長野発東京行きの新幹線。
休暇を利用して諸伏高明は東京の親戚の家に向かった。
窓の外は雨が降っていた。
高明は漢詩の一句を思い出す。
(随分と遅くなってしまった、というべきかな……)
スマホが届いて景光のいなくなった予感を知ってから、景光が世話になった親戚の家に行くのはこれが初めてになる。
高明は窓の外の風景から持ってきていた本に目を移した。
新幹線は東京に着いた。
東京は朝から快晴だった。
少しだけ変わった街並みを迷いなく進むと、目指す一軒家があった。
インターフォンを押すと、中から年配の女性が顔を出す。
「いらっしゃい、待ってたよ」
廊下を歩きながら高明が持ってきた長野のお土産の紙袋の中を覗き、叔母はにこにこと笑った顔を高明に見せた。
「高明くんから連絡くれるなんて嬉しいわぁ」
高明は居間に着くと縁側にいる叔父にも挨拶する。
叔父は手を挙げて応えた。
「何もないけど、ゆっくりしていって」
「どうぞお構いなく」
叔母はキッチンでお茶を用意しながら、高明にも聞こえるようにごちる。
「景光はどうしてるのかしら?」
「警察って本当に忙しいのねぇ」
「ちょっとは顔見せてくれたっていいのに」
テーブルにお茶とお菓子のかごが置かれた。
叔母は叔父の元にも茶を置いて戻ってきた。
高明は静かに茶を一口飲んだ。
「高明さんも長野で忙しいんでしょ?」
「そうですね」
「そうよねぇ。それなのに遠くから来てくれてありがとう」
「いえ」
「今日帰っちゃうの?」
「ええ」
「残念」
叔母は高明が持ってきたばかりの『雷鳥の里』を開けた。
「これ好きなのよねぇ」
叔母はお菓子を頬張る。
高明は口元を緩めた。
(また買ってくるのもいいですね……)
叔母の様子を見た後、ふと目の前の棚の上の写真立てに視線を送った。
景光がいくつもの風景の中で笑っている。
だんだんと成長していく姿。
学生服を着て入学式に撮影した写真等もある。
視線に気づいた叔母が立ち上がった。
「……?」
やがて分厚いアルバムの束がテーブルに置かれて、意表を突かれた高明はわずかに目を見開いた。
(私はそんなに景光の写真を見つめていたでしょうか……)
「全部じゃないけどね……」
「ほら」と笑って叔母は一番上にあったアルバムを高明に渡した。
高明は促されるまま開いた。
「もう、あの子が元気になってから大変だったのよ」
「そうなのですか?」
「なんて言うの?……あのかわいい顔でお願いされるとつい騙されちゃうと言うか」
「なるほど。人はそれを『小悪魔』と言いますね」
「ああ、そんな感じね!」と叔母は笑った。
「色んなことに興味を持つし、色んなところにも連れてったよ。その分、勉強やら練習やらは頑張ってたみたいだけど」
高明はアルバムから目だけ離した。
「でもね、普段はやっぱり男の子って感じだった。小さい頃はよく熱も出したし、宿題も口酸っぱく言ってもなかなかしないのよ」
高明は心当たりがあって頷いた。
家族総出の雪かきも、いつの間にか景光は抜け出して遊んでいた。
「走り回って疲れて、会社から帰ってくるお父さんにおんぶされて帰ってきたり、ね?」叔母の問いかけに、「そうだな」と叔父が少しだけ高明たちを振り返り、また窓の外を見た。
「ほぉ」高明は素直に驚いた。
「いっつもどこかに絆創膏貼った、やっぱりやんちゃそうなお友達も連れてきてね」
叔母は苦笑する。
高明が見ていた写真にも、絆創膏を貼って拗ねた顔を赤くした子供が笑顔の景光と並んでいる。
高明の頭の上からポツリと声が聞こえる。
「零くんも元気かしら……」
高明はアルバムのページをめくった。
結局、出されたアルバムを見終わると夕方も近くなっていた。
「じゃあ気をつけてね」
玄関先で高明を見送る親戚夫婦に高明は頭を下げ、親戚の家を出ると、再び東京の街へ出た。高明は知らない間に景光も通った道を歩く。
やがて毛利探偵事務所の前に着いた。
明かりがついている。
その下にはカフェ・ポアロがある。
(もう遅いですね……)
