サイバーパンク:ジャンク・アルケミー   作:たこ焼き 龍月

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第7.5-3話 興味津々の来客

 

 

音を御しやすくするという宿題は、思っていたよりも手強かった。

 

最初に試したのは、廃品置き場から拾ってきた古い魔法瓶の内筒だった。二重構造の真空層が、うまく音の反射を殺してくれるのではないか。前世のうろ覚えの知識を頼りに組み込んでみたものの、エンジンをかけた瞬間、内筒の継ぎ目があっさりと歪み、甲高い金属の悲鳴じみた音が排気口から漏れ出した。

 

「……うわ、これは違う」

 

慌ててエンジンを止め、ニッカは顔をしかめながら魔法瓶の成れの果てを引っこ抜いた。真空層は熱にはまるで強くない。冷静に考えれば分かりきったことだったが、藁にもすがる思いで試した結果がこれだった。

 

歪んだ内筒を作業台に置き、ニッカはしばらくそれを見下ろした。継ぎ目のあたりが飴のように垂れ下がり、元の形がほとんど分からなくなっている。保温だけを考えて設計された道具に、爆発的な熱を押し付けた自分の見通しの甘さを、彼女は素直に認めるしかなかった。

 

「……ごめん、あんたには荷が重かった」

 

物言わぬ金属の残骸に律儀に謝りながら、ニッカはそれを廃材の山へと放り投げた。乾いた音を立てて転がっていくのを見送り、彼女は気を取り直すように両頬を軽く叩いた。

 

「……次」

 

気を取り直し、彼女は棚の奥から見つけておいた消火器の空き殻に手を伸ばした。分厚い金属の筒は、熱にも圧力にも今度こそ耐えてくれそうだった。万力に固定し、内側に穴の開いた隔壁を溶接で仕込んでいく。排気を一度迂回させ、音の波をぶつけ合わせて打ち消す仕組みだった。理屈は前世の記憶にちゃんと残っている。問題は、穴の数と大きさをどう詰めるかだけだった。

 

「……今度こそ、静かに」

 

祈るような呟きを漏らしながら、ニッカはエンジンをかけた。低い唸りは以前より丸みを帯びていたが、それでも荒野の朝には十分すぎるほど響き渡る音量だった。庭の隅で息を潜めていた警戒システムの探照灯が、点灯するかしないかの際どいところで踏みとどまる。ニッカは制御盤の前で、しばらく息を止めたまま動けなかった。

 

「……セーフ。多分」

 

安堵の息を吐きながら、彼女はもう一段だけ隔壁の穴を絞ることにした。完全な静音とまではいかなくても、少なくとも自分の警戒網を誤作動させない程度には収まってきている。地味な進歩ではあったが、この数日の失敗を思えば十分すぎる成果だった。

 

隔壁の位置を微調整しては再点火し、耳を澄ませては眉を寄せる。単調な作業ではあったが、耳障りな咆哮が少しずつ丸みを帯びていく手応えは、地道さに見合うだけの満足を彼女に与えてくれていた。その繰り返しに没頭するうち、ニッカは自分の周りで何が起きているのかに、しばらく気づかずにいた。

 

フェンスの継ぎ目を歩く重い足音が二つ、砂利を踏みしめながら近づいていた。中央キャンプへ届ける予定の廃バッテリーを荷台に積んだ帰り、少し遠回りをしてニッカのガレージへ寄ることになったメインとファルコは、焼けた金属の匂いと工具のぶつかる音に誘われるようにして、ガレージの奥へと足を止めていた。

 

乾いた砂利道の先に、傾きかけたガレージのトタン屋根が見えている。ミリテクの重装部隊を退けて以来、この一帯を歩く足取りにも、以前とは違う落ち着きが戻りつつあった。

 

「……なんだ、あの音」

 

低い声が、独り言のように漏れた。

 

「エンジン、いじってんじゃねえか。しかも、けっこう本気の音だな」

 

