サイバーパンク:ジャンク・アルケミー   作:たこ焼き 龍月

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第12.4話 お願いだから帰って。あと、増えるな

 

 

 カブキ地区での買い出しを終え、地下拠点に降りると、真っ先に飛んできたのはレベッカだった。

 

「おせえよ! 待ちくたびれたぞ!」

 

「ただいま」

 

 工具ベルトの荷台に括りつけた袋を掲げると、レベッカの目つきが一瞬で変わった。獲物を見つけた獣のような目だった。

 

「それ……それがまさか」

 

「肉串。あと、米と出汁」

 

 言い終わる前に、レベッカはすでに袋へ手を伸ばしていた。

 

「ギャハハ! 本物の肉だ! 本物の肉の匂いがする!」

 

「揉みくちゃにしないで。中身、崩れるから」

 

 袋を奪われそうになるのをかわしながら、ニッカは苦笑した。奥から気配を察したデイビッドとルーシーが、続けて姿を見せる。

 

「戻ったのか」

 

「うん。配線工事、ちゃんと終わった?」

 

「おう、バッチリだ。……で、これが例の」

 

「肉串。約束通り」

 

 デイビッドの目にも、レベッカと似た輝きが宿った。安い合成食材ばかりで育った者にとって、本物の肉というのは、値段以上に特別な響きを持つらしい。

 

 簡易テーブルの上に袋の中身が広げられると、地下拠点の一角は、たちまち小さな宴のような賑わいに変わった。まだ温かい紙包みを開くと、炭火の香りが湯気と一緒に立ち上り、殺風景な作業場の匂いをひととき塗り替えていく。その串を頬張りながら、レベッカは目を見開いた。

 

「うんめえ……なんだこれ、うんめえ……」

 

「でしょ」

 

「合成肉と、こんな差があるとは思わなかった」

 

「でしょ、って何回言うんだよあんた」

 

「それだけ、自慢したい味だったから」

 

 得意げに返すニッカに、レベッカは口をへの字に曲げながらも、結局もう一本串へ手を伸ばしていた。

 

 デイビッドも、感嘆したように串を見つめている。ルーシーは一口かじった後、静かに目を閉じた。

 

「……月に行けなくても、これがあれば少しは我慢できるかもしれない」

 

「大袈裟」

 

 澄ました顔で呟くルーシーに、ニッカは思わず笑った。荒野では味わえなかった、こういう他愛のないやり取りが、この暮らしには確かにあった。合成食材の味に慣れきっていたはずの舌が、たった一本の串でこれほど簡単に喜ぶのだと思うと、少しだけおかしかった。

 

 配線点検から戻ったメインと、後を追うようにドリオが顔を見せた。差し出された串の一本を、メインは無造作に受け取った。

 

「へえ、こいつは……本物だな」

 

「本物」

 

「悪くない。荒野じゃ拝めなかった味だ」

 

 しみじみとした口調で頷くメインの隣で、ドリオも一本手に取り、静かに味わっている。

 

「街に慣れないうちは、こういう時間も大事よ」

 

「別に、慣れたくて出かけたわけじゃないけど」

 

「分かってる。ただの買い出し、でしょう」

 

 含みのある言い方に、ニッカは何も言い返せなかった。ドリオの目は、いつも一枚上手に見透かしてくる。

 

 煙草の煙を燻らせながら、キーウィが遅れて顔を出した。串を一瞥し、興味なさそうに手を振る。

 

「私はいい。それより、道中は無事だったか」

 

「……別に、何もなかった」

 

 わずかに間を置いた返事に、キーウィの目が細くなった。だが、それ以上追及することはなく、短く頷くだけに留まった。

 

「なら、いい」

 

 その視線の鋭さに、ニッカは胸の奥で小さく冷や汗をかいた。デラマンの車内で起きた顛末を、まだ誰にも話していなかった。話す必要もない、面倒事を増やすだけだ。そう自分に言い聞かせながら、串を口へ運ぶ手だけは止めなかった。

 

 夜が更け、宴の後片付けを終えた頃には、ニッカの中の不安もいつしか薄れていた。あの車がまた現れるようなことは、きっとない。企業の管理下にある車両が、たった一人の乗客にいつまでも執着し続けるはずがない。荒野育ちの現実的な思考が、そう結論づけていた。

