Dual Drive!-鉄翼のスカイタッグ- 作:都島 京子
分厚い気密扉が重々しい音を立てて開かれる。
発令所に足を踏み入れたギルバの顔色は、青白い照明の光を浴びてもなお、明らかに優れなかった。
「艦長!体調の方はよろしいのですか?無理をなさらずとも……」
もみ手をしながらすり寄るトットを、ギルバは鬱陶しそうに手で払いのけた。
「フン、ただの夏風邪だ」
ギルバは吐き捨てるように言い放ち、一段高い艦長席へと身を沈める。不機嫌そうに深く脚を組むと、正面の戦術モニターを睨みつけた。
「……おい。なぜカーラムへの進路が南回りになっている?」
日本から太平洋を隔てたはるか南東、南大陸の西端に位置する島国“カーラム”へ向かうには、太平洋の中心に浮かぶ“永世中立国・ナルテル”を迂回しなければならない。真東へ進みハイルゼン本国に近い海域を通る北回りであれば、陸地も近く安全の確保が容易であるにも拘らず、日本を出航したシレーヌは現在、ナルテルを避けるように南東へと進路を取っていた。
ギルバの指摘を受けたトットは、待っていましたとばかりに胸を張る。
「本国周辺は先のテロによる被害が甚大です。接近したところで安全の保証はなく、何より補給も受けられません。そのような状態でのカーラムへの長期航海は現実的でない。そこで――」
トットが手元のコンソールを慣れた手つきでタップする。戦術モニターの一部がズームされ、“アリストリア”北東沖の海域に赤いシグナルが明滅した。
「洋上メガプラットフォーム『
「……なんだ、それは。そこで補給ができるのか?」
「え?」
ギルバのハイルゼンの王子とは思えない無知な発言に、トットの動作がピタリと止まり、まばたきが数回繰り返される。しかし、艦長席から見下ろす鋭い視線と目が合い、慌てて背筋を伸ばした。
「ん゙んっ、『
しかし、ギルバは鼻で笑う。
「フン。どうせシレーヌが弾き出した最適解を、そのままなぞっただけだろう。上手くいくのなら、なんだっていい」
興味を失ったように頬杖を突き、大きく口を開けてふてぶてしく欠伸を漏らした。
「ッ……」
図星を突かれたトットの頬が引き攣る。ギルバを睨みつける目は血走り、口からは今にもFワードが出てしまいそうになっていた。
「まあまあ、副長も我々のために尽力してくれているわけですし、クルーは助かってますよ」
壁際のサブコンソールで緑色のデータ波形を追っていたナレムが、端末から顔を上げて飄々と割って入った。
「というか、質問いいですかー?」
「却下だ」
トットは左手を腰の後ろへ回したまま、右手の中指でメガネのブリッジをカチリと押し上げた。毅然とした拒絶のポーズ――だが、ナレムの口は止まらない。
「最高司令官殿は、『現存戦力で任務を完遂せよ。補給は許可しない』って言ってませんでした?」
最高司令官――ドルマ・ハイルゼンからあった指令は、ナレムの言うとおりだった。トットの作戦はその指令に反したものであり、軍部から命令違反とみなされてもおかしくない。
「フン」
トットは鼻を鳴らすと、硬い靴音を響かせてナレムの前まで歩み寄った。そして――クワッ!と見開いた両目をナレムの顔面数センチまで近づける。
「貴様は!軍に死ねと言われれば死ぬのか!?死なないだろう!?」
「お、落ち着いて落ち着いて……そりゃまあ、死なないですけど」
ナレムは上半身をのけ反らせ、両手のひらを前にかざしてトットの圧力を受け止める。
「それが答えだ」
ナレムの返事に満足したトットはスンと表情を消すと、何事もなかったかのようにくるりと背を向け、モニター前の定位置へと戻っていった。
「はぁ……じゃあ補給の件はそれで大丈夫として、」
肩の力を抜いたナレムは息を吐き、先ほどから暗い顔のまま全く会話に参加していないメイラへと視線を滑らせる。
「それより、あの学生諸君の調子は大丈夫?……ちょっと落ちすぎてない?」
「大丈夫だろうが、そうでなかろうがきっちりと働いてもらう。それが軍人だ」
「えぇ……」
『軍の命であれ、命は捨てない』と、ついさっき言ったばかりのトットが軍人を語る姿に、ナレムは呆れを通り越して哀れさを見出していた。
「……私のせいです。少し、余計なことを話してしまって」
メイラは胸元で固く握りしめた端末へ目を落とした。
“科学技術庁”の
それを不用意に伝えてしまった後悔が、メイラの表情を暗く沈ませていた。
「ハハッ、船務長はデリカシーが欠けてるからなぁ。じゃあ、まあ、彼らはただのホームシックってことで」
