼き 龍月

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第7.1話 修理代の代わりにミリテクが来ました

第7.1話 包囲の予兆

 

風が止むと、ガレージの中はひどく静かになる。

 

トタン屋根に反響していた砂の音が消え、代わりに義手の関節が軋む微かな音だけが響いていた。ニッカは作業台に向かい、可動部の潤滑を一つずつ確かめていた。長年繰り返してきた手順に、迷いはなかった。

 

メインたちの車列が尾根の向こうへ消えてから、五日が過ぎている。

 

あの夜のことを、ニッカは何度も思い返していた。震えの止まった右手。安堵に緩んだドリオの横顔。そして、キーウィが最後に残した忠告。旧トラウマ・チームの廃棄記録には、持ち出しの痕跡が残っているかもしれない。可能性の話だと、彼女自身がそう言っていた。それでも、その一言だけが、五日経った今もニッカの胸の底に小さく沈んだままだった。

 

「……考えすぎ、なんだろうけど」

 

誰にともなく呟いて、ニッカは工具を置いた。窓の外では、乾いた大地が朝の光にゆっくりと色を変えていく。いつもと変わらない景色のはずだった。それなのに、その静けさをそのまま信じきれない自分がいることに、彼女は気づかないふりを続けていた。理由のない胸騒ぎほど、扱いに困るものはなかった。

 

キーウィの言葉を聞いてから、ニッカは外周の警戒レベルを一段階引き上げていた。振動センサーの感度を調整し、光学迷彩アンテナの出力パターンを不規則に変える処理を追加した。誰かに見られている。その可能性を頭の隅に置いたまま生きることに、彼女はまだ慣れていなかった。

 

 

 

朝食代わりの乾燥保存食を鍋で戻す間、ニッカはぼんやりと制御盤の表示を眺めていた。太陽光パネルの蓄電量、外周の温度、振動センサーの反応。数値はどれも平常の範囲に収まっている。それを確かめるだけで、胸の奥のわだかまりが少しだけ軽くなる気がした。

 

ガレージの入り口に、小さな影が差した。水筒を抱えた少女が、いつものように立っている。

 

「ニッカ姉、今日の分」

 

「ありがとう。助かるよ」

 

差し出された水筒を受け取ると、少女はすぐには立ち去らず、その場でもじもじと足踏みをした。

 

「あのさ、この前来てた人たち。また来るのかな」

 

「さあ。分かんない」

 

「メインって人、すごく大きかったよね。ドリオって人も綺麗だった」

 

無邪気な問いかけに、ニッカは小さく肩をすくめただけだった。

 

「また来るといいのにね」

 

言い残し、少女はそれ以上は追及せず、駆け足で去っていった。その後ろ姿を見送りながら、ニッカはふと自分の変化に思い至った。以前なら、こんな会話一つでも億劫だったはずだ。誰かの名前を覚え、誰かの顔を思い出す。そういう些細な積み重ねを、彼女は長い間、意図して遠ざけてきた。

 

工具箱の中身を並べ直していると、棚の奥に置かれたバートの古いレンチが目に留まった。柄の感触は、もう何百回となく指先で確かめてきたものだった。誰かを助けるたび、この道具の重みが少しずつ違って感じられるようになっている。それが良いことなのか、悪いことなのか、ニッカにはまだ判断がつかなかった。

 

十四の頃、初めて対戦車兵器の残骸を分解した夜のことを、ニッカはふと思い出した。危険な配線に触れそうになるたび、バートは何も言わずに後ろから手を添えてくれた。叱るでもなく、褒めるでもない。ただ黙って隣に立ち、失敗の一つ一つを見届けてくれた。あの静かな信頼が、今の自分をここまで運んできたのだと、ニッカは今更のように思う。

 

誰かに頼られることも、誰かを頼ることも、彼女の生き方の外側にあるものだった。長い間、それは変わらなかった。バートを失ってからは、なおのことだった。それでも最近になって、その境界線が少しずつ滲み始めている。デイビッドの背中を直した夜も、メインの震えを止めた夜も、気づけば誰かの隣で手を動かしていた。一人で完結していたはずの日々に、他人の体温が入り込んでくる。その変化を、ニッカはまだうまく受け止めきれずにいた。

 

 

 

制御盤の前に座り、ニッカは通信帯域の走査を始めた。

 

キーウィの忠告を受けてから、日課に加えた新しい作業だった。ガレージ周辺を飛び交う電波を拾い上げ、見慣れないパターンが紛れ込んでいないかを確かめる。地味な作業だったが、放っておく気にはなれなかった。

