冒険姫リーベ ―食堂の看板娘が英雄になるまで― 作:丘引みみず
テルドルの外に広がる森は馬車で半日の場所まで続いており、リーベは自然の雄大さを思い知らされた。だがこの森さえも、世界のほんの一部分の、さらに一部分に過ぎないのだ。それを思えば、自分がどれだけ狭い世界で生きてきたか、認めざるを得なかった。
「……世界って広いんだね…………」
半ば独り言だったが、ヴァールは「そうだな」と共感した。
「だが感心ばかりしてちゃだめだぜ? ここは街中と違ってそこかしこに魔物が潜んでるんだからな」
「う、うん……気を付けるよ」
そんなやり取りをする間に馬車は森を抜けた。悠々と広がる平原の向こうには集落があるが、リーベは気付かないでいた。だから「ブモオ~~~~……」と、トランペットの音色を低くしたようなその響きに甚だしく驚かされ、ヴァールの腕にしがみ付くのだった。
「ま、魔物⁉」
彼女の悲鳴に車内の誰もが笑った。大小様々な笑い声にリーベは羞恥を抱いた。
「な、なんで笑うの!」
「なんでって、こりゃ牛の鳴き声だからさ!」
ヴァールがクツクツと笑いをかみ殺しながら言う。
「え? 牛ってもっと可愛いな声で鳴くんじゃないの? 『モ~』って」
リーベの疑問に対し、フェアが「実際はこのように重く深い声で鳴くんですよ」と微笑を湛えて答える。
「もう、
ふんすと鼻を鳴らしていると、フロイデが忍び笑いをしながら車の後方を指し示した。
「くぷぷ……アレ、見て」
「あれ? ……わ、牛だ!」
幌で縁取られた視界の大部分は草原の緑と街道の砂色が占める。そして街道を挟むように柵が施されていて、その中を数頭の牛が歩き回っていた。
牛は白い体に黒縁の入った模様をしており、絵本でよく見る姿のそれだった。
大きな乳を揺らしながらのそのそと歩き回っては、手頃なところに生えていた牧草を食んでいる。その安穏とした様子から、この平和な牧場で育ち、害敵なんてものを知らないのが窺い知れる。
だがしかし、リーベたち冒険者がやって来た以上、付近に害敵が潜んでいるのは確実だ。この平和の陰に潜む脅威に彼女は畏怖の念をいだいた。
「…………」
(牛たちが怖い思いをしないで済むように頑張らないと)
気持ちを新たにしていると、御者が到着を告げる。
冒険者たちを降ろすと、御者は1人何処かへ車を進ませていった。
「ありがとうございました~!」
手を振って見送ると、リーベはリーダーであるヴァールに問う。
「これからどうするの?」
「まずは村の人間に話を聞くところからだな」
「でも、依頼書には場所が書いてあったよね?」
「あれは簡易的なものだからな。無駄足を踏まないためにも、まずは事情を知ってるヤツに話を聞くのが基本だ」
「へえ……」
「んじゃ、行くぞ」
ライル村は広大な土地を持っているが、その大半は放牧に利用しており、実際に人が住んでいるのはごく狭い区域だった。しかしテルドルのように隔壁で囲われてはおらず、周囲に視界を遮る建物が無いため、リーベにはテルドル以上に広く感じられた。
建物は木造の家屋が数軒あるほか、
その規模からして人数が少ないことが察せられる。
そんな少人数で生活できるのだろうかと、食堂で日々多くの人と接してきたリーベは懐疑的だった。
「あ、冒険者だ」
通りかかった幼い少年がヴァールを指差す。オーバーオールを纏っているあたり、村の手伝いをしていたのだろうとリーベは感心する。
「そうだ。なあ坊主。ここいらに出た魔物の話を聞きてえんだが、村長はいるか?」
「いるよ、ついてきて!」
そう言うと少年は全速力で駆け出した。
「別に走らなくても――行っちゃった」
リーベが差し伸べかけた手を下ろしながら言うと、フェアがくすりと笑った。
「元気で良いじゃないですか」
「追わなくて、いいの?」
フロイデの言葉に「あ」と前方を見ると、少年が「遅いよ~!」と手を振っていた。その隣ではいつの間に移動したのか、ヴァールがいて「早く来いよ!」と無邪気な口調で呼び掛けてくる。
「ふふ、私たちも急ぎましょうか」
「そ、そうですね」