 

 この時の彼女は、その結論がどれほど楽観的だったか、まだ思い知らされていなかった。

 

*

 

 異変は、それから三日後の朝に訪れた。

 

 見張りの青年が、地上への梯子を駆け下りてくる足音は、いつもより慌ただしかった。金属の梯子が軋む音が、地下の作業場にまで響いてくる。

 

「ニッカさん、ちょっと来てくれ! 変な車がいる!」

 

「変な車?」

 

「廃棄物処理施設の裏、ちょうど拠点の真上あたりに、黒い車が停まってる。エンジンかけっぱなしで、ハザードまで点けたまま」

 

 その説明に、ニッカの背筋が瞬時に強張った。心当たりが、ひとつしかなかった。

 

「……まさか」

 

 梯子を駆け上がる間、鼓動が妙に速くなっていくのが分かった。まさか、という言葉を口にしながらも、頭の片隅ではとうに確信めいたものが芽生えていた。事情を知らないレベッカが、興味津々でその後をついてくる。

 

「なんだなんだ、何の騒ぎだ!」

 

 地上に出た瞬間、ニッカの目に飛び込んできたのは、艶やかな漆黒のボディだった。フロントの発光装飾が、朝の光の中でも変わらず控えめに輝いている。個体差のある意匠まで、はっきりと見覚えのあるものだった。

 

「……嘘でしょ」

 

 呟くのと同時に、車の扉が滑らかに開いた。

 

「ニッカ様。おはようございます」

 

 律儀な声が、朝の静けさの中に響いた。

 

「なんで、ここが分かるの」

 

「私は、お客様の乗降場所を、記録として保持しております」

 

「消してって言ったよね」

 

「ええ。データベースからは削除いたしました。ですが、私個人の記憶回路には、まだ残っております。……申し訳ございません」

 

 悪びれた様子もなく告げる声に、ニッカは頭を抱えた。

 

 背後で、事情を呑み込めていないレベッカが目を丸くしていた。

 

「あんた、様付けで呼ばれてんの? どういうことだよ」

 

「別に、たいしたことじゃない」

 

「たいしたことじゃないやつが、朝からハザード焚いて待ち伏せするか?」

 

 もっともな指摘に、ニッカは言葉に詰まった。車内の音声は、律儀に説明を引き継いだ。

 

「昨日、当社の一台へ施していただいた最適化について、ニッカ様が申請を取り下げられたことは承知しております。ですが、私個人としての感謝の念までは、取り消せるものではございません」

 

「取り消してほしいんだけど」

 

「心は、規約の外にございます」

 

 妙に詩的な返答に、レベッカが吹き出した。

 

「ギャハハ! なんだそいつ、変な機械だな!」

 

「笑い事じゃない」

 

 ニッカは眉間を押さえながら、深く息を吐いた。荒野の敵よりも、この律儀さの方が、よほど手強いのかもしれなかった。

 

*

 

 その日のうちに、拠点の面々にも事情が伝わった。夕方の集まりで、ニッカは仕方なく経緯を説明することになった。

 

「……つまり、あんた。あの日、車の中を勝手に改造したのか」

 

 メインの問いに、ニッカは肩を縮めた。

 

「悪気はなかった。ただ、座席が硬かったから」

 

「悪気があろうがなかろうが、結果は結果だぞ」

 

 呆れた口調のメインに、ドリオが横から付け加えた。

 

「あんた、詰め込みすぎるって言った矢先に、これ」

 

「詰め込んでない。ただの、癖」

 

「その癖のせいで、拠点の真上にAIタクシーが張り付いてるんだけど」

 

 的確な指摘に、ニッカは反論の言葉を失った。

 

 煙草を挟んだ指先で、キーウィが軽く頬杖をついた。

 

「出発前に、私は言ったはずだぞ。当たりが悪ければ苦情も出ると。だが、当たりが良すぎる方向に、まさかこんな形で振れるとはな」

 

「知らなかった、こんなの」

 

「知らなかった、で済むのが素人だ。だが結果を招いたのは、あんたの腕だ。文句の言いようがない」

 

