Dual Drive!-鉄翼のスカイタッグ- 作:都島 京子
#1 鉄翼はね…
「――っ、が、はっ……!」
肺を焼く煙と、ざらついた土埃の味。
激しく咽せ返る音とともに、床をつく手が震えた。
灰色の粉塵が舞う視界。耳鳴りの向こうで、見慣れたはずの教室が不自然に歪んでいる。壁が削れ、天井が崩落し、床にはねじ曲がった机と赤黒く濡れた瓦礫が散乱していた。
つい先刻まで存在していた会話も、授業の声も、跡形もない。
「………………は?」
掠れた声が、開いた巨大な穴から吹き込む風にさらわれて消える。
瞬きを一つ。
数秒前までの日常は消え去り、そこには説明のつかない惨状だけが横たわっていた。
――なにが、起きたんだ……?
◇
雲一つない青空。太陽は容赦なく大地を焼き付ける。
全高5メートルの二足歩行の鉄塊が、駆動系をぎちぎちと軋ませながら巨体を屈め、岩の陰に息を潜めていた。ベアメタルの装甲は、直射日光を浴び、表面から立ち上る陽炎が周囲の景色を歪ませている。
『何度やっても同じさ。隠れてばかりじゃ僕らに勝つことは不可能だ。諦めて降参したらどうだい?』
岩を挟んだ向こう側にノイズ混じりのくぐもった男の声が木霊したが、返事の代わりに響いたのは風に揺れる木々の声だけだった。
「ったく、何が降参なの!調子乗っちゃって……!ほとんど先輩のおかげじゃん」
灼熱の密室で、狭苦しい空間で女の悪態が弾ける。
前席のパイロットシートと、一段高い後席のオペレーターシートが縦に並ぶ複座式コックピット。後席に座るソラは、額に張り付いた前髪を振り払いながら、鬼気迫る表情でコンソールを叩き続けていた。
「右腕に左足、ブースターもあとちょい。もう降参でよくね?アッツいしさぁ……早く帰ってアイスでも食べようぜ?」
前席に座る男は両手を頭の後ろで組み、背もたれに体重を預けて大あくびをこぼす。
狭苦しい空間は、大型PCを何台も同時に回しているかのような機械熱と、二人の汗の匂いが混ざり合い、うだるような熱気に満ちていた。気休めにもならない冷却ファンが、耳障りな唸りを上げて生温かい風を循環させる。
「なぁ、ソラ……おーい、聞こえて――」
「う・る・さ・い!ツバサは操縦にだけ集中してて!今は待機!弱音禁止!アイスも禁止!!」
「……へーい」
ツバサは小さくため息をつき、気怠げに操縦桿を握り直した。
『そこの岩の裏かい?』
再び森の中に、余裕を含んだ男の声が響く。
ソラとツバサが身を隠す巨岩の向こう側。重たい駆動音が、地響きと共に確実にこちらへ歩を進めていた。
痺れを切らしたツバサが操縦桿から手を離し、降参のシグナルを送ろうとした瞬間――タンッ、と後席のひじ掛けを叩く鋭い音が響き、ハーネスを外したソラが勢いよく立ち上がった。
「よし!いける!!」
大音量にびくっと肩を跳ねさせたツバサは、そっと操縦桿に手を戻し、怪訝な顔で首を巡らせる。
「ここから勝つのははっきり言って不可能!……普通ならね!!」
「……えぇ」
ツバサの呆れ顔を視界から締め出し、ソラは身を乗り出して捲し立てた。
「相手は、私たちが岩陰の左右どっちかから来ると思ってるはず。そこを逆手に取る!」
「……どうやって?」
「フフン…失念しちゃいけないよ?