「駆けっこなら、負けない……!」
口々に言い終ると彼女たちは一斉に駆け出した。結果、リーベはびりっけつだった。
少年に案内されてやって来た建物は他の家屋より一回り大きく、立派なものだった。
「わあ……」
板材を組み合わせた壁とくすんだ色の瓦の組み合わせはテルドルでは見られないものであり、リーベはとても新鮮な気持ちでそれを見上げていた。
「おっちゃん、冒険者が来たよ!」
少年はドアを開けながら呼び掛けると、「じゃ、おれは仕事に戻るから」と
「お利口な少年でしたね」
フェアが微笑ましげにする傍らで、フロイデが対抗意識を燃やす。
「ぼくもあれくらいできる……!」
「ふふ、そうでしたね」
そのやり取りをリーベが不思議に思っていると、建物の奥から彼女の父と同年代の男性が、ぽっこりとした腹を揺らしながらやって来た。丸い顎はカミソリ負けしたのか、赤いブツブツができており、それを気にする素振りを見せつつ、来客を親しげな笑みで出迎える。
「ようこそいらっしゃいました――て、あれ? ヴァールさんにフェアさんじゃないですか! お久しぶりです!」
主人の気さくな対応に、ヴァールとフェアが口々に無沙汰を詫びる。
2人は顔が広いなと思いつつ、ここはテルドルの近郊だからと、自身を納得させられた。
「ところで、後ろの2人は?」
「ああ、弟子を取ったんだよ――ほら」
ヴァールが2人に挨拶するよう促す。
「はじめまして、リーベ・エーアステです。よろしくお願いします」
「フロイデ」
「これはご丁寧に。僕はパウロ。ここの村長だよ」
パウロの挨拶を聞いてると、ヴァールがリーベの肩を叩いた。
「こいつは師匠の娘なんだ」
「というと、エルガーさんの?」
「ああ」
するとパウロは目を丸くした。
「あの、お父さんを知ってるんですか?」
「もちろんだよ。ここはテルドルの近所だからね、君のお父さんにはよく助けられたものさ」
「そ、そうなんですか……」
エルガーの娘として、ちょっと照れくさかった。
「冒険者を引退したって聞いたけど、元気にされてるのかな?」
「はい。むしろ元気が有り余ってるくらいで」
「ははは! それはそうだろうね!」
快活に笑う彼と「おっといけない」と手を鳴らす。
「立ち話もアレですし、どうぞ掛けてください」
食卓の方を勧められると、彼女らは荷物や武器を邪魔にならないところに置いてから腰掛ける。
「今、茶をお持ちしますね」
「いや、すぐ出るからいいぞ」
ヴァールが淡然と言うとパウロは笑った。
「はは、相変わらずせっかちですね。まあ、そういうことなら」
咳払いをすると改まって話し始める。
「先日、村の若いのが牛乳を売りにマルロの町へ向おうとしたんですがね、大きいカエルを見たって引き返してきたんですよ。それでその時、カエルの舌が伸びてきて、荷台に積んでいた牛乳をひったくられちゃったみたいで。販路は断たれるわ、大事な牛乳も持ってかれてるわで、全く大損ですよ。はは」
後半は愚痴っぽくなっていたが、そんな災難が続けば愚痴のひとつも言いたくなるだろうと、リーベはパウロの気持ちを
「そのカエルって随分と器用なんですね」
「そいつが言うには、投げ縄みたいだったって」
パウロは半信半疑な口振りだったが、ヴァールとフェア、そしてフロイデは確信して頷く。
「ラソラナだな」
「らそらな……?」
魔物の名前をぼんやりと繰り返すパウロに、知識人のフェアが応じる。
「はい。ラソラナは舌先が輪っか状に広がっていて、これによって獲物を捕らえ、口内まで引きずり込むんですよ」
「力、つよい」
フロイデの補足によってラソラナの生態が、現実的な脅威として感じられた。
「ひええ……」
自然、怯えた声を発してしまうも、誰も気に留めなかった。
彼らの関心は今、その魔物が何処にいるかに集約されていたからだ。
「そんで、具体的に何処にいたんだ?」
「ああ。それはですね――」
パウロは窓辺に向うと村の北東へ延びる道を指し示した。
「あそこを馬車で1時間くらい行った場所で襲われたと聞いています」
「近いな」
(近いのかな……?)
