サイバーパンク:ジャンク・アルケミー   作:たこ焼き 龍月

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第14.2話 目利きのつもりが、店主いじめになっていた件

 

 

 焦げた臭いは、一晩経ってもまだ配電盤の隙間に染みついていた。黒く煤けたブレーカーの蓋を睨みつけながら、ニッカは工具箱の脇にしゃがみ込んでいる。昨夜の怒りはひとまず眠りの中へ押し流したつもりだったが、朝の光の下で焼け跡を見るたびに、腹の底で燻る不満がまた頭をもたげてきた。

 

 電子レンジとハンダゴテを同時に使っただけで、拠点全体の明かりが一斉に落ちる。そんな貧弱な回線に、これから先も付き合っていくつもりはなかった。動画一本まともに流せない環境で、クラフトの真似事などできるはずもない。荒野のガレージにいた頃は、こんな不便を感じたことすらなかったというのに、街の暮らしに慣れてきた分だけ、目につく不満の種類も増えていくらしい。

 

「……こんなんじゃ、話にならない」

 

 誰にともなく漏らした呟きが、静かな作業場に小さく吸い込まれていった。

 

 焼け焦げたブレーカーの蓋を指先でなぞりながら、ニッカは昨夜の光景を思い返す。悲鳴じみた警告音、真っ暗になった作業場、そして手探りで予備の懐中電灯を探し回った数分間。荒野育ちの人間として、暗闇そのものは怖くもなんともなかったが、作業の途中で手が止まるという事態だけは、どうしても許せなかった。

 

 真っ暗な部屋の中でひとり毒づいていた自分の声を思い出すと、少しばかり気恥ずかしくもある。だが、あの怒りがあったからこそ、今朝はこうして次の行動をはっきりと決められている。腹立たしさというのも、使い方次第で、案外役に立つものらしい。

 

 工具箱の蓋を閉め、ニッカは立ち上がった。中途半端な応急処置を重ねるくらいなら、いっそ根から作り直した方が早い。荒野で染みついたその考え方は、街に来た今でも変わらず、彼女の判断の軸であり続けていた。

 

  

 

 通信室の扉を開けると、キーウィは変わらず端末の前に座っていた。煙草の先から立ち上る細い煙が、薄暗い部屋の空気をゆっくりとかき混ぜている。

 

「まだ、根に持ってるのか」

 

「根に持つっていうか、事実として困ってる」

 

 短いやり取りに、キーウィは灰を落としながら小さく息を吐いた。

 

「昨夜さんざん喚いてたわりに、今日はずいぶん静かだな」

 

「喚いても、電力は増えないから」

 

 あっさりとした答えに、キーウィの口元がわずかに緩んだ。

 

「それで、どうする気だ」

 

「カブキの闇市で、業務用のケーブルを調達する。行き先の当ては、もうつけた」

 

「つけた、というのは」

 

「前に米や出汁を買いに行った時、それらしい店をいくつか見かけてる」

 

 実際に見て回った上での答えに、キーウィはそれ以上追及しなかった。

 

「ケーブルを調達して、それからどうする」

 

「地下のインフラ層まで潜って、まともな電力を引く。この際、回線も一緒に」

 

「大がかりだな」

 

「小手先の応急処置は、もう限界。どうせやるなら、根本から解決する」

 

 言い切るニッカの表情には、いつもの渋々とした様子とは違う、静かな確信が滲んでいた。キーウィはしばらく黙って煙を吐き出してから、灰皿に押しつける手を止めた。

 

「勝手にやれとは言わない。だが、企業の管理区域に潜るなら、それなりの備えは要る」

 

「分かってる。デイビッドとルーシー、それにファルコも、昨夜のうちに話はついてる」

 

「妥当な人選だ」

 

 短い同意に、ニッカは小さく頷いた。

 

「それで、幹線に手をつけて、企業に気づかれない自信はあるのか」

 

「フィルター、もう頭の中にはある。ジャンクの変圧器を一つ噛ませれば、向こうの監視網には引っかからないはず」

 

「口で言うほど、簡単な話か」

 

「簡単じゃないから、これからケーブルを買いに行く」

 

