サイバーパンク:ジャンク・アルケミー   作:たこ焼き 龍月

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第5.3話 襲撃だと思ったら修理依頼だった

沈黙の重さに耐えかねたように、デイビッドが先に口を開いた。

 

「……悪い。急に押しかけて、驚かせるつもりはなかった」

 

「驚かせるつもりはなかった、で済むと思ってるの」

 

ニッカの声はまだ硬いままだった。喉の奥には、収まりきらない緊張の余熱が残っている。目の前に立つ二人の輪郭が、あの夜の記憶と重なって見えるたび、指先が勝手に強張った。

 

「なんで、ここが分かったの」

 

問いには、単なる疑問以上の響きがあった。地図にも載らない廃車置き場の在り処を知る者など、クランの人間以外にはいないはずだった。招かれざる誰かがその秘密に近づいてくるたび、ニッカは長年守ってきたものが崩れていく音を聞く気がした。

 

「覚えてたんだ。あの夜の道を」

 

デイビッドは、視線を逸らさずに答えた。

 

「意識が半分飛んでても、体だけは覚えてた。目印になりそうな岩とか、看板の位置とか。そういうのを、頭の中でずっと辿ってきた」

 

「……それだけ?」

 

「それだけだ。誰にも話してない。地図にも書いてない」

 

きっぱりとした答えに、ニッカは束の間、言葉を探せずにいた。信じていいのか、まだ判断がつかない。それでも、少なくとも嘘をついている響きではなかった。

 

隣に立つメインが、静かに続けた。

 

「悪かったな、いきなり大人数で押しかけて。ただ、礼を言わなきゃならねえと思ってな」

 

「礼?」

 

「デイビッドの背中を直したのは、あんただろう。あんな仕事、俺は今まで見たことがねえ」

 

野太い声には、推し量るような響きと、隠しきれない敬意が入り混じっていた。ニッカはその視線を受け止めながらも、すぐには表情を緩めなかった。長年かけて磨いてきた警戒心は、そう簡単には解けない。

 

大柄な体格に反して、メインの物腰には荒っぽさよりも落ち着きが勝っていた。長年、荒事の中で仲間を率いてきた者だけが持つ、独特の重心の低さがある。ニッカはその佇まいを、見定めるように一瞥した。少なくとも、目先の得だけで動くような軽薄さは感じられない。

 

十八の夏の記憶が、また胸の奥で疼いた。信じたことで、すべてを失った人間を、ニッカは知っている。誰かの善意に見えるものの裏に、いつも何かが隠れているのではないか。そう疑うことをやめられないまま、彼女はここまで生きてきた。

 

荒野を渡り歩く人間の中には、旅人を装って近づき、寝込みを襲う輩も少なくない。クランの子供たちにも、そういう者たちの見分け方だけは繰り返し叩き込まれてきた。困っているふりをする顔ほど、疑ってかかれ。バートが生前、何度も口にしていた言葉だった。あの教えを、ニッカは今も律儀に守り続けている。

 

それでも、目の前に立つ二人の姿勢には、これまで警戒してきた種類の危うさとは違う何かがあった。少なくとも、隠し立てをしようとする素振りは見えない。判断材料としては心もとないと分かっていながら、ニッカはその違いを、確かに感じ取っていた。

 

 

 

しばらくの沈黙のあと、ニッカは詰めていた息をゆっくりと吐き出した。

 

「……分かった。とりあえず、これ以上は撃たない」

 

その一言に、デイビッドとメインの肩からわずかに力が抜けた。

 

「でも」

 

続けたニッカの声は、まだ鋭さを残していた。

 

「勝手に動かないで。武器には触らないで。私が言った通りにだけ動いて」

 

「分かった」

 

「約束する」

 

二人の返事に、ニッカは小さく頷いた。腰のベルトに差したレンチへ、無意識のうちに手を添える。武器にはならないその重みだけが、今の彼女にとって唯一の支えだった。

 

