「で?」
少女は膝の上から隣の席に移動し、こちらを見つめてくる。適当にピースサインをしておく。
乾いた音が電車内に響いた。
「ふざけただけだろ」
赤い紅葉を頬刻まれた。秋にはまだ早いと思うのだが。
「もう一発いきます?鬼畜なおにーさん」
「さっきのはこっち側に来る時の影響だ。もう心配ねぇよ」
「先に説明して」
そう不貞腐れる少女。現実味がないことはやはり怖いらしい。
「怖かったか?」
「次はグーね」
「やめろやめろ。悪かったよ」
手が拘束されているのでこちらは逃げ場がないのだ。
「…こっち側って?」
「簡単にいえば、現実じゃないところ」
少女が俺を見上げる。
「天国にでも行くのかしら」
そう言って微笑む少女から俺は目をそらしたくなった。だが、そうはしなかった。この電車の行き先は天国なんかではないのだから。
「いや、天国だと思う奴もいるだろうが少なくとも、俺らは死んでねぇよ」
「おにーさんはその場所を知っているの?」
「あぁ。思い出の場所だ」
電車の揺れが止まる。どうやら着いたみたいだ。浸水しているというのにドアは何の抵抗もなく開く。外からは潮の香りがしてくる。
「降りるぞ」
「ん」
俺は少女から手を離してドアへ向かう。少女の方も落ち着いたのか、浸水した床でキャリーケースを引きずりながらついてくる。
「荷物を持ってやろうとか言えないの?鈍感おにーさん」
「自分の荷物くらい自分で持て我儘少女」
そう言い合いながら、駅のホームへと足を付けた。駅のホームはごく普通であった。どこにでもあるペンキの塗られたベンチに時刻表に時計があった。時計に関しては針が止まったままであるがそれ以上に普通ではないところがあった。
「おにーさん。私たちこれに乗ってきたの?」
振り返ると少女が今まで自分たちがた場所を見ていた。そこには、もう動くことはないと確信できるほどに、錆と植物に覆われた鉄の塊を見ていた。
「気にすんな。そういうもんだ」
「雑ね。嫌われるよ」
正直、答えたくないというのが本音だ。彼女にとっても選択肢は多い方がいいだろう。
目の前にはどこにでもあるような改札がある。電気があるかどうかも怪しい場所なのになぜ、自動改札機があるのか毎回疑問に思う。きっと、近代化の波がこの場所にも流れてきたのだろう。そういうことにしておく。
「ねぇ、この改札機ICカード使えないんだけど」
彼女の言う通り、この自動改札機はICカードに対応していない。だが、問題はない。行くだけなら誰でもこの改札を通ることができる。
「気にするな。今は形だけあるだけだ。それより、本当についてくる気か?」
「…帰る場所も帰り道もわからないのだから、進むしか選択肢はないよ」
顔を背けながら、彼女は答える。前にしか道は残されていない。だから、進むしかない。たとえ、その先にどのような結末が待っていようとも。
俺は覚悟したはずだった。みっともないことだが未だに迷っている。無理やりにでもこの少女を帰すべきなのではないかと、そんな言葉が俺の頭をぐるぐると回る。
でも、どこに?
彼女を俺はどこに帰そうというのだろう。
俺は自分に問いかける。
なぜ、俺はこの場所にいるのかと。
その答えはすぐに出た。
夏の思い出を見るためだ。あの美しいものを。あの日に与えられたものを…。
「そうか。なら進もう」
そう言って、俺たちは改札を通り抜けた。
駅を抜けるとそこは港街に近い場所だった。駅の周辺には宿や海鮮を焼いている出店もある。まばらではあるが、人がいることも確認できた。
このような場所に人はいないと思っていたのかどこか現実味のある風景に少女は目を丸くしていた。
「…日本のどこかにはありそうな景色ね」
そう言われれば、そう見えてしまう。少女の的確な表現に思わず笑みをこぼしてしまう。
「確かにそうだな。何処かにありそうな景色だ」
「同意するなら、笑わなくてもいいんじゃない?失礼なおにーさん」
「まぁ、何処かにありそうだけど、絶対に現実…いや現世じゃないんだよな」
俺は空を見上げ、指をさす。
少女がどういうことか聞こうとした瞬間息を吞む音が聞こえた。目の前には白い砂浜と青い海がどこまでも広がっている。青い空に遠くには夏の象徴である入道雲が見える。
そして、その入道雲を海と見立てているのだろうか。透明な鯨が空を泳いでいた。それは幻想的で思わず見入ってしまうほどに美しかった。
「…綺麗」
目の前の超常現象に対して、割とすんなり受け入れた様子の少女。むしろ、透明なクジラの雄大さを楽しんでいるように思える。
「あぁ。夏の風物詩だな」
「随分と幻想的な風物詩ね」
別にいいだろう。ここは現世ではないのだから。現実にはない美しさを見るのも悪くない夏の思い出だろう?