 軽く言い切るニッカに、キーウィは煙を吐き出しながら、それ以上は追及しなかった。理屈の中身までは分からずとも、彼女の技術に対する信頼だけは、いつの間にか揺るぎないものになっているらしかった。少なくとも、頭ごなしに止められることだけはなさそうだと、ニッカは密かに安堵していた。

 

  

 

 朝食を終えた頃には、話は自然と拠点全体へ広がっていた。簡易テーブルを囲む顔ぶれの中で、真っ先に身を乗り出したのはレベッカだった。

 

「あたしも行く! カブキの闇市なら、面白い物騒な連中がいっぱいいるだろ!」

 

「あんたには、こっちで別の仕事がある」

 

 キーウィが煙草を挟んだ指先で、焦げたブレーカーの残骸を指し示した。

 

「予備の変圧器が届くまで、この応急の分電盤を見張ってろ。また落ちたら、拠点全体が真っ暗になる」

 

「……それ、地味に大事な仕事じゃねえか」

 

「地味だが、大事な仕事だ」

 

 すんなりと丸め込まれたレベッカは、渋々ながらも頷くしかなかった。

 

「デイビッドとルーシー、それにファルコは、昨夜決めた通りだな」

 

 メインの一言に、ファルコは帽子のつばへ軽く指をかけた。

 

「山ほど買い込む気なんだろう。荷物担いで歩かせるより、車を出した方が早い」

 

「助かる」

 

 短いやり取りに、デイビッドとルーシーも短く頷いた。ニッカはほっと胸を撫で下ろす。人数が増える分の気掛かりはあったが、足があるならないよりずっとましだった。

 

「にしても、あんたを地下に潜らせるなんてな」

 

 ピラルが荷物を担いだまま、からかうように笑った。

 

「今度は何を盗むつもりだ」

 

「盗むというか、正当に……いや、盗電だけど」

 

 しどろもどろに答えるニッカに、ピラルが噴き出した。

 

「開き直ってんじゃねえか」

 

「開き直ってない。仕方ない、って言ってるだけ」

 

 軽口の応酬に、テーブルの空気が少しだけ和らいだ。

 

  

 

 支度を整える段になって、荷物の中身を巡って一悶着が起きた。作業場の工具箱を丸ごと車に積み込もうとするニッカを、ルーシーが冷静に止める。

 

「車に積むからって、際限なく詰め込んでいいわけじゃないでしょう」

 

「でも、現地で何が要るか分からないし」

 

「必要な分だけ選びなさい。あんたの荷物、いつも多すぎる」

 

 厳しい指摘に、ニッカは渋々と工具の取捨選択を始めた。半分近くを作業場に残し、それでも荷袋にぎっしり詰まった工具箱を見て、ルーシーは小さくため息をついた。

 

「まだ多い」

 

「これ以上は、削れない」

 

「……まあ、いいわ。あんたの判断を信じる」

 

 素直に引き下がるルーシーに、デイビッドが拍子抜けした様子で肩をすくめた。

 

「今日は、車任せで済むってわけか」

 

「地下に入るまではね」

 

「そこだけは、覚悟しとくよ」

 

 軽口を叩き合う二人を横目に、ルーシーは端末を操作しながら周囲の電波状況を確認していた。

 

「準備、できた?」

 

「できた」

 

 短いやり取りを最後に、四人は拠点の出口へと向かった。

 

  

 

 支度を整えた四人が拠点を出る頃には、地上はすでに乾いた熱気に包まれていた。運転席に乗り込んだファルコが、後部座席にどっしりと積まれた荷袋を一瞥する。

 

「もうこんなに詰め込んでるのか」

 

「これでも減らした方」

 

 軽いやり取りを挟み、車は静かに走り出した。ほどなくして、カブキの闇市に程近い裏通りでファルコが車を停める。

 

「ここから先は歩きだ。俺は車で待ってる。何かあったら、すぐ連絡寄越せ」

 

「うん、頼りにしてる」

 

 ファルコと荷袋を車に残し、ニッカたち三人は路地の奥へと足を踏み入れた。ルーシーは端末を片手に周囲の電波状況を確かめながら、静かな足取りで先を歩く。

 

「監視カメラの死角は、頭に入れてある。この道なら、目立たずに抜けられる」

 

「さすが」

 

「褒めても、何も出ない」

 