拡声器のスイッチへ、ニッカはもう一度手を伸ばした。

 

「残りの三人。一人ずつ、両手を挙げてこっちへ」

 

くぐもった声が、荒野に響き渡る。伏せていた車両の陰から、ゆっくりと人影が起き上がった。

 

その様子を、少し離れた場所からバイクにまたがったままの見張りの青年が見守っていた。ハンドルを握る手にはまだ力が入っていたが、事態が最悪の方向へは転がらなかったらしいと悟り、彼は詰めていた息をようやく吐き出した。

 

「……ニッカ姉、無事そうだな」

 

呟きながらも、青年はすぐには持ち場を離れなかった。何かあればすぐに知らせを飛ばせるよう、遠巻きに状況を見守り続ける。ニッカ姉が一人で立ち向かう羽目にならずに済んだ。それだけで、今の彼にとっては十分な救いだった。

 

 

 

先頭を切ったのは、レベッカだった。

 

「行くぜ、行くぜ! あたしが先だ!」

 

「おい、勝手に――」

 

メインの制止も聞かず、レベッカは大股で歩き出していた。両手を高く掲げながらも、その足取りには気負った緊張感がまるでない。むしろ好奇心を隠しきれないような、弾んだ足音だった。

 

その後ろから、ドリオが静かに続いた。

 

「本当に、落ち着きのない子ね」

 

そう言いながらも、彼女の目はガレージの奥、砲身の角度を確かめることを忘れなかった。長年の勘が、警戒を完全に解くことを許さない。銃口がどこを向いているか。何かが動いたとき、誰が最初に狙われるか。ドリオの視線は、無意識のうちにそれらを絶えず計算し続けていた。

 

最後に、ルーシーがゆっくりと歩を進めた。端末を握ったままの手を、あえてゆっくりと持ち上げる。周囲の空気を探るような、静かな目つきだった。

 

三人が鉄柵の前に並ぶと、ニッカは初めて、彼らの顔をひとりずつ順番に見渡した。

 

近くで見るレベッカの顔は、噂に聞いていたよりもずっと幼く見えた。それでいて瞳の奥には、修羅場をくぐり抜けてきた者特有の鋭さが宿っている。

 

「あんたが、ニッカか! すげえな、あの弾道! あたし、あんな精密射撃初めて見たぜ!」

 

興奮を隠しきれない早口に、ニッカは思わずたじろいだ。

 

「……近い。もうちょっと離れて」

 

「あ、悪い悪い」

 

素直に一歩下がったレベッカに、ニッカは小さく息をついた。毒気を抜かれるような感覚だった。

 

「私はドリオ。この子の面倒を見てる」

 

「面倒見られてるつもりねえけど」

 

「黙りなさい」

 

ぴしゃりと返され、レベッカが口を尖らせる。その様子を見ながら、ニッカは小さく喉の奥で笑った。緊張していた頬が、ほんの少しだけ緩んでいくのを感じた。

 

ルーシーだけは、他の三人とは違う距離感でそこに立っていた。深く踏み込むでも、遠ざかるでもなく、ただ静かにニッカを見つめている。

 

「ルーシー。デイビッドの……仲間」

 

短い自己紹介の間、ルーシーの視線はニッカの右腕へわずかに向けられていた。作業用の義手に見えるその輪郭を、確かめるように一瞬だけなぞる。何かを確かめようとする仕草に、ニッカは咄嗟に半歩、体の向きをずらした。

 

「……何、見てるの」

 

「別に。ただ、その腕」

 

「見世物じゃないから」

 

短く切り返した声には、拒絶の響きが混じっていた。ルーシーはそれ以上何も言わず、小さく頷くだけにとどめた。踏み込んでいい距離とそうでない距離を、彼女は経験から正確に見極める術を持っていた。

 

 

 

視線を巡らせ、ニッカは改めて車列と、荷台に積まれたままの武器の数々を見た。込み上げてきたのは、恐怖よりも、呆れに近い感情だった。

 

