今年もまた夏の記憶を思い出した。
綺麗な思い出なのだから、もう少しドラマチックな思い出し方をするべきだろう。
そう1人愚痴る。きっと歯磨きをしながら思い出す記憶でもないはずだ。
世間は既に夏休み。最後の部活、最後の受験勉強など自分たちにこれでもかと追い打ちをかけてくる。
大学4年生となり、就活も早々に終わってしまった。暇つぶしに色々な講義を取って見たが後悔している。机に重なった課題はため息を吐きながら終わらしたまま放置してある。手直しすることはないだろう。
今日も日本という国は暑さに悩まされ続けている。小学生のころは肌を真っ黒に日焼けするまで、外を遊びまわっていた。だというのに、今の自分は冷房の効いた部屋でゴロゴロと惰眠を貪るばかり。
夏の思い出を思い出すのなら、真夏の向日葵畑の中でとか、神社の木陰で氷菓を食べているときとか、もう少し夏の淡い思い出が似合いそうなシチュエーションを用意してほしいものだ。
見慣れたワンルームで思い出すのは風情がない。思い入れがないわけではないが、自分しかいない空間で思い出すのはどうにも虚しい気持ちになる。
悪くない思い出であったことが救いだ。今年も夏の記憶を辿ることにした。
馴染みの店に行くように、服を着て、装飾品を付ける。
この装飾品は中々、手放さずにいる。一般的から見れば、今の俺には似合わないものになってしまった。
だが、子どもの時から変わらない自分であっても長年続けていれば様になる。今ではそう思える。
あの頃から、自分は何か変わっただろうか。
きっと変わっていないだろう。鏡に映る自分の姿を見てそう思った。
今日の日付は8月16日。天気は快晴。外に出れば、夏の日差しが自分を殺しに来るのが分かった。今すぐにでも回れ右をして部屋に戻りたいところだが、じっと我慢しながら、いつもの道を歩いて行く。
見慣れた景色が夏の暑さや部活動に励む少年少女の青春に照らされて、輝いて見える。
…そんな気がした。自分の目にはあの時と変わらない風景が広がる。
こんなに日差しが強いと麦わら帽子が欲しくなる。小さい頃にお気に入りのものを持っていたはずだが、いったいどこへ行ったというのか。
今、この瞬間だけは、昔から手放せずにいる装飾品よりも麦わら帽子が欲しい。
そう思うほど、今日の日差しは強かった。そういえば、思い出の場所に訪れてしまった時も日差しが強い日だった。
そんなことを思い出していた。
最寄り駅には見知った顔があった。いつも、面倒な絡みをしてくる面倒見がいい恩人がいた。残念なことに美人な女の先輩というわけではなく、少し堅気ではない格好をした青年だ。
「よう。こんなクソ暑い日にどこに行くんだ?ガールハントか」
昭和のダーリンのようなことはしない。むしろ、ガールハントなぞ美人局に逆にハントされそうな世の中である。というより、今時ガールハントなんて言葉は耳にすることがない。
この恩人は懐古趣味があるからその影響だろうか?本当に1つ上の先輩か疑問である。
「しませんよ。今時、できるもんじゃないでしょう」
「それはそうだ。あれは顔と身のこなしで何とかするもんだからな。お前にゃ荷が重い。そのガキの頃からつけてるネックレスが特にな」
事実陳列罪で検挙した方が世のため俺のためだと思う。失礼にもほどがある。
「ぶん殴っていいですか?」
「やめとけ。惨めになるだけだ」
真理はたやすく人を傷つけることを知った。本当にこの先輩は面倒だ。
「んで?今年は何しに行くんだ?」
「…夏の思い出を見に」
先輩は目を細めて俺を見る。まぁ、毎年のことながら、頭が暑さでやられたのかと思われても仕方がない。
いい年して、思い出を見に行くなど、これこそが懐古的な考えなのだろうか。
いや、そうでもないか。なぜなら、今は夏だ。きっと夏が過ぎれば、この魔法も解けるだろうから。
「変わらずか。毎度思うことだが、いいねぇ。夏の思い出」
今年こそ嗤われるかと思ったが、そんなことはなかった。この先輩割とロマンチストだった。ロマンチスト先輩はあごをさすりながら、呟いた。
「まぁ、気をつけるこった。思い出に夢中になって倒れんなよ」
そういって彼は凍らせたスポーツドリンクを投げ渡してきた。…何というか。こんなことをするから俺はこの先輩を嫌いになれないのだ。
「ありがとうございます。今年はどこかへ行くんですか?」
スポーツドリンクにタオルを巻きながら、先輩に尋ねる。先輩は困ったような、嬉しいような表情を浮かべた。
「向日葵畑。夏の思い出を残したいんだと。…わざわざ、あの場所に行くなんて、とんだおてんば娘になったもんだ」
主人公のような先輩だ。遠くで先輩のことを呼ぶ声がする。視線を向けると白いワンピースと麦わら帽子をかぶった健康的な肉体美を持った美人がいた。恐らく、彼女が先輩が話していた人なのだろう。完璧な夏の少女だ。うらやましいことこの上ない。