リーベが師匠の率直な感想に疑問を感じている一方、自身が不安に思っていたことに共感を得られたパウロは早口で言う。
「そうでしょう! うちは牛をたくさん飼ってるんで、狙われないか心配で心配で」
彼の言うとおり、この村はラソラナにとっては絶好の狩り場になるだろう。そしてラソラナはすぐそこに潜んでいる。こうなっては事情聴取している時間すらももったいないとリーベは想った。
それは他の面々も同じであり、示し合わせたワケでもなく同時に立ち上がった。
「いつまでも呑気してらんねえな」
「そうですね。一刻も早く退治してしまいましょう」
「それから牛乳を飲む……!」
フロイデの言葉にリーベはガクッとなるが、彼は至って真剣だった。
「おお、早速向ってくださるのですね!」
「ああ。夕方にはヤツの面を拝ませてやるぜ」
そう言うとヴァールは仲間たちを見回す。
「残り半日の内に仕留めるんだ。気張っていくぞ!」
「はい!」
「おお……!」
「う、うん!」
ライル村を出てから2時間ほどが経った。
辺りはテルドルからライル村までの道程と同様、森に囲まれていて距離感は掴みづらいが、リーベは体感にして10キロくらいは歩いたつもりでいた。
彼女は生まれてこの方、ずっとテルドルで暮らしてきた。だから長距離を歩く機会などなく、この道程に体力を根こそぎ持って行かれてしまった。途中休憩を挟んだものの、全回復には至らず、彼女は喘ぎながら歩いていた。
「ぜえ……ぜえ…………」
高まった体温によって曇るように霞んだ視界は絶えず地面を映していて、ザッザッと地面を擦りながら繰り出されるつま先には汗が弾ける。森中であるのに、まるで砂漠を彷徨っているような心地だ。
(ああ……ラクダに乗りたい…………)
「ね、ねえ……ちょっと休もうよ」
リーベは頑張って声を発し、前方を歩くヴァールに呼び掛ける。しかしイガグリ頭は微動だにせず、彼の視線は正面に向けられたままだった。無視か、聞こえていないのか、リーベが不満を胸に膨らませたその時、呆れたような声が返って来る。
「さっき休んだばっかだろ? あと10分は歩け」
「そんな~」
体から力が抜けそうになったその時、隣を歩いていたフェアが手を差し出す。
「これも体力を付けるためですから。頑張りましょう」
「は、はい……ありがとう、ございます。ぜえ……」
彼の手を取ると幾分か楽になった。お陰で10分間を凌ぐことが出来た。
苦悶の末、見事に休息を勝ち取ったリーベは手頃な倒木に腰を下ろして水を呷る。火照りに火照った体が水の冷たさに驚き、喜んでいるのがわかる。体がそうであるように、彼女の心もまた、水を喜んでいた。
「ふう……生き返る…………」
「たく、この程度で
ヴァールは冗談交じりにそう言った。
しかし己の体力の無さを痛感した今、その言葉は深刻な響きを持っているように感じられた。
「ご、ごめんなさい……」
「リーベさんは冒険者になったばかりなんですから体力がなくて当然です。焦らず、あなたのペースで頑張ってくださいね」
「あ、ありがとう、ございます」
「おいフェア。あんまりコイツを甘やかすなよ」
「ふふ、心得ています」
2人の会話を耳にしつつ、リーベはフロイデを見ていた。
彼女と同じくらい小柄なのに、体力は雲泥の差だ。いったい彼の何処にそんな力が眠っているのだろうかと、リーベは不思議でならなかった。
「じー……」
彼は両手で水筒を保持し、飲み口を唇に押しつけてグビグビと水を飲んでいる。リーベは失礼だと承知しながらも、その様子が哺乳瓶を使う赤ちゃんみたいで可愛いと思っていた。
「ぷは……フェア、水ちょうだい」
そう言って水筒を差し出した時、彼女と目があった。
「……なに?」
フロイデは気恥ずかしくて目を背け、首に巻いた真っ赤なスカーフを握り込む。
「ああ、いえ。フロイデさんは体力あるなーって」
「……冒険者学校、出てるから」
「あー、そうでしたね。……冒険者学校ってやっぱり怖い教官がいて、延々走らされるんですか?」