「そもそも」

 

言葉を選ぶように、ニッカは一度息を吸った。

 

「なんで、こんな大人数で武器積んで人の家に来るの。普通、驚くでしょ」

 

「いや、それは……」

 

デイビッドが言い淀む横で、メインが気まずそうに頭をかいた。

 

「悪かった。荒野だからな、丸腰で出歩く方が危ねえと思って」

 

「気持ちは分かるけど、だったらせめて先に無線でも寄越しなさいよ。いきなり車列組んで突っ込んでくるとか、どう考えても襲撃にしか見えないでしょ。私がもうちょっと臆病だったら、今頃あんたたちの車、蜂の巣になってたところだよ」

 

まくし立てるような口調に、ニッカ自身も驚いていた。誰かに向かってこれほど長く言葉を重ねるのは、久しぶりのことだった。頬がかすかに熱を持つのを感じながらも、止まらなかった。

 

「大体、この辺りは地図に載ってない場所なの。だから安全だったわけで、それを平気で車列組んで突っ切ってこられたら、こっちの苦労が全部水の泡でしょ。何のために迷彩アンテナだの何だの、何年もかけて整備してきたと思ってるの」

 

「……悪い、本当に」

 

「スカベンジャーの群れだったらどうするつもりだったの。ラフィン・シヴの残党が流れてきてたらどうすんの。この辺、たまに変なのが迷い込んでくるんだから。見境なく撃ってくる連中に、大人数で丸腰みたいな恰好で近づいたら、それこそ即死コースでしょ」

 

「……分かった、分かったから」

 

「分かってないよ、絶対」

 

止まらない早口に、メインとデイビッドは顔を見合わせた。誰かにこれほど長く説教されるのは、二人とも久しぶりのことだった。それでも不思議と、不快には感じない。むしろ、その言葉の端々に滲む心配の色に、居心地の悪さと擽ったさが同時に込み上げてくる。

 

「人の家に土足で上がり込まないでよ、まったく」

 

呟くように付け足したその一言に、レベッカが噴き出した。

 

「ギャハハ! なんだよそれ、土足って! ここ、玄関どこにもねえじゃんか!」

 

「うるさい、分かるでしょ、言いたいことは!」

 

思わず声を荒げたニッカに、ドリオが小さく笑みを漏らした。

 

「ごめんなさいね。この子たち、加減を知らないの」

 

「俺も入ってんのかよ、それ」

 

メインが横から口を挟むと、ドリオは澄まし顔で答えた。

 

「あんたが一番よ」

 

「はァ? 俺、両手挙げて丁寧に来ただろうが」

 

「その前に、大砲で撃たれるまで車を止めなかったのは誰だったかしらね」

 

言い返されたメインが、ぐっと言葉を詰まらせる。その掛け合いに、張り詰めていた空気がわずかに緩んでいく。ニッカはようやく肩の力を抜いた。

 

 

 

ルーシーは、その間も無言のまま周囲を見渡していた。錆びついた廃材の山、継ぎ接ぎだらけの太陽光パネル、そしてどこにも見当たらない配線の出所。端末の画面には、依然としてノイズだけが流れ続けている。

 

「この防壁、どういう仕組みなの」

 

静かな問いに、ニッカは一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「企業秘密」

 

「教えてくれないの」

 

「教えるわけないでしょ、初対面で」

 

にべもない返事に、ルーシーはわずかに目を細めた。それ以上は問い詰めず、視線だけを静かに逸らした。答えを引き出すには、もう少し時間が必要らしいと悟ったようだった。

 

メインもまた、格納庫の奥にちらりと視線を送っていた。整然と並んだ工具、天井から吊るされたままの半端な部品の数々。荒野の廃品置き場にしては、あまりに整いすぎている。

 

「大した設備だな。ここまでのもの、どこで揃えた」

 

「拾い物と、作り直し。全部、廃品」

 

「廃品でこれかよ」

 

