Dual Drive!-鉄翼のスカイタッグ- 作:都島 京子
波間に漂うツバサの視界を、巨大な影が覆い尽くしている。
見開かれた瞳に映るのは、雲から覗く月光を遮断する黒いシルエット。
得体の知れない圧迫感に、ツバサは反射的に身を退こうとしたが、全身の筋肉が硬直する。
「……っぁ!」
傷口に激痛が走り、ツバサは顔を歪ませた。
そこへ、波音と遠方の爆発音を切り裂くように、ノイズ交じりの電子音声が頭上から降ってくる。
『……フゥン、死んでないのね』
痛みに支配されていたツバサの顔に、別の驚愕が走った。
聞き覚えのある、皮肉な
首を固定する浮袋の隙間から、必死に視線を横へと這わせる。
『なにボケてんの、感謝の言葉が聞こえてこないんだけど』
外部スピーカーから放たれる高慢な響きに合わせ、海を覗き込んでいた巨体がゆっくりと身を起した。
夜闇に溶け込む漆黒の装甲を縁取るネオンオレンジのライン。腰部に差した一振りの刀は、微かに赤く汚れていた。
波に揺れるホバー艇の甲板上で、不遜に佇むその姿。
冷ややかな橙光のカメラアイで海面のツバサを見下ろしているのは、イブの駆る『
◇
鼓膜を圧迫するような重低音が、洋上プラットフォーム全体を震わせた。
巨大な
『中層まで火が回ってきている。焼き上がりまであと数分だ』
スピーカーのノイズの中、無線の向こうでジンがマイペースにぼやく。その奥では断続的な爆発音がスピーカーをビリビリと震わせていた。
「んー……こりゃマズいねぇ」
コンソールに向かい、ナレムは間の抜けた声で応じるが、その声の軽快さとは裏腹に、キーを叩く指先は正確かつ迅速に動いていた。
「各機、こちらアルファ2。崩落に巻き込まれないよう外殻へ退避してくれ……まあ、着水は免れないだろうけど」
緊迫感のない指示を飛ばしながら、ナレムの視線がレーダーの端で明滅する一つの光点に吸い寄せられた。
プラットフォームの外側。暗い海面を、異様な高速度で滑るように移動していく味方の識別信号。
「……ん?なんだ?」
ナレムが回線を切り替える。
「あー、イブ隊長?それはいったいどういう状況で?」
『見て分からないワケ?のろまなあんた達に代わって、私が敵艦隊を直接叩きに行ってあげてるの』
刺々しい返答が鼓膜を刺す。
「はぁ?ちょっとちょっと、いくらなんでもそれは無理が……」
『うっさいわね、黙って感謝だけしてなさい』
ナレムが頭を抱えかけたその時、割り込んだノイズが音声を上書きした。
『すみません、こちらアルファ4のオペレーター、立間です。現在は『
アルファ5の識別IDが表示された画面から、言葉を一つずつ確かめるようなカケルの声が流れる。
『下層に居た敵機の撃破、および通信の途絶えていたアルファ5――『Ferrum Avis』の回収に成功しました。オペレーターの
「え?」
『神隠しか!?』
ジンの驚愕の声が重なる。
交信の波に一瞬の重い沈黙が落ちた――が、それを断ち切ったのは、ひどく冷淡で、不機嫌な少女の声。
『そいつならさっき拾ったわ』
『ッ!本当ですか!?』
あっけらかんとしたイブの報告に、カケルが食い気味にかかる。
「……一応聞くけど、生きてるよね?」
『当然でしょ。死体なんて拾わないわよ。気持ち悪い』
安堵の溜息がジンとナレムの口から漏れる。
『――――』
画面上で明滅していた『Alpha 04』の通信波形が、無言のままスッと消滅した。
◇
「…………」
炎を照り返すメインカメラの映像だけが、薄暗い空間に赤い影を落としている。アネッサは通信チャンネルをそっと切断すると、操縦桿を静かに傾けた。
「ツバサが無事でよかったな」
前方を向いたまま、アネッサが短く声を投げる。
しかし、背後のシートからの応答はない。
ソラは膝に置いた両手を見つめたまま、俯いていた。その煤にまみれた指先が、微かに震えている。
「なんだ、どこか痛むのか?」
「……すみません」
絞り出すような、掠れた声。
ソラの胸中を支配していたのは、ツバサの生存に対する安堵や喜びではなかった。
それらを押し潰すほどの、黒く重い自己嫌悪。
パニックに陥った末の身勝手な行動。生理現象すら制御できなかった情けなさ。そして、アネッサの足手まといになったという事実が、鋭い棘となって内臓を掻き回す。
アネッサが居て、イブが居て、たまたまツバサも自分も命を拾った。
それは覚悟の賜物などではない。ただの、吐き気がするほどの幸運。
――軍人は、遊びじゃない。一度の失敗がそのまま死に直結する。
入隊を決めた日、アネッサが放った冷たい言葉が、今になってソラの鼓膜の奥でガンガンと反響していた。
覚悟など、欠片もできていなかった。
ツバサを失うかもしれないという可能性すら頭から排除し、どこかで「自分たちは大丈夫」と高を括っていた甘い幻想が、爆炎と共に木端微塵に吹き飛んだ。
網膜の裏側に、炎に呑み込まれるツバサの姿がフラッシュバックする。
「っ……!」
ソラは反射的に両手で口を強く覆い、喉の奥から込み上げる嘔吐感を必死に飲み込んだ。ビクビクと細かく痙攣する肩。漏れ出しそうになる嗚咽は、Rubertalの無機質な駆動音にただ無慈悲に掻き消されていく――。
杜ノ﨑が爆撃にあった日、シュンとチサが目の前で同じように消えたあの日。
ソラは、ツバサがいたからこそ立ち直れた。その日だけではない。いつだって“ツバサが横に居る”ことに、どこか無意識のうちに甘え、安心しきっていた。
突きつけられた蓋をしたくなる現実。
“私は……一人じゃ、何もできなかったんだ”
深淵のような暗闇が、ソラの心を塗りつぶしていく。
アネッサは、ただ、操縦桿を握る手に力を込め、黙って崩落するプラットフォームからの脱出ルートを辿るのみ。
決して、ソラの方を振り返ることはなかった。
◇
激しくうねりを上げる排気音と、やたらと冷え込む狭い空間。
まