とある農村の、中央から少し離れた山地にその家はあった。
外観には蔦が少々目立つものの、壁は綺麗で、屋根も瓦一枚の欠けも無かった。
窓の一つが開き、もあっと埃が舞った。
「ケホッゴホッゴホ! もー最悪!」
埃の後、声と共に顔が飛び出した。
そばかすと日焼けの後が特徴の少女だった。如何にも気の強そうな目尻からは、埃が入ったのか涙が一粒流れていた。目は充血している。眉は不快感を隠すことも無く釣り上がっていた。
「はぁ~。まったく、なんで私がこんな事しなくちゃなんないのさ」
彼女は己がこの魔法使いの家の近くに生まれた事を呪った。もっとも、元をただせば、この家の遺品整理を手伝うよう母に言われたのが始まりではあるのだが。母に恨みをぶつけるよりは、運命を呪う方がお手軽だった。
しかし彼女の怒りのボルテージは運命を呪うに留まらないだろう。
それを悟った赤毛の少年は、朗らかな風を装い(残念ながら頬が引き攣っていたが)少女に話しかけた。
「そ、そろそろ休憩にしましょうか。居間の方は片づけましたし」
「あら、そう? じゃあ少し休もうかな」
少年は棚からティーポットを取り出し、湯を沸かす。次いで茶葉を摘まんで入れた。
その様子を眺めながら、少女は机に突っ伏し言った。
「で、そっちはどうなのよ。あの偏屈じいさんの弟子ってだけで、あんたが全部やる羽目になったんじゃないでしょうね」
「ははは」
少年は空笑いをした。
魔法使いの爺様は、それはもう突然ぽっくり逝った。だから全部やる羽目になったというのは、正しい。
「師匠に親族は居ませんから。それに、これも弟子の務めですよ」その後こう付け加えた。「あと、師匠は良い人ですよ」
心からの言葉だ。
彼は孤児であった少年を文句ひとつ言わずに育て上げ、魔法使いとしての手ほどきまでしてくれたのだから。
「ふぅん、あのじいさんがね」
少女は納得いかないのか、鼻を鳴らした。
「ま、休憩はこの辺にして続けましょ。今日中には終わらせたいしね」
少年は一先ず怒りのボルテージが下がったことを察し、密かに息をついた。
その後も黙々と作業を続けていく。
しばらくして、少女が少年を呼んだ。
「ねえ、この鍵なんだけど」
彼女が手に持つのは、三本の鍵の束だ。
「それは……」
……見覚えのない鍵だった。
となると、候補は限られてくる。
魔法使い、彼の私室に錠がある筈だ。
私室には、実は少年は足を踏み入れたことはない。
錠前の類は無いが、心理的に入るのは躊躇われたためだ。朝、起こしに行くというイベントも無かった。不思議な事に、魔法使いは彼よりも遅く寝て、早く起きるからだ。そんな生活が十二年続いていた。
ドアノブを捻り、扉を開ける。油が刺された蝶番は淀みなく動き、私室に光を刺した。
「うわ、暗」
少女は少年と違い、躊躇うことなく部屋に入った。そしてカーテンを開き、部屋の全貌を明らかにする。
部屋は、何という事はない、一人の老人の私室だった。
ベッドは整えられ、棚には娯楽用と思しき本が数冊並んでいる。クローゼットの中にはローブが丁寧に仕舞われているのだろう。
少年は初めて足を踏み入れる。床板は、踏みなれた家の感触そのままだった。
「お、宝箱はっけーん」
少女が呑気に声を上げる。
ベッドで陰になっていた場所に、その宝箱はあった。膝ほどの高さの、真っ赤で大きな宝箱だ。
「なんだろう? やっぱり魔法のアイテムかな」
少女は浮かれた声で宝箱を空けようとする。しかし宝箱には鍵が掛かっているのか、ビクともしなかった。
「あ、もしかしたら」
鍵束を取り出す。
そのうちの一つが、彼らの希望通り、がちゃりと音を立てて回った。
「お? おぉ~……」
宝箱を開く少女の声が、尻すぼみに小さくなっていく。
宝箱の中に入っていたのは、小さな擦り切れたローブだけだったからだ。
「ナニコレ?」
「え、っと……これは、昔僕が着ていたローブですね」
そう、それは幼少の時分、少年が着ていたローブだった。染みの形に見覚えがあるし、サイズもちょうどそれだ。
少年は指先でその布地をなぞった。あの日の記憶が蘇る。
魔法の修行で失敗し、泥だらけになって泣きじゃくっていた日。魔法使いは怒るでもなく、ただ一言『その泥は、お前が頑張った証拠だ』と言って、汚れを気にも留めず頭を撫でてくれた。
「えぇー、なにそのエピソード、いがーい」
「だから師匠は優しい人ですって……」
でも、意外だった。
当時のローブなんてとっくに捨てたと思ったのに、未だ残っているばかりか、大事に宝箱に収められているなんて。
「あれ、まだ宝箱あるじゃん」
ローブを取り出すと、その下に宝箱があった。今度は青い宝箱だ。
「今度こそマジックアイテムと見たり!」
少女は意気揚々と宝箱に手を掛け、やはりそれには鍵が掛かっていたので、少年が代わりに鍵を差してみた。やはり、鍵の一つ、赤いのとは別の鍵ががちゃりと音を立てて回った。
「…………むぅ」
入っていたのは、割れた食器だった。
少年は暫し訝しんだ後、ハッとする。
やはりその割れた食器には見覚えがあったからだ。
これもまた幼少の時の話だ。
少年は手伝い中にうっかり、師匠が大切にしていた陶器のカップを床に落としてしまった。
きっと酷く怒られるに違いないと、少年はその場にすくみ上がっていた。
けれど師匠は怒らなかった。
『形あるものはいつか壊れる。お前が怪我をせず、無事でよかったよ』
そう言って、少年の頭を優しく撫でたのだ。
「……へえ。このじいさんがねえ」
少女は鼻で笑った。
彼女は冷ややかな目でその破片を見下ろした。
「私の時は違った。昔、私の家で偶然この人の庭にボールを投げ込んじゃった時、彼は『私の休息を邪魔した代償だ』って言って、私の大事な髪飾りを無断で魔法の素材にして燃やしちゃったんだから。
……小さな失敗すら許さない、ただの意地悪な隣人だよ」
「それは……確かに酷いですね」
意地悪な隣人と優しい師匠。どちらが正しい姿なのだろうか。
もやもやを残したまま、片付けは続く。最後の鍵で開けられる錠は、結局最後まで見つからなかった。
そうこうするうちに片付けは終わった。量は膨大で、一人では今日中には終わらなかっただろう。少年は感謝の気持ちを込め、また再び息をつくため紅茶を入れる。
呼び鈴が鳴った。
「あれ。誰だろう。少し見に行きますね」
「おっけーい」
扉を開けた先に居たのは、郵便屋だった。
彼は封筒を一枚差し出す。中に紙以外が入っているのか、ずしりとした重さだった。
中には手紙と錠。もしやと思い鍵を取り出し、最後の鍵を挿入する。がちゃりと音を立てて回った。
慌てて手紙を確認する。
そこにはこう書かれていた。
『遺品整理、お疲れ様』
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