 軽くいなされて、ニッカは小さく苦笑した。手ぶらのデイビッドは、心なしか足取りも軽くあたりを見回している。

 

「ケーブルって、そんなに重いのか」

 

「業務用の高出力ケーブルだから。細くても、詰まってる銅の量が違う」

 

「へえ」

 

 興味なさそうな相槌に、ニッカはむきになって説明を続けた。

 

「普通の家庭用とは、そもそも許容電流が桁違い。皮膜の耐熱性能も、規格からして別物。下手な安物を使うと、また昨夜みたいに焦げる」

 

「分かった分かった、とにかく重いんだな」

 

 雑にまとめられ、ニッカは唇を尖らせた。専門的な話に食いついてくれる相手が、この街にはあまりに少ない。

 

「あんた、そういうところ、バートに似てる」

 

 黙って歩いていたルーシーが、ふと呟いた。

 

「……なんで、バートのこと知ってるの」

 

「前に、少しだけ聞いた。誰かに、道具の話を延々と聞かせたがる癖があったって」

 

 思いがけない指摘に、ニッカは言葉を詰まらせた。荒野で過ごした日々の断片が、こんな形で誰かの記憶に残っていることが、少しだけくすぐったい気分にさせた。

 

  

 

 カブキの闇市へと続く路地は、昼間だというのに薄暗かった。頭上を覆う看板や配管の隙間から、細く差し込む光だけが、道の輪郭をかろうじて浮かび上がらせている。屋台の並ぶ表通りとは違い、行き交う人の足取りにも、どこか用心深さが滲んでいた。

 

 壁に貼られた古い広告の上から、さらに新しい広告が重ねて貼られ、その表面が幾層にも剥がれかけている。排水管から滴る水音が、規則正しく路地の奥へ反響していた。荒野の静寂とはまるで違う、湿った緊張感が路地全体を覆っている。

 

 途中、道幅が急に狭まる曲がり角で、足元の水たまりに気を取られたデイビッドが、勢い余って肩を壁に打ちつけた。

 

「……いてえ」

 

「大丈夫?」

 

「平気。ちょっと油断しただけだ」

 

 情けない声を漏らすデイビッドに、ルーシーが涼しい顔のまま先を歩いていく。

 

「二人とも、遅い」

 

「あんたも、たまには苦労しろよ」

 

 悪態をつくデイビッドに、ルーシーはそれ以上取り合わなかった。

 

「こういう場所、慣れないな」

 

 デイビッドが小声で呟くと、ルーシーが端末の画面から目を離さずに答えた。

 

「慣れなくていい。慣れた頃が、一番危ない」

 

 短い忠告に、デイビッドは黙って頷いた。

 

  

 

 ルーシーが先導し、露店の隙間を縫うように奥へと進んでいく。目的の店は、ひときわ雑然とした一角にあった。天井から吊るされた古びた配線コードが、まるで蜘蛛の巣のように店先を覆っている。

 

「ここ」

 

 ルーシーが短く告げた先に、山積みになったケーブルの束と、埃をかぶった工業用機材が無造作に並んでいた。奥の作業台に腰掛けていた初老の男が、ゆっくりと顔を上げる。

 

  

 

「客か。珍しいな、こんな上物揃いの店に、若いのが三人も」

 

 男の目が、真っ先にニッカの手元へと向いた。工具ベルトに下げられた擦り切れた道具の並びを、値踏みするように眺め回している。

 

「業務用の高出力ケーブル、探してる」

 

「業務用、ねえ。どの程度の?」

 

「軍用規格に近い耐熱・耐圧のもの。できれば、シールド層も厚めのやつ」

 

 迷いのない注文に、男の眉がわずかに上がった。

 

「……嬢ちゃん、素人じゃねえな」

 

「素人だったら、こんな店に来ない」

 

 そっけない返答に、男は喉の奥で低く笑った。

 

「気に入った。奥の棚、案内するぜ」

 

  

 

 奥に案内された棚には、色も太さもばらばらのケーブルが、無造作に巻かれて積み上げられていた。ニッカは一巻きを手に取り、断面を確かめるように光へかざす。

 

「……これ、被膜の劣化が進んでる。芯線は悪くないけど」

 