 

走査を終えたところで、画面の端に見慣れない表示が浮かんだ。

 

暗号化された断片的な信号が、ごく短い間隔で一度だけ検出されている。ノイズにしては規則性が高く、単なる誤検知として片付けるには引っかかりが大きすぎた。ニッカは眉を寄せ、表示を拡大した。

 

「……何、これ」

 

呟きながら、彼女は信号の周波数帯を照合にかけた。前世の記憶に刻まれた技術体系が、頭の中で瞬時に候補を絞り込んでいく。民生用の帯域ではない。ノーマッドクランが使う簡易無線とも違う。候補はすぐに一つへ収束した。

 

軍用の暗号化プロトコル。

 

 

 

心臓が、静かに音を立て始めた。

 

ニッカは端末を操作し、過去の記録との照合を試みた。デイビッドの容体を追うために、彼女はサンデヴィスタンの稼働ログを密かに記録し続けている。あの粗末な冷却系がいつまた暴走してもおかしくないという不安が、その習慣を支えていた。照合が進むにつれ、画面に並ぶ波形が、先ほど検出した信号の断片と少しずつ重なり始めた。

 

同一の個体を示す固有識別パターン。

 

「……嘘、でしょ」

 

掠れた声が、静かな格納庫に落ちた。

 

デイビッドに施したバッファーは、暴走の予兆を確実に抑え込んでいた。だが、抑え込んだ分だけ、インプラント本来の出力効率が上がっている。皮肉だった。ニッカ自身が施した処置が、あの粗悪な発振ノイズを整え直し、規格化された信号として外部へ漏れ出させる結果を招いていた。壊れかけていたものを直しただけのつもりだった。その代償が、こんな形で返ってくるとは思いもしなかった。

 

軍用のインプラントには、追跡用の識別信号が組み込まれている場合がある。前世の記憶が、そのことを淡々と告げていた。盗難品であれば、なおのことだった。持ち主を失った装備を回収するため、メーカーは決して追跡を諦めない。それが、ミリテクという企業の在り方だった。

 

 

 

思い出すのは、十八の夏だった。

 

育ての親であるバートが、ナイトシティのフィクサーの持ち込んだ仕事に巻き込まれ、命を落としたあの日。ミリテクの輸送車を襲う手筈の護衛として駆り出され、まともな説明もされないまま巻き添えの銃撃に沈んだ。知らせを受けて現場に駆けつけた時、遺体の周りにはすでに人だかりができていた。土に横たわる背中は、記憶にあるよりずっと小さく見えた。あれほど大きく、頼りになるはずの背中が、なぜあんなにも縮んで見えたのか。答えの出ない問いだけが、あの日から胸の奥にずっと沈んだままだった。あの日から、ニッカは一つの誓いを胸に刻んで生きてきた。

 

――ナイトシティには、絶対に関わらない。

 

その誓いを、自分の手で緩めてしまった自覚は、ずっとあった。デイビッドの背中を直し、メインの震えを止めた。誰かの役に立てたことを、後悔してはいない。それでも、こうして目に見える形で代償を突きつけられると、胸の奥に鉛のような重さが沈んでいくのを感じずにはいられなかった。

 

ニッカは端末を握る手に力を込めた。信号の発信源を辿ると、方角はこのガレージから遠く離れた場所を示していた。だが、その距離は日を追うごとに縮まっている可能性があった。過去数日分のログを遡ると、同じ暗号パターンが低出力のまま、間欠的に検出され続けていたことが分かった。誰かが、この地域を絞り込みながら近づいてきている。

 

「……いつから」

 

呟くと、ニッカはログをさらに遡った。最初の検出は、メインたちがガレージを去った翌日だった。あの夜、施術中に測定器が甲高い警告音を鳴らした瞬間があったことを、彼女は思い出していた。インプラントの出力が一時的に跳ね上がった、あの瞬間。信号が最も強く漏れたのは、恐らくその時だった。

 

 

 

外周モニターの映像には、まだ何も映っていなかった。地平線は、いつも通り赤茶けた大地を静かに横たえている。なのに、画面越しのその静けさが、ニッカにはひどく不気味に感じられた。

 

無線機に手を伸ばし、彼女はクランの中央キャンプへ呼びかけた。

 

「聞こえる? そっちに何か、変わったことは」

 

返ってきたのは、いつも通りの雑音混じりの応答だった。

 