「お熱いことですね。…来ましたか。そろそろ行きます」
「おう。もしかしたら、運命の出会いがあるかもな。あと、ちゃんと帰ってこいよ」
いつまでたっても、子ども扱いしてくる先輩だ。だが、選別をもらったからには挨拶を返すのが礼儀だろう。
「遅くなるかもしれませんけど、ちゃんと帰ってきますよ」
「そうか。楽しんで来いよ」
そう言って先輩は背を向けて、彼女が待つ方へ歩いて行った。
◆
電車に揺られて、どれほど時間が過ぎただろうか。移り行く景色を見るのにも飽きてくるくらいには時間がたった。まぁ、簡単に行ける場所ではないのだから。
気長に行こうとした矢先、目の前に女子高生のくらいの女の子が座ってきた。この電車はボックス型の席であるので目の前に座らなくてもよいような気がするが。
さらに、言及するならこの車両は俺と少女しか乗っていない。わざわざ、目の間に座る理由は…
「おにーさん。お金持ってない?」
カツアゲである。何とまぁ、少年の夢を汚い現実で染め上げてくれたものだ。
少女は肩にかかる程度の黒髪を耳にかけながら、自分を覗き込む。黒髪と制服姿から清楚な雰囲気があるが、着崩した制服は第二ボタンまで解放されており、その奥から健康的な鎖骨と銀色に光るロザリオが彼女の妖艶さを惹きたたさせている。
…大人と子どもも中間というのはこの少女を指すのだと、漠然と思った。それは、高校生を見る時の感情に似ている。
子どもであるはずなのに、大人に見えてしまう。
だから
俺はその光景から目を離せない。
「見すぎよ。スケベなおにーさん」
「そう仕向けたのはお前だ。不良少女」
視線誘導が上手いことで。
そう思っていると少女はこちらに手のひらを出してくる。
「見物料。さっさと出すんだよ」
「やらんぞ。家出少女」
少女の手を叩き落して、引っ込めさせる。不思議そうに自分を見てくるが無視だ。少女は心底不思議そうに口を開く。
「…よくわかったわね。私が家出少女って」
「見ればわかる」
少女は制服を着てキャリーケースを持っている。一見、修学旅行しているのかと思うが今はどこの学校もお盆休み。帰省でもしているのかと思ったが、それも違う。彼女はキャリーケースとバックを持っているが、それだけだ。
持っているべき物を持っていない。
少女からそんな雰囲気を感じたのだ。
まぁ、そういうスタイルの旅行もあるのだろう。だが、この電車の行先はこの少女の帰省先ではない。観光目的なら、まだ分かるが。
何よりも、目が違う。そこら辺の女子高生がこんな目をしてたら、犯罪率は下がるし、少年の性癖は破壊される。
その目は、大人がしていても問題になる目だ。
それにしても、家出少女なんて今時珍しい。家出なんて友達の家に住み込むイメージがあったがそうでもなさそうだ。これも夏のせいだろうか。
「理由は聞かねぇが、なんで俺なんだ」
「童貞っぽくて、ちょろそうだったからよ。ケチなおにーさん」
「最悪の理由だな」
異性にそのように見られている事実が自分の心を傷つける。夏の思い出に触れようとしたら、まったく関係ない場所で傷ついている自分がいる。
それがひどく滑稽に思えてくる。そんな事実から目をそらすように俺は少女の目を見た。
…後悔した。
「だったら、その目をどうにかしてこい。見てられんわ」
「これまでの協力者は体しか見てなかったから」
美しい黒髪から見える瞳は仄暗い。雲がかかり過ぎた月のように見えた。そんな輝きは年頃の少女が宿していいものではない。少なくとも、この少女には似合わないだろう。まだ、夏によくあらわれる幽霊の瞳の方が可愛げがある。
そして、自分の体に向けられる視線をこうも簡単に受け止める。本当に少女なのか疑いたくなる。イメクラの従業員という可能性も出てきた。
そんなくだらないことを考えていることがばれたのか、足を踏まれる。普通に痛い。
「ねぇ。失礼なおにーさん。私の体好きにしていいから、お金頂戴?」
「俺を犯罪者にするつもりか。断る」
未成年に手を出して、捕まりたくはない。夏の思い出としては少し穢れてるか?いや、それもまた思い出か。随分と薄汚れた思い出だ。夏だからなんて言葉が免罪符になるのだろうか。
「残念。…ねぇ。意気地なしのおにーさん」
「慎重なおにーさんと呼んでほしいね。なんだ」
「おにーさんは私に質問しないの?」
めんどくせーなこの少女。
「してほしいのか?」
「変態たちは手出した後にしてたけどね」
そういうものだ。この少女に手を出す時点で、この少女の境遇など二の次のはずだ。きっと自分の人生も二の次になっていただろうけど。
「なぜ、家出を?」
「答えるわけないじゃん。バカなの?」
クソガキめ…!。クソガキの特性まで持ってしまったら属性過多だろう。それにしても、この少女はいい性格をしている。笑みを浮かべながら足を踏むなんて、一部の豚が喜びそうだ。俺は一ミリも嬉しくない。