「見る目あるじゃねえか。そいつは、旧アラサカの解体現場から流れてきた品でな」

 

「劣化してる分、値引きして」

 

「おいおい、そこは黙って買うところだろ」

 

 男が呆れたように言い返すと、ニッカは平然と次の一巻きへ手を伸ばした。

 

「こっちは、シールドの巻きが甘い。電磁干渉に弱そう」

 

「細けえこと気にするねえ」

 

「気にしないと、後で燃える」

 

 容赦のない指摘の連続に、男の表情から次第に余裕が消えていった。デイビッドが横で小さく噴き出す。

 

「ニッカ、値切るの得意すぎるだろ」

 

「値切ってない。事実を、指摘してるだけ」

 

  

 

 四巻き目を手に取ったところで、男が得意げに口を挟んできた。

 

「そいつなら、文句ないだろう。軍用規格のシールドケーブル、正真正銘の新品だぜ」

 

 男が誇らしげに掲げた一巻きを、ニッカはしばらく無言で見つめていた。表面の艶、刻印された規格番号、どれも一見すると申し分のない品に見える。だが指先で軽く撫でた瞬間、その手が不自然に止まった。

 

「……これ、偽物」

 

「はあ? 何言ってやがる」

 

「刻印の位置が、本来の規格より二ミリずれてる。皮膜の樹脂も、正規品よりちょっと安っぽい」

 

 男の顔が、みるみる強張っていった。

 

「そ、そんな細かいとこ、分かるわけ……」

 

「分かる。荒野じゃ、こういう偽物のガラクタを散々掴まされてきたから」

 

 平然と言ってのけるニッカに、デイビッドとルーシーが同時に視線を向けてきた。値踏みの速さに、ただ感心しているだけらしい。

 

「……とにかく、これは要らない」

 

 冷や汗を浮かべた男は、そそくさとその一巻きを棚の奥へ引っ込めた。

 

「まあ、その、仕入れ先の言い値をそのまま信じてただけで……悪気はねえんだ」

 

「今度から、ちゃんと検品して」

 

 説教じみた口調に、男はばつが悪そうに頭を掻いた。それでも懲りた様子は見せず、すぐに別の一巻きを取り出してくる。

 

「なら、こいつはどうだ。『開運ケーブル』っつってな。使うと商売繁盛するって噂の品でよ」

 

「……そんな効能、あるわけない」

 

「まあまあ、話のタネによ。占い師のオバチャンが太鼓判押してた品だぜ」

 

「オカルトはいらない。ちゃんとした規格のやつ」

 

 にべもない返事に、男はわざとらしく肩を落としてみせた。

 

「夢のねえ嬢ちゃんだな」

 

「夢より、規格書」

 

 ばっさりと切り捨てられた男は、苦笑しながら次の棚へと案内していく。デイビッドが小声でルーシーに耳打ちした。

 

「あの『開運ケーブル』、本当にご利益あるのかな」

 

「ないでしょうね。あったら、この店主がとっくに大儲けしてる」

 

 冷静な指摘に、デイビッドは納得したように頷いた。

 

  

 

 五巻き目を手に取ったところで、ニッカの表情がわずかに変わった。断面の艶と、皮膜の張りを確かめる指先の動きが、それまでよりも慎重になる。

 

「……これ、悪くない」

 

「だろ? そいつはミリテクの旧型軍用規格でな。滅多に出回らねえ代物だ」

 

「耐熱性能は?」

 

「保証はできねえが、当時の資料じゃ相当な数値だったはずだ」

 

 ニッカはケーブルを軽く曲げ、皮膜の弾性を確かめながら黙り込んだ。頭の中では、前世の記憶にある規格表と、目の前の実物の感触が、静かに照合されていく。数値化された確信ではなく、指先が下す判断だった。

 

 断面から覗く芯線の輝き、巻き方の均一さ、皮膜を指の腹で押し返してくる弾力。どれをとっても、これまで見てきた品とは一線を画していた。荒野で鍛えた勘が、これなら任せられると静かに告げている。

 

「これ、必要な分だけ欲しい」

 

「必要な分って、どれくらいだ」

 

 ニッカが告げた長さに、男は一瞬だけ目を丸くした。

 