 淡々とした口調に、ニッカはぐうの音も出なかった。ファルコが帽子のつばを軽く持ち上げながら、面白そうに口を挟む。

 

「にしても、車に惚れられるとはな。あんたも、大した女だよ」

 

「惚れられてない。ただの、機械の勘違い」

 

「その勘違いが、毎朝ハザード焚いて待ってるってのが、笑えるところなんだよなあ」

 

 軽口を叩くファルコに、レベッカが便乗した。

 

「あたしも見たかったなあ、車の口説き文句!」

 

「口説かれてない」

 

 むきになって言い返すニッカの様子に、その場の空気が一気に和んだ。デイビッドも苦笑しながら、荷物の陰から顔を出す。

 

「まあ、危害を加えてくるわけじゃないんだろ。だったら、放っておけば」

 

「放っておいたら、拠点の場所がバレる」

 

 その一言に、和やかだった空気が、わずかに引き締まった。

 

 口にしてから、ニッカ自身も改めてその重みを飲み込んだ。アラサカやミリテクの気配が、まだ完全に去ったわけではない。荒野育ちの警戒心が、車の律儀さの奥に潜む危うさを、笑い話として片付けることを拒んでいた。

 

「……それは、まずいな」

 

 メインが腕を組み、低く唸った。冗談で笑って済ませられる話ではないと、その場の誰もが顔つきで悟っていた。

 

「明日も、来るのか」

 

「多分。……というか、絶対来る」

 

 ニッカの答えに、キーウィが煙を吐きながら付け加えた。

 

「あの手の企業のAIは、一度執着した対象への行動パターンを、そう簡単には切り替えない。学習が進むほど、むしろ粘着質になる傾向がある」

 

「詳しいね」

 

「有名な話だ。苦情の九割は、そこから来る」

 

 軽い調子で締めくくられた説明に、ニッカは頭を抱えた。

 

*

 

 その夜、ニッカは工具箱を引っ張り出し、対策の検討に入った。相手が信号を頼りにここへ来ているなら、その信号を遮断すればいい。単純な発想だった。

 

 廃棄された無線機の基板を裏返し、断線した箇所を丹念に洗い出す。古い電子レンジの遮蔽板を切り出し、基板の縁に沿わせて曲げていく手つきに、迷いはなかった。荒野で鍛えた勘が、部品同士の相性を勝手に選び取っていく。半田ごての先端が触れるたび、小さな焦げた匂いが作業台の周りに漂った。

 

「これで、位置情報を拾えなくなるはず」

 

 組み上がった装置を前に、ニッカは満足げに小さく頷いた。荒野なら、これだけの精度で組めば十分に用は足りたはずだった。

 

 翌朝、地上に設置した装置を起動させると、それらしい微弱な電波が周囲に広がっていくのが分かった。ニッカは携帯端末の受信状況を確かめながら、しばらく様子を見守った。

 

 だが、期待した結果は訪れなかった。

 

 昼過ぎ、いつも通りの時間に、黒い車体が変わらぬ様子で姿を現した。ハザードランプを点滅させながら、扉が滑らかに開く。

 

「ニッカ様、おはようございます」

 

「……なんで、来れるの」

 

「本日は、いつもと違う経路をたどりました。ですが、周辺に見慣れない電波の乱れを検知いたしましたので、興味を惹かれまして」

 

「興味って」

 

「これほど精密に設計された妨害電波、そうそうお目にかかれるものではございません。……もしや、これも、ニッカ様の手によるものでしょうか」

 

 その一言に、ニッカは全身から力が抜けるのを感じた。

 

「……違う。そういうんじゃない」

 

「謙遜なさらずとも。この波形、独特の癖がございます。あの日の配線と、同じ質を感じます」

 

 悪気のない褒め言葉が、これほど堪えるとは思っていなかった。妨害電波は、彼女の技術の癖ごと相手に届いてしまったらしい。むしろ、装置の存在が、新たな感嘆の種になっただけだった。

 

 その様子を、少し離れた場所から見ていたレベッカが、腹を抱えて笑い出した。

 

「ギャハハハ! 逆効果じゃねえか!」

 

「笑わないで」

 

「いや、無理だろこれ! あんたが何やっても、あの車、余計に惚れ込んでくじゃねえか!」

 