話の発端であるナレムが軽薄な身振りでフォローを入れるが、艦長席のギルバの態度は相変わらずだった。
「役に立たないなら、海の底へでも捨てればいい。それだけのことだ」
◇
青白いアーク溶接の閃光が、マルチ・ウェルドックの壁面を断続的に照らし出す。工具箱の横でスパナを握るソラの視線は、手元のボルトではなく、虚空を彷徨っていた。
「おい、ソラ。手が止まってんぞ」
額にゴーグルを乗せたテッドが、咥え煙草の煙を吐き出しながら横目で睨む。
「あっ、すみません!」
「……男の心配か」
図星を突かれ、ソラは肩をビクッと跳ねさせた。
あの日、メイラとの食事の途中で席を立ったツバサは、それから丸二日、自室に引きこもったままだった。
亮介の件――ソラでさえ消化しきれていない事実を、実子であるツバサがそう簡単に受け止められるはずもない。ソラは何をどう声を掛ければ良いのか、分からなくなっていた。
「あっちの嬢ちゃんといい、新入りは変なヤツばっかりだな」
テッドの視線の先、ドックの片隅では、真紅のアルマの装甲に取り付き、一人黙々工具を振るうアネッサの背中があった。
「ご、ごめんなさい……私、もっとちゃんと……」
スパナを握り直そうとするソラの首根っこを、油まみれの分厚い手が掴む。
「休憩も仕事のうちだ。飯でも食ってこい」
そのままドックの出入り口へと放り出される。
「それでも働きてぇなら、引きこもりに飯でも食わせてメンテナンスしてやれ」
「っ!ありがとうございます!」
背を向けたまま再びトーチを握りなおすテッドに、ソラは深く頭を下げると、弾むような足取りで駆け出した。
◇
防音性の高い壁に囲まれた個室。スチールベッドに仰向けになったツバサの視線は、天井を走る無機質なパネルの継ぎ目をただ目的もなく往復していた。微かに届く空調の低い駆動音だけが、密室の静寂を埋めている。
ハイルゼン公国、科学技術庁――アルマの開発。
メイラの口から出たその単語が、耳の奥で何度も鈍く反響を繰り返していた。
世界を統治する巨大国家“ハイルゼン公国”。その中枢で、亮介はアルマの開発――軍事開発や戦争兵器を作っていたのだろうか。
ツバサは乾いた唇の隙間から、小さく息を吐き出す。
「……くだらねー」
掠れた声が天井に届く前に消えた。
片腕を顔の上へと乱暴に投げ出し、視界から光を遮断する。
――ツバサは、自分自身が滑稽でならなかった。
とっくに死んでいるかもしれない父親の過去を突きつけられ、整理がつかずに部屋にこもる。 日常を奪われたと被害者ぶっておきながら、結局は自分もこうして軍用艦に乗り込み、戦火に加担している。亮介のことを言えた立場ではない。
肘の影に顔を埋めたまま、自嘲気味に口角を歪めたが、すぐにその口元からも力が抜けた。
コン、コン。
控えめなノック音が、分厚い金属ドアの表面を叩く。
ツバサのつま先が、ピクリと反応して固まった。
「————」
ドア越しにくぐもった小さな声が届く。気密性の高い鋼鉄に阻まれ、誰が何を言っているのかは分からない。
「…………はぁ」
ツバサは数秒間微動だにせず、やがて顔の上の腕を退けると、壁側へ身体を丸めた。冷たい壁面に膝が当たる。
ドアの向こうで一瞬だけ気配が滞り、やがて金属板の床を擦る足音が、ひとつずつ遠ざかっていく。
足音が完全に途切れ、再び空調の不快な低音だけが室内を満たす。
ツバサは壁とマットレスの隙間の暗がりを見つめたまま、ゆっくりと両瞼を閉じた。
◇
深夜。湯気が白く煙るシャワールームに、タイルの床を叩く温水の単調な音が響き渡っていた。
頭から熱湯を浴びて、ツバサは両手で顔に滴る水分を雑に拭う。
その隣、すりガラスの仕切りを隔てたブースで、シャワーヘッドが金属フックへ叩きつけられる乾いた高音が響いた。
濡れた髪をタオルで拭いながら姿を現したのは、カケルだった。
視線が一瞬だけ交差する――気まずい沈黙が落ち、ツバサはコックを捻って水を止める。
「……なあ、
水流が絶たれた空間に、排水口へ吸い込まれていく残水と、天井からポタリと落ちる水滴の音だけが聞こえる。
「お前はなんでシレーヌに乗ったんだ?」
ハイルゼン軍への入隊という死刑宣告に等しい事実に対し、取り乱し絶望していたはずの男が、なぜ軍人としてここに並び立っているのか。
カケル自身が抱えている割り切れない感情、それとどう向き合っているのか——ツバサは、今の自分と重なっているような気がして、口から問いが零れ落ちていた。
タオルを動かしていたカケルの手が、ピタリと止まる。振り向いた前髪の隙間から覗く瞳が、冷たく鋭くツバサを射抜いた。
