Dual Drive!-鉄翼のスカイタッグ- 作:都島 京子
夜更けの海面に、一本の白い引き波がどこまでも伸びていく。
洋上プラットフォーム『POS-07:Atlas』の遠火を背に、海を這う黒鉄の影――潜水揚陸艦シレーヌ。しかし、その航跡は海上から容易に目視できるほど海面近くを這っていた。
「おい!もっと深度を下げろ!こんな海面際、見つけてくれと触れ回っているようなものだぞ!」
発令所に響き渡るトットの怒声に、コンソールへしがみついていたマリンが肩を跳ねさせた。操作パネルの上で、震える指先が泳ぐ。
「す、すみません……!先ほどの被弾の影響でバラストタンクに注水できなくなったというか……注水バルブの応答が無くて……」
「チッ、とんだポンコツAIだな……!」
トットは激しく舌打ちし、正面の巨大モニターを睨みつけた。
画面を埋め尽くしているのは外部映像ではなく、赤く点滅するシステム警告の群れ。上面ハッチからセンサー区画に至る箇所が、壊滅を示すグラフィックで血のように染まっている。
「レーダー部の破損が甚大ですね」
ティオが淡々と被害状況を読み上げる。
「通信ブイの故障により、現在のAtlasおよび当艦所属アルマ部隊の生存反応、ロスト。戦況の追跡は不可能です」
「クソッ、どいつもこいつも……!」
トットはコンソールへ激しく拳を叩きつけた。
「アルマ部隊ども、死んでも敵を殲滅しろ!反逆行為が如何に愚かで無謀か、骨の髄まで叩き込んでやるッ!」
応答のないモニターに向かって威勢よく吠えるトットの瞳には、“他力本願”という名の熱い炎が宿っていた。
◇
赤黒い炎が、視界のすべてを舐め回す。
Atlas下層。爆発によって歪んだ鉄骨と、濃密な黒煙が吹き上がる惨状の中を、黒いパイロットスーツが奔走する。
「ツバサ……っ!」
ヘルメットを脱ぎ捨てたソラが、煤にまみれた顔で崩落した残骸に手をかける。破けたグローブの指先を血で染めながら、瓦礫を退けようと焦燥に駆られていた。
爆発に呑み込まれたツバサ――その光景がソラの網膜に焼き付いて離れない。
「どこ、ツバサ……お願い、返事して!……痛っ」
水たまりを跳ね飛ばして走るが、挫いた足が派手に擦れ、濡れた鉄板の上に膝をつく、その時だった。
ズン、と重い地響きが足元を揺らす。
煙の層を押し破るようにして、二つの巨大な影が立ち上がった――ホバー艇から上陸した、アリストリア軍のアルマ2機。
音に反応して振り返ったソラの動きが、凍りつく。
カメラアイの冷たい赤光が、ソラをピンポイントで照射した。
火炎に照らし出された血の通わない装甲。そして、生身の人間へ無慈悲に向けられる巨大なライフルの銃口。
「あ……ぁ……」
ソラの顎が細かく震え、開いた口からヒュー、と引きつった呼吸音が漏れる。
自分が立っている場所が、“戦場”であることをソラは思い出した。
錯乱状態になっていた頭の中がクリアになる。
膝から崩れ落ちると、全身の緊張が一気に途切れた。その途端、パイロットスーツの股ぐらをじわじわと温かい染みが侵食していく。
銃口の奥の暗闇を見つめたまま、涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪ませ、唇を震わせた。
「ツバサ……どこ……私、ツバサがいないと……」
滲む世界のその先で――鋼鉄が激突する轟音。
プラットフォームの壁面を突き破って弾丸のように跳び込んできた真紅の機体は、中層外壁に打ち込んだグラップリングワイヤーの遠心力を乗せ、強力な蹴りを敵機の胸部へと叩き込んだ。