彼は水筒を満たしてもらうと一口飲んで、それから答える。
「そう、だよ? 吐くまで走らされるの」
「ひええ……」
ビクビクしていると、ヴァールが笑ってこう言った。
「良かったな? お前は優しい師匠につけて」
「うう……
「ははは! いつもこんくらい可愛げがあれば良いんだがな」
「ふふ、さあ休憩もほどほどにして、移動を再開しませんか?」
フェアが言うとヴァールは「ああ」と短く了解する。
「んじゃ、ぼちぼち行くか」
「う、うん……!」
リーベは水を口に含むと立ち上がった。相変わらず脚は痛いし、体は疲れているが、歩けないと言うほどではない。だが体力は心許ない。そんな切実な問題を前に、リーベはラソラナが早く見つかることを祈った。
同時に、ターゲットのことを思い出して緊張させられた。
「……リーベちゃん?」
フロイデに呼ばれてハッとする。
「あ、すみません。さ、早く行かないと日が暮れちゃいますよ!」
「どの口がいうんだか」
ヴァールは小さく笑うと号令を発する。
「まあいい。んじゃ、行くぞ!」
行軍を再開してから半時間ほど経過した時、フロイデが異物を発見した。
「アレ……!」
「ん、どうし――あ」
「え、なになに?」
リーベはヴァールの大きな背中ごしに前方を覗き込む。フロイデの短い指が示す先には、ギラリと陽光を閃かせる異物が横たわっていた。
「お前ら、ヤツがここらに潜んでるかも知んねえ。気ぃ付けてけよ」
ヴァールが警告すると、リーベに杖代わりに手を貸していたフェアは彼女の手を離した。
それから男3人は歩幅を狭め、ゆっくりと異物に歩み寄る。リーベまた、痛む脚に鞭を打ちながらそれに
一歩近づくごとにその全容が露わになっていく。
頭の潰れた円錐形の鉄くず……あちこちが腐蝕していて、内部が空洞になっているのが見える。まるで何年も放置されたかのようだが、ここは道のど真ん中だ。それはあり得ない。加えて、同じ物体がなんと4つまとまって転がっており、それが一層、不気味な雰囲気を放っている。
「なに、これ?」
「ミルク缶……でしょうか?」
フェアが繁々と観察しながら言う。
「ミルク缶って、牛乳を溜めておくアレですか?」
「他に何がある」
ピシャリと言うと、ヴァールは確認する。
「ラソラナから逃げる時、牛乳が持ってかれたって言ってたが、これのことか」
「でもあの魔物は獲物を丸呑みにするんでしょ? それがどうしてここにあるの?」
「……吐き出した」
フロイデがぼそりと呟くと、それにフェアが頷く。
「ラソラナは獲物を生きたまま呑み込むため、時に体内で反撃される事があります。そうした場合、即座に胃液で溶かすか、それができなければ吐き出します。今回は後者だったのでしょう」
「なるほど……」
観察に知識を絡めて当時の状況を推察する様はまるで探偵のようだ。
これを実現するには観察力と魔物に対する広範な知識、その両方がないといけない。リーベは冒険者にとって体と技術が全てだと思っていたが、その認識は誤りだったと気付かされる。
(これからは暇な時間に魔物の勉強をしよう)
そう心に決めた時には既に話が進んでいた。
「足跡もここで引き返してるな」
ヴァールの言葉を受け、リーベはミルク缶の先を見やる。
そこには重量物が落ちたようなくぼみが点々と続いていた。時間が経過したせいか鮮明に見て取れるワケではないが、こんな跡を付けられるのは魔物以外にはいないだろう。
「お腹、痛かったのかな?」
フロイデの言葉にフェアが頷く。
「そうですね。ミルク缶が体内を傷つけたのを攻撃と勘違いして、ラソラナ引き返したのでしょう。パウロさんはご立腹でしたが、これは不幸中の幸いというものですね」
「ああ」
ヴァールは短く答えながら辺りを見回していた。
「木が倒れてねえあたり、街道を逸れてはいないみたいだな。ひとまずこのまま進んでみようぜ」
その言葉は提案ではなく指示だった。
彼らはミルク缶を道の脇に避けると街道をさらに北東へと進んでいった。