とりあえず足はどかしておく。この家出少女どこかのお嬢様か?顔が整いまくってるし、振る舞いも育ちの良さが出ている。
「ねぇ、バカなおにーさん」
「なんだクソガキ」
「おにーさんは何してんの?」
「…答える義理は…痛いわ」
この少女、太ももつねりやがった。顔をあげると明らかに不機嫌な面をした少女が写る。まったく、理不尽な少女だ。
「女子高生に話しかけられて、その反応はないんじゃない?」
「黙ってろ」
目の前の少女から目をそらし、外の景色に視界に写す。まだ思い出の景色はなかった。目の前でごそごそと物音が聞こえるが無視だ。
「…えい」
柔らかい感触が手に広がる。まったく、何をしているんだか。ここは年上らしく冷静に注意を促さなければ。
「なっな何しているんだ」
「うわっきも」
この少女に自分は何回傷つけられたらいいのだろうか。
「なにすんだよ。金は払わんぞ」
「ん」
目の前の痴漢少女は窓を指さす。どうやらスマホを立て掛け、自分たちの様子を映しているようだ。
「最悪だよ。クソガキ」
「消してほしかったら、分かってるでしょ」
これだから、覚悟が決まっている人間は面倒なんだ。
そういえば、この少女がどこから来たのかは知らないが、この先は思い出の場所しかない。家出というには適してない場所のはずだ。
この少女はなぜ、この電車に乗ったのだろうか。
…いや、なぜ、乗ることができたのだろうか。
「いいだろう。金はやる。だが、条件がある」
少女の顔が曇る。可愛くねーなこいつ。
「いい経験をあげたのにひどいね。鬼畜なおにーさんもやっぱり変態?」
…自分の体をどうとも思っていないと考えていたが、そんなことはないな。震える手が隠せていない。
この世界はさほど残酷でもなければ優しい世界でもない。
「そっちじゃない。お前はこの先どうするんだ?」
何をくだらないことをと言いたげな顔だ。こんな質問は何度も聞かれたのだろう。
「知ってどうするの?」
「どうもしねぇさ。ただ、気になっただけだ」
「おにーさん、めんどくさい性格してるね」
普通は家出少女にこんなこと聞かない。だけど、今は夏だ。普段とは違うことをしてみるのも一興だろう。
「…特に何もないよ。ふと、自分のいるべき場所が嫌になって、逃げ出して、いろいろなものを見た」
少女は外の景色に視線を投げながら呟く。その視線が悲しみを帯びた気がして、少女の瞳の影が別の意味を持った気がして、その瞳が自分に似ている気がした。だから、傾聴することにした。
「楽しかったし、怖かった。でも、自由だった」
少女は自由を語る。俺は口を閉ざす。少女は理想を見ており、俺はその現実を見てしまったからだ。
「でもね。いつの間にか、そんな気持ちもなくなっちゃって。帰ろうって思ったけど、気づいちゃったの」
「帰る場所ってどこにあるんだろうって」
少女は薄く微笑んでいた。それがひどく絵になっていたのは、どことなく皮肉に感じた。
「最初はどうしようか迷ったけど、もうそれでもいいかって」
きっと、迷ったのだろう。年頃の少女がその決断をするのは半端に現実を知っているからこそ、難しい。いや、この少女は現実を見過ぎた結果があの瞳だ。この少女にもあったはずの迷いや未練を振り払わざるをえない出来事があった。
その姿はかつての自分に似ていた。思考に没頭している間も少女の語りは止まらない。
「行く当ても帰る場所もないから、適当に旅をしてる」
「…本当に?」
いつの間にか、俺の声はすがるような声になっていた。どうか間違いであってほしいと。帰るべき場所はそこではないのだから。
「…本当かどうかどうでもいいの。そういうことにしておくの」
少女はこちらに視線を向ける。相変わらず彼女の瞳は雲がかかっている。だが、今の少女には似合ってしまっていた。それが何よりも理不尽に思えた。
そうか。だから、少女はこの電車にいるのか。そう納得してしまった。
「…ねぇ。私が話したんだからおにーさんも話してよ」
「…そうだな。迷子少女みたいな話じゃつまらないのも頷ける…いって」
今度は頬をつまんで来やがった。容赦がないな。
「早めにしゃべった方が身のためよ童貞のおにーさん?」
「はいはい。別に大したことじゃない」
俺は今も変わらない景色を視界に写す。そろそろか。
「俺は夏の思い出を見にきたんだ」
「……」
反応がないのは予想外だ。まぁ、彼女にしてみればそうですかで終わってしまう話だったな。
「…私もそこに連れていって」
「…は?」
聞き間違いだろうか。いや、聞き間違いであってほしい。
迷い込むのと踏み込むとでは明確な違いがあるのだ。
「私もその思い出の場所に連れていってと言ったの難聴のおにーさん」
「聞き取れなかったわけじゃないわ。なんだいきなり」
「ただ、気になっただけ」
こいつ…!