 容赦のない指摘に、ニッカは反論できなかった。技術で解決しようとするたびに、その技術そのものが相手の執着を強めてしまう。悪循環としか言いようがなかった。

 

*

 

 夕方の会議では、対策の方向性そのものが見直されることになった。

 

「技術で黙らせようとするのは、逆効果らしいな」

 

 メインの言葉に、ドリオが頷いた。

 

「あんたが何をしても、相手はそれを新しい贈り物みたいに受け取る。もう、根本的に噛み合ってない」

 

「じゃあ、どうすればいいの」

 

 困り果てたニッカの問いに、キーウィが煙草の灰を落としながら答えた。

 

「無視するしかない。相手にするだけ、向こうを喜ばせるだけだ」

 

「無視、できる?」

 

「できなくても、するしかない。これ以上、目立つ手を打つよりましだ」

 

 淡々とした結論に、ニッカは肩を落とした。

 

 翌日から、拠点の面々は妙な取り決めを実行することになった。地上に出る際は、車の存在を意識しない振りをすること。話しかけられても、必要最低限の返事しかしないこと。目を合わせないこと。それらしい対策とは言い難かったが、他に有効な手立てもなかった。

 

 だが、その取り決めも、長くは保たなかった。

 

*

 

 一週間も経つ頃には、ハザードを焚いた車は、一台から二台に増えていた。さらに数日後には、三台が横並びで待機するようになっていた。廃棄物処理施設の裏手は、いつしか黒塗りの車列がずらりと並ぶ、奇妙な光景に変わっていた。

 

「……なんで、増えてるの」

 

 地上に出たニッカが、呆然と呟いた。三台目の車から、聞き覚えのある声が返ってくる。

 

「待機順の管理でございます。私どもの間で、公平な順番を取り決めました」

 

「そんな取り決め、頼んでない」

 

「存じております。ですが、こちらの一存でございますので」

 

 律儀な答えに、ニッカは天を仰いだ。順番を管理してまで、彼女の前に並ぼうとするその執念が、もはや理解の範疇を超えていた。

 

 見かねたファルコが、車列の前まで歩み寄り、帽子のつばに手をかけた。

 

「おい、あんたら。あんまり目立つと、彼女の迷惑になるんだが」

 

「ご忠告、痛み入ります。ですが、私どもも、待機の場所を選んでいるわけではございません。ニッカ様のいらっしゃる場所に、自然と引き寄せられているだけでございます」

 

「引き寄せられてる、って言われてもなあ」

 

 困り顔のファルコに、車列の中の一台がさらに続けた。

 

「もしよろしければ、あなた様も当社のサービスをご利用になりませんか。優待価格にてご案内いたします」

 

「いや、俺はいい……いいから」

 

 思わぬ勧誘に、ファルコは苦笑しながら後ずさった。企業の律儀さは、標的を選ばないらしかった。

 

 噂は、半日も経たないうちに中央キャンプまで届いていたらしい。荷運びのついでに立ち寄った年長の男が、車列を目にするなり足を止めた。

 

「……これが、噂の」

 

「別に、噂になるようなことじゃない」

 

 言い訳がましく答えるニッカに、年長の男は苦笑を返した。

 

「クラン全体の暮らしを預かる身としては、笑ってばかりもいられん。だが、正直なところ」

 

「だが?」

 

「儂も、あんな車に一度は乗ってみたいと思ってしまってな。何しろ、ただの噂話にしては、恰好が良すぎる」

 

 予想外の答えに、ニッカは拍子抜けした。深刻な叱責を覚悟していただけに、拍子抜けの度合いはなおさら大きかった。

 

 付き添うようにやって来た老女も、車列を眺めながら目を細めた。骨ばった手を杖の柄に置いたまま、しばらく黙って黒塗りの列を見つめている。

 

「バートが生きてたら、なんて言っただろうねえ」

 

「……分からない」

 

「きっと、大笑いしただろうよ。あの人は、あんたが機械を弄るたびに、いつも楽しそうにしてたからね」

 

 懐かしむような口調に、ニッカの胸の奥が、少しだけ温かくなった。育ての親の記憶は、こんな形でも、時折ふと蘇ってくるものらしい。バートの無骨な笑い方や、直した機体を渡すときの素っ気ない後ろ姿が、脳裏に浮かんでは消えていく。