「今更、感傷に浸っているのか」
「……ッ」
「決まってるだろ、それ以外に選択肢が無かったからだ。君たちのような死に急ぎ以外で、誰が好き好んで軍人になるんだ」
「……別に、拘留されてりゃ良かったじゃねーか」
視線を逸らし、ツバサの口からトゲのある言葉が漏れる。
支給されていたTシャツの袖に、腕を通したカケルの動きが固まった。眉間が激しく歪み、握りしめられたタオルから絞り出された水滴が、ポタポタと床を叩く。
「君たちが……君たちが軍人になるなんて言い出したからだろ!」
「ッ!!」
急な怒号に、ツバサの肩が弾けるように跳ね上がる。
「『拘留されていれば良かった』だって……?そんな状況に独りで耐えられるわけないだろ!僕はそんなに強くない!こんな状況になったのは、半分は君たちのせいなんだぞ!皆で大人しく拘留されていれば、僕はそれで良かったんだ!なのに!軍人になって、シレーヌに乗って……っ!今だって僕はっ……僕は!死ぬほど嫌で、辛い!」
肩を激しく上下させ、感情を剥き出しにした声が、湿ったタイルの壁に幾重にも反響する。
「……逆ギレかよ」
カケルは深く荒い息を吐き出すと、濡れた髪を片手で乱暴にかき上げ、棚に置かれていた眼鏡を掛け直した。
「けど、結局流されてここにいるのは僕自身だ。そんな自分に腹が立つ……だからって後ろ向きに悩んだところで何も変わらない。また、惨めな思いをするだけだ」
カケルはしわくちゃのタオルを袋に詰め込み、ドアへと歩き出す。
「今の僕にとって一番重要なのは——“死なないこと”。生きて日本へ帰るために絶対に死ねない、それだけだ」
ドアレバーに手をかけたカケルは、振り返らない。
「キミはどうなんだ?……もう、アドレナリンは切れたのか?」
「っ!」
バタン、と重いドアが閉まる音。
一人になった空間。排水溝の周りを回り続けていた髪が、きれいに流れて消えていく。
「なんであんなに偉そうなんだよ」
険しい表情のまま、ツバサの口元が、ほんの僅かに緩んだ。
父親の真実を知ることは重要だが、今、優先すべきは生き残ること。そして何より――。
◇
首に掛けた湿ったタオルで髪を拭いながら、ツバサが自室の前へと戻ると、そこにはソラの姿があった。手持ち無沙汰にウロウロと歩き回り、足元を見つめている。
「……ソラ」
ツバサが声をかけると、ソラはビクッと肩を大きく揺らして振り向いた。その顔には、無理に作った引き攣った笑顔が張り付いている。
「あっ、シャワーだったんだ! ええと、その……」
視線を泳がせ、胸元に抱えた小さな包みをぎゅっと握り直すソラ。
ツバサはそのまま歩み寄ると、正面で足を止め、静かに頭を下げる。
「心配かけて悪かった」
その一言で、ソラの全身からスッと緊張が抜けた。強張っていた頬の力が緩み、いつもの柔らかい表情が戻ってくる。
「ううん! ほら、お弁当! おにぎり握ったんだ、一緒に食べよ!」
押し付けられたのは、ラップに包まれたいびつな形のおにぎり。
薄暗い非常灯が灯る通路。二人は分厚い壁面に背を預け、冷たい床板の上に並び立つ。おにぎりを頬張るツバサの足底に、遠い機関部が発する低い微振動が伝わってくる。
「ねえ聞いてよ!ツバサが部屋にいる間、私、シレーヌのAIとおしゃべりしてたんだよ!船の航行システムのこととか揚陸機構とか!あとね、この艦メイドさんもいるんだよ!ロボじゃなくて本物!」
ソラは腕を大げさに広げ、全身でジェスチャーを交えながら身を乗り出す。
「メイドって……お前な」
呆れ顔でため息をつくツバサ。止まないエンジンの駆動音が支配する通路に、いつもの、穏やかな日常の空気が戻っていた。
◇
照明の落とされた個室。ツバサと別れたソラは自室のベッドに寝転がり、備え付けの端末画面を見つめていた。暗がりの中、液晶の発する薄緑色の光が、ソラの横顔を淡く浮かび上がらせている。
「……それでね、ツバサも元気になってサイコー!……とまではいかないけど」
ソラが音声入力で語りかけると、黒い画面上に緑色の文字列が、静かな電子音とともに滑らかに生成されていく。
『それは良い知らせですね。搭乗員の精神的安定は、作戦遂行に不可欠です』
「でしょ?」
脚をぽてぽてと上下させ、ソラは口元を緩めた。
「ツバサはすごいパイロットだからね」
『…………』
わずかな空白の後、新たなテキストが滑り込むように表示された。
『アバネツバサが元気で何よりです。ソラさん、貴方のおかげです。ありがとう』
「……ん?」
その文字列を、ソラは瞬きも忘れてじっと見つめ返す。