夜明け前、まだ星の名残る空の下に、エンジン音が響き始めた。
最初は遠く、地響きのように低く。それが次第に近づき、土埃を巻き上げながら大型のトラックが一台、また一台とガレージの前に停まっていく。荷台の幌には、あちこち継ぎ接ぎの跡が残っていた。長年の使い込みを物語る傷が、朝の薄闇の中でも見て取れる。
運転席から真っ先に降り立ったのは、メインだった。太い腕で伸びをしながら、ガレージを見上げる。
「思ったより、早く着いたな」
助手席から続いて降りたドリオが、荷台の扉を確かめながら答えた。
「夜のうちに、地図を洗っておいたから。回り道せずに済んだ」
後続のトラックから、デイビッドとレベッカ、ルーシーが次々と降りてくる。まだ眠気の残る目を擦りながら、デイビッドは大きく欠伸をした。
「にしても、朝早すぎねえか」
「文句言うな。荷物運ぶには、涼しいうちが一番なんだよ」
レベッカが荷台から工具箱を担ぎ下ろしながら、あっけらかんと答えた。日が高くなれば、荒野の熱気は容赦なく体力を奪っていく。ここでの暮らしが長い者ほど、その理屈は骨身に染みていた。
ガレージの扉が軋みながら開くと、中からニッカが顔を出した。目の下には、まだ薄く隈が残っている。それでも、今朝の表情には、これまでとは違う張りがあった。
「早いね」
「早いに決まってるだろ」
メインが荷台の扉を勢いよく開けながら答えた。
「引っ越しなんて一大事、一日じゃ終わらねえ。使える時間は、全部使う」
その言葉に、ニッカは小さく頷いた。
格納庫の中へ足を踏み入れたレベッカが、山積みになったガラクタの数々を見渡し、口を半開きにしたまま固まった。
「……おい、ニッカ。これ、全部持ってくつもりか」
「全部」
「マジかよ」
「マジ」
即答するニッカに、レベッカは天井を仰いだ。棚という棚、床という床に、隙間なく物が積み上げられている。部品や工具、正体不明の機械までが層をなしていた。荒野で暮らす者の目から見ても、その量は常軌を逸していた。
ドリオが腕を組み、冷静に部屋の中を見渡した。
「これ、仕分けから始めないと、収拾つかないわね」
「うん。だから、三つに分ける」
ニッカは棚の脇に立てかけてあった木の板を三枚、床に並べていく。それぞれの板には、油性ペンで走り書きされた文字があった。
「持っていく、捨てる、注意」
簡潔な仕分けに、ドリオはわずかに口の端を緩めた。
「分かりやすくて、助かる」
「注意、って書いてあるのは何だ」
メインが板の一つを覗き込みながら尋ねた。
「触ったら死ぬかもしれないやつ」
あっさりとした答えに、格納庫の空気が一瞬、静かに強張った。
「……冗談だよな?」
デイビッドが恐る恐る問い返すと、ニッカは真顔で首を振った。
「冗談じゃない。だから、その板の周りにあるもの、勝手に触らないで。触るなら、必ず私に一声かけて」
念を押すような口調に、誰も異を唱えなかった。この場所で積み上げてきた実績を、彼らはよく知っている。ニッカの言う「死ぬかもしれない」は、大抵の場合、比喩ではなかった。
仕分けが始まると、格納庫は瞬く間に慌ただしさに包まれた。メインとドリオは、大型の棚や作業台を担ぎ、慎重にトラックの荷台へ運び入れていく。金属同士がぶつかる鈍い音が、繰り返し響いた。
「重てえな、こいつ」
「文句言わない。あなたが一番力あるんだから」
ドリオの容赦ない一言に、メインは苦笑しながら棚の端を担ぎ直した。汗が額を伝い、朝の光にきらりと光る。
デイビッドとルーシーは、精密機器の並んだ棚を任されていた。基板の一枚一枚が、指先の触れ方一つで壊れかねない繊細さを持っている。ルーシーは端末を操作しながら、丁寧に部品を仕分けていった。
「これ、動作ログが残ってる。捨てるには、惜しい」
「じゃあ、持っていく側」
デイビッドが箱に丁寧に詰めながら答えると、ルーシーは頷いた。無駄のない手つきで、次々と部品が箱の中へ収まっていく。二人の作業には、荒っぽさとは無縁の慎重さがあった。