「特に何も。どうした、ニッカ」

 

「……ううん、何でもない」

 

歯切れの悪い返事を残し、ニッカは無線機を置いた。まだ確証はない。確証のないまま騒ぎ立てれば、クランの人間を無用に怯えさせるだけだ。だが、確証を待っている時間が、果たしてどれだけ残されているのか。彼女自身にも分からなかった。

 

 

 

同じ頃、外周を任されていた見張りの青年は、双眼鏡越しに空の一点を見つめていた。

 

「……鳥、じゃねえよな」

 

呟きながら、彼は目を細めた。地平線の高い位置に、小さな黒い点が二つ、風にも流されず静止している。羽ばたく気配もなく、ただ滑るように同じ高度を保ち続けていた。

 

無線で報告を上げようとしたが、雑音がひどく、応答は返ってこなかった。青年は舌打ちし、双眼鏡を握り直した。二つの点は、ゆっくりと、しかし確実に向きを変えている。まるで、誰かの意志を持って移動しているかのようだった。

 

「……あれ、ドローンか」

 

呟いた声が、乾いた風にかき消されていく。バッドランズを吹き荒れる砂嵐に、これほど正確に姿勢を保ち続ける鳥などいるはずがなかった。青年はバイクに跨り、ガレージの方角へエンジンを吹かした。何かがおかしい。理屈より先に、体がそう告げていた。

 

 

 

ガレージの奥で、ニッカは制御盤の表示を睨みつけていた。

 

外周の光学センサーが、ようやく高高度に浮かぶ二つの影を捉えていた。拡大された映像には、機体の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。市販のドローンとは明らかに違う、洗練された流線形の機体だった。

 

映像の一部に、かすかな刻印が見て取れた。ズームを最大まで絞り込み、ニッカはその文字列を確かめた。

 

ミリテクの社章。

 

 

 

指先から、力が抜けそうになった。

 

前世の記憶にある企業ロゴと、目の前の刻印が寸分違わず重なっていく。誤認の余地は、どこにもなかった。偵察用の高高度ドローンが、この荒野の上空に浮かんでいる。目的は、恐らく一つしかない。

 

ゲームの中では、ミリテクという名前はただの設定に過ぎなかった。攻略情報の一行に、企業の勢力図として記されていただけの存在だった。だが今、その名前は画面の向こうの知識ではない。頭上に実際に浮かぶ機体として、彼女の日常へ直接踏み込んできていた。皮肉なことに、廃品を組み合わせて誰かの命を繋いだ自分の腕こそが、この事態を招いた張本人だった。誰よりも上手くやったつもりの仕事が、誰よりも重い代償を連れてくる。前世でも今世でも、彼女はそういう巡り合わせから逃れられずにいるらしかった。

 

「……本当に、来た」

 

震える声で呟き、ニッカは外周モニターの解像度をさらに引き上げた。地平線の彼方、まだ肉眼では捉えられない距離に、かすかな砂塵の帯が立ち上り始めているのが見て取れた。これまで何度も目にしてきた土煙とは、質そのものが違っていた。エンジンの唸りも、荷台の軋みも聞こえない。ただ、規則正しく統率された何かが、静かに近づいてくる気配だけがあった。

 

 

 

ガレージの前庭に、バイクが砂埃を巻き上げて滑り込んできた。

 

見張りの青年が、息を切らせて駆け込んでくる。

 

「ニッカ姉! 空に、変な機械が浮かんでる!」

 

「見えてる。今、確認してるところ」

 

冷静に答えるニッカに、青年は戸惑ったように立ち止まった。

 

「あれ、何なんだ」

 

「……ミリテクの偵察ドローン」

 

短く告げた一言に、青年の顔から血の気が引いていくのが分かった。

 

「ミリテクって、あの……軍事企業の」

 

「そう。そのミリテク」

 

 

 

ニッカは制御盤の前に立ち、防衛システムの起動手順を一つずつ確認していった。太陽光パネルの余剰電力、迎撃タレットの弾薬残量、光学迷彩アンテナの出力波形。長年かけて磨き上げてきたその機構が、今この瞬間ほど頼りなく感じられたことはなかった。

 

これまで相手にしてきたのは、統率の緩い野盗やスカベンジャーだった。数の上では脅威でも、技術の差で圧倒できる相手ばかりだった。だが、ミリテクは違う。企業として組織立った回収部隊を送り込んでくるということは、相応の装備と人員を揃えてくるということだった。

 

「……あんたはすぐに中央キャンプへ戻って」

 

