冒険姫リーベ ―食堂の看板娘が英雄になるまで― 作:丘引みみず
今日の昼食はトマト煮とサラダと丸パンだった。
「お、今日はトマト煮か!」
好物が食卓に並び、エルガーは頬を綻ばせた。
彼らは日頃、余り物や、傷んできた食材ばかりを消費している。だから看板メニューであるトマト煮が食卓に出るのはとても稀なのだ。
「今日はお父さんが頑張ってくれたものね」
「そういえば、お父さんが冒険に出るのも久しぶりだよね」
エルガーは冒険者業を引退しているがしかし、時折、冒険者活動をすることがあった。今回の冒険は前回から実に2ヶ月ぶりのことだった。
「ねえ、今日は何と戦ったの?」
リーベがパンを千切りながら尋ねると、エルガーは口に運び掛けたスプーンを下ろし、しばし黙考すると答えた。
「ん? ああ……ラウドブロイラーだ」
ラウドブロイラーとは、ニワトリを2回りほど大きくしたような魔物だ。その名の通り大声で叫ぶのが特徴で、これをもって外敵を凌いでいるのだった。
しかしリーベは食堂の娘として、ラウドブロイラー魔物としてではなく、食材として注目してしまう。
その身は大きく、それでいてニワトリより味が良い。家畜化はされていないが、一体から沢山肉がとれるためにそれほど値段も張らないという素晴らしい食材なのだ。
「ねえ、ラウドブロイラーってどのくらいうるさいの?」
「そうだな……森が震えるくらいか?」
「そんなに⁉」
リーベはなぜラウドブロイラーを家畜にしないのだろうと常々思っていたが、その疑問が今日、解決されたのであった。
彼女が得心する一方、シェーンが別の話題を
「あの、さっき商人の方があなたを尋ねていらして、お金を置いていったんですよ」
「商人……アイツか。礼はいいって言ったんだがな」
エルガーは困って頭を掻いた。
「それで、また来るっていってたのか?」
シェーンがリーベに目を向ける。
「ううん。急用があるからって……ああ、あと、よろしく伝えてくれって」
「そうか……リーベ。俺はギルドから貰うもん貰ってんだから――」
「それは私の方からも言いましたよ」
「そうか」
他の冒険者なら『貰えるもんは貰っとけ!』って言いそうなものだが、エルガーは違った。
そのことにリーベは、商人が深く感謝してくれているのは、父の誠実さに感服しているからなのではないかと、分析した。
「…………」
不思議に思って見つめていると、エルガーがニヤリと笑んで娘に顔を寄せた。
「どうしたリーベ? 俺に惚れちまったか?」
「違うよ!」
(まったく、しょうがない人!)
朝早かったエルガー昼食を
「掃除終わったよ?」
以前はは亭主であるシェーンによるチェックがあったが、最近では無くなった。それは信頼の証であり、リーベは報告するたびに誇らしい気持ちになった。
「それじゃ、こっちにいらっしゃい」
シェーンがリーベを厨房に手招く。それに応じて厨房に回る。
彼女はこの家の娘であるからして、将来的にはこの食堂を継ぐのだ。その為の修業として、数年前から仕込みを手伝いつつ、料理を教わっていたのだった。
「グレントマトの湯むきをするから、お湯を沸かしておいて」
「わかった」
鍋を軽く洗い、かまどに置く。
それからワンドを取り出し、魔法で水を張り、薪に火を点ける。このように魔法は調理において重要な役割を持つ。故にリーベは料理人修業の一貫として魔法を身につけたのだった……もっとも、世の主婦は大抵使えるものだが。
「氷水も用意しとく?」
「あ、お願い」
ボウルを用意して、魔法で氷と水を出す。
「それじゃ、トマト20個を湯むきしておいて」
料理の勉強に奮闘する内、ディナータイムまであと1時間を切った。するとシェーンは娘を労い、休息を言い渡す。
「お疲れ様。開店まで一休みしていて」
「ううん。わたしも手伝うよ」
「ありがと。でも、もうやれる事は殆どないから」
「そう? じゃあ、休憩入るね」
リーベと厨房を出たその時、居住区に通じるドアからエルガーが現れた。
彼は寝癖を立てていて、頬には腕で枕をした跡がある。寝起きなのは誰の目にも明らかであるが、目はシャキッとしていて、眠気を微塵も感じさせない。その奇妙な姿が可笑しく、彼女は小さく笑いながら問い掛ける。
「ふふ、おはよう。もう寝なくていいの?」
「ああ。たったの半日だったからな。そんなに疲れてねえんだ」
「へえ……」