「これがおにーさんが見たかったもの?」
少女は俺を見上げながら問う。
俺は少女を横目に見る。
「いや、俺の思い出はもっと美しかったさ」
もっとも、ベクトルが違う美しさだったがな。そう零しながら、砂浜を歩き、海の家へ向かう。少女はキャリーケースに腰を下ろす。
「どこに行くの?」
「海の家。パラソルとシート借りてくる。迷子少女は抵当な場所でも見つけてくれ」
「女の子を一人にするんて…だから出会いがないのよ」
「関係ねぇだろ」
そう言いながら、少女は俺の後をついてきた。
「寂しがり屋な少女だ」
「首から下はいらないようね」
その言葉が合図となり、夏の砂浜で鬼ごっこが始まった。捕まったら生き埋めにされるだろう。
「ぜぇ…ぜぇ…運動不足なんじゃねぇの?汗だくの少女よ」
「はー…はー…そっちこそ、女子高生相手に…本気になるなんて…大人げないわ…」
命の危険があるなら、全力出すわ。俺はバックから凍らせたスポーツドリンクを取り出した。いい感じに溶けて、うまそうだ。
飲もうとした瞬間、俺の手からスポーツドリンクは消え失せていた。視線を下に向けると少女が腰に手を当て、豪快にスポーツドリンクを飲んでいる。
いい飲みっぷりである。この少女、本当にお嬢様か?
「おい。泥棒猫の少女よ。俺の分も残しておけ」
「私の飲みかけを欲しがるなんて変態ね。おにーさん」
「元々は俺のだ」
少女はめんどくさそうに自分が持つバックに手を入れ、あるものを俺に差し出す。
「これあげる」
「エナジードリンクじゃねぇか。しかも、くっそぬるい」
「2本買ったけど、1本で満足した。安心して。昨日買った奴だから」
「そこは心配してねぇよ。クソ暑い中でぬるい炭酸飲料とか拷問と変わらん」
「それは同意するわ」
ドヤ顔で俺のスポーツドリンク飲んで、薄く微笑む少女は本当に憎らしい。
俺は少女からもらったものをしまう。きっとこれも夏の思い出になる。
「さっさと行くぞ。暑さでやられそうだ」
喉を潤したいしな。
「誰のせいだと?はぁ、汗が鬱陶しい」
「水も滴るいい女だぞ。良かったじゃないか」
ローキックが飛んでくるとは思わないじゃん。
「悶えてないで行きますよ。デリカシーのないおにーさん」
「…くそが。中々切れがあるじゃないの…」
俺はそう言いながら、立ち上がり歩き出す。その後ろを少女はついてくる。ふと、海へ視線を投げる。青い海は強すぎる日差しを反射してキラキラと輝いていた。
「…こういうのも悪くないな」
少女は俺の視線を辿り、海を眺める。
「…きっと、夏の間だけよ」
薄く微笑む少女が美しく見えた。それも夏のせいだろうか。
夏という季節が照りつける暑さや流れる汗を悪くないものにしている。それを感じながら、俺と少女は歩いた。
海の家は年季が入っているもの、手入れはされておりむしろ、いい味を出している。そこにいる店主は日焼けした肌にタオルを頭に巻いた、どこにでもいそうな店主だった。
「よう!今年も来たのか坊主!!」
「あぁ。性懲りもなくな。いつもの貸してくれ。あと冷たい麦茶とタオル二枚」
この店主とも関係が長い。ただ、毎年ここに来る度に店番をやらせようとするのはやめてほしいが。
「あいよ!…その嬢ちゃんは?遂に、誘拐してきたのか」
そう言いながら、麦茶とタオルを渡してくれる店長。一枚を少年に投げ、麦茶を飲む。喉から胃にかけて、冷たさが流れていくのがわかる。
「ふぅ…。いや。してねぇよ。勝手についてきた。…その内ここに来ていたさ」
「それはまぁ、仕方ねぇか」
「…ちょっと。ここには不審者のおにーさんが連れて来たんじゃないの?」
少女は口をはさむ。少女の目が俺を見るが説明したくない。
「…かき氷おごってやるよ。好きな味選べ」
「話を逸らすの露骨すぎよ。詐欺師のおにーさん」
「今なら、練乳もつけていいぞ」
「…いちごの練乳多めで」
適当に話を逸らしたつもりが成功してしまった。この少女割とちょろいのでは?