「え、でも」

 

「戻って、みんなを避難させて。ここに近づかせないで」

 

有無を言わさぬ口調に、青年は一瞬だけ躊躇いを見せた。

 

「あんたは、どうすんだよ」

 

「私は、ここに残る」

 

「一人でか?」

 

「他に、誰がいるの」

 

 

 

淡々とした返答に、青年は言葉を失った。ニッカの横顔には、恐怖よりも先に、覚悟に似た硬さが浮かんでいた。それを見て取った青年は、拳を強く握りしめた。

 

「……分かった。すぐ戻る」

 

「頼んだ」

 

短いやり取りの後、青年はバイクに飛び乗り、砂埃を上げて走り去っていった。土煙が完全に見えなくなってから、ニッカは深く息を吸い込んだ。

 

 

 

同じ頃、ナイトシティへ戻る道を走っていたトラックの後部座席で、ルーシーは端末の画面に映るノイズにふと眉を寄せた。

 

暗号化された通信の断片が、荒野の一帯から漏れ出している。傍受するつもりで拾ったものではなかった。ただ、周辺の電波状況を何気なく確認していただけだった。それでも、その断片に含まれる暗号方式の癖には、覚えがあった。

 

「……ミリテクの、実働部隊用プロトコル」

 

呟いた声に、隣に座るキーウィが片方の眉を上げた。

 

「確かか」

 

「暗号の癖までは誤魔化せない。少なくとも、民間の通信じゃない」

 

端末を操作しながら、ルーシーは信号の発信源を絞り込もうとした。だが、荒野を走る車内からでは、正確な位置までは辿れなかった。分かるのは、その通信がガレージのある方角から漏れているらしいということだけだった。

 

「……あの方角って」

 

呟きかけたルーシーの声に、運転席のファルコが反応した。

 

「まさか、な」

 

「引き返すか」

 

キーウィが短く問うと、ファルコはハンドルを握る手に力を込めた。荷台では、レベッカが身を乗り出して会話に耳を傾けている。

 

「おい、何の話だよ。ニッカに何かあったのか」

 

「まだ分からない。確証はない」

 

ルーシーが慎重に答えると、レベッカは苛立たしげに荷台の縁を叩いた。

 

「確証がなくても、嫌な予感がするんなら確かめりゃいいだろうが」

 

助手席で腕を組んでいたメインが、そこで初めて口を開いた。

 

「……戻るぞ。念のためだ」

 

短い一言に、ドリオが横目で彼を見た。

 

「あんた、まだ本調子じゃないでしょう」

 

「本調子じゃなくても、判断はできる」

 

言い切ったメインの声には、いつもの豪快さとは違う硬さが滲んでいた。ファルコは無言のままハンドルを大きく切り、車両を反転させた。荒れた道の上で、三台の車列がゆっくりと向きを変えていく。誰も、まだそれが手遅れになるかもしれないとは考えていなかった。

 

 

 

半日ほど離れた中央キャンプに、青年が辿り着いたのは、太陽がすでに高く昇った頃だった。

 

エンジンを止める間も惜しんで、彼はテントの間を駆け抜けた。息を切らせて報告を上げる青年の様子に、クランの年長者たちはただならぬものを感じ取った。

 

「ミリテクの回収部隊が、ニッカ姉のガレージに向かってる」

 

短い報告に、テントの中がざわめいた。長年この荒野を渡り歩いてきた者たちにとって、ミリテクという名前の重みは骨身に染みていた。企業の実働部隊が動く時、そこに交渉の余地はほとんど残されていない。

 

「……確かなのか、それは」

 

低く問うた年長の男に、青年は強く頷いた。

 

「空に、見たこともない機械が浮かんでた。ニッカ姉が、はっきりそう言ったんだ」

 

その一言で、テントの空気が一段と張り詰めた。年長者たちは短く言葉を交わし、すぐに周辺のテントへ避難の指示を出し始めた。荒野で生きる者たちの動きに、無駄はなかった。荷物をまとめ、子供たちを車両へ乗せ、水と燃料の残量を確かめる。誰も声を荒げなかったが、その表情には隠しきれない緊張が浮かんでいた。

 

「ニッカの奴は、どうするつもりだ」

 

「一人で残るって、言ってた」

 

青年の答えに、年長の男は険しい顔で押し黙った。助けに向かいたい気持ちと、クラン全体を危険に晒せないという判断が、彼の中でせめぎ合っているのが見て取れた。結局、彼は拳を握りしめたまま、それ以上何も言わなかった。荒野で生き延びるための鉄則を、彼もまた長年かけて叩き込まれてきた者だった。