「おぉ、いつものやつ」
腰に手を当てて胸を反らすソラ。パチパチと、ツバサの抑揚のない拍手がコックピットに乾いた音を響かせる。
「で、その作戦って?」
「ズバリ!」
「ズバリ?」
「ズバリ!!」
「「…………」」
冷却ファンの唸りだけが、二人の間を通り抜けていく。
「やっぱ降さ――」
「岩を飛び越えて上からの奇襲だぁ!」
ソラはコンソールを勢いよく叩き、正面のメインモニターへ指を突き立てた。
「……だから、ブースター足りなくね?」
ツバサはパネルの隅で赤く明滅する残量ゲージを指差した――が、ソラは怯まない。
「私たちが乗っているこの『
調子付くソラの声色とは対照的に、ツバサの顔が引き攣った。
「げ、またそれ……」
「そう!『
転げ落ちそうになるほど身を乗り出して、ソラは語り出す。
「そもそも!“人型”で飛行するってだけでも奇跡なのに、この限界まで軽量化した装甲!剛性!そして何よりそのシルエット!この背中のラインが、合理性を超えた美しさを――」
どこからともなく取り出したデータシートをめくりながら、ソラのマシンガントークが炸裂する。コックピット内の酸素が消費し尽くされそうになったところで、ツバサが冷や水を浴びせた。
「けど、実際に付いてるの、
わずかな沈黙――ピタ、とソラの指が止まる。
「ツバサ、鉄翼はね……」
「……?」
「“ロマン”なんだよ!!」
「ダメじゃねーか」
ツバサたちの乗る“競技用アルマ”に装備されている鉄翼は、ソラが勝手に溶接した、不格好で空気抵抗の塊のようなハリボテの翼だった。
「今回は違うもん!調整に調整を重ねたから、若干なら飛べるの!」
ツバサは眉を
「若干って?」
「んー、まぁその時のコンディションにもよるだろうし、一概にこれと言うんじゃなくて、適宜各自の判断に委ねられているというか、鉄翼は生ものと言いますか……」
「そんな生ものあってたまるか……で、どれくらい?」
「もう、うるさーいっ!時間ないよ!はやくして!勝負は一度きり、準備はいい!?」
強引なシャウトで全てを掻き消すと、ソラはコンソールの操作を再開する。ツバサは喉まで出かかった言葉を飲み込み、諦めて前方のメインモニターへ視線を戻した。
ソラの予測通り、岩の向こうの相手機体は、左右どちらからの迎撃にも備えるように、歩みを止めている。
『どうした?怖気づいたかい?それなら――』
「今!!」
「ウス」
相手が動きを見せたその瞬間、スロットルを全開にした“
ズドンッ!
数トンの質量を持つ鉄塊が、ブースターの貧弱な爆炎を上げて強引に跳躍する。
だが、ソラの
目測を誤った右脚部が、巨岩の頂点に激突する。鉄翼は揚力を生むどころかバランスを崩す重りと化し、機体は空中で無様に体勢を崩した。装甲が岩肌を削り、火花が散る。
轟音と共に、機体は対戦相手の足元へと、文字通り頭から転げ落ちた。
『何をやってるんだ君たちは……』
土煙が晴れた先。見下ろす相手機体のカメラアイが、呆れたように明滅している。
落下の衝撃で各関節のセンサーがレッドゾーンを振り切り、システムが次々と機能停止していく。
『お疲れさん。先戻ってるぞー』
正面の機体から、実にあっさりとした女の声が響いた。
ソラたちの様子など気にも留めず、相手のアルマは重々しい駆動音を立てながらも、どこか軽快な足取りで去って行く。
一方、転げた鉄塊の中では、システム停止によるブザーだけがけたたましく鳴り響いていた。
赤色灯が点滅する薄暗い空間。
前席でハーネスに締め付けられたままのツバサ。そのすぐ横に、なぜかソラの顔があった。
「おい、何でいんだよ……」
立ち上がって熱弁を振るっていたソラが、ハーネスを留め直しているはずもなく、結果として二人は、狭いコックピットの中、肩も頭もくっつけ合い、仲良く逆さまになっている。
ツバサの冷ややかな視線に気づいたソラは、逆さまのままにこりと微笑んだ。
「……うん!私たちも、帰ろっか?」
「無理があるだろ」
顔の前で両手を合わせ、ウインクしてみせるソラ。
ツバサからは今日一番の深い溜息が出る。
「アイス奢れよ」
「いやだ。アイス禁止。ツバサが奢って」
「めちゃくちゃだな……」
「だって!!あんな状況から勝てるわけないじゃん!無理だよ!!」
「そのための降参な」
「先輩が強すぎるだけじゃん!ズルだよズル!!私だって“ハイルゼン”の最新モジュールだったら、絶対いけてたよ!!」
「マンパワーの差をマシンで埋める方がズルだろ」
ツバサは手探りでバックルを外し、器用に姿勢を反転させる。レバーを引き、強制解放したハッチから外へ這い出ると、駄々っ子になってしまったソラをの首根っこを掴んで引っ張り出した。
「ねぇ!ちゃんと聞いて!」