呆れたような声に、ニッカはわずかに肩をすくめた。褒められることに慣れていない仕草だった。

 

「別に、大したことしてない。あるものを、あるように直しただけ」

 

謙遜のつもりで放った言葉が、かえって場の空気を静めた。メインとドリオが、互いに視線を交わす。並の技術でできる仕事ではないと、二人とも痛いほど分かっていた。それでも、口に出して指摘するのは野暮だと察したのか、どちらも何も言わなかった。

 

格納庫の隅に積まれた棚に、レベッカがふと目を留めた。布に包まれたまま並ぶ、いくつかの試作品らしき塊が気になったらしい。

 

「なあ、あれって何だ? やたら丁寧に包んであるけど」

 

「別に。……作りかけの、備品」

 

「見せろよ」

 

「駄目」

 

短く却下すると、ニッカはその棚の前に自分の体を割り込ませるように立った。原作の記憶の中で、これから危険な目に遭うと分かっている誰かのために、暇を見つけては作り溜めてきたものだった。誰に頼まれたわけでもないその備えを、今はまだ誰にも説明するつもりはなかった。

 

「怪しいなあ、それ」

 

「怪しくない。あんたには関係ない」

 

にべもない返事に、レベッカは口を尖らせながらも、それ以上は詮索しなかった。踏み込みすぎれば追い出されかねない。招かれざる客としての自覚だけは、彼女にもかろうじて残っていた。

 

代わりに、メインが天井近くに取り付けられたアンテナ状の装置へ目を細めた。粗末な廃品を寄せ集めたようにしか見えないその形状は、しかし妙に整然としていて、素人の思いつきとは一線を画す佇まいをしていた。

 

「あれも、あんたの手製か」

 

「……まあ。電波関係、ちょっといじってる」

 

「ちょっと、ねえ」

 

メインは低く笑った。エッジランナーとして数えきれない現場を渡り歩いてきた彼にも、目の前の光景がどれほど異常なものか、痛いほど分かっていた。軍やコーポの技術者が束になっても再現できないような細工を、この小さなガレージの主は事もなげにやってのけている。

 

「気に入らねえのか、褒められんの」

 

「別に。……ただ、大袈裟に騒がれるのが苦手なだけ」

 

ぼそりと答えたニッカの耳が、わずかに赤らんでいるのを、メインは見逃さなかった。それ以上追及することはせず、彼は視線を天井から戻した。

 

 

 

日差しの強さに気づいたのか、ニッカは小さく息をついてから、格納庫の入り口を軽く顎で示した。

 

「……立ち話も何だから、日陰くらいは入っていいよ。長居はさせないけど」

 

その一言に、レベッカが目を輝かせた。

 

「マジか! 入っていいのか!」

 

「はしゃがない。あと、勝手に物に触らない」

 

念を押すニッカの声には、まだ警戒が残っていた。それでも、ここまでの経緯を思えば、招き入れるという判断そのものが、彼女にとって小さくない譲歩だった。誰も彼もを遠ざけてきたはずのこの場所に、初めて見知らぬ人間たちが足を踏み入れようとしている。

 

給水タンクの脇に置かれた古いベンチへ、ニッカは無言で目をやった。座っていいという意味だと察したのか、ドリオが小さく礼を言いながら腰を下ろす。

 

「悪いわね、押しかけておいて世話になって」

 

「別に。喉渇いてるでしょ、水くらいはあるから」

 

そっけない口調とは裏腹に、ニッカはすでに給水タンクの蛇口へ手を伸ばしていた。誰かを放っておけない性分は、警戒心の強さとは矛盾しながらも、彼女の中に根強く残っていた。並べられたコップに水を注ぐその横顔を、デイビッドはどこか懐かしいものを見るような目で眺めていた。

 

そこへ、先ほどの見張りの青年が、恐る恐るバイクを近づけてきた。持ち場を離れる判断に迷った末、様子を見に来たらしい。

 