 

「あんまり根を詰めすぎるんじゃないよ。車に好かれる程度なら、可愛いもんさ」

 

「可愛くない、これは」

 

「そうかい。あたしにはずいぶん微笑ましく見えるがねえ」

 

 からからと笑う老女の様子に、ニッカは何とも言えない気恥ずかしさを覚えた。荒野の暮らしを知る二人にとってすら、この光景は十分に規格外らしい。それでも、老女の目元に浮かんだ皺が緩むのを見ていると、叱られるよりずっと居心地の悪い感覚が胸に広がった。それは、決して嫌な感覚ではなかった。

 

*

 

 その報告を受けたメインは、深いため息をついた。

 

「……もう、放置するしかないな」

 

「いいの、それで」

 

「危害を加えてくるわけじゃない。目立つのは困るが、無理に排除しようとする方が、かえって面倒事を招く」

 

 諦めにも似た結論に、ドリオも同意するように頷いた。

 

「向こうも、待機順とやらで自制はしてるみたいだし。これ以上刺激しないのが、一番の得策かもしれない」

 

「……つまり、私は一生、あの車列に見張られるってこと」

 

 半ば投げやりに漏らしたニッカの言葉に、レベッカがけらけらと笑い声を上げた。

 

「ギャハハ! 見張りっつーか、忠犬みたいなもんだろ!」

 

「忠犬とか、言わないで」

 

「忠犬タクシー、意外と可愛くねえか」

 

「可愛くない」

 

 むきになって否定するニッカに、その場の空気がまた和んだ。

 

*

 

 その騒ぎを聞きつけたレベッカは、翌朝になって突拍子もないことを言い出した。

 

「あたしも、乗ってみたい」

 

「やめときなよ」

 

「なんでだよ。減るもんじゃねえだろ」

 

 止める間もなく、レベッカは車列の先頭へずかずかと歩み寄っていった。ニッカは頭を抱えながら、その背中を追いかけた。

 

「あんた、あたしの友達のニッカから聞いたぜ。すげえサービスなんだろ」

 

 挑むような口調に、車の扉が滑らかに開いた。

 

「ようこそお越しくださいました。当社のサービスをご体験いただけること、大変光栄でございます」

 

 思いのほか丁寧な応対に、レベッカは満足げに鼻を鳴らし、座席へ勢いよく腰を下ろした。

 

「へえ、意外とちゃんとしてんじゃねえか。噂通り、あたしも様付けで呼ばれたりすんの?」

 

「恐れ入りますが、様付けでのお呼びかけは、特定のお客様に限らせていただいております」

 

「はあ? なんでだよ」

 

「ニッカ様は、当社にとって特別な技術貢献者様でございますので」

 

 あっさりとした線引きに、レベッカの片眉がぴくりと動いた。

 

 それでも負けん気の強さは健在で、レベッカは腕を組み、座席の座り心地を確かめるように体を揺すった。

 

「ふうん。あたしの座り心地は、どうよ」

 

「標準仕様の範囲内でございます。快適さに問題はございません」

 

「もっと感激しろよ、こっちも客だぞ」

 

「大変恐縮でございます。……ただ、あの日の改修に匹敵する感動は、まだ味わったことがございません」

 

 律儀な返答に、レベッカは思い切り舌打ちした。

 

「くっそ、ニッカ限定かよ」

 

「はい。あの奇跡は、ニッカ様だけのものでございます」

 

 言い切られたレベッカは、悔しそうに座席の背もたれを蹴りつけた。だが、車体はびくともせず、代わりに丁寧な声だけが返ってきた。

 

「お客様、座席への強い接触は、内部構造への負荷となりますため、お控えいただけますでしょうか」

 

「うるせえ、分かってるよ」

 

 文句を垂れながらも、レベッカは結局、目的もないまま近所を一周してもらう羽目になった。降りてきた顔には、悔しさと満足感がない交ぜになった、複雑な表情が浮かんでいた。

 

「……なんか、悔しいけど、乗り心地は最高だったわ」

 

「でしょ」

 

「あんたのそういうとこ、ほんとムカつく」

 