「ちょろいなんて、ふざけたこと考えてそうな顔だねクズなおにーさん」
「…実際にそうじゃん。痛った!?」
少女に足は踏まれたし、店主には拳骨を喰らった。とりあえず、かき氷をつくってもらい、少女に渡す。後ろから、店主が耳打ちしてくる。恐らく、あの少女のことだろう。
「おい坊主。説明してねぇのか?」
「あぁ。自分で気づくべきだ」
「あん?なんで、んな面倒なことする必要があんだよ」
「彼女は迷子なんかじゃない。ここに呼ばれたんだ」
もっと、面倒で深刻な状態なんだ。
「…なるほど。そいつはちと面倒だ」
…そう。俺と同じく、ここに呼ばれた人間だ。
「なら、あの嬢ちゃんから目を離すわけにはいかねぇな」
「もとより、そのつもりだ」
「にしても、解せないな。やけにあの嬢ちゃんに入れ込んでいるみてぇだが…お前そんな事をする人間だったか?」
「…夏の気まぐれだ」
「へー、へー。深くは聞かねぇよ」
そう言って、店主は店の奥へ引っ込んで行った。まったく、世話焼きな人だ。海の家に出ると外のベンチでかき氷を口に運んでいる少女がいた。
「どうだ?クソ暑い中で食べるかき氷は」
「最高ね。氷に味を付けただけなのに、こんなにも美味しい」
「満足いただけたようで良かったよ」
そう言って、おれは少女の隣に座りレモン味のかき氷を口に運ぶ。
変わらず美味い。色々な味を食ってきたが、レモン味が一番好みだ。さっぱりとした甘みにつんと来るような酸味が何とも言えない。
「……」
横から視線を感じる。どうやら、俺が持っているレモン味のかき氷に視線は注がれているようだ。
「やらんぞ。強欲な少女よ」
「…んぁ…」
少女はおもむろに口を開けた。健康的な赤い舌はシロップの着色料によってより、濃い赤になっていた。
そんな、少女が行う行動に俺はいつのまにか魅入ってしまったようだ。
その証拠に、ストローで作られたスプーンを少女の口へ運んでいる。
「…やっぱりちょろいね。おにーさん」
「…ふん。強請ったかき氷の味はどうだ?」
少女は少し考えるそぶりを見せて、こう言った。
「…ファーストキスの味がしたよ」
俺を見上げ、薄く微笑みながら。
「そうか。良かったな」
俺はかき氷を食べる。これ以上少女に強請られないように。
「少しは照れたりしてもいいんじゃない?不能なおにーさん」
「ファーストキスの味も知らない少女がよく言う」
「うるさいよ。間接とは言え、女子高生とこういうことできるなんて、本来はお金が発生する。というか、そんなに急いで食べなくてもいいんじゃない?」
「これ以上、食われてしまったら困る」
そうでないと俺は夏の魔物に取りつかれてしまいそうだ。
かき氷を食べ終えた俺と少女は砂浜を歩く。
「パラソルを持てとは言わねぇが、シートぐらいは持ってもいいんじゃねぇか」
「女性に荷物を持たせようとするのがもてない要因だよおにーさん。それに、自分の荷物は自分で持つのよね?」
「OK。このパラソルの中には入れねぇからなクソガキ!」
「それは戦争案件よ?器の小さいおにーさん」