「そんだけあれば、ビル一棟の配電、丸ごと組み替えられるぞ」

 

「……別に、ビル一棟建てるわけじゃないから」

 

 しどろもどろに誤魔化す様子に、男は何かを察したように口元を歪めたが、それ以上は追及してこなかった。この街の闇市では、客の事情に深入りしないことが、暗黙の作法らしかった。

 

「にしても、その目利き。ただの技術屋には見えねえな」

 

 男が値段を計算しながら、探るように言葉を続けた。

 

「最近、噂を聞くんだよ。バッドランズだかどこだかに、化け物じみた腕を持つメカニックがいるって」

 

「……知らない」

 

 ニッカが視線を逸らすと、隣でルーシーが口を挟んだ。

 

「関係ない話」

 

「そうかい。まあ、詮索する気はねえよ。この商売、余計な詮索は命取りだからな」

 

 たやすく引き下がる男の態度に、ニッカは内心で胸を撫で下ろした。噂が独り歩きしている感触だけは、確かに肌で感じ取っていた。

 

「代金は、これで」

 

「……もう少し、まけて」

 

「さっきさんざん粗探ししただろうが。これ以上は、こっちが赤字だ」

 

「さっき偽物を掴ませようとしてた分、まだ精算してないと思うけど」

 

 鋭い切り返しに、男は言葉を詰まらせた。押し問答の末、いくらか端数を削ぎ落とした金額で折り合いがついた。デイビッドが巻かれたケーブルを肩に担ぎながら、感心したように呟く。

 

「ニッカと買い物すると、大抵の店主が疲れた顔になるな」

 

「褒め言葉として、受け取っておく」

 

 店を出ようとする三人の背中に、男が思い出したように声をかけてきた。

 

「また何かあったら、寄ってくれや。値切られるのは癪だが、目利きのいい客は、こっちも助かる」

 

「また偽物掴ませようとしたら、次はもっと厳しく見る」

 

「勘弁してくれ……」

 

 情けない声を背に受けながら、三人は店先を後にした。

 

  

 

 噂が独り歩きしているという感触は、これで何度目になるだろうか。バッドランズに引きこもって静かに暮らすはずだった自分の名前が、こんな路地裏の店主にまで届いている。誓いを立てた十八の夏には、想像すらしなかった成り行きだった。認めたくはなかったが、こうして指摘されるたびに、胸の奥がわずかにざわつくのも事実だった。

 

 支払いを終えたところで、ニッカの端末が短く振動した。画面に浮かんだ発信元の表示に、彼女は小さく眉を寄せる。

 

「……レジーナ」

 

 画面をタップすると、簡潔な文面が表示された。

 

『カブキにいるんでしょう。近くまで来てるなら、少し寄っていかない?』

 

 どこから見ているのか分からない指摘に、ニッカは思わず周囲を見回した。だが、それらしい人影は見当たらない。

 

「なんで、こっちの場所が分かるの」

 

 打ち込んだ文面に、すぐ返答が届いた。

 

『昔の記者仲間から、ちょっとした噂が回ってきただけ。詮索しないで』

 

「詮索してるのは、そっちでしょ」

 

『お互い様よ。それより、今日は何を仕入れに?』

 

 答えるべきか迷った末、ニッカは短く打ち込んだ。

 

『電力インフラ関連。詳しくは言えない』

 

『地下の配電網に、手を出す気ね』

 

 図星を突かれ、ニッカは思わず端末を睨みつけた。

 

『……なんで分かるの』

 

『この街で、まともな電力を求める人間が行き着く先なんて、限られてる。気をつけて。あそこの地下は、企業の目が厳しいから』

 

 その一文に、ニッカの表情がわずかに引き締まった。

 

「レジーナ、なんか気になること言ってる」

 

 端末を覗き込んだデイビッドが、怪訝そうに眉をひそめる。

 

『何か、知ってるなら教えて』

 

 打ち込んだ問いに、少し間を置いて返答があった。

 

『詳しくは、また今度。今は、足元に気をつけなさいってだけ。……それと、「鈴木」さん、闇市での買い物、随分と鮮やかだったみたいね』

 

 最後の一文に、ニッカは思わず息を呑んだ。

 

『……見てたの』

 