(でも1杯くらいなら……)
少し迷って高明はカフェへと一歩足を踏み出す。
「あれー?諸伏警部?」
上の窓を見るとコナンが手を振っていた。
そう思ったら姿が消えた。
「ああ?トウモロコシだってぇ?」
代わって、小五郎が開いた窓から顔を出す。
酔って顔を赤くし、不機嫌そうだ。
後ろから「お父さん、危ないよ!」と女性の声が響く。
(かえって、お邪魔をしてしまったようですね)
姿が消えたと思ったコナンが、今度は階段を降りて出てきた。
(ふむ、なぜ少年にはわかったのでしょうか……)
高明は不思議そうにコナンを眺める。
コナンは首を傾けつつ訊いた。
「諸伏警部、東京に来てたの?」
「ええ、休暇で」
「ふぅん」とコナンはポアロのドアを一度見た。
「カフェに行くの?」
「もう遅いので毛利さんへのご挨拶は諦めて、こちらのカフェで1杯だけと思いましてね」
「新幹線の時間もありますから」と残念そうに付け加えて小さく息を吐いた。
「そっか」とコナンは納得した。
「おじさんに言っておくよ」
「気にしないでいいと思うよ。いつものことだし……」
コナンは小五郎が消えた窓を一瞥してやれやれと首まで振ったので、高明は少し笑った。
「では、お願いいたします」
コナンは頷き、階段を昇っていった。
高明がポアロのドアを開けると、ベルが鳴り、すぐに梓が出てきた。
「いらっしゃいませ!」
その後ろに見たことのある青年がいる。
(毛利探偵の弟子の、安室さん)
高明は店内を見回した。
夕方の混雑も落ち着き、客は数人ほどだった。
「お好きなお席へどうぞ」
高明はカウンターの端の席へ腰を下ろす。
「ご注文はお決まりですか?」
「では、ブレンドを一つ」
「かしこまりました」
梓がカウンターへ戻ると、安室が静かにコーヒーを淹れ始めた。
湯が細く落ちる。
店内にはコーヒー豆の香りだけがゆっくりと広がった。
やがてカップが高明の前に置かれる。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
高明は一口飲み、わずかに目を細めた。
「……丁寧なお仕事ですね」
安室は穏やかに微笑んだ。
「そう言っていただけると嬉しいです」
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
やがて高明が口を開いた。
「今日は東京へ、親戚を訪ねて参りました」
「そうだったんですね」
「弟が幼い頃、お世話になった家です」
安室の手が、ほんの一瞬だけ止まる。
しかし次の瞬間には、何事もなかったようにカップを磨いていた。
「良い休日になりましたか?」
「ええ。知らなかった弟の話を、いくつも聞くことができました」
高明は静かに笑う。
「人は亡くなった後も、思い出の中では成長し続けるものなのですね」
安室は視線を伏せた。
「……そうですね」
その返事は短かった。
だが、それだけで十分だった。
店内の時計が午後七時を告げる。
高明は腕時計を見た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
勘定を済ませ、ドアへ向かう。
「また東京へお越しの際は、お立ち寄りください」
高明は一度だけ振り返った。
「ええ。その時は、また一杯お願いいたします」
ベルが鳴る。店を出た高明は、夜へと足を踏み出した。
高明が東京駅に着くと、電車が運転見合わせになっていた。乗ろうと思っていた新幹線も見合わせの表示になっていた。
「ご迷惑をおかけします。今しばらくお待ちください……」
高明はアナウンスをしている駅員に近づくと警察手帳を出して理由を尋ねた。
「駅前広場で車とバイクが事故を起こしたみたいです。安全が確認できるまでは念のため見合わせとのことです」
「……!」
高明は駅の外に向かうが、なかなか外に出られなかった。
あちこちから囁き声がして何やらざわついている。
駅員が拡声器を持って通行人を誘導しているが人々は動く気配がない。
