冒険姫リーベ ―食堂の看板娘が英雄になるまで― 作:丘引みみず
シェーンが寝付いたのを見計らい、エルガーは寝床を抜け出した。
冒険者活動で
月明かりの入らない路地裏だが、表の通りから差し込む街灯の明かりのお陰でさほど暗くなかった。だが鮮明に辺りを見回せるというわけでもない。こんな場所に居座っていたら、いくら治安の良いテルドルとはいえ、何らかの犯罪に巻き込まれるかもしれない。
(まあさすがに大の男を狙う輩はいねえだろうがな)
そんな考えの元、エルガーは通りへ出た。
街路の両脇には等間隔で街灯が立てられていて、灯籠の内に据えられた
辺りに人影はなく、街を流れる川のせせらぎだけが安らかに響いていた。
彼は物静かなのが好きではない。故にこの静寂に靴音を足した。
そうして街の北西に向かうと、程なくして目的地に辿り着いた。
周囲の家々から孤立した民家……彼はここの家主に用があるのだ。
錆びた
以前、家主に『お前はノッカーも使えんのか』と言われたのを思いだしたからだ。
ともあれ、エルガーはノッカーを使った。
ゴンゴンと硬質な音が響いた数秒後、屋内で誰かが歩く気配がした。直後、内鍵をあける音が小さく響いたが、それは蝶番の軋む音にかき消された。
「こんな時間に誰だ?」
「よう、ディアン」
「……お前か」
溜め息と共に眉が弛緩する。
「なんだ、こんな時間に珍しい」
「お前に報告があってな」
用向きを告げるとディアンは目の色を変えた。勘の良い彼はエルガーが何を言わんとするのか、おおよそを察していたのだ。
エルガーが招かれたのは前回と同じでアトリエだった。
中央にはまっさらなカンバスがあり、壁際には大きなテーブルや棚がある。そこには画材が乱雑に置かれていて、気むずかし屋のくせに結構がさつなんだなとエルガーは苦笑した。
「あのワイバーンのヤツは売ったんだったか?」
カンバスを見ながら尋ねると「そうだ」と短く返される。
「次は何を描くんだ?」
「さあな。今のワシにはわからんよ」
「お、その言い方、なんか画家っぽいな」
「画家だからな」
ディアンは鼻で笑うとカンバスの前に置かれたスツールに腰を落とした。
「それで、報告ってのはなんだ?」
「リーベが冒険者になった」
「……そうか」
驚愕の色は見せなかったが、代わりに不思議そうに目を瞑る。
「なぜ冒険者になりたがったんだ?」
「ダルの女房がヘラクレーエに殺されたのは知ってるか?」
「ああ」
「あれ以来、街の連中はすっかり落ち込んじまってな。だからリーベはみんなを励ましてやりたい、護ってやりたい……そう考えたんだとよ」
語って聞かせる内、エルガーは娘の健気さに胸が熱くなった。
「たく、親子揃って――」
リーベのことで頭がいっぱいで、彼はディアンの言葉を聞き逃してしまった。
「わりい、今なんて?」
「単なる独り言だ」
誤魔化すように
「俺がそうだったみたいに、みんなの希望になりたい。リーベはそう言ってた。……ディアン、お前の言うとおりになったな」
「……英雄に求められるのは腕だけじゃない」
ディアンは以前自らが口にした言葉を呟いた。
「求められるのは象徴であることだ。大臣ではなく王子が国を継ぐように、お前のガキにしか継げないものがある」
そこまで言うとエルガーを見る。その瞳は彼にしては珍しく、心配の色を浮かべている。
「……だが、お前はそれでいいのか?」
その問いには即答しかねたが、エルガーの答えはリーベが『冒険者になりたい』と言い出した時から変わらず胸にある。
「…………俺はリーベの意思と勇気を尊重する」
「そうか。じゃあ、お前の嫁はどうなんだ?」
「それは……」
シェーンもまた、リーベが冒険者になることに同意していた。
その言葉は凛とした響きをしていて、自棄や諦観のために発したものでないのは明らかだ。
だが、今はどうだろうか?
時間を置いたことで考えが変わり、自分の決断を悔やんでいたりしないのだろうか?