 

 

 

一人になった格納庫の中で、ニッカは外周モニターに映る砂塵の帯をじっと見つめ続けていた。

 

地平線の彼方から迫ってくるその影は、これまで目にしてきたどんな来訪者とも違っていた。乱れのない隊列。等間隔に並ぶ車列。荒野の悪路をものともせず、一定の速度を保ち続けるその走り方には、無駄というものが一切なかった。

 

前世の記憶が、その光景に一つの答えを与えていた。ミリテクの重装回収部隊。軍用インプラントの奪還を専門とする、企業直属の実働部隊。彼らが動く時、対象の回収を妨げるものは、たとえ荒野の廃車置き場であろうと容赦なく排除される。

 

ニッカは制御盤に手を置いたまま、しばらく動けずにいた。

 

十八の夏に立てた誓いが、頭の奥で鈍く響いていた。ナイトシティには、関わらない。誰にも深く踏み込ませない。あの誓いを守るために、彼女はこのガレージで静かに生き続けてきたはずだった。それなのに、今この瞬間、ナイトシティの側からこちらへ踏み込んでこようとしている。

 

「……冗談、じゃない」

 

呟いて、ニッカは奥歯を噛みしめた。恐怖に飲まれている暇はない。まずは状況を把握し、次に守るべきものを見極める。バートに教わった手順を、頭の中で一つずつ思い返していく。焦って動けば、それだけ見落としが増える。これまで積み重ねてきた作業の一つ一つが、そう教えてくれていた。

 

 

 

外周カメラの映像に、ようやく車両の輪郭がはっきりと映り込み始めた。

 

装甲を纏った重量級の車体が、四台。その周囲を、先ほど見た高高度ドローンとは別種の、より小型の偵察機が旋回している。荷台に人影は見えなかった。代わりに、車体の側面には統一された規格のハッチが並んでいた。内部に何が積まれているのか、外からは窺い知れなかった。

 

塗装の色合いすら、統一されていた。荒野の砂埃を纏っても崩れない、無機質な灰色の装甲板。ノーマッドの車両にありがちな、継ぎ接ぎの跡や手作業の歪みは、どこにも見当たらなかった。量産された部品を寸分違わず組み上げた、その均質さそのものが、ニッカにはかえって不気味に映った。誰の手の跡も残さない工業製品には、彼女が長年慣れ親しんできたガラクタ特有の温もりが一切なかった。

 

車列の先頭が、いつもクランの人間しか使わない道の分岐を、迷う素振りも見せずに選び取っていく。誤差のない進路取りが、ニッカの背筋に冷たいものを走らせた。

 

「……正確すぎる」

 

信号を辿って来ているのだとすれば、道の正確さにも説明はつく。けれど、頭で理解することと目の前の現実を受け入れることの間には、埋めがたい隔たりがあった。

 

 

 

制御盤の表示灯が、緑から橙へ、そして戦闘準備を示す色へと移り変わっていく。

 

ニッカは迎撃タレットの照準モードへ手を伸ばしかけ、そこで一度、動きを止めた。

 

これまで相手にしてきたのは、粗末な装備しか持たない野盗や、統率を欠いた集団ばかりだった。今、地平線の向こうから近づいてくるのは、それとは根本的に格の違う敵だった。廃品を組み合わせて作り上げた迎撃タレット一つで、どこまで持ちこたえられるのか、ニッカ自身にも見当がつかなかった。

 

それでも、退く場所はどこにもなかった。

 

「……絶対に、渡さない」

 

誰に向けたものでもない呟きが、静かな格納庫に落ちて消えた。バートが遺してくれたこの場所を、そしてここに集うクランの人々の暮らしを、ニッカは易々と踏みにじられるつもりはなかった。

 

 

 

エンジン音は、まだ届いていない。

 

代わりに、規則正しい振動だけが、地面を通してかすかに伝わってきていた。土煙の帯は、もう肉眼でもはっきりと確認できるほどの距離まで迫っている。四台の装甲車両が、隊列を崩さないまま、確実にガレージへと近づいていた。

 

外周モニターの端に、新たな表示が浮かんだ。周辺一帯の通信帯域が、何者かによって意図的に遮断され始めている。クランの中央キャンプへ繋がる無線も、間もなく完全に沈黙するだろう。孤立は、時間の問題だった。

 

「……つながって」

 