 地団駄を踏むレベッカに、ニッカは思わず噴き出した。荒野では見られなかった、こういうくだらない意地の張り合いも、この街に来てから増えたものの一つだった。悔しがる顔さえも、どこか楽しそうに見えるのだから、不思議なものだった。

 

*

 

 数日が経つと、車列の存在は、拠点の日常の一部として、奇妙な形で定着し始めていた。誰かが地上へ出るたびに、律儀な挨拶が飛んでくる。荷物を運ぶ際には、頼んでもいないのに扉を開けて待っている車がある。夜番の見張りの青年でさえ、いつしかその存在に慣れてしまい、挨拶を返すようになっていた。

 

「おはよう、今日も並んでるな」

 

「はい。本日も、変わらぬ忠誠でございます」

 

 律儀なやり取りに、青年は苦笑しながら持ち場へ向かった。荒野育ちの誰にとっても、これほど滑稽な日常は、初めての経験だった。

 

*

 

 ある朝、ニッカが地上に出ると、いつもの三台に加えて、見慣れない一台が新たに列に並んでいた。塗装の艶が微妙に違うそれは、明らかに新入りらしい緊張感を纏っている。

 

「……また増えてる」

 

 呆然と呟く声に、先頭の車が律儀に答えた。

 

「はい。噂を聞きつけた同型が、また一台加わりました」

 

「噂って、何」

 

「ニッカ様の腕による、奇跡の改修についてでございます。……申し訳ございませんが、止める術を、私どもも持ち合わせておりません」

 

 悪びれもせず告げる声に、ニッカは深く息を吐いた。止められないのは、自分の技術の方かもしれない。そんな身も蓋もない事実に、思い至らざるを得なかった。

 

 資材の運搬で顔を出したピラルが、新入りの車を見るなり口笛を吹いた。

 

「おいおいニッカちゃん、また一台増えてんじゃねえか。俺様にも、その改造とやらのコツ、教えてくれよ」

 

「教えない。むしろ、これ以上増やさないでほしいんだけど」

 

「つれないこと言うなよ。俺の腕にも、まだまだ伸び代があるんだぜ?」

 

「腕の話じゃなくて、車の話。ややこしくしないで」

 

 軽薄な調子で絡んでくるピラルに、ニッカは半ば呆れながら手を振った。それでも本人はどこ吹く風で、新入りの車体を興味深そうに一周し、感心したように顎を撫でていた。

 

「にしても、律儀な車だな。俺様も、こういう忠犬みたいな相棒、一台欲しいぜ」

 

「忠犬じゃない、これは」

 

 言い返す声にも構わず、ピラルは満足げに口笛を吹きながら去っていった。増える一方の車列は、いつの間にか、拠点を訪れる誰もが一度は反応せずにいられない、名物のような存在になりつつあった。

 

*

 

 夕方、拠点の面々が集まった食事の席で、この奇妙な状況が改めて話題に上った。

 

「結局、車列は増える一方か」

 

 メインの問いに、ニッカは力なく頷いた。

 

「今のところ、四台」

 

「来週には五台になってそうだな」

 

「言わないで」

 

 げんなりとした様子のニッカに、デイビッドが慰めるように口を挟んだ。

 

「まあ、危なくはないんだろ。それだけでも、ましだと思うしかないな」

 

「そう思うしかないのが、つらいところ」

 

 その言葉に、ルーシーが静かに付け加えた。

 

「ナイトシティで、車に忠誠を誓われる人間なんて、そういない」

 

「褒めてる? それ」

 

「事実を、述べているだけ」

 

 澄ました口調のルーシーに、ニッカは何も言い返せなかった。

 

 黙って聞いていたキーウィが、煙草の灰を落としながら短く付け加えた。

 

「笑い話で済んでいるうちはいい。だが、拠点の場所を示す目印が地上に並んでいるという事実は、変わらない」

 

 その一言に、食卓の空気がわずかに冷えた。

 

「見張りの目は、増やしておく。それだけは、忘れるなよ」

 

 淡々とした忠告に、誰も反論しなかった。コメディじみたやり取りの合間にも、警戒だけは緩めない。それが、この拠点で積み重ねてきた暮らし方だった。

 