その頃、格納庫の入り口に、キーウィが煙草を挟んだまま姿を見せた。荷造りの様子を一瞥し、彼女は静かに制御盤の方へ歩み寄った。
「移動の経路は、決めてあるのか」
「ファルコが、候補を洗ってる」
ニッカが答えると、キーウィは煙を長く吐き出した。
「経路だけじゃない。トラックが動けば、砂埃も轍も残る。それを追われたら、行き先ごと割れる」
「……考えてなかった」
正直な答えに、キーウィはわずかに眉を上げた。
「だろうな。荷物を運ぶことに、頭がいっぱいだったんだろう」
「じゃあ、どうすればいいの」
「轍を消しながら進む。遠回りにはなるが、それが一番確実だ」
キーウィは地面に指先で簡単な線を引きながら続けた。
「途中で二手に分ける。本隊はこっち、囮の荷はあっち。追う側の目を、少しでも散らしておく」
「囮って、何を使うの」
「使えなくなった部品でいい。空箱に詰めて、荷台の一つに積んでおけ」
淡々とした指示に、ニッカは頷いた。荒野を渡り歩いてきた者の知恵が、そこには惜しみなく詰まっていた。
「あんたは、荷造りに集中してろ。逃げ方は、こっちで詰める」
「……ありがとう」
「礼はいらない。生き延びるための算段だ。誰かが、やらなきゃならない」
短く言い放つと、キーウィは煙草を挟んだまま、トラックの列へと歩いていった。その背中を見送りながら、ニッカは自分一人では到底気づけなかった視点の存在を、改めて噛みしめていた。
キーウィの後ろ姿を見送った直後、格納庫の隅に停めてある一台の車体に、ニッカの視線がふと吸い寄せられた。三本並んだ排気管が、朝日を浴びて鈍く光っている。トラックの荷台に積まれていく荷物の列を眺めながら、彼女は今更ながら、この一台の行き先を決めていないことに気づいた。
「……あんたも、運ばなきゃ」
誰へともなく呟いた声に、通りかかったファルコが足を止めた。
「そいつ、どうするつもりだ」
「積むしかない。荷台に乗せて、運ぶ」
「自分で走らせて、ついてくるって手はないのか」
ファルコに問われ、ニッカは束の間考え込んだ。頭の中に、キーウィの言葉が蘇る。轍を消しながら進むこと。追う側の目を、少しでも散らしておくこと。
「駄目。この乗り物、電子部品が一つもない代わりに、走ればうるさいし、跡もはっきり残る。二手に分かれて逃げる意味が、なくなる」
「……なるほどな」
得心したように頷くファルコに、ニッカは続けた。
「今回だけは、荷物として運ぶ。目立たないように」
その決断に、名残惜しさが滲んでいないと言えば嘘になる。それでも、彼女は迷わず作業に取り掛かった。
積み込みは、簡単な話ではなかった。トラックの荷台に渡した板を斜めに立てかけ、車体を押し上げていく作業には、思った以上の人手が要った。
「せーの!」
メインとデイビッドが左右から車体を支え、ニッカが後ろから押し上げる。板がわずかに軋み、車輪が少しずつ荷台の縁を越えていった。
「……重い」
息を切らしながら呟いたデイビッドに、ニッカが横から答えた。
「フレーム、頑丈に組んだから。そのぶん重い」
「頑丈なのはいいけどよ、運ぶ身にもなれよ」
軽口を叩きながらも、デイビッドは最後まで手を抜かなかった。荷台に収まった車体を見て、メインが額の汗を拭う。
「これで、いいのか」
「うん。あとは、固定するだけ」
ニッカは荷締めのロープを取り出し、車体を丁寧に縛り付けていった。タイヤの位置に廃材の当て木を挟み、揺れで倒れないよう、幾重にも結び目を作っていく。手つきに迷いはなかった。
「そんなに、大事なのか、そいつ」
メインはしばらく作業を見守っていたが、ふと尋ねた。ニッカは結び目を確かめながら、短く答えた。
「砂の下から、独りで掘り出して組んだやつだから」
「……そうか」