(……いや、シェーンは後悔する選択をするような女じゃない)
「シェーンも俺と同じだ」
答えると、ディアンは訝しげに彼を見上げた。冒険者を引退して20年が経った今でもディアンの目には凄みがあった。だから彼は負けじとつい、睨み返してしまう。
そのまま数秒が過ぎた頃、痰の絡んだ溜め息と共に空気の
「子を持つ親の考えってのはわからんもんだな。まあ精々、お前らが後悔しないで済むことを祈っといてやるよ」
憎まれ口をたたくとハエを払うような仕草をする――帰れということだ。
「邪魔したな」
去り際、エルガーはチラリとディアンの様子を盗み見た。
痩せこけた背中は整然と伸びており、その状態でカンバスと向かい合う姿はどこか異質で、儀式めいて見えた。ああやってインスピレーションを呼び起こしているのだろうかと感心したのも束の間、エルガーはまたしても「仕事の邪魔だ」と追い出されてしまった。
ディアンの家を後にし、寝床に帰り着くとシェーンが起きていた。
「エルガーさん。こんな夜更けにどちらへ行ってたんですか?」
その声は張り詰めていて、不安よりも怒りを感じさせられた。小さな鼻をスンスンと鳴らしていることから浮気を疑われているのは明らかだった。
(……まあこの状況じゃ、疑われても文句は言えまい)
エルガーは反省しつつも事情を告げる。
「ディアンのとこだ」
エルガーはディアンに大恩がある。だからリーベが冒険者になったことはその日のうちに報告するのが筋だと彼は思っていた。夫の義理堅い性格を理解していたシェーンは直ぐさま事情を理解した。
「ディアンさんはなんて?」
「健闘を祈るってな」
「そうですか」
淡然とした答えを最後に沈黙が流れる。
お互いの呼吸に耳を澄ましていると、シェーンがもぞもぞと毛布の下で手を動かし、エルガーの袖を摘まんだ。
「いきなり、いなくならないでください」
その生娘のようないじらしい仕草にエルガーの胸には愛おしさがこみ上げてきた。
「……ああ。俺はずっと、お前の側にいるぞ」
「約束、ですからね」
エルガーは妻の小さく温かい頭を撫でた。
~~~
リーベが冒険者登録した翌日。食堂エーアステはスーザンが亡くなって以来の賑わいを見せていた。
「リーベちゃん! 冒険者になるって本当なんかい?」
ウワサ好きなサラ婦人がふくよかな顔をずいと寄せて問い掛ける。彼女だけじゃない。周りの客は皆がリーベに注目していた。
「ええと……」
「どうなんだい!」
「ほ、本当です……」
仰け反りつつ答えると、周囲がドッと湧いた。
「ははは! エルガーさんの娘が冒険者になるなんてねえ! これでようやく、安心して眠れるよ!」
「そ、そんな……大げさですよ」
大げさでも何でも、街の人が元気を出してくれれば、それが本望なのだが、つい謙遜してしまう。
「そんなことねえぞ」
別の男性が言う。
「なんたって俺たちの英雄の娘なんだからな! きっと才能の塊だよ」
そうだそうだ、と同調する声が多数上がる中、リーベは一緒に給仕をしている父に助けを求める。
「お、お父さんからもなんか言ってよ」
するとエルガーに視線が集まる。その視線は昂揚したものであり、まるで余興でも観るかのようだ。
エルガーはそんなノリに乗じて仰々しく咳払いをして答える。
「あー、お前ら。期待するなとは言わねえが、コイツはこんな細い娘だし、第一魔法使いなんだ。それを分かった上でだな――」
「えー! リーベちゃんは魔法使いなのかい?」
「ダニエルは剣士だって言ってたぞ!」
エルガーの言葉は流れていってしまった。
「……ま、魔法使いです……」
リーベが断言すると場は多少の落ち着きを見せた。中には溜め息をつく人の姿も……
(やっぱり、わたしは剣士になる事を求められていたんだ……)
そう実感する一方で、期待がすぼんだことに安堵している自分がいた。
父と同じだけの活躍を期待されるのは酷と言うにもほどがある。目標を低く持つつもりはないが、リーベはリーベである。彼女なりに、自分にできるだけのことを精一杯やって、それが街の人々の安心に繋がってくれればそれでいいのだ。
波乱のランチタイムを凌ぐと、リーベはもの凄い疲労感に襲われた。
「ふう……こんなに疲れたのはいつぶりだろう」
表の札を『準備中』に変えた彼女は、懐かしい感覚に独り言ちた。
「前に戻っただけなんだが、妙な感じだな」
「ほんと~……」