「ニッカ姉、その……手伝うことあるか」

 

「別にない。もう大丈夫だから、持ち場に戻って」

 

「……了解。何かあったら、無線鳴らしてくれよ」

 

短いやりとりを交わすと、青年はほっとした表情を浮かべ、バイクの向きを変えて走り去っていった。その背中を見送りながら、レベッカが小声でデイビッドに耳打ちする。

 

「クランの連中、みんなあの人のこと気にかけてんだな」

 

「……ああ。俺も、そう思う」

 

デイビッドの声には、どこか羨むような響きが混じっていた。誰にも深く関わらないと決めているはずのニッカのもとに、それでも人が絶えず気を配っている。その事実が、彼女自身の口から語られる硬い言葉とは裏腹に、何かを物語っているように思えた。

 

 

 

一通りの緊張が解けたところで、レベッカがふと思い出したように声を上げた。

 

「なあ、そういえばさ」

 

言うが早いか、レベッカは踵を返し、鉄柵の外に停めたままの車列へ向かって駆け出した。距離のある道のりを、砂埃を巻き上げながら小さくなっていく背中がしばらく見えていた。荷台をまさぐる音がかすかに届いたあと、彼女は息を弾ませながら小走りに戻ってきた。抱えていたのは、苦労の跡が滲む一丁の銃だった。銃身の接合部は歪み、グリップの一部は黒く焦げついている。荒野へ向かう車内で見せていたのと、同じ無残な有様だった。

 

「これ、見てもらえっか。この前の抗争で、無理な連射させすぎちまってよ」

 

差し出された銃を、ニッカは反射的に受け取っていた。手のひらに伝わる歪んだ金属の重みに、指先が自然と動き出す。

 

しばらく無言で銃身を確かめていたニッカの眉が、次第に険しくなっていった。

 

「……ちょっと、これ」

 

「ん?」

 

「排熱経路、めちゃくちゃじゃない。冷却フィンの向きも逆だし、グリップの配線、なんでこんな無理な取り回ししてるの。あと、この給弾機構、耐久度より連射速度優先で組んであるでしょ。そりゃ焼けるよ」

 

早口で並べ立てる言葉に、レベッカは目を丸くした。

 

「そ、そんなことまで分かんのか、見ただけで」

 

「分かるよ、見れば。よくこんな状態で連射できたね、逆に感心する」

 

呆れと感心の入り混じった呟きに、レベッカの口元がにやりと緩んだ。

 

「じゃあ、直せんのか」

 

「直せるかどうかって聞かれたら」

 

言いかけて、ニッカは一度言葉を切った。手の中の銃を見つめる目には、苛立ちとは違う色が滲み始めていた。壊れた機構の奥に隠された、直すべき道筋が見えてしまう。長年染みついた性分が、警戒心よりも先に疼き出していた。

 

「直せるけど」

 

「マジか!」

 

「でも、期待しないで。あくまでその場しのぎの応急処置だからね。ちゃんとした施設で見てもらった方が、長い目で見れば絶対いいから」

 

そう言いながらも、ニッカの指先はすでに銃身の継ぎ目をなぞり始めていた。作業台の上に無造作に転がる工具の群れが、視界の端でやけに存在感を放っている。頭の中では、前世の記憶に刻まれた最適化のレシピが、静かに再生を始めていた。

 

「ちょっと待ってて」

 

短く言い残すと、ニッカは踵を返し、ガレージの奥へと歩き出した。焦げついたグリップを片手に提げたその背中を、レベッカたちは無言で見送った。

 

 

 

工具棚の前に立ったニッカは、銃を作業台に横たえ、まずは全体を眺め回した。歪んだフレーム、焼け焦げたグリップ、緩みきったネジの数々。素人目にも修理不可能に見える有様だったが、彼女の目にはむしろ、直すべき箇所が輪郭を伴って浮かび上がってくるように見えた。

 