隣に立つファルコが、腕を組んだまま鼻先を動かした。焦げた匂いの元をたどるように、二人はゆっくりとガレージの奥へと歩を進めていく。

 

「おい、あれか」

 

ようやく届いた声に、ニッカは肩を跳ねさせて振り返った。

 

「メイン? それに、ファルコまで……」

 

戸惑い混じりの声で見上げたニッカの視線の先で、ファルコが片眉を上げたまま、タンクの脇に立てかけられた歪んだ看板を見下ろしていた。

 

「これ、あんたの字か」

 

「……違います」

 

即答したニッカの声は、いつもより一段低かった。答えた本人が誰よりもばつが悪そうにしていることに、ファルコは気づかないふりをしてやることにしたらしい。それ以上は追及せず、彼は看板の文字を声に出して読み上げた。

 

「三本さん、ねえ」

 

「その話、しないでください」

 

「してねえよ、まだ」

 

「今、してます」

 

食い気味に返され、ファルコは小さく喉を鳴らして笑った。

 

「候補、もっとあったって聞いたぞ。パンパン君、とか」

 

「……誰から、それ」

 

「水筒届けてくれる嬢ちゃんから。中央キャンプじゃ、ちょっとした語り草だ」

 

「広めないでください、そういうの」

 

ニッカが本気で嫌そうな顔をするのを見て、ファルコはますます愉快そうに口の端を持ち上げた。からかう気満々の顔を見て、ニッカは早々に会話を切り上げることにした。

 

「……そういえば、荷物」

 

思い出したように呟いたファルコが、来た道を振り返る。荷台に積んだままの廃バッテリーの木箱が、フェンスの手前に放置されていた。話に夢中になるあまり、二人とも本来の用件をすっかり忘れていたらしい。

 

「置きっぱなしで来たのか」

 

「あんたが看板見て足止めたからだろ」

 

「お前もすぐ乗ってきただろうが」

 

言い合いになりかけた二人を、ニッカは半ば呆れた目で見守った。

 

「……先に、荷物運んでもらっていいですか」

 

「後でいい、後で」

 

軽く流したメインは、すでに車体の方へ興味を戻していた。ファルコも大して気にした様子もなく、木箱をひとまずそのままにしておくことに決めたらしい。仕事より先に好奇心を優先させるあたり、彼らしくない性分だと、ニッカは内心で密かに面白がっていた。

 

「噂には聞いてたけどよ」

 

腕を組んだままのメインが、分解された車体の脇にしゃがみ込み、三本並んだ排気管を覗き込んで低く唸った。

 

「単気筒ばっかりのこの辺りじゃ、確かに見ねえ面構えだな」

 

噂を確かめに来たわけでもないくせに、その目はさっきから車体に釘付けのままだった。ファルコも同じように屈み込み、車体の下から覗くフレームの継ぎ目を指先でなぞる。

 

「継ぎ接ぎだらけの割に、締結はしっかりしてる。ここまでやるとは思わなかった」

 

「褒めてます?」

 

「褒めてる。素直に受け取っとけ」

 

短い応酬に、ニッカは居心地悪そうに視線を逸らした。褒められることに慣れていない性分は、こういう場面ではいつも余計にぎこちなくなる。

 

「元々、舗装路専用の骨格だったんだろ、これ」

 

ファルコがフレームの湾曲したラインを指でなぞりながら言った。

 

「よく分かりますね」

 

「前傾したハンドルの角度見りゃ分かる。荒地向けの姿勢じゃねえよ」

 

「……そうです。無理やり荒野向けに直してます」

 

「無茶な話だ。畑違いの服を、体型に合わせて仕立て直すようなもんだろ、それ」

 

言い得て妙な比喩に、ニッカは思わず小さく笑った。

 

「似たようなものです。合わない服でも、直せば着られるようになるので」

 

「その理屈、嫌いじゃねえよ」

 

ファルコの短い一言に、ニッカは意外そうな顔をしてから、照れ隠しのように咳払いを一つ挟んだ。

 

「三本並んだこの排気管、なんか見覚えがある形だな」

 