それ以上は、何も聞かなかった。ロープの最後の結び目を締め終えたニッカは、荷台の縁に手をかけ、車体の様子をもう一度確かめた。三本の排気管が、幌の隙間からわずかに覗いている。
「……ちょっとだけ、窮屈な思いさせるけど。我慢して」
その呟きは、朝の格納庫の喧騒に紛れて消えていった。
問題は、部屋の奥にある「注意」の板の周辺だった。
レベッカが好奇心を抑えきれず、積まれたガラクタの一つに手を伸ばそうとした瞬間だった。
「待って!」
ニッカの声が、格納庫に鋭く響いた。レベッカの手が、寸前で止まる。
「な、なんだよ、いきなり」
「それ、未完成の試作品。中の回路、まだ剥き出しのまま」
ニッカは駆け寄りながら、早口で続けた。
「雑に扱うと、コンデンサが放電する。しかも、ただの放電じゃない。私が組んだ増幅回路のせいで、下手すると爆発するよ」
その一言に、レベッカの顔から一瞬で血の気が引いた。
「……爆発って、どのくらいの」
「小型のグレネード程度、かな」
「それ、待ってで済む話じゃねえだろ!」
悲鳴に近い声を上げながら、レベッカは慌てて手を引っ込めた。ニッカはその隙に、慣れた手つきで試作品の端子を一つずつ確かめ、安全ピンのような部品を差し込んでいく。
「……よし、これで一旦安定」
安堵の息を吐くニッカを見て、レベッカはしばらく言葉を失っていた。
「あんた、こんな物騒なもん、普段からゴロゴロ転がしてたのかよ」
「ちゃんと管理してた。触らなきゃ、爆発しない」
「触らなきゃって、今あたし触りかけただろうが!」
声を張り上げるレベッカに、ニッカは肩をすくめた。
「だから、注意の板があるでしょ」
あまりにも平然とした答えに、レベッカは呆れと恐怖の入り混じった表情を浮かべたまま、しばらく動けずにいた。
その光景を遠目に見ていたメインが、荷台へ戻りながら低く笑った。
「相変わらず、規格外だな、あの嬢ちゃんは」
「規格外なのは、今更でしょう」
ドリオが荷物を担ぎ直しながら答えると、メインは小さく頷いた。
「だからこそ、丁寧に運ぶしかねえ。あの試作品、下手に扱えばこっちの手が吹っ飛ぶ」
軽口の奥に滲む緊張を隠さないまま、二人は再び作業へ戻っていった。
しばらくして、今度はデイビッドが「注意」の板の近くにしゃがみ込んでいた。棚の隙間に転がっていた小さな部品に、興味を惹かれた様子だった。
「これ、何の部品だ?」
軽い調子で手に取ろうとした瞬間、ニッカの声が再び飛んだ。
「それも、待って!」
「うわっ」
驚いて手を止めたデイビッドの目の前で、ニッカが早足に駆け寄ってくる。
「それ、予備の追尾タレット用トリガーユニット。安全装置、まだ外したままだった」
「トリガーって……それ、握ったらどうなるんだよ」
「近くにある何かに向けて、自動で発砲信号が飛ぶ」
あまりにもあっさりとした説明に、デイビッドの顔から一気に血の気が引いた。
「……あんた、こういうの、もっとちゃんと分かるように置いとけよ」
「置いてたよ。ちゃんと注意の板の近くに」
「板の近くって範囲が広すぎるんだよ!」
悲鳴じみた抗議に、ニッカは慣れた手つきでトリガーユニットの端子を抜き取り、安全ピンを差し込んだ。かちり、と小さな音が鳴り、緊張の糸がようやく緩む。
「はい、これでもう安全」
「その一言を、触る前に言ってほしかった」
肩で息をするデイビッドの隣で、ルーシーが端末をしまいながら、ふと口を挟んだ。
「彼女の家、常に警戒するくらいでちょうどいい。私も、最初はそう教わった」
「教わるようなことか、これ」
デイビッドの呆れた声に、格納庫の中に小さな笑いが起きた。張り詰めていた空気が、その一言でわずかに解けていく。
遠くで様子を見ていたメインが、荷台に道具箱を積み込みながら、低く笑った。
「今日だけで、二回か」
「三回目がないことを、祈るしかねえな」
ドリオが汗ばんだ額を手の甲で拭いながら応じると、メインは肩をすくめた。
「祈っても、無駄な気がするけどな」