「あーはいはい、負け負け。帰るぞ」
ジタバタと喚くソラを引きずったまま、ツバサは部室へと歩き出す。
夏の容赦ない太陽が照りつける森の中。無様にひっくり返り、完全に沈黙した鉄塊だけが、陽炎の向こうに静かに取り残されていた。
◇
「あ゙ぁー、疲れたぁ……」
学園の敷地の外れ。申し訳程度に建つトタン屋根の格納庫が、彼らの部室でありガレージだった。
一歩足を踏み入れれば、錆びた鉄と削れたゴム、そして重苦しい機械油の匂いが鼻を突く。首振り機能の壊れた古い扇風機が、カタカタと頼りない羽音を立てて室内の熱気をぬるくかき回していた。
薄暗い空間の奥には、傷が目立つ“競技用アルマ”が二機、鎮座している。“ハイルゼン公国”の次世代機とは比べるべくもない、油圧シリンダーと無骨なフレームが剥き出しの泥臭い鉄塊。
「あっ、ソラちゃん。おつかれさま~」
「ありがと、チサぁ……」
戻ってきたソラはチサからタオルを受け取ると、両腕をだらりと下げたまま奥の更衣スペースへ消える。力なく引かれたカーテンの向こうから、パイロットスーツが肌を滑る
「……はぁ」
遅れて入ってきたツバサは、自分のバッグからタオルを引き抜き、その場でスーツのジッパーを下ろす。
「おぉー、お疲れさん」
「本ッ当に疲れた。早く帰って寝たい」
パイプベンチに寝そべり、扇風機の風を独占しているシュンは、手元の漫画雑誌から一瞥をくれただけで視線を戻した。
「フン♪フフフーン♪ツバサくんもおかえり~♪シュンちゃんと一緒にお茶でも飲む~?」
チサは鼻歌交じりに、電気ケトルの前でカラフルな粉末スティックを次々と一つのマグカップへぶち込んでいる。
「パス」
「俺も別にいいかなぁ、なんて……」
即答するツバサ。シュンは漫画で口元を隠し、目を逸らす。
二人の反応に、チサはこれ以上ないほど見事な八の字眉を作った。
「……やっぱり喉渇いたからもらおうかな!」
「りょうか~い♪」
瞬間、ケロッと表情を戻し、チサはさらに別のスティックの封を切り裂いていく。
「……過激派な彼女だな」
汗を拭い、制服に袖を通したツバサがシュンの横に腰を下ろす。
「別に、んなことねーよ。まっ、お前よりマシかな?」
シュンは雑誌を放り出して体を起こすと、ニヤニヤとツバサをのぞき込んだ。
「で、また先輩にボコられたわけ?」
「ソラがな」
『私じゃなーい!!!!』
シャワーのノイズに混じって、奥から抗議の声が飛んでくるが、二人は聞こえないふりを通して全く取り合わない。
「どうせいつもみたいに変なことしてたんだろ?」
「ソラがな」
「もういっそのこと、あの
「ハネじゃなくて鉄翼!!あと邪魔でもない!!」
バンッ!と乱暴にカーテンが開き、制服姿のソラが濡れた髪のままシュンに詰め寄った。その鼻先に、鋭い人差し指が突きつけられる。
「いい!?鉄翼はロマンなの!ロマンは栄養なの!栄養がなきゃ死ぬの!!」
「イエス!マム!」
「ん、よろしい」
条件反射で敬礼するシュンの脇から、「おまちどうさま~♪」とチサがカップを差し出した。
「はぁ~い♪チサちゃん特製『レインボースカイ茶』召し上がれ~♪」
毒々しいマーブル模様を描く液体のなれの果て。ソラは当然のようにそれを受け取り、一気に喉へ流し込む。
「ありがとうチサ。今日のもなかなかいけてるね」
「えへへぇ、でしょ~?」
二人の平和な空気とは真逆に、レインボースカイ茶がシュンを襲う。
「い、いただきま~す!……っ!!」
次の瞬間、シュンは喉を掻きむしり、ドラム缶のようにベンチから転げ落ちた。口内滞在時間、わずかコンマ2秒の一撃KOだった。
「さっきから、少しは静かにできないのかい?」
高い位置から、やや棘のある声が降ってくる。
男は、鎮座していた競技用アルマのコックピットからキャットウォークに移ると、中指で神経質にメガネを押し上げながら皆を見下ろした。
「あっ、カケルくんもおつかれさま~♪レインボースカイ茶、飲む~?」
痙攣するシュンを跨ぎ、チサが致死量の液体を掲げる。
「ありがとう
「そっかぁ、残念……」
カケルの危機回避能力は高かった。
「そんなことより時間はいいのか?」
腕を組んだカケルがソラへ視線を流す。だが、ソラはきょとんとした顔で首を傾げた。
「
「え!ウソ!もうそんな時間!?」
カケルが不敵な笑みを浮かべた直後、ソラの絶叫が空気を切り裂く。
「ちょ、僕が今しゃべって――」
「間に合わなくなっちゃう!ツバサ早く荷物まとめるよ!」
「…………」
唇を真一文字に結んだカケルは、無言で背を向けた。ブツブツと呪文のようなものを呟き始めたが、当然誰の耳にも届かない。
「ソラちゃん、“セレモニー”ってなぁに~?」
「港に来てるんだよ!