メインが顎を撫でながら呟いた。

 

「中央キャンプの炊事場にある、あの湯沸かし器に似てねえか」

 

「似てません」

 

「似てるだろ、あの三本足の」

 

「似てないです、機能が全然違います」

 

思いのほか強い口調で否定され、メインは軽く両手を上げて引き下がった。ファルコが横で堪えきれずに噴き出す。

 

「湯沸かし器扱いされた鉄馬なんて、聞いたことねえな」

 

「笑いごとじゃないです」

 

作業台の周りを一周したファルコが、絞り込まれていく途中のチャンバーを見つけて足を止める。真っ直ぐな筒ではなく、途中で膨らみ、出口に向かって絞られていく独特の形に、彼はしばらく目を細めていた。

 

「その途中の膨らみ、何のためだ」

 

尋ねる声には、素朴な好奇心以外の色がなかった。ニッカは手を止めずに答える。

 

「排気が一度ここで膨らんで、反射して戻ってくるんです。そのタイミングを狙って、特定の回転域だけ出力を持ち上げる仕組みで」

 

「……はあ?」

 

案の定、途中から理解が追いつかなくなったらしいメインが、片眉を寄せて聞き返してきた。ニッカは構わず続ける。

 

「二拍子のエンジンって、燃えきらなかった混合気をそのまま捨てちゃうともったいないんです。反射波でもう一回押し戻して、燃焼室側のタイミングに合わせて出力を稼ぐ仕組みで、しかも絞り込む角度をちょっと変えるだけで、狙う回転域を上にも下にもずらせて――」

 

「わかった、わかったから」

 

止まらなくなりかけた説明を、メインが片手で制した。ニッカは我に返って口をつぐみ、気まずそうに視線を泳がせた。

 

「……ごめんなさい、つい」

 

「いや、いい。あんたがそうなる時、大抵は機嫌がいい証拠だって、もう分かってきた」

 

事もなげに言われ、ニッカは返す言葉を失った。細かい理屈までは追いきれないながらも、メインは彼なりに何かを掴んだらしく、腕組みを解いて頷く。

 

「つまり、道具の性根を作り直してるってわけか」

 

言い得て妙な要約に、ニッカは一瞬言葉を失った。

 

「……まあ、そういうことに、なるかもしれません」

 

素直に頷くしかなかった。専門用語を並べるより、その一言の方がよほど的を射ている気がしたからだった。

 

「性根まで作り直されたら、そりゃ大人しくもなるだろうよ」

 

ファルコが横から呟いた一言が、思いのほか胸の奥に刺さり、ニッカは黙って視線を落とした。

 

興味を隠しきれない様子で、メインが膨らみの表面へ無造作に手を伸ばした。試運転を終えたばかりのチャンバーが、まだ十分な余熱を蓄えていることに、彼はまるで気づいていなかった。

 

「――っ、熱っ!」

 

短い悲鳴とともに手を引っ込めたメインが、指先を口元に当てながら顔をしかめる。

 

「試運転した後です、当たり前です」

 

「先に言えよ、それ」

 

「触る前に聞いてください」

 

もっともな理屈で切り返され、メインは何も言い返せずに指先へ息を吹きかけていた。ファルコが呆れ半分に鼻を鳴らす。

 

「エッジランナーが、湯沸かし器ごときで火傷しかけてどうすんだ」

 

「うるせえ、油断しただけだ」

 

減らず口で応じるメインの姿に、ニッカは思わず頬を緩めた。厄介な来客だとは思いつつも、こういう間の抜けたやり取りが、悪くない時間に変わっていくのを彼女は感じ始めていた。

 

一方、作業台の隅に転がされたショックユニットを、ファルコが無言で手に取っていた。分解されたままの部品を指先で押し、軋み具合を確かめる仕草には、長年ハンドルを握ってきた男の目が宿っていた。

 

「このダンパー、伸び側の効きが強すぎねえか」

 

不意の指摘に、ニッカは顔を上げた。

 

