死者に祈りを、生者に花を 作:TSっていいよね
死んだはずだった。なんてことはない、ただの交通事故。交差点で信号が切り替わるのを待っていた時、突っ込んできた居眠り運転の車に弾き飛ばされた俺は轟音と共に爆発するそれを見ながら息絶えた……はずだった。
「それが二度目の人生とは、幸か不幸か」
気が付けば見知らぬ女性の腕に抱かれていた。最初は走馬灯か、あるいは夢かとも思ったがいくら経っても覚めない辺りどうやらそうではないらしい。
俺がいる場所はどうやら孤児院のようで、俺の他にも幾人かの子供がお世辞にもきれいとは言えない衣服に身を包んで生活していた。子供たちのほかには世話役のシスターが一人で、傍から見ても経営はうまく行っているようには見えなかった。
経営のこともあり孤児院での生活はなかなかに厳しいものだった。わずかな田畑を耕し、雀の涙ほどの寄付を募り、神に感謝して一日を終える。その繰り返しだ。
薄汚れた見窄らしい孤児院にとって、唯一の誇りともいえるのが潔癖とまで言える信仰だった。
「ルーシェ、どうしたの?」
農作業の途中。幼い孤児の一人が考え込んで手を止めていた俺の顔を覗き込み、心配そうな目で見つめてくる。
なんでもないと言葉を返し、作業を続けた。鍬を持つ手は細く、泥にまみれている。
かつてのごつごつとした手など見る影もなかった。
「早く終わらせちゃおうか」
「うん」
言って、鍬を振り下ろす。痩せた土へ鈍った刃がざくりと突き刺さった。
◇
「慈しみ深き主よ。今日も子供たちと共に、こうして食卓を囲める喜びを感謝いたします──」
シスターの祈りが食堂に響く。長々とした祈りだが、つまりは今日も一日を皆で過ごせて幸せです、という内容だった。いつも騒がしい孤児たちも、この瞬間だけは静かに目を閉じ、真剣に祈りを捧げている。
無神論──とまではいかないが、信仰篤い人間ではなかった俺としては最初は些か以上に場違いな空気を感じていたが、今となっては一緒になって祈ることも慣れたものだった。
「さあ皆、食べましょう」
シスターの声をきっかけに、皆が思い思いに食事を始める。俺も同じように味の薄いスープへ硬いパンを浸して口へ含んだ。
……相変わらずまずい。そんなことを思っていると、隣に座っている少女が声をかけてきた。
「ルー、また皺がよってる。そんな顔してるとおばあちゃんみたいにしわしわになっちゃうよ?」
「余計なお世話。スープがまずいのがいけないの」
「またそんなこと言って。シスターに聞かれたら怒られちゃうよ」
「事実は事実でしょ」
それはそうだけど、なんて言いながらスープを啜る少女──リズ。彼女たちにとってはこれが当たり前なのだろうけど、かつての味を覚えている俺にとってはあまりにも質素に過ぎる味だった。
しかし、今はこれが日常なのだ。さらに言えば、たとえ貴族であったとしても前世のような食事は不可能なのだろう、という確信が俺の中にはあった。
「そういえば聞いた? 隣の村が魔狼に襲われたんだって」
「魔狼? 大丈夫なの?」
「うん、シスターが言ってたけど、討伐のためにたちが来てくれるから平気だって」
魔狼。魔に堕ちた狼。最初は信じられなかったけど、どうやらそういうものが当たり前に存在するのがこの世界らしかった。それにしても、いくら襲われた隣村が離れているとはいえ……。
「一応、逃げる準備くらいしといたほうがいいんじゃない?」
「逃げるって、どこに」
「……。はぁ、それもそっか」
言われて気づく。逃げ場などないのだと。ここを捨てて逃げたとしても、次の村で同じように暮らせるとは限らない。そもそも、次の村までも離れていて辿り着くにも一苦労なんだけど。
「ルーはさ」