祈るような呟きとともに、ニッカは無線機を握り直した。だが、返ってくるのはノイズだけだった。何度呼びかけても、応答は戻ってこなかった。

 

 

 

装甲車両の隊列が、ガレージを囲むように展開を始めた。

 

一台、また一台と、等間隔を保ちながら停止していく。荷台のハッチが、油圧の低い唸りを上げて開いていった。中から現れたのは、統一規格の重装備を纏った実働部隊だった。彼らの動きに、迷いや躊躇いは一切見られなかった。

 

上空では、先ほどの偵察ドローンが旋回を続けながら、ガレージ全体を見下ろすように高度を保っている。逃げ場を確かめるための、冷徹な監視の目だった。

 

格納庫の奥で、ニッカは息を殺したまま、その光景を見つめ続けていた。

 

外周スピーカーから、機械合成された声が響き渡ったのは、その直後だった。

 

「――回収対象の所在を確認。当該区画の管理者は、直ちに施設を明け渡し、指示に従うこと」

 

抑揚のない声が、乾いた大地に平坦に反響していく。ニッカは唇を固く結んだまま、その声が消えていくのをじっと聞いていた。

 

感情の欠片も感じられないその声色に、ニッカは奇妙な既視感を覚えた。前世の記憶にある、企業というものの在り方そのものだった。対象を人としてではなく、回収すべき資産の一部としてしか扱わない。その徹底した無機質さが、荒くれた野盗の脅しよりもずっと冷たく、ずっと恐ろしいものに感じられた。

 

深く息を吸い込み、ニッカは自分の拡声器のスイッチへ手を伸ばした。廃品のスピーカーを寄せ集めて作った、粗末な外部拡声器だった。それでも、声を届ける手段はこれしか持ち合わせていなかった。

 

「……ここは、私有地」

 

震えを押し殺しながら、ニッカはそれだけを絞り出した。

 

「回収対象とやらが誰を指してるのか知らないけど、渡す物なんて何もない」

 

外周スピーカーからの応答は、しばらく返ってこなかった。装甲車両の隊列は、微動だにせずその場に留まり続けている。やがて、同じ機械合成の声が再び響いた。

 

「――当該インプラントの起動信号を、当該区画にて複数回検出。管理者による関与が強く推定される。速やかな協力を要求する」

 

抑揚のない一言一言が、ニッカの喉元へ刃を突きつけるように響いた。関与の有無を問うているのではない。すでに答えを決めた上で、形式的な最後通牒を突きつけているだけだった。企業という組織の非情さを、ニッカは前世の記憶だけでなく今この瞬間、肌で思い知らされていた。

 

 

 

展開を終えた実働部隊が、統一された動きでガレージへ向けて前進を始めた。銃口は、まだこちらへ向けられていない。だが、いつでも向けられる構えのまま、彼らは一歩ずつ距離を詰めてきていた。

 

その足並みには、迷いというものが微塵も感じられなかった。命令された任務をただ淡々とこなす。それだけの機械的な確かさが、荒くれた野盗の脅しよりもずっと不気味だった。数の上では、決して圧倒的な人数ではない。それでも、統率された動きの一つ一つが、ニッカにこれまでとは違う種類の恐怖を突きつけていた。

 

制御盤の前で、ニッカは迎撃タレットの照準レバーに指をかけたまま、動けずにいた。ここで手を出せば、後戻りのできない衝突が始まる。手を出さなければ、ガレージもクランの人々の暮らしも、根こそぎ奪われるかもしれない。どちらを選んでも、犠牲になるものがある気がした。

 

「……バート」

 

誰の耳にも届かない声で、ニッカは呟いた。答えなど返ってくるはずもなかった。それでも、この土地を守り抜くと誓ったあの日の自分の声だけが、今も胸の奥で鈍く響き続けていた。

 

窓の外では、四台の装甲車両が完全にガレージを取り囲み終えていた。逃げ場は、もうどこにもなかった。

 

太陽はすでに中天へ近づき、荒野の大地に容赦なく照りつけている。陽炎の向こうで、統一された装備を纏った人影が、じりじりとガレージへの距離を詰めていた。乾いた風だけが、その静かな包囲の輪を吹き抜けていく。誰も声を荒げず、誰も慌てなかった。ただ淡々と手順を踏んでいくその様子が、かえってニッカの背筋を凍らせた。バートの遺したこの土地に、これほど整然とした脅威が押し寄せてくる日が来るとは、彼女は一度も想像したことがなかった。

 

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