「え……」

 

「段差を越えた後、跳ね返りが一拍遅れて残るタイプの動きだ。荒地なら、もう少し伸びを殺した方が、着地の粘りが出る」

 

実務的な口調で告げられた助言は、彼女がこれまで感覚だけで詰めてきた部分に、思いがけない角度から光を当てるものだった。

 

「……それ、試してみます」

 

意外そうに目を見開いたニッカは、素直にダンパーを手に取り直した。前世の記憶が教えてくれるのは理屈の骨格だけで、こういう泥臭い勘所までは教えてくれない。長年の実地で磨かれた感覚に、彼女は思わず感心してしまう。

 

「ファルコ、車のことなら何でも分かるんですか」

 

素朴な質問に、ファルコは肩をすくめた。

 

「何でもは分からねえよ。ただ、荒野の道を何十年も走ってりゃ、足回りの癖くらいは体で覚える」

 

「体で、覚える」

 

「理屈は後からついてくるもんだ。あんたのそれとは、ちょっと順番が逆かもな」

 

軽い口調の中に、からかいとも本音ともつかない響きが混じっていた。ニッカはその言葉を、しばらく黙って噛みしめた。

 

「昔乗ってた車も、似たような癖があった」

 

不意にファルコが呟いた。手元のダンパーを見つめる目に、いつもより少し遠い色が浮かんでいる。

 

「伸びが強すぎて、段差の後にケツが跳ねる。整備のたびに直そう直そうと思って、結局手をつけずじまいだった」

 

「……なんで、直さなかったんですか」

 

「馴れちまってたんだよ、その癖に。直したら、逆に乗りにくくなる気がしてな」

 

淡々とした答えの奥に、何か言葉にしきれない重みが滲んでいるのを、ニッカは何となく感じ取った。だがそれ以上踏み込むには、まだ互いの間合いが足りていない気がして、彼女は黙って頷くだけにとどめた。

 

「あんたの整備、外から見てるだけじゃ、どこまで本気か分かんなかったが」

 

作業を見守っていたファルコが、ぽつりと呟いた。

 

「今日で、少しは分かった気がする」

 

飾らない一言に、ニッカは返す言葉を選びかねて視線を逸らした。

 

「おい、俺にも乗らせろよ」

 

黙って聞いていたメインが、唐突にそう切り出した。ニッカは手を止め、まじまじと彼の体格を見上げる。

 

「……無理です」

 

「なんでだよ」

 

「サドルの高さ、メインの足だとまず窮屈でステップまで届かない。あと、多分、車体ごと潰れる」

 

身も蓋もない指摘に、メインは片眉を上げた。

 

「潰れねえよ、そこまでやわな作りじゃねえだろ」

 

「やわじゃないですけど、二人乗り想定のフレームじゃないんです。荷重の分散が違うから」

 

「じゃあ、跨るだけ。走らせなくていい」

 

食い下がる声に、ニッカは仕方なさそうに息を吐いた。

 

「……跨るだけなら」

 

許可が出るなり、メインは大きな図体を折り曲げるようにして車体へまたがった。だが座った途端、その膝がハンドルの根元に窮屈そうに当たり、サドルの下からは軋むような小さな悲鳴じみた音が漏れる。

 

「……狭ぇな、これ」

 

「言ったじゃないですか」

 

「言ったけど、ここまでとは思わなかった」

 

不服そうに呟きながらも、メインはしばらくその窮屈な姿勢のまま動こうとしなかった。ファルコが横から容赦のない指摘を飛ばす。

 

「熊が自転車に乗ってるみたいだな」

 

「うるせえ」

 

「事実だろ」

 

軽口の応酬に耐えきれず、ニッカは思わず噴き出した。込み上げた笑いを堪えきれずにいる彼女を見て、メインはますます不服そうに眉を寄せながらも、渋々といった様子で車体を降りた。

 

「……次、俺サイズの一台も、頼めるか」

 

「頼まれても、優先順位、低いです」

 