スープを飲み干したリズが体をこちらに向けて問いかけてくる。
「ここを出たらどうするの?」
「急にどうしたの」
「なんとなく。食べ終わって暇だし」
リズはこちらを向いたまま、椅子に座り足をプラプラと揺らす。ここを出たらどうするか。どうするのがいいのだろう。何の因果か二度目の生を受けて、それは全く知らない異世界でした、なんて。他人の話ならワクワクするが自分のこととなると頭の痛い話だ。
「さぁ。シスターの手伝いでもしてるんじゃない?」
「えー、もったいないよ。ルーってば綺麗だし、商人さんのお嫁さんとかいいんじゃない?」
どこの世界でも女の子というのはこういった話が好きなのだろうか。というか、勘弁してほしい。考えないようにしているのに。
「そんなこと、今は考えられないよ」
「でもさ──」
「いつまで話してるんですか、食べ終わったら片付けなさい」
話を続けようとしたリズの声を、シスターの叱責が遮った。二人で「わかりました」と返事をし、会話を終わらせて食器を片付ける。
頭の中では先ほど聞かれた質問が繰り返されていた。
──ここを出たらどうするの?
どうするのが正解なのだろう。ただ命を繋ぐことと、生きることは似ているようで違う。
俺はどうすればこの世界で生きてゆけるのだろう。
そんな考えが頭の中を離れなかった。
◇
俺が考えていても世界は当たり前に進み続けるわけで、魔狼の噂を聞いてから既に十日ほどが経過していた。
幸いにして隣村が襲われた以降に魔狼の目撃証言はなく、もう別の方角へ去っていったのだろう、というのが村人の間での専らの見解だった。
暢気すぎないか、と思いもするが、それくらい図太くなければこの世界では生きていけないのだ。
さて、そんなある日のこと。いつものように畑を耕し、井戸から水を汲んで孤児院へ帰ろうとしていた時だ。何やら村の入り口が騒がしく、村人が色めき立っている様子が目に入った。
いったい何が、と思っているところに通りがかった村人へ声をかける。
「あの」
「ん、ルーシェか。どうした?」
「いえ、入り口の方が騒がしくって、何かあったのかなって」
ちら、と目線を入り口へ向けながら問いかけた。聞かれた村人は一瞬だけ目をやると「ああ」と短く頷いてから言葉をつづけた。
「教会の騎士様たちが来てるらしい。ほら、少し前に魔狼が出たとか騒ぎんなったろう。あれの討伐に来て下さったらしいぞ」
「騎士様……」
本当にこんな辺境までわざわざやってくるとは思ってもいなかった、というのが正直な感想だった。……これは俺の宗教というものに対する偏見がそうさせているのだろうな、と少し自嘲する。
なんにせよ、これで魔狼騒ぎが収まるのならそれに越したことはない。騎士とやらがどんなものかは気になるが、わざわざ人だかりに突撃してまで見ようとは思わない。
好んで関わり合いになることもないだろう。相手も、孤児に興味なんてないだろうし。
「早く騒ぎが収まるといいですね」
「だな。別んとこ逃げた、って言ってるやつも多いが、やっぱりちゃんと討伐してもらうにこしたこたぁない」
「はい」
会話を終わらせ、男と別れる。桶の持ち手が手に食い込んでいた。
◇
突然だが、今の俺は「関わり合いになることはないだろう」などと言っていた数刻前までの自分を引っぱたいてやりたい気分だった。
「どうも。少しの間だけ部屋を間借りさせてもらうことになりました。短い間ですが、どうぞよろしく」
食堂に集まった数人の男女がそんな挨拶をしている。相手は辺境の孤児院のシスターとその孤児たちだというのに、バカみたいに丁寧な挨拶だ。泥一つない純白の外套、手入れの行き届いた鎧、血色の良い肌……どれを取っても俺たちとは比べ物にならない。