「めんどくせー少女よ。やめといた方がいいぞ」
「犯罪者のおにーさんになってもいいの?」
スマホを振りながら微笑む少女。本当に強かな少女だ。
「…それに…。気付いてるからね。ここが普通の電車じゃないくらい」
「…どういうことだ」
「しらばっくれないで。私たち以外誰もいない。乗客も車掌も、何なら運転手もいないんじゃない?」
「…」
視線は未だ窓の外だ。まったく、勘がいい少女だ。
「変わらない景色、駅にも止まらない。でも、時計だけは止まってる」
そう言ってスマホの時計を見せる。そこには時を刻むことを忘れた数字がただ並んでいるだけだった。
「できることなら、気付かずに帰ってほしかった」
「言ったでしょ。帰る場所が分からなくなったって」
そうだった。この少女はあの場所に訪れる資格を持ってしまった。だから、この電車にいる。
これも夏のせいだと愚痴りたくなった。
「はぁ…」
ため息を一つ。自分も彼女と同じく、覚悟を決めることにした。
この先に俺とこの少女に起きる出来事がどんなものであっても、夏の思い出となることを信じよう。
だから、
そういう理由で、
俺は目の前の少女と目を合わせた。
雲がかかった月が俺を見る。
そして、胸元に視線が行く。
ロザリオが見えた。
もう少しというところで、俺の視界に星が飛ぶ。
「変態」
「容赦のないビンタだな」
その衝撃によるものだろうか。俺はもう一つ、夏の思い出を思い出した。
今度は風情のあるシチュエーションだった。
「まったく、これも夏のせいだな」
「夏はそんな便利な言葉じゃないよ視姦のおにーさん」
そうでもない。思わないところで夏が悪さするし、良いこともする。きっとな。
とりあえず、少女の手を取る。時間が来た。
「…何勝手に触ってるのよセクハラのおにーさん。次は蹴るわよ?…きゃっ」
少女の言葉を無視して、自分の方へ引き寄せる。膝の上に少女がおさまる格好となったが不可抗力だ。理由を説明したいから、全力で頬をねじってくるのやめてほしい。
「随分かわいい声だ。いでで!分かった!悪かったって!」
「ロリコンおにーさん」
…来たか。少女の手を強く握る。胸の中の少女は体をこわばらせ、こちらを見上げてくる。
「…いい加減離してくれない?」
「だめだ」
「変質者」
「黙ってろ。来るぞ」
「来るって何が…」
少女の言葉は続かなかった。何かを言ったつもりだろうが、金属がきしむ音によってかき消された。つり革は裂け、ボックス席は粉々になっていく。まるで、電車だけが時間に取り残されたように形を変えていく。
少女の手を離さないように強く握る。少女も状況を理解したのか強く握り返してくる。胸の中にいる少女は瞳を潤ませながらも、この光景を瞳に写していた。
その姿を俺は見ていた。かつての自分はこの光景から目をそらしていたことを思い出しながら。
いつの間にか、自分たちが乗っている電車は緑に溢れていた。クッションシートには緑の絨毯ができており、手すりには誰かが忘れていったビニール傘を巻き込んで蔦が絡みついている。
床には足首につかるほど、水があった。これだけ浸水しているのだから、電車が動けるはずない。だというのに、規則的な揺れは未だに続いている。
「もう大丈夫だ」
そう言葉をかけて、握っていた手を離そうとする。
「勝手つないだ挙句、離そうとするとか…。だから、おにーさんもてないのよ」
強い力で握られ、離すことはできなかった。
青年
大学4年生 どこか掴みどころのないごく普通の青年。
ある場所にいくための定期券を持っている。
少女
高校生? どこか高貴な雰囲気をまとった少女。
旅行でも家出でもない。あてのない旅をする不思議な少女。