『見てないわ。ただ、噂が耳に入っただけ。あんた、もう少し目立たない生き方、覚えた方がいいんじゃない?』

 

 からかうような一文を最後に、通信は静かに途切れた。ルーシーが端末の画面を横目に見ながら、静かに口を開く。

 

「はぐらかされたわね」

 

「うん。でも、無視できる感じでもない」

 

 三人はしばらく黙り込んだまま、荷物の重みを確かめるように工具ベルトを締め直した。

 

  

 

 待たせていた裏通りへ戻ると、ファルコが窓を下ろして片眉を上げた。

 

「ずいぶん買い込んだな」

 

「必要な分だけ」

 

「いつもその台詞だな」

 

 軽口交じりに、ファルコが手を貸しながら、肩に担いできたケーブルを車に残していた荷袋へ押し込んでいく。詰め終えた荷袋を、デイビッドが担ぎ直した。

 

「次は、地下の入口だったな」

 

「うん。近くまで、お願い」

 

「任せろ」

 

 車が静かに走り出し、ほどなくして人気の少ない区画へと滑り込んでいく。目的の場所からいくらか離れた路地で、ファルコが車を停めた。

 

「ここで待ってる。長引くようなら、すぐ連絡寄越せ」

 

「分かった」

 

 荷袋を背負い直したデイビッドを先頭に、ニッカたち三人は車を降りて企業の管理区域へと足を進めた。

 

  

 

 闇市を抜けた先には、表通りとはまるで違う静けさが広がっていた。剥き出しの配管が地表からわずかに顔を出し、その下に、錆びついた金属の蓋が地面へ埋め込まれている。周囲には、企業の管理区域を示す色褪せた警告表示が、申し訳程度に貼られていた。

 

「ここが、入口?」

 

「ルートは、下調べ済み。ここから地下の保守通路に入れば、電力・データ両方の幹線が集中する層へ抜けられる」

 

 ルーシーが端末の画面をニッカへ向けると、そこには薄い緑色の光点で描かれた簡易的な地図が表示されていた。無数の線が絡み合うように走り、その中心に、点滅する印がひとつ置かれている。

 

「監視は?」

 

「表向きは、廃止された保守区画。ただし、完全に無人とは限らない」

 

 静かな警告に、ニッカは頷きだけを返した。荒野で染みついた慎重さが、頭の奥でかすかに疼き始めている。

 

「さっきのレジーナの話、気になるな」

 

 デイビッドが荷袋の紐を締め直しながら、ぽつりと呟いた。

 

「企業の目が厳しいって、どの程度のことなのか」

 

「分からない。だから、慎重に行く」

 

 短く答えたニッカの声には、いつもの飄々とした調子とは違う、静かな緊張が滲んでいた。

 

  

 

 蓋の縁に手をかけたデイビッドが、力を込めて持ち上げようとする。錆びついた金属が軋む音を立てながら、わずかに浮き上がった。

 

「重いな、こいつ」

 

「潤滑剤、ある?」

 

 ニッカが工具ベルトから小瓶を取り出し、蝶番の隙間に差し込む。数滴垂らしただけで、軋みの音がわずかに和らいだ。

 

「もう一回」

 

 デイビッドが再び力を込めると、今度は滑らかに蓋が持ち上がった。開いた穴の奥からは、生ぬるく淀んだ空気と、遠くで唸る機械音のようなものが、微かに立ち上ってくる。

 

「……行くの、ここから?」

 

「うん。ここから」

 

 ニッカは短く答え、穴の奥を覗き込んだ。錆びた梯子が、闇の奥へと真っ直ぐに伸びている。この先に、拠点の明かりを取り戻す答えがある。そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥では、それだけでは片付けられない予感が、静かに芽生え始めていた。

 

 ルーシーが端末の光量を落とし、周囲の気配を最後にもう一度確かめる。

 

「行くわよ」

 

 短い合図とともに、三人は順に梯子へ足をかけた。地上の喧騒が、頭上でゆっくりと遠ざかっていく。

 

  

 

 梯子を下りきった先には、剥き出しの配管が天井を這う狭く長い通路が伸びていた。時折落ちる水滴の音と、どこか遠くで軋む金属音だけが、静寂を規則正しく破っている。

 