排熱の通り道を作り直せば、連射時の熱暴走は抑えられる。グリップの配線を組み直せば、反動の伝わり方そのものが変わる。廃棄されたモーターの巻き線を流用すれば、初速も底上げできるはずだった。頭の中で組み上がっていく設計図に、ニッカの指先が勝手に反応していた。

 

作業台の陰から、レベッカが遠慮がちに顔を覗かせていた。

 

「本当に、直る感じなのか」

 

「まだ分かんない。……でも」

 

言葉を切ったニッカの口元に、わずかな笑みが浮かんでいた。誰かに向けたものではなく、目の前の壊れた機械そのものへ向けた笑みだった。

 

「悪くない素体ではあるよ、これ。基礎設計は、そんなに酷くない」

 

その一言に、レベッカの表情がぱっと明るくなった。

 

「だろ! あたしのダチが選んでくれた一丁でよ!」

 

「……そう」

 

素っ気なく返しながらも、ニッカの手はすでに工具箱を漁り始めていた。長年の癖で、口よりも先に指が動く。誰かのために手を動かすことに、彼女はまだ慣れていなかった。それでも、壊れた機械を前にして手を止めることは、どうしてもできなかった。

 

作業台の反対側から、ルーシーが静かに歩み寄ってきた。銃身を分解していくニッカの手つきを、じっと見つめている。

 

「その手際、どこで覚えたの」

 

「見よう見まね。あと、独学」

 

「独学で、これ?」

 

疑うような響きに、ニッカの手が一瞬止まった。踏み込まれたくない領域を、不意に突かれた感覚があった。

 

「……信じなくてもいいけど」

 

「信じてないとは言ってない」

 

ルーシーの声に、詰問めいた鋭さはなかった。ただ、事実を確かめようとする冷静さだけがある。それがかえって、ニッカの警戒を強くさせた。

 

「あんたのそのネットランナーの目で、私を値踏みしようとしてるなら、無駄だよ。探られて困るようなことは、脳の中にしかないから」

 

「……そう」

 

短く答えると、ルーシーはそれ以上追及するのをやめた。手がかりを一つも与えないその態度に、彼女はかえって強い興味を掻き立てられているようだった。しかし今は、それを表に出す時ではないと判断したらしい。踵を返し、静かにベンチの方へと戻っていった。

 

 

 

離れた場所で、その様子を見守っていたドリオが、隣に立つメインに小さく囁いた。

 

「気に入られたみたいね、あの子」

 

「……そうみてえだな」

 

メインの声には、安堵とも呆れともつかない響きが混じっていた。あれほど激しく威嚇していた相手が、今では夢中で銃の状態を確かめている。その変わり身の早さに、彼自身も内心で驚きを隠せずにいた。

 

ふと、ドリオの視線がメインの右手へ落ちた。ベンチの縁に置かれたその手は、一見すると普段通りに見える。それでも指先が、ほんのわずかに小刻みに震えているのを、彼女は見逃さなかった。

 

「……メイン」

 

「なんだ」

 

「何でもない」

 

言いかけた言葉を、ドリオは飲み込んだ。今この場で問い詰めても、返ってくる答えはいつもと同じだろう。大した事じゃねえ。その一言だけを聞くために、わざわざ空気を壊す必要はない。そう自分に言い聞かせながらも、彼女の胸の奥には、拭いきれない小さな不安が沈んでいた。

 

ここ最近、メインの震えは日を追うごとに目立つようになっている気がした。任務中、銃を握る手が一瞬強張ること。眠りが浅く、夜中に何度も目を覚ますこと。本人はそのすべてを、ただの疲労だと片付けている。ドリオもまた、深く追及することを避けてきた。認めてしまえば、何かが決定的に変わってしまう。そんな予感が、彼女に踏み込むことをためらわせていた。

 

せめて今は、と彼女は思い直す。この穏やかな時間だけは、余計な影を差し込ませたくなかった。ベンチの上で水を飲み干したメインが、ふと振り返り、怪訝そうな顔をした。

 