太陽が中天に近づく頃、格納庫の中は熱気と埃にまみれていた。誰の額にも、汗の玉が浮かんでいる。それでも、誰一人として手を止めなかった。
「休憩、入れねえか」
デイビッドが首筋の汗を拭いながら声を上げると、ドリオが積んだ荷物を確かめながら答えた。
「そうね。このペースで倒れられても困る」
その一言に、作業の手が一斉に止まった。
格納庫の隅、日陰になった場所に車座になって座ると、ルーシーが持ってきた保存食のパックを配り始めた。硬めのパンと、味の薄いスープ。決して豪華とは言えない食事だったが、疲れた体には十分すぎる馳走だった。
「にしても、よくもまあ、これだけの量を溜め込んだもんだ」
ファルコが遅れてやってきて、荷台の中身を覗き込みながら呟いた。彼は候補地の下見から戻ったばかりだった。
「候補地、見てきたの」
ニッカが尋ねると、ファルコは頷いた。
「二つほど、目星がついた。詳しい話は、夜にでもする」
パンをかじりながら、レベッカがまだ興奮冷めやらぬ様子で口を開いた。
「聞けよ、ファルコ。あたし、さっき爆弾に手ぇ伸ばしかけたんだぜ」
「爆弾?」
「注意の板の近くに転がってた試作品。ニッカが止めてくれなかったら、今頃あたしの手、吹っ飛んでた」
大袈裟に手振りを交えて語るレベッカに、ファルコは眉を上げた。
「……お前、少しは学習しろよ」
「学習しようにも、見た目じゃ分かんねえだろ、あんなもん」
言い返すレベッカに、ニッカが横から補足した。
「見た目で分かったら、逆に困る。誰でも安全に扱えるものになっちゃうから」
「それ、褒めてんのか呆れてんのか、どっちだよ」
デイビッドが思わず突っ込むと、格納庫に小さな笑いが広がった。
昼食を終えた後、作業は再び動き出した。
午後は、道具箱の整理が中心になった。バートの代から使われてきた工具の数々を、ニッカは一つ一つ手に取り、確かめながら箱に収めていく。
「これは、絶対持っていく」
「これも、持っていく」
ほとんど全ての道具を「持っていく」に振り分けていくニッカの手つきに、ドリオが苦笑を浮かべた。
「捨てる箱、全然埋まらないわね」
「捨てられるものが、あんまりない」
ぽつりと零れた答えに、ドリオはそれ以上何も言わなかった。道具の一つ一つに、彼女がどれほどの歳月を重ねてきたのか、その手つきだけで十分に伝わってくる。
積み込みの合間、水筒を抱えた少女が、母親に手を引かれてガレージの前に姿を見せた。トラックの荷台に積み上がった荷物を見るなり、少女の足が止まる。
「……ニッカ姉、どこか行っちゃうの?」
小さな声に滲む不安を、ニッカはすぐには受け止めきれなかった。膝を折り、少女と目線を合わせる。
「うん。ここを離れることにした」
「もう、会えない?」
「会えるよ。少し、遠くなるだけ」
精一杯の笑みを作りながら、ニッカはそう答えた。だが、その言葉の軽さが、自分自身にも嘘くさく響いた。
母親が、硬い表情のまま一歩前に出た。
「突然のことで、驚きました。でも……仕方のないことだと、分かっています」
「巻き込んで、ごめん」
「謝らないでください」
母親は首を振り、水筒を差し出した。
「これ、最後の分です。向こうでも、体には気をつけて」
受け取った水筒の重みに、ニッカはしばらく言葉を失った。
「ニッカ姉」
少女が、ニッカの作業服の裾をそっと掴んだ。
「新しい場所でも、ガラクタ直すの?」
「うん、直すよ。それだけは、変わらない」
「じゃあ、今度は何、作るの?」
無邪気な問いに、ニッカはようやく本物の笑みを浮かべた。
「まだ分からない。でも、きっとまた、驚くようなもの作る」
「約束?」
「約束」
小指を絡めた少女の手は、まだ小さく震えていた。なのに、震えの奥にある確かな信頼を、ニッカは感じ取っていた。