激しい火花を散らし、瓦礫の山へと吹き飛ぶ敵機。
『御伽!無事か!』
「…………」
ソラからの返事はない。
外部スピーカーから響くカケルの叫びを、アネッサは冷たく一蹴する。
「よそ見してる暇はないぞ」
アネッサはスラスターを吹かし、ソラから距離を取るように横滑りしながら、巨大なコンテナの裏へと機体を滑り込ませた。直後、猛烈な火線がコンテナの角を削り飛ばし、赤熱した金属片を激しく撒き散らす。
「早期決着だ。ハーネス締めとけよ」
「え?」
言い終わると同時、アネッサの指先がコンソールの上で踊る。
右肩から射出されたワイヤーフックが柱の鉄骨に深く突き刺さり、巻上げ機が唸りを上げる。Rubertalはコンテナを跳び越え、敵の眼前へと躍り出る。
空中での姿勢制御を完全に支配した機体の左肩から射出されたフックが、敵機の胸部装甲に食い込んだ。ワイヤーが一気に巻き取られ、至近距離への超高速度アプローチ。
「ゔっ!先輩、背後からさっきの奴が――!」
強烈なGに顔を歪めながら、カケルがサブモニターの警告赤光を指差す。
だが、アネッサはカケルの報告に見向きもしない。
瞬間、真上の天井が爆発したように吹き飛んだ。
コンクリート片と粉塵の渦を突き破り、上空から一撃の貫通弾が降下。迫っていた敵機の脳天を垂直に貫く。
頭部を粉砕された機体は、糸の切れた人形のように前のめりに倒れ伏した。
「……え?」
カケルの目が丸く見開かれる。
アネッサは無表情のまま操縦桿を軽く捻り、ワイヤーで拘束した目の前の敵機から、懸架していた十字鎌で銃を持つ腕を一刀両断した。
片腕を失った敵機は、勢い任せのタックルを繰り出す。正面から激突したRubertalは、重心の高さゆえに体勢を崩し、倒れ込んだ上からそのままマウントを取られてしまう。
敵機はRubertalの反対側の腰から十字鎌を強奪し、コックピットの装甲へ向けて振り下ろす。
『今更命乞いしても無駄だからな!お前らが悪いんだ!』
スピーカーから漏れ出る興奮した荒い声。
「先輩、危険です!!コックピットをパージしましょう!」
「……どいつもこいつも逃げることばっかりだな」
振り下ろされた十字鎌の刃が、コックピットの目前でピタリと止まった。
Rubertalのマニピュレーターが敵のアームをつかみ取り、ギィィと軋む金属疲労の悲鳴が響く。
「戦場は、逃げたい奴らの来る場所じゃない」
敵機の残り一本のアームが、油圧パイプを引き裂きながら力任せに千切り取られる。
「――死ねる奴が来る場所だ」
Rubertalの両アームが腕を失った敵機の胴体を左右から挟み込む。桁外れの馬力に押し潰され、装甲がみるみるうちにスクラップの如くひしゃげていく。
「なっ……」
カケルは言葉を失い、半開きの口でモニターを見つめるしかなかった。
『何をしてるんだ!我々は同盟国軍だぞ!?』
「はぁ?ダブスタ過ぎんだろ」
アネッサがフットペダルを踏み込むと、敵機を掴んだままRubertalが重々しく立ち上がり、一歩ずつ“そこ”へ向かう。
壊滅した中央エレベーターの大穴――その底なしの奈落を前に、機体が足を止める。
『何をしてる!早く降ろせ!いや、お願いだ!降ろしてください!』
『降ろしてやるから少しは黙れって。それじゃ、気をつけろよー』
「先輩、まさか――!」
マイクに脱力した声を乗せたアネッサは、操縦桿をグッと押し込む。
Rubertalは腕の中の破片を投げ捨てるように、大穴の中へ敵機を放り投げた。
数秒後、重い衝撃音と水柱の破裂音が底から響き、遅れて足元を微かな振動が伝う。