「何、見てんだよ」

 

「別に。あんたの顔、日に焼けすぎだと思って」

 

「うるせえ」

 

軽口で誤魔化すと、ドリオは小さく微笑んで視線を逸らした。

 

デイビッドもまた、少し離れた場所からその光景を見つめていた。作業台に向かうニッカの横顔は、あの夜、自分の背中に工具を当てていたときと同じ表情をしている。誰かを助けることに、迷いも損得も持ち込まない横顔だった。

 

「あいつ、会った時と変わんねえな」

 

その声に、隣に立っていたルーシーが小さく反応した。

 

「知り合いって、こういう感じなのね」

 

「……ああ。多分」

 

デイビッドは、それ以上うまく言葉を続けられなかった。あの夜からまだそう時間は経っていない。それでも、ニッカという人間の輪郭が、少しずつ自分の中で確かな形を結び始めているのを感じていた。

 

「ナイトシティで人を信用したら、死ぬ。そう思って生きてきたはずなのに」

 

ルーシーのその言葉には、自嘲めいた響きが混じっていた。目の前で銃の修理に没頭する小柄な背中を見つめながら、彼女はどこか納得のいかない表情を浮かべている。警戒すべき相手のはずなのに、警戒しきれない。その戸惑いを、言葉の端々に滲ませていた。

 

「ここは、ナイトシティじゃない」

 

デイビッドが静かに返すと、ルーシーはしばらく黙り込んだあと、小さく頷いた。

 

「……そうね。まだ、分からないけど」

 

その声には、完全な信頼にはほど遠い、それでも確かにわずかな変化の兆しが宿っていた。

 

 

 

太陽が中天を過ぎ、荒野に落ちる影が少しずつ長さを変え始めていた。乾いた風が、ガレージの錆びたトタン屋根を小さく鳴らしている。誰も、まだこの静けさがどれほど長く続くのか、分かってはいなかった。

 

作業台の上で、ニッカは銃身の奥を覗き込みながら、小さく息をついた。壊れたものを直す。それだけのことのはずだった。それでも、今日という日が、これまでの静かな暮らしとは何か違うものへと繋がっていく予感を、彼女はまだうまく言葉にできずにいた。

 

誰にも深く関わらない。誰にも頼らせない。十八の夏に立てた誓いは、今もニッカの中で色褪せてはいない。それでも、給水タンクの前で談笑する四人の姿を横目に見ながら、彼女はふと、その誓いのほころびに気づき始めていた。追い返すべき相手だったはずの人間たちが、今はただ、ベンチに腰かけて水を飲んでいる。その光景のあまりの穏やかさに、ニッカは自分でも戸惑いを隠せずにいた。

 

工具を握り直し、ニッカは焦げついたグリップの解体に取りかかった。ネジを一本ずつ緩めていくたび、荒野の乾いた空気の中に、小さな金属音だけが規則正しく響いていった。フレームの奥に隠れていた焼け跡が、少しずつ日の光にさらされていく。この銃がどんな形に生まれ変わるのか、まだニッカ自身にも見えていなかった。それでも指先は迷わず、次にほどくべきネジへと伸びていった。

 

作業の合間、ふと顔を上げると、ベンチに腰かけた四人の姿が視界に入った。談笑するレベッカ、それを窘めるドリオ、静かに水を口に運ぶルーシー、そして少し離れた場所からこちらを見つめているデイビッド。見知らぬ人間たちがこの敷地の中にいるという事実は、依然としてニッカの胸をざわつかせている。それでも、その光景をすぐに追い払いたいとは、もう思わなくなっている自分に気づいていた。

 

手元の銃へと視線を戻し、ニッカは小さく息を吐いた。今はまだ、この時間の意味を深く考えたくはなかった。ただ目の前の壊れたものを、いつも通り丁寧に直していく。それだけで、十分だった。

 

乾いた風がもう一度、錆びついたトタン屋根を静かに揺らして通り過ぎていった。

 

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