母娘を見送った後も、ニッカはその場を動けずにいた。守りたいと願う相手が増えるたび、失うことへの恐れも、静かに積み重なっていく。バートの言葉を、彼女はもう一度、胸の中で繰り返した。大事なものは、いつでも一緒に運べる。けれど、置いていかざるを得ない繋がりがあることを、彼女は今初めて実感していた。
棚の奥を整理していたファルコが、ふと手を止めた。
「……これは」
声のトーンが変わったことに気づき、ニッカが振り返る。ファルコの手には、古びた革の工具袋が握られていた。
「バートの、道具袋?」
「ああ。奥の方に、忘れられたみたいに転がってた」
差し出された袋を、ニッカはそっと受け取った。革の表面は乾いてひび割れ、留め具の金属も曇っている。だが、開けた瞬間に漂ってきた油の匂いは、記憶の底に染み付いたものと寸分違わなかった。
「懐かしい、匂い」
呟いたニッカの声が、わずかに掠れていた。ファルコは黙って隣に立ち、袋の中身を覗き込む。
「随分と、使い込まれてるな」
「うん。私が生まれる前から、使ってた道具ばっかり」
一本ずつ取り出しながら、ニッカは指先で刃こぼれを確かめていく。手が覚えている動きだった。何百回、何千回と繰り返してきた確認の手順が、今もそのまま体に残っている。
ファルコは、しばらく無言のまま、その様子を見つめていた。荒野の日差しが、道具袋の陰に長い影を落としている。
「俺にも、似たようなもんがある」
ぽつりと漏らした言葉に、ニッカは顔を上げた。
「形見の、帽子」
「知ってたのか」
「聞いたことがある、ちょっとだけ」
ファルコは小さく頷き、遠くを見るような目をした。
「昔、相棒がいた。震える手を隠しながら、それでも最後まで走ろうとしてた奴だ」
「震える手、って」
「今にして思えば、あんたが直したメインの震えと、同じもんだったんだろうな。当時は、誰も気づけなかった。気づける知識も、頼れる相手も、なかった」
淡々とした語り口の奥に、長年抱えてきた悔いが滲んでいた。ニッカは道具袋を胸に抱いたまま、しばらく言葉を探した。
「……ごめん。もっと早く、生まれてれば」
「馬鹿言うな」
ファルコは、珍しく強い口調で遮った。
「あんたが背負う話じゃねえ。ただ、あんたを見てると、あいつのことをよく思い出す。それだけだ」
しばらくの沈黙の後、ファルコは帽子のつばを軽く指で叩いた。
「形見ってのは、持ってるだけじゃ意味がねえ。誰かの代わりに、次を見届ける役目がある。俺は、そう思うようにしてる」
「次を、見届ける」
「バートの道具も、そうなんじゃねえのか。あんたが使い続ける限り、あの爺さんの手つきは、まだこの世のどこかで生き続けてる」
その言葉に、ニッカは道具袋を握る手に、そっと力を込めた。喉の奥が、じんわりと熱くなる。
「……うん」
短い答えの奥に、これまでのどんな言葉よりも確かな決意が込められていた。
作業を再開すると、ニッカは道具袋を最優先で梱包用の箱に収めた。緩衝材代わりに、柔らかい布を幾重にも巻きつけていく。その丁寧さに、傍らで見ていたドリオが小さく笑った。
「一番大事なもの、一番最初に詰めるのね」
「当たり前でしょ。これが壊れたら、他の何が無事でも意味ない」
迷いのない答えに、ドリオは頷いた。優先順位の付け方一つにも、その人となりが表れる。ニッカという人間の輪郭が、荷造りの手順の中に、はっきりと浮かび上がっていた。
夕方が近づく頃、格納庫の中身は、ほとんどがトラックの荷台へ移し終えられていた。だが、まだ残っている一角がある。「注意」の板が立てられた場所だった。
「これだけは、俺たちじゃ手え出せねえな」
メインが額の汗を袖で拭い、その一角を見やった。
「うん。これは、私がやる」
ニッカは軍手を締め直し、慎重な手つきで試作品を一つずつ確かめ始めた。安全装置を挟み、配線の一部を外し、無害化してから緩衝材で包む。単純な作業のようでいて、一つの手順を誤れば取り返しがつかない。誰もが息を潜め、その手元を見守った。
「よし、これで最後」