「め、めちゃくちゃだ……」
「違うな。戦場では相手を叩きのめすのが当然だ。まだ温いこと言ってんのか」
「っ……すみません」
いくら決意を固めようとも抜けない日常感覚――カケルは唇を噛み締め、呼吸を整える。
その時、ノイズ混じりの通信が割り込んだ。
『すごいね!ホントにどこも引火せずに命中したよ!』
興奮気味なナレムの声。天井を撃ち抜いた一撃は、アネッサが事前に送っていた精密な座標データによる狙撃だった。
『いったい何を食べたらそんな――』
「助かった」
返答の途中で通信を切ると、アネッサは横転している『Ferrum Avis』の傍らへ機体を滑り込ませた。
「降りろ」
「えっ?」
「鍵は刺さったままだ。システムも生きてるだろ。私はソラを回収するから、お前はそれに乗って外へ出ろ。ここもそろそろ崩れるぞ」
有無を言わさぬ口調。
「早くしろ」
「は、はい!」
カケルは慌ててハーネスを外し、ハッチから這い出た。
カケルの降機を確認すると、Rubertalは旋回し、黒煙の奥へと去っていく。
取り残されたカケルは、炎の照り返しを受けるFerrum Avisを見上げた。
倒れた機体のハッチから、断線したケーブルが力なく垂れ下がっている。装甲の手がかりを掴んでよじ登り、真下を向いたコックピットへ潜り込む。
コンソールを叩き、機体のシステムチェックを走らせる。モニターが次々と点灯していく中、カケルの視界の端に、無人のフロントシートが映り込んだ。
先ほどの、戦場を彷徨うソラの異常な姿。そして、主のいないコックピット。
「
不吉な想像が脳裏を掠める。カケルは頭を強く振り、奥歯を噛み締めて操縦桿を握った。
◇
黒く濁った海面を、鈍いオレンジ色の閃光が断続的に照らし出す。Atlasから轟く連鎖爆発が、うねる波を伝って夜の空気を震わせた。
波間に漂う、黒いパイロットスーツ。首元から肩口にかけて展開した分厚いエアクッションが、着用者の頭部を仰け反らせるような形で水面上に固定している。
「……っ」
首元を締め上げる圧迫感と、破れたスーツの隙間から全身の傷口に染み込む海水の鋭い刺激が、ツバサの混濁していた意識を強引に浮上させた。
海水の重みを感じながら、鉛のような右腕を水面から引き摺り出そうとしたが、黒いグローブの指先は空しく水中を掻くだけだった。
「ソ、ソラ……い゙っ!」
声を発した瞬間、全身の筋繊維を灼き切るような激痛が奔る。酸素を求めて半開きになった唇が、引き攣ったように歪んだ。凍てつく夜気の冷たさを完全に上書きする、内側からの暴力的な熱痛。
痛みに、もがく。しかし、四肢は微かな痙攣を返すだけ。
はち切れそうなクッションの浮力だけが、ツバサを海面に繋ぎとめているにすぎなかった。
容赦なく打ち付ける飛沫に急速に体温を奪われ、指先から這い上がってきた痺れが、次第に痛覚すらも麻痺させる。
黒い空と海の境界線が溶け合い、視界が明滅を繰り返す。いよいよ限界を迎えようとするツバサの鼓膜を、不意に波音とは違う規則的な低音が震わせた。
——水面を滑るような、エンジンの駆動音。
首を捻るが、分厚いクッションが視線を遮る。
急激に迫る排気音の直後、大きなうねりがツバサの体を乱暴に持ち上げ、そのまま海面へ叩き落とした。
「ッ……ぐっ」
背中を打つ衝撃に顔をしかめ、痛みに耐えかねて固く閉じていた両目を再び見開いた視界の中で、雲の合間に顔を見せる月が不意に影で遮られた。
視界の上から、一つのシルエットが頭上を覆い被さるようにツバサを覗き込む。
濡れた前髪の隙間から、冷ややかなアルマの