「なんでだよ」

 

「今、これで手一杯なので。あと、多分、フレームから作り直しになります」

 

「そんなに違うのか」

 

「メインが乗る前提だと、たぶん、二回りは頑丈にしないと」

 

真顔で告げられた見積もりに、メインは肩を落としてわざとらしく項垂れてみせた。にべもない返事に、彼は大げさにため息をついてみせたが、それ以上は食い下がらなかった。ニッカはその隙に、車体を自分の方へさりげなく引き寄せた。

 

「……勝手に手、出さないでくださいね」

 

「出さねえよ、そこまで子供じゃねえ」

 

ぼやきながらも、メインの視線は名残惜しそうに三本の排気管へ向けられ続けていた。

 

助言を取り入れて減衰を調整し直したところで、ニッカは工具を置いた。額の汗を袖で拭い、しばらく黙って車体を見下ろす。

 

「……試しに、走らせてみます」

 

短く告げると、彼女は棚の奥から鍋の防具を引っ張り出してきた。持ち手を布で巻き直した、あの間の抜けた一品だった。

 

「……それ、なんだ」

 

初めてそれを見たメインが、怪訝な顔を隠しもせずに尋ねてくる。ニッカは動じることなく紐を結びながら答えた。

 

「頭を守る道具です。走る先が荒地なんで」

 

「鍋、だよな。それ」

 

「鍋です」

 

短いやり取りの後、ファルコが堪えきれずに小さく噴き出した。

 

「悪いが、その格好は初めて見た」

 

「笑わないでください」

 

「笑ってねえよ。……いや、ちょっと笑ってるかもしれん」

 

正直な訂正に、ニッカは不服そうに唇を尖らせながらも、構わず鍋を被り直した。金属板に映る自分の姿は相変わらず滑稽だったが、荒地を走る以上、頭を守る方が優先だった。

 

「似合ってるじゃねえか」

 

思いがけない言葉に、ニッカは真顔で振り返った。

 

「フォローになってないです、それ」

 

「フォローのつもりで言った」

 

「余計悪いです」

 

軽口の応酬に、ファルコが我慢しきれずに肩を揺らして笑った。

 

ガレージの裏手に組んだ簡易コースへ、三人は連れ立って向かった。装甲車の残骸から切り出した鉄板を並べただけの、粗末な段差の連続だったが、この数日ですっかり見慣れた景色になっている。

 

エンジンをかけると、丸みを帯びた低い唸りが、乾いた朝の空気に溶けていった。以前のような耳障りな金属音はもうない。ニッカはスロットルを握り、段差へと車体を進めていく。

 

前輪が最初の段差に乗り上げた瞬間、車体は跳ね上がることなく、ゆったりと沈み込みながら衝撃を受け流した。続く段差でも、後輪が同じように粘り強く路面を捉える。ファルコの助言通りに殺した伸び側の効きが、着地のたびに感じていた揺り返しをきれいに消し去っていた。

 

「……お、おお」

 

思わず漏れた声には、隠しきれない驚きが滲んでいた。段差の連続を抜けきる頃には、エンジンの拍子も回転の上下でむらのない一定の唸りを保ち続けている。

 

風が頬を撫でる感触にも、以前のような不安定な浮遊感はなかった。ハンドル越しに伝わってくるのは、路面の凹凸を丁寧に濾し取った、素直な手応えだけだった。数日がかりで詰めてきた微調整の一つ一つが、こうして繋がって初めて意味を持つのだと、ニッカは風の中で密かに実感していた。

 

見守っていたメインとファルコが、無言のまま顔を見合わせた。腕を組んだメインの口元が、わずかに緩んでいる。

 

一周目を終えたニッカがコースの入り口へ戻ると、ファルコが顎をしゃくって続きを促した。

 

「もう一周、今度はもう少し速度乗せてみろ」

 

「……いいんですか」

 

「見せてもらわねえと、評価のしようがねえだろ」

 