最後の一つを箱に収め終えると、ニッカは大きく息を吐いた。額に浮かんだ汗が、夕日の光に赤く染まっている。
「終わったのか」
メインの問いに、ニッカは頷いた。
「終わった。あとは、積み込むだけ」
その一言に、格納庫に安堵の空気が広がった。誰もが一日中、緊張と労働で疲れ切っていたが、その顔には確かな達成感が浮かんでいた。
最後の荷物がトラックの荷台へ収まると、レベッカが汗みずくの額を拭って、大きく伸びをした。
「いやー、こんだけ働いたの久しぶりだぜ。腕がパンパンだ」
「あたしも、明日は筋肉痛確定ね」
ドリオが苦笑しながら答えると、デイビッドが笑いながら頷いた。
「それでも、爆発しなかっただけ、良しとしようぜ」
「爆発しかけた瞬間は、あったけどな」
レベッカが恨めしそうに付け加えると、ニッカが素知らぬ顔で答えた。
「ちゃんと止めたでしょ」
「止めた後の心臓の音、あんたに聞かせたいくらいだ」
軽口の応酬に、疲れの滲んだ空気が、少しずつ和らいでいった。
荷台にもたれかかったレベッカが、ふとニッカの隣に並んだ。夕日を背にしたその横顔には、いつもの威勢とは違う、静かな色が浮かんでいた。
「なあ、ニッカ」
「なに」
「ここ、あんたにとって、特別な場所なんだろ」
直球の問いに、ニッカはしばらく答えを探した。
「特別、だと思う。バートと過ごした場所だから」
「そんな場所、あっさり捨てちまって、平気なのかよ」
レベッカの声に滲む気遣いに、ニッカは小さく笑った。
「捨てるんじゃない。連れていくの、全部」
「連れていく、って」
「道具も、思い出も、ここで積み上げてきたものは、全部あの荷台に乗ってる。場所が変わっても、なくなるわけじゃない」
迷いのない答えに、レベッカはしばらく黙り込んだ。それから、ニッカの肩を軽く小突いた。
「あんた、たまにやけに大人びたこと言うよな」
「たまにじゃなくて、いつもでしょ」
「うるせえ、減らず口が」
軽口の応酬に、二人は同時に小さく吹き出した。夕暮れの荒野に、束の間の笑い声が溶けていく。
空になった格納庫を、ニッカは幾度も見渡した。棚の跡が、床にうっすらと埃の輪郭を残している。長年積み上げてきた雑然とした景色が消えた部屋は、驚くほど広く、そしてどこか寂しく感じられた。
「……こんなに、広かったんだ」
誰にともなく漏らした呟きに、傍らに立ったドリオが、ゆっくりと頷いた。
「物がなくなると、部屋の本当の広さが分かるものね」
「これで、いいのかな」
ぽつりと零れた不安に、ドリオは少し考えるように黙った。やがて、優しく肩に手を置いた。
「いいも悪いも、もう決めたことでしょう。あとは、前に進むだけ」
窓の外、荒野の空が、橙色から紫へと色を変え始めていた。トラックの荷台には、幌越しにも分かるほどの荷物が積み上がっている。バートの遺した道具、長年かけて集めた部品、そして未完成のままの試作品たち。この場所で積み上げてきた歳月の全てが、今、荷台の上に収まっていた。
ニッカは道具箱の蓋に、最後にもう一度だけ触れた。がらんとした棚の並びを、目に焼き付けるようにゆっくりと見渡す。十八の夏からずっと、この場所は彼女にとって世界の全てだった。その景色が、今日という一日で、静かに形を変えようとしていた。
「ニッカ」
声をかけてきたのは、メインだった。
「なに」
「明日には、全部積み終わる。あとは、動くだけだ」
「うん」
「不安か」
率直な問いに、ニッカはしばらく考え、それから小さく首を振った。
「不安がないと言えば、嘘になる。でも」
言葉を切り、彼女は積み上がった荷台へ視線を向けた。
「肝心なものは、ちゃんとあの荷台に乗ってる。それが分かってるから、大丈夫」
その答えに、メインは口の端をわずかに緩めた。
「バートの言葉か」
「うん。土地に根を張るのは、木だけでいい、って」
「いい師匠を、持ったな」