彼は早朝も早朝、まだ日も昇らないような時間に出ていったのだ。その上で魔物と戦っているのにも拘わらずこの元気さ。リーベは父の体力に感心させられてばかりだった。
と、その時、ゴンゴンと、ノッカーが鳴った。
「誰だろう?」
リーベはドア脇の窓から外を覗いた。そこには昼間見たのと同じに馬車が見えた。
(あの商人さんだ)
彼女は応対しようとドアノブに手を伸ばすが、「俺が出る」と父に先を越された。彼がドアを開けた時、リーベはチラリと商人の姿を捕らえた。
エルガーは傍聴を嫌ってドアを閉めたが、隣の窓が開いている為、2人の会話は筒抜けだった。
「おや……お休み中にでしたか?」
「ちょうど今起きたとこさ」
「そうでしたか……お察しの事と存じますが、伺いましたのは一言、お礼を申したいからでございます」
「ああ。リーベから聞いてるさ」
「おお、美しいお名前で。いやはや、そのお名前に相応しい立派なご令嬢でございました」
「俺の娘だからな」
「ふふ。お嬢様に
「いいや。そんなに感謝して貰えるなら、冒険者
「恐縮でございます……何分、
「か、カンプフベア⁉」
恐ろしい名前にリーベは思わず叫んでしまった。ハッと口下を覆うがしかし、彼女の動揺は周囲に響き渡っていた。その証拠に外では会話が止まり、厨房からはシェーンが青い顔を覗かせていた。
「……失敬」
「……いや。だが、気の緩んだときに限って災難に遭うものさ」
「ご高説、痛み入ります」
その時、ドアを開けてエルガーが顔を覗かせる。
「リーベ。アレを持ってこい」
「あ、うん……」
お礼に頂いたお金を父に手渡すと、彼女そのまま外に残った。
夕焼けの下、商人は彼女を見ると丁重に会釈をした。リーベが恐る恐る返す一方で、エルガーは商人に金を差し出した。
「カンプフベアが出たんだ。森の魔物は気が立ってるに違いねえ。今からでも遅くねえから、ギルドに行って冒険者を雇うことだ」
商人は恥じ入るように目を瞑ると、粛然と金銭の返還を受けた。
「……承知いたしました。命をお助けくださったばかりか、ご忠言まで頂いて……もはや、感謝の言葉もございません。お言葉に従い、早急に護衛を雇おうと思います」
「ああ。道中、気を付けてな」
「お、お気を付けて……」
「はい。それでは、失礼致します」
商人が馬車に戻ると、真新しい衣装に身を包んだ御者が整然と主人を出迎えるのだった。
2人が店内に戻ると、そこにはシェーンが待ち構えていた。
彼女の端正な顔は悲痛に歪んでおり、伴侶としての心配が在り在りと見えた。その様子にリーベは息を呑み、父の顔を覗き込んだ。その顔にはどう言い繕ったものかという思索の念が滲んでいた。
「……カンプフベアと戦ったんですか?」
「あ……ああ」
エルガーが目線を下げると、視界の中に収まろうとシェーンが歩み寄る。自然、上目遣いに語りかけることになった。
「『人手が足りないから』と助っ人に出たんですよね?」
静かな言葉には心配のみならず若干の憤りが感じられて、リーベは甚だしく気まずい心地でいた。それはエルガーも同じであり、長い沈黙の後「……悪い」と答えるより他になかった。
「でもカンプフベアをやれるヤツなんて俺以外には――」
「いつまでもあなたが助けてるからでしょう!」
頬を叩く代わりの一声は、水を打ったかのように静寂をもたらした。
「……あなたという英雄に縋ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです! それに、エルガーさんだってもう若くないんですよ! これじゃあ……いつか……いつか破綻しますよ…………」
激しく言葉を連ねる中でシェーンは涙を滲ませていった。その様子に一層の罪悪感を覚えたエルガーはただ一言、深く、心より謝った。
「……すまねえ…………」
長いの沈黙の末、シェーンは声を絞り出す。
「約束してください……もう、絶対に冒険に出ないでください」
「それは……」
夫が誰よりも強く、誰よりも責任感が強いことをシェーンはよく知っている。故に怒りながらも胸を痛めていた。だが、これも全ては愛する夫の為なのだ。彼女はそう自分に言い聞かせ、追求する。
「お願いします……私は、あなたが傷つくのが怖いんです……!」
傍観するリーベは両者の気持ちを本人と同じように感じられた。想いの交錯するのを俯瞰しつつ、今回の冒険について考えていた。