「あぁ、そういやニュースでやってたな。本国の王子が来るとかいうやつ。本国の奴らが来るの、街の警備がうるさくなって嫌なんだよなぁ」
床から這い上がったシュンが、何事もなかったように会話に混ざる。
ソラはポケットから端末を引き抜き、画面を皆に突きつけた。
画面に映し出されたのは、漆黒の装甲に覆われたマッシブなシルエットを持つ巨大艦艇。
「じゃーん!最新鋭
ツバサ以外の二人は、興味深そうに顔を寄せる。
「見てよこの、水流抵抗を極限まで削ぎ落とした流線型の
ベンチに座り直していたツバサの視界に、ソラの顔がヌッと割り込む。
「っ!……はいはい」
のけぞるツバサの態度などお構いなしに、ソラは画面を激しくスクロールさせながら捲し立てた。
「世界初の完全自動運行を可能にした自律型AI――それこそが、この艦の頭脳であり名前でもある『シレーヌ』なんだよ!!意思を持つ巨大な質量が、水中を音もなく突き進む……まさに“生ける海の女王”!ロマンの極みじゃない!?」
「「おぉー」」
シュンとチサの気の抜けた拍手が響く。
「って、こんなことしてる場合じゃない!……ツバサ、行くよ!遅れたら私のロマンがああぁ!」
ソラは乱暴にカバンを引っ掴むと、ツバサの腕にガシッと指を食い込ませた。
「おい、引っ張るなって……!」
引きずられるツバサと共に、嵐のような足音がガレージの外へと消えていく。
数秒後。
ドタドタと慌ただしい足音と共にひょっこりとソラだけが顔を戻した。その視線が、キャットウォークの上にいるカケルを捉える。
「そうだった。カケル、今暇?」
カケルは中指でメガネのブリッジを押し上げ、フンと鼻を鳴らす。
「暇なわけがないだろう。これから今日の模擬戦のデータを精査し、君たちの致命的な操縦の欠陥をリストアップして――」
「じゃ、外のアルマ回収おねがい!じゃあね!」
「……はぁ!?なんで僕が!」
怒号は空しく響き、今度こそソラの気配は完全に消え去った。
「クソっ……あのロボットバカ共め!」
カケルは手すりをバンッと叩き、眼下のシュンを鋭く睨みつける。
「
「わりぃカケル、俺これからデートなんだわ」
シュンがチサと並び、ひらひらと手を振っていた。
「……は?」
「ま、そういうわけだから。ガレージの戸締りよろ~」
「カケルくん、また明日ね~♪」
「な!おい、待て!橘さんまで――!」
伸ばした手は空を切り、二人の背中も無情に遠ざかっていく。
だだっ広い鉄小屋に、独りの男がただ一人。
カケルはメガネを掛けなおし、深く息を吸い込むと、もぬけの殻となった空間に向けて声を張り上げた。
「……フン!僕一人で十分さ!誰も彼も、僕のありがたみを思い知るがいい!……思い知るがいい!!」
意地を張った声が消え去った後。
ガレージには、首の壊れた扇風機がぬるい風を回す音だけが響いていた。
「扇風機くらい止めていけぇー!!」
◇
抜けるような青空の下、潮風の香る
珍しそうに周囲の街並みを見回す男の横を、通りすがりの女性が小走りで駆け抜ける。弾みで、女の開いたカバンからハンカチがふわりと零れ落ちた。
「あの、すみません!……落としましたよ?」
アスファルトに落ちるより早くそれをすくい上げ、男が駆け寄る。短く整えられたブロンドの髪が、太陽の光を弾いてきらめいた。
「……っ!あ、ありがとうございます!こちらこそすみませんでした!失礼します!」
男の顔を正面から見た女性は、顔を赤くしながら走り去っていってく。
「……可愛らしい人だね」
ぽつりと呟く男の足元。そこに、男と同じ髪色の女が、道端に直接座り込んでいた。
女の視線は手元のデバイスに釘付けになっている。液晶画面の中では、ボロボロに大破したロボットが倒れ、気の抜けた電子音と共に『KO』の文字が浮かび上がっていた。
「のどかでいいところだ……そうは思わない?」
「…………別に」
女は顔を上げず、画面をタップし続ける。
「……ふふ、残念だよ……本当に」
薄く笑みを浮かべたまま眩しそうに空へ手を伸ばした男は、指の隙間から零れる太陽の光を、その碧い瞳に焼き付けていた。