短い一言に、ニッカは頷き返した。夕闇が濃くなる中、トラックのヘッドライトが一つ、また一つと点灯していく。明日には、この場所を離れる。その事実の重みを噛みしめながら、ニッカは荷台に積まれた道具袋の輪郭を、いつまでも見つめ続けていた。
積み込みが始まって間もない頃から、ルーシーは制御盤の前に張り付いたまま、静かに端末を操作し続けていた。荷物とは違う種類の後始末が、彼女には課せられている。
「そっちは、進んでる?」
通りがかったニッカが声をかけると、ルーシーは画面から目を離さずに答えた。
「アクセスログ、全部消してる。この場所に繋がる痕跡は、一つも残さない」
「迷彩アンテナの制御データも?」
「もちろん。設計そのものは、あなたの頭の中にしかないから、消しようがないけど」
ルーシーらしい返しに、ニッカは苦笑を漏らした。
「デコイの信号も、仕込んでおく」
ルーシーは端末を操作しながら続けた。
「私たちが去った後も、しばらくはここに人がいるように見せかける。時間稼ぎには、なるはず」
「どのくらい、持ちそう」
「良くて、数日。相手が本気で洗い始めたら、それも長くはない」
冷静な見立てに、ニッカは小さく相槌を打った。完璧な逃走などありはしない。とはいえ、稼げる時間の一秒一秒には確かな意味があると、彼女は知っていた。
「終わった」
しばらくして、ルーシーが端末を閉じながら短く告げた。
「これで、あなたの痕跡は、この場所から消える」
「ありがとう」
「礼はいい。デイビッドを助けてもらった、その分の一つ」
素っ気ない答えの奥に、確かな温もりが滲んでいた。ニッカは小さく頷き、その背中を見送った。
積み込みが一段落した頃、中央キャンプから年長の男が姿を見せた。空になった格納庫を見渡し、彼はしばらく黙り込んでいた。
「思ったより、あっさりしたもんだな」
「物がなくなると、案外」
「ここは、どうする」
問いかけに、ニッカは制御盤の方へ視線を向けた。
「空き家のまま、置いていくつもりはない」
「……何か、考えがあるのか」
年長の男の声に、わずかな警戒が混じった。ニッカは頷き、言葉を継いだ。
「私が抜けた後、ここに誰かが踏み込んでくるなら、それ相応の出迎えをしておく」
「罠を、仕掛けるつもりか」
「うん。撤去できない部品を、全部組み替える。追手が入り込んだ瞬間、まとめて片付くように」
淡々とした説明に、年長の男はしばらく言葉を探した。
「クランの人間が、間違って踏み込む危険は」
「ない。起動条件は、外部からの強行侵入だけに絞る。見張りの合図があれば、いつでも解除できるようにしておく」
用意周到な答えに、年長の男は小さく息を吐いた。
「……あんたらしい、念の入れようだ」
「バートに、教わったから。逃げるときは、後ろも固めておけって」
その言葉に、年長の男は目を細めた。老友の言葉が、こんな形で受け継がれていることに、感慨を覚えているようだった。
「仕掛けは、いつまでに終わる」
「明日中には」
「分かった。あんたの好きにしていい。ただし」
言葉を切り、年長の男はニッカを真っ直ぐに見据えた。
「危ない橋を渡るときは、必ず誰かと一緒にいろ。一人でやろうとするな」
「……分かった」
素直な返事に、年長の男はわずかに口元を緩め、それ以上何も言わずに踵を返した。
夜の帳が完全に下りる頃、見張りに立ったファルコが、遠くの地平線に目を凝らしていた。灰色の機体は、今夜はまだ姿を見せていない。だが、その静けさが安堵に繋がらないことを、彼は経験から知っていた。
嵐の前の静けさというものが、この荒野には確かに存在する。積み荷を終えたトラックの列を横目に、ファルコは小銃を担ぎ直し、夜の闇へと視線を戻した。明日、荷物を全て運び出したその先に、何が待ち受けているのか。誰にもまだ、答えは分からなかった。
風だけが、乾いた音を立てて荒野を渡っていった。トタン屋根の軋みも、今夜だけは、いつもより長く尾を引いて聞こえた。