「ね、ね。騎士様って言うからもっとお堅いのかと思ったけど、そうでもないね」
隣に立ったリズが小声でそんなことを囁いてくる。喋ってるとまた怒られるぞ。
「静かになさい!」
ほら。
「いえいえ、元気があっていいじゃないですか。ね、隊長」
「ま、一応は教会の管轄なわけですし。子供の言うことに目くじら立てるほど狭量ではないつもりですよ」
「ありがとうございます」
お礼を言いながらシスターが頭を下げる。それに倣うように、皆も頭を下げた。
騎士たちは勤勉だった。交代で調査をしながら孤児院の手伝いを行い、自らの鍛錬も欠かさない。味の薄いスープと硬いパンを文句ひとつ言わずに平らげ、埃っぽい部屋で眠る。
およそ「騎士様」という言葉からは想像もつかないほどだ。
当然ながら他の子供たちはそんな騎士たちを大層気に入り、暇さえあればこれまでの話──やれ何を倒しただのどこへ行っただのだ──をねだっていた。
……隣で聞いているだけだったが、面白い話だったことは否めない。
そうして、騎士たちが滞在を始めてから数日が経った頃だった。いつものように孤児院の仕事をしていた俺は、騎士の一人──流れるような銀髪の女性だ──に声をかけられた。
「ああ、ルーシェちゃん……だっけ? シスターさんがどこにいるかわかる?」
「この時間なら礼拝堂を掃除してると思いますが……」
「うん、礼拝堂ね。ありがと!」
俺が答えると、銀髪の騎士は短くお礼を言って立ち去ってしまう。わざわざシスターの居場所を尋ねてまでしたい話には多少の興味はあるが、仕事を投げ出すほどではなかったのでそのまま外へと向かう。
畑にはいつもの孤児たちと、それに混ざって農具を持っている騎士たち──流石に鎧は着ていない──が何人かいた。なんというか、こうして見ていると本当に騎士なのか怪しくなってくるな。
「あ! ルー、遅い!」
「いや、いつも通りでしょ」
「私より遅かったからダメなの!」
「理不尽すぎる……」
何が楽しいのか、ニコニコと笑うリズ。結局、その日はそのまま騎士たちと畑を耕して終わった。
◇
その日の夜。
「え、帰るんですか」
「はい。正確には別の任地へ向かうそうですが」
いつもの食事を終えた後、シスターが孤児たちを集めて話をしていた。内容は、孤児院に滞在していた騎士たちのこと。
なんでも魔狼の痕跡を探った結果、既にこの村からは離れていっているらしくそれを追って別の村へと移動するのだとか。この数日ですっかり懐いていた孤児たちはこれを聞いて不満げな声を上げていたが、シスターの一喝によって黙らされていた。
「あーあ、残念。もっとお話し聞きたかったね」
「……え? ああ、うん。そうだね」
「ん、何か考え事?」
「ううん、なんでもない」
怪訝そうな目でこちらを見るリズを横目に、俺は少し違和感を覚えていた。離れていっている
だからと言ってそう言われた以上何を確かめることも出来はしない。魔狼を探す? ただの孤児が? それこそ死にに行くようなものだ。
結局、俺ができることは限りなく少ない。
「しかし、念のため明日の作業は全て取りやめて院で祈ることにしましょう。きっと主が応えてくれるはずです」
シスターはそう言うと、ついで「さあ、今日はもう寝ましょう」と会話を終わらせる。みんなはまだどこか不満げだったが、先ほど怒られたことが尾を引いているようで渋々といった様子で各々部屋へと戻っていった。
「ルー、私たちも寝よっか」
「うん」
リズに手を引かれ部屋へと戻る。隙間風の入り込む寝室はいつも以上に寒く感じて。
──早く寝よう。
それを打ち消すように布をかぶりこみ、俺は眠りに落ちてゆく。
意識の底で、どこか遠くから響く遠吠えを聞いた気がした。