促されるまま、ニッカは二周目に入った。速度を上げた分だけ、段差を越える衝撃も増す。それでも車体は程よく沈み込み、行き過ぎることなく姿勢を戻し続けた。

 

コースの終わりで速度を落とし、ニッカは調子に乗って軽くスロットルを煽った。景気づけのつもりだった一手が、思わぬ形で裏目に出る。

 

排気の脈動がわずかに乱れ、ぱん、と乾いた破裂音が一つ弾けた。

 

「うわっ!?」

 

不意打ちの音に、ファルコは眉一つ動かさなかった。だがそれ以上に激しく反応したのはメインだった。長年の戦闘で染みついた反射が、彼の腕を勝手に動かしていた。腰の後ろに手をやり、獲物を探す仕草のまま一瞬固まる。

 

「……敵、じゃねえよな」

 

低く呟いた声には、いつもの豪快さとは違う緊張が滲んでいた。

 

「敵じゃないです、私の音です!」

 

慌てて叫んだニッカの背後で、庭の隅の探照灯がぱっと光を灯しかけていた。

 

「ちょっ……、待って、これ、私です! 敵じゃない!」

 

慌てて制御盤へ駆け寄ったニッカが、震える指先で緊急停止のスイッチを叩き込む。すんでのところで踏みとどまった探照灯が、名残惜しそうに光を落としていった。

 

静寂が戻ったガレージの中、メインとファルコはしばらく無言でニッカを見つめていた。

 

「……あんたの警戒網、あんたに対して過保護すぎねえか」

 

呆れ半分のファルコの一言に、ニッカは返す言葉もなく肩を落とした。

 

「……調整、まだ途中なので」

 

腰の後ろから手を戻したメインが、決まり悪そうに黙り込んだ。

 

「……今の、条件反射だ。気にすんな」

 

「気にします、普通に怖かったです」

 

「悪かったって」

 

ばつが悪そうに頭を掻くメインの姿に、ファルコが堪えきれず口元を緩めていた。

 

「エッジランナーが、ガラクタバイクの破裂音相手に本気で身構えてどうすんだよ」

 

「うるせえ」

 

短く返したメインの耳が、わずかに赤くなっているのをニッカは見逃さなかった。だがそれを指摘する勇気までは、さすがに湧いてこなかった。

 

気まずい沈黙の後、最初に口を開いたのはメインだった。腕を組んだまま、ゆっくりと車体を見回す。

 

「けどよ」

 

短い前置きを挟んで、彼は続けた。

 

「暴れ馬にしちゃ、ずいぶんと大人しくなったじゃねえか」

 

「そうですね……多分」

 

素直に頷くニッカの隣で、ファルコも軽く顎を引いた。

 

「悪くねえ足だ」

 

短い評価に、飾り気は一つもなかった。だからこそ、その言葉はニッカの胸の奥にすとんと落ちてきた。誰かに褒められるために組んだわけではない一台が、初めて他人の目の前でその実力を示した瞬間だった。

 

「……ありがとうございます」

 

素直な礼の言葉に、自分でも少し驚きながら、ニッカは鍋の紐を緩めて頭から外した。

 

試走の余韻も冷めやらぬ頃になって、ファルコがふと我に返ったように舌打ちを漏らした。

 

「……荷物」

 

「今更ですか」

 

「今更だな」

 

悪びれもせずに認めたファルコが、フェンスの手前に放置したままの木箱を取りに戻る。メインも渋々といった様子でその後を追い、二人がかりで抱えた木箱を、ようやくガレージの隅へ下ろした。

 

「これで、届けたことになりました?」

 

「なった。文句あるか」

 

「ないです、荷物なので」

 

素っ気ないやり取りの後、木箱の中身を検めたニッカが、廃バッテリーの端子の傷み具合を一つずつ確かめ始める。ついでとばかりに手を伸ばした彼女に、メインが呆れ気味に声をかけた。

 

「今それ、やらなくていいだろ」

 

「気になったので」

 

「性分だな、それも」

 