あの商人の感謝の程から察するに、今回はよほど
「……わかった」
その声に妻子はハッとしてエルガーを見る。彼の
「……本当、ですか?」
その問い掛けに対し、彼は妻の目を見据え、強く頷いた。
「ああ。二度と冒険には出ない……約束する……!」
そう言うと彼は2階へ駆け上がり、愛用の双剣を抱えて下りて来た。
「何をしてるの⁉」
娘が問うと、彼は乱暴な口調で答える。
「そもそも武器があるからいけねえんだ! あとこれもだ!」
入り口脇に掛かっていた絵画、『断罪の時』を剥がすと小脇に抱え、ドアに飛びついた。
彼が自棄になっているのは明らかで、痛ましいとさえ言える。そんな父を見かね、リーベは「そこまでしないでもいいでしょ!」と宥めに掛かった。それから母からも何か言ってもらおうと振り向くも、シェーンは固く口を噤んでいる。
「お母さん……」
対応に
「……お父さん」
娘としては喜ばしい出来事であったが、父が人生を賭けて取り組んできた活動をやめさせられてしまったのが可愛そうでならない。それは引退を訴えたシェーンも同様で、その場に座り込んですすり泣いていた。
程なくしてエルガーが戻ってきた……大勢の人々を伴って。
群衆を構成するのは冒険者だけでなく、濃紺色の制服を纏ったギルド職員や、関係のない一般人まで様々だ。彼らは揉み合いながら英雄の引退を引き留めようと、口々に叫んでいる。
「エルガーさん、辞めちまうってどういう事ですか!」
「辞めないでくれよ!」
彼らは『辞めないで』と口々に言っているが、実のところ、エルガーは3年前に引退しているのだ。だが『人手が足りない』……いや、実際のところは『他の人の手に余る強力な魔物が出た時』にだけ助っ人をしていたのだ。そうして冒険者業をやめられずズルズルと引き摺った結果が今だ。
『あなたという英雄に縋ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです!』
シェーンはそう言っていたが、現状を見て、それを否定できる要素は何処にもなかった。
「お前ら……」
エルガーは自分を求める人々の声に胸が熱くなったが、ある一言によって一気に冷めた。
「アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだよ!」
その言葉に追随する声が多数上がり、引き留めるはずが責任を問うような空気になっていった。そんな不健全な空気の渦中にいて、エルガーは憤り、拳を握り込んで叫んだ。
「お前らだ!」
叩き付けるような怒声に場は静まり返った。
厳かな静寂の中、彼は幾分落ち着いた声で、自分も含めた全員に言い聞かせる。
「俺に頼れば済むって考えがあるから、誰もカンプフベアに立ち向かおうとしないんだ。そのせいで対処が遅れて、危険に晒される人間が出てくるんだ。今回は特にそうだ……」
その言葉に冒険者は元より、集まった誰もが深く項垂れた。
エルガーを引き留めようとする現状が、何よりそれを物語っているからだ。
「……助言くらいはしてやる。だが、二度と冒険には出ない。俺は引退したんだ」
そう言い残してドアを閉じるとカウベルが虚しく鳴り響いた。
店の外では群衆が静かに散っていく中、シェーンは夫に駆け寄った。
「エルガーさんっ!」
娘の前で憚ることなく抱きつくと、大きな胸に顔を埋める。彼もまた、大きな腕で妻を抱きしめると頭頂に鼻先を埋める。
「…………」
2人が出会ったのはあの絵画にもあったスタンピードの直前だったという。
以来、交際を重ねて結婚して……それから現在に至るまで、シェーンはずっと不安で居続けたのだ。ましてや夫は誰よりも危険な仕事をしていたワケだから、それも
母の繊細な心を思いやれば、今はそっとしておいてあげたいところだが、開店時間が迫っている。そんな中、リーベは提案する。
「……ねえ。今日くらい、お休みにしても良いんじゃない?」
尋ねるとシェーンは胸板から顔を話し、泣き腫らした目を指先で擦りながら首を横に振る。
「いいえ。仕事はするわ」
「でも……」
「それとこれとは、別だもの……」
彼女は夫の方へ向き直ると、高い位置にある顔に手を添え、つま先立ちになってキスをした。
唇を離すといつもの整然とした表情に戻り、厨房へ向かう足取りも凛としたものになった。
一方、エルガーは憑きものが落ちたような清々しい顔をしていた。