 先頭を行くルーシーが、端末の光量を最小限に絞ったまま、慎重に足を進めていく。デイビッドは荷袋の重みに時折よろけながらも、黙って後に続いた。

 

「ここ、思ったより長いな」

 

「地図上だと、あと少し」

 

 短いやり取りが、狭い通路に小さく反響する。天井の低さに、デイビッドが何度も頭をぶつけそうになり、そのたびに小さく呻いた。

 

「デイビッド、屈んで」

 

「言われなくても……っ、たっ」

 

 案の定、鈍い音とともにデイビッドの呻き声が響いた。ニッカは思わず噴き出しそうになるのを堪えながら、彼の背中を軽く叩く。

 

「大丈夫?」

 

「……大丈夫じゃない気がするけど、大丈夫」

 

 情けない声に、ルーシーが振り返らないまま、淡々と付け加えた。

 

「三人とも屈まないと、あと十回はぶつける」

 

 その忠告通り、ニッカも一度だけ頭をこすりつけそうになり、慌てて姿勢を低くした。荒野の廃車の下に潜り込む姿勢の方が、よほど慣れているはずなのに、こういう場面では勝手が違うらしい。狭い通路を進むだけで、これほど体力を使う羽目になるとは、出発前には思いもしなかった。

 

  

 

 通路を抜けた先に広がっていたのは、想像していたよりもはるかに広い空間だった。

 

 天井は見上げるほど高く、そこかしこから太いケーブルの束が、まるで巨大な木の根のように垂れ下がっている。壁一面に並んだ端子盤には、無数の配線が複雑に絡み合い、微かな唸り音を上げながら明滅を繰り返していた。奥へ目を凝らすと、さらに幾筋もの通路が枝分かれし、闇の奥へと続いている。

 

「……すごい」

 

 思わず漏れた呟きに、誰も言葉を返さなかった。ニッカの目には、その光景が、ただの配線の集積以上のものに映っていた。都市全体を巡る血管の一部を、直接覗き込んでいるような感覚。荒野のガレージで扱ってきた廃品の山とは、規模も密度もまるで別次元だった。

 

「これが、電力とデータの幹線が集中する層」

 

 ルーシーが端末の画面と実際の配管を見比べながら、静かに告げた。

 

「この奥のどこかに、目当ての幹線がある」

 

「探すの、大変そう」

 

「大変だからこそ、ここから先は慎重に」

 

 短い忠告に、ニッカは工具ベルトを締め直しながら頷いた。指先が、目の前に広がる無数の配線を前に、抑えきれない疼きを訴え始めている。だが今はまだ、その疼きに従う段階ではなかった。

 

 デイビッドが荷袋からケーブルの束を取り出し、足元に置きながら周囲を見回す。

 

「で、ここからどうする?」

 

「幹線を見つけて、繋ぐ準備をする。ただし……」

 

 言いかけたニッカの声が、ふと途切れた。奥の暗がりから、規則正しい足音のようなものが、微かに響いてきた気がしたからだった。

 

 三人は同時に息を潜め、闇の奥へと視線を向けた。地下に息づく無数の光の点滅だけが、変わらぬ律儀さで明滅を繰り返している。

 

「……人?」

 

 デイビッドが押し殺した声で問うと、ルーシーは端末の画面へ視線を落としたまま、短く首を振った。

 

「分からない。警備の巡回か、それとも別の何かか」

 

「別の何かって」

 

「今は、考えない方がいい」

 

 静かな返事に、ニッカは工具ベルトの上でそっと指先を握りしめた。荒野で幾度となく味わってきた、あの張り詰めた沈黙とよく似た気配が、地下の空気に満ちていく。足音は、まだ遠い。だが、確実にこちらへ近づいているようにも聞こえた。

 

 誰も言葉を発さないまま、三人は闇の奥をじっと見つめ続けた。頭上を巡る無数の配線だけが、変わらぬ律儀さで淡い光を明滅させている。地下深くに広がるこの静けさの奥に、何が待ち構えているのか。この時の三人には、まだ何も分かっていなかった。ただ、拠点の明かりを取り戻すという単純な目的が、思っていたよりもずっと大きな何かに繋がりつつあることだけは、薄々と感じ取り始めていた。

 

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