短い指摘に、ニッカは軽く肩をすくめるだけで、それ以上の反論はしなかった。

 

荷物の受け渡しを済ませ、二人が引き上げていく段になって、メインがふと足を止めた。

 

「次に来た時も、これ見せろよ」

 

「別に、頼まれても」

 

「頼んでねえよ。見せろ、って言ってんだ」

 

強引な言い草に、ニッカは苦笑するしかなかった。

 

「……気が向いたら」

 

「気、向かせろ」

 

短い応酬を最後に、メインは満足げに踵を返した。それから思い出したように足を止め、肩越しに振り返る。

 

「レベッカにも、見せてやったらどうだ。あいつ、こういうガラクタには目がねえだろ」

 

「……考えときます」

 

「絶対、乗せてくれってせがむぞ、あいつは」

 

「乗せません、まだ二人乗り試してもいないので」

 

にべもない返事に、メインは声を立てて小さく笑った。ファルコがその背中を追いながら、最後にもう一度だけ振り返る。

 

「その鍋、次見る時までに新調しとけ。あんまり似合ってねえ」

 

「似合ってなくていいです、防具なんで」

 

「せめて色くらい選べ」

 

軽口を残して、ファルコもフェンスの向こうへと姿を消していった。二人の足音が遠ざかっていくのを、ニッカは工具袋を抱えたまま見送った。

 

フェンスの向こうに姿が消えるまで、彼女はしばらくその場を動かなかった。鍋の防具を小脇に抱えたまま、油まみれの手で車体のタンクをそっと撫でる。三本並んだ排気管が、朝の光を受けて鈍く光っていた。

 

「……次は、警戒網まで、ちゃんと黙らせないとね」

 

誰へともなく呟いた声が、静かなガレージに小さく響いた。工具箱の蓋を閉じる前に、ニッカはもう一度だけ、遠ざかっていく二人の背中があった方角を見やった。

 

棚の奥に横たわるバートの古いレンチへ、彼女はふと視線を移した。誰かのために完璧を求められてきた仕事とは違う理由で、これほど長い時間を注ぎ込んだのは初めてに近かった。だが今日、誰かの目の前でその一台が応えてくれたことは、思っていた以上に胸の奥を満たしていた。育ての親が生きていたら、この光景を見て何と言っただろうか。答えの出ない問いを、ニッカは軽く頭を振って追い払った。

 

依頼でもなく、生き延びるための備えでもない一台に、これほど心を砕く自分を、少し前までのニッカならきっと訝しんだはずだった。なのに今は、その事実を素直に受け止められる気がした。誰かに見せて恥ずかしくないものを、また一つ作れた。ただそれだけのことが、こんなにも心を軽くするとは思っていなかった。

 

まだ詰めきれていない音の課題を思い、ニッカは排気口へ視線を落とした。完璧にはまだ遠い。それでも、今日という一日が確かな一歩だったことだけは、疑いようがなかった。

 

夕方には、また隔壁の穴を絞る作業に戻ろう。そう心に決めながら、ニッカは鍋の防具を棚に戻した。窓の外では、乾いた荒野の稜線が、変わらない静けさの中に横たわっている。地道な調整の繰り返しの先に、今のこの穏やかさがまだしばらく続いてくれることを、ニッカは密かに願っていた。

 

タンクの脇に立てかけられたままの、歪んだ文字の看板に目を落とすと、彼女は小さく息を吐いた。

 

「……三本さん、って呼ぶのは、まだ認めてないから」

 

言い訳めいた呟きに応える者は、やはり誰もいなかった。だが、工具箱の蓋を閉じる手つきには、来る前よりいくらか軽い調子が滲んでいた。思っていたよりずっと、今日という一日が胸の内側を温めているらしかった。

 

工具箱の中で、折り畳んだ設計図もどきの紙が小さく擦れる音を立てた。明日もきっと、似たような一日の続きになる。その繰り返しで構わないと、ニッカは素直に思えていた。

 

荒野の外から迫りつつある二つの影に、まだ誰も気づいていなかった。

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