ようやく規制線の前まで来ると、広場全体を囲むように黄色いテープが張られていた。
広場にはまったく人がいなかった。
その代わり、横転した車と白バイがいた。
かすかにガスの臭いがした。
高明は反射的に駆け出した。
「あ、そこの人ダメですよ!」
「警察です!」
とっさに手帳を出してしまう。
近くにいた倒れている白バイ隊員に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
ヘルメットの奥から1回だけ苦しそうな呻き声が聞こえた。
「私はいいから早く犯人を……」
高明が車を振り返った時、2つの影が飛び出した。
「高木くん、犯人は頼んだわ!」
「承知しました!」
高木は真っすぐに車の方に向かった。
気がついた犯人がふらふらの体で身を挺して逃げようとしていた。
高木は走るスピードを上げ、犯人を後ろ手に取って手錠をかけると、急いで犯人を引き連れて車から離れた。
佐藤はまだどこかへ走り抜けていた。
2人の様子を見ていた高明は白バイ隊員に向き直った。
「どうやら捕まったようです」
「そうか」
「失礼……」
ヘルメットを外すと、千速の髪がふわりと広がった。
高明は千速の膝の下に手を入れ、千速の体を持ち上げた。
「危険ですから、すぐ離れましょう」
「そうだな」
「すみません……」
「いや、大丈夫だ」
高明は心の中で笑った。
(あなたも負けず嫌いですね)
その頃、佐藤は駅員の元へたどり着き、拡声器を借りて叫んだ。
「早く移動して!」
「早く離れなさい!」
拡声器を通してただならぬ気迫の佐藤の声が広場中に響いた。
それが通じたのか、徐々に人々が移動し始め、駅前広場から人混みが消えた。
まもなく応援の警察、救急と消防が続々と駆けつけ、消防がガソリンに消火剤をまく。
高明は救急隊員に千速を引き渡した。
そのまま救急車の外で待つ間、上原に連絡を入れた。
「今日中に帰る予定でしたが、難しいかもしれません」
「わかりました。お気をつけて」
電話を切った。
しばらくして男性と女性が慌てて諸伏たちのいる救急車に駆けつけてきた。
「「千速さん!」」
「ん?なんだお前たちか。私なら大丈夫だぞ」佐藤たちの前にはいつもの勝ち気で余裕の千速がいた。
佐藤「神奈川からありがとうございます」
千速「東京まで迷惑をかけてすまなかったな」
高木「そんな事ありませんよ」
佐藤「無事でよかったです」
千速は目を伏せた。
東京駅前の広場を全部封鎖し、そこに犯人の車を追い込む。
佐藤たちを始めとする協力があってなんとかなった。
高木が真剣な目をして千速に静かに怒った。
「無茶しないでください。以前僕に言ったじゃないですか」
千速は笑った。
(私の方がそんな事を言われる日が来るとはな……)
千速「……助かったよ」
佐藤と高木はほっと胸をなで下ろした。
千速「ところで、そこにヒゲを生やした背の高い男性はまだいるか?」
佐藤と高木がそれぞれ救急車の脇を見た。
佐藤が千速が言う人物を見つけた。
そして、三人が見守る前で、高明はスーツの胸ポケットから警察手帳を出した。
佐藤はわずかに目を見開いた。
「気にしないでください。偶然通りかかっただけです」
千速は高明の顔を見た。
(似てるな……)
すぐに視線をそらした。
研二の残した写真に写る同期の一人と顔がそっくりだった。
それは高明の方も感じていた。
(姉弟でしたか。目元がそっくりです……)
その後も車の撤去や現場検証が続き、ようやく現場が落ち着きを取り戻したのは深夜だった。
翌日。運転を再開した新幹線で高明は長野に帰った。
敢助「ゆっくりしてきたか?」
高明「ええ」
少し考え、
「人生何処不相逢」(じんせい いずくんぞ あいあわざらん)
「人との縁とは、不思議なものですね」
高明はさっと身を翻した。
「私は行くところがありますので」
「そうかよ」
すっかり仕事モード、いな推理モードに入ったかもしれない高明を敢助は見送った。
(おわり)