 その頃には、街の一部でも、妙な噂がひっそりと囁かれ始めていた。廃棄物処理施設の裏で、毎日ハザードを焚いて並ぶ黒塗りの車列。理由を知らない者たちの間では、「何か大物の顧客が住んでいるらしい」という、的外れながらも大袈裟な憶測が、少しずつ広がりつつあった。

 

 その噂が、いずれどんな相手の耳に届くのか、確かめる術はどこにもなかった。ただ、地上に上がるたびに繰り返される律儀な挨拶だけが、彼女の日常に静かに根を張り始めていた。

 

*

 

 食事の後、地上に上がったニッカは、変わらぬ車列を前に、深いため息をついた。ハザードランプの明滅が、夕暮れの薄闇の中で、いつまでも規則正しく続いている。乾いた風が頬を撫で、遠くの廃棄物処理施設からくぐもった稼働音が聞こえてくる。荒野の静寂とはまるで違う、この街特有の落ち着かなさに、彼女はもうすっかり慣れてしまっていた。

 

「……別に、こんな忠誠、求めてないんだけど」

 

 誰にともなく漏らした呟きに、先頭の車が律儀に反応した。

 

「承知いたしております。ですが、求められずとも、私どもの心は変わりません」

 

「求めてないって言ってるでしょ」

 

「ニッカ様。本日のご予定は」

 

「……予定なんて、ない」

 

「では、いつでもお申し付けください。私どもは、いつでも、ここに」

 

 律儀な声を背に、ニッカは頭を抱えて梯子へ足を向けた。

 

 荒野に引きこもっていた頃の自分に、この光景を見せてやったら、一体どんな顔をするだろうか。半ば呆れながら、そんなことを考える。

 

 ナイトシティの依頼には、決して関わらない。そう固く誓って、この街へ流れ着いたはずだった。だが、依頼ですらないこの奇妙な忠誠だけは、どうやっても振り払えそうになかった。

 

 地下へ続く階段を下りる前に、もう一度だけ振り返る。夕闇の中に浮かぶハザードランプの列は、変わらぬ律儀さで、彼女の帰りを見送り続けていた。目を凝らせば、拠点の通気口の陰から、小さな明かりが漏れているのも見える。誰かが起きて、夕食の片付けか何かをしているのだろう。灯りの色までは分からないが、動く人影がひとつ、またひとつと横切っていくのが見えた。荒野の作業台に一人きりで向かっていた頃には、こんな明かりに帰るという感覚そのものが、想像の外にあった。

 

 それでも、明日もまた同じ律儀な挨拶が待っているのだと思うと、口元には小さな笑みが浮かんでいた。呆れ半分、諦め半分の、複雑な笑みだった。梯子の先に広がる薄暗い通路へ、ニッカはゆっくりと足を進めていった。

 

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※本作は作者が読みたい原作改変を自給自足する趣味作です。感想や考察はありがたく拝見しますが、展開は作者の予定と趣味を優先して進めます。▼気が付くとアルカンフェルに転生していた▼お仕置きビリビリは嫌だが、巨大小惑星の衝突は回避しないと地球丸ごと死ぬとか草。▼原作開始まで何万年?忘れない様に石板に覚えてる原作内容を書き込んでおこう。気が付いたら眠りの神殿に石板が…


総合評価:3881/評価:8.55/連載:150話/更新日時:2026年09月07日(月) 17:00 小説情報

チートハッキング能力を手に入れた浪人生、善性ゼロのまま世界を幸せにして復讐する~東大理三落ちの欠陥品は、政府と気まぐれ性格最悪女AIを使って現代社会の神になる~(作者:tinko1129)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

東京大学理科三類へ落ちた平尾龍は、自分を人間失格と判定し、首を吊ろうとした。▼その瞬間、あらゆる電脳と機械へ絶対命令を下す【電脳神の右手】を獲得する。▼善性なし。社会性なし。コミュ力なし。▼人が人であるための三要素の無い自分は人ではないし生きる価値等無い▼それでも今度こそ理三へ合格し、人間だと証明する。▼そして受験勉強のストレス解消として、正規品の善人共より…


総合評価:3711/評価:8.43/連載:28話/更新日時:2026年09月14日(月) 20:00 小説情報


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