それだけ忙しい日々が常態化していたと言うことで、それはそれでどうなのだろうとリーベとエルガーは疑問に思った。
そんな贅沢な疑問はともあれ、父子は疲れを絞り出そうと伸びをした。その最中、厨房からシェーンがやって来る。
「ふふ、でも忙しいってことは、それだけお客さんがあなたに注目してくれているってことよ?」
母の言葉に、リーベは期待の籠もった眼差しの数々を思い出す。一つであれば胸をくすぐるだけであったろうが、あんな束になって向けられると重圧以外の何物でもない。
「うう……思い出したら緊張してきた…………」
「はは! 『みんなの希望』になれたんだから良いじゃねえか?」
エルガーはニヤニヤと、一番弟子のような意地悪な笑みを向ける。
「もー! 揶揄わないでよ!」
「揶揄ってねえさ! ……誇らしいんだよ」
そう言って娘の頭に手を置いた。
「お父さん……?」
「ディアンが言ってたんだ。『英雄に求められるのは腕だけじゃない』ってな」
エルガーはほんの半月までディアン作の『断罪の時』が飾られていた場所を見つめる。
「武勇で優れることじゃない。身近で活躍していることじゃない。ただ純粋に、希望であればいいんだ。『あの人が頑張ってくれているから大丈夫』ってな具合にな?」
向き直ったその顔は、雨上がりの空のような、清々しい表情をしていた。
ヴァールたちが冒険から帰還して、リーベを迎えに来たその瞬間からの冒険者活動は始まるのだ。だから彼女は日を重ねるごとに度を増してそわそわとしていたが、彼らは中々やって来ない。
早く冒険に出たいと言う思いと、食堂の仕事を続けたいという思い。
相反する2つの事柄に
「邪魔するぜ」
ヴァールがドア枠に上体をねじ込みながら言う。続いてフェアとフロイデが屋内に入ってきた。彼らはいつもと違い、妙に余所余所しい雰囲気を醸しており、今日この瞬間が如何に特別であるのかを物語っていた。
「おじさん……」
「よう、迎えに来たぜ」
彼はその大きな顔をリーベの両親であるエルガーとシェーンへ向ける。
「これからは俺たちの都合でリーベを連れ回すが、本当に良いんだな?」
その問い掛けに両親は揃って閉口し、悲しげな目を娘に向ける。その儚い煌めきにリーベは胸が苦しくなって、目には涙が滲んできた。
「わ、わたし……」
食堂への未練が急速に膨らんでいき、彼女の胸を押しつぶそうとする……だが、それでもリーベは象徴的な存在になりたいと思っていた。街の人々を励まして、安心させてあげられる……そんな冒険者になりたかったのだ。
そのためにはまず、両親を安心させてあげないといけない。
彼女は
「――っ」
エルガーは下唇を噛んで、シェーンは顔を覆った。
「……リーベを頼む…………!」
「ああ、任された」
師弟は拳を突き合わせるとリーベを見る。
「頑張れよ、リーベ」
「うん……!」
母へ目を向けると、涙ぐんだまま両手を広げた。リーベがその腕に収まると、震えた声が耳元にか細く響く。
「……お店の心配ならしなくていいから。あなたは、あなたのやるべきことを頑張りなさい……いいわね?」
「……うん。わたし、頑張るよ……!」
強く抱擁を交わし……体を離すとリーベは2人を。そしてホールを見渡した。
彼女の家であり、職場である。今まで、いろんな事があった。
失敗したこともあったし、怖い客に当たったこともあった。でも、辛いことの何倍もの素敵な出来事があった。そのどれもが愛おしくて、他の何にも代えがたい思い出だった。
そしてリーベは今日、この時を以て、この食堂を卒業するのだ。
「…………」
ひょっとしたら何かの形で携わることもあるのかもしれない。だから別れは言わなかったが、それでも尚、寂しさが胸を圧していた。
「……っ!」
リーベは思いを振り払って、新たな仲間たちに向き合う。
「……よろしくお願いします!」
頭を下げると、3人は口々に彼女を歓迎してくれた。
「おう!」
「こちらこそ」
「……よろしく」
ヴァールはドアの方を親指で指すという。
「これから鍛練に出るから、お前も来い」
「うん……!」
短く答えるとリーベは2階に駆け上がり、慌ただしく身支度を整えてきた。
「中々サマになってるじゃねえか」
「よくお似合いです」
彼女の冒険服姿を見るや、ヴァールとフェアは口々に褒めた。
「ふふ、ありがと」
最後に両親の方を見る。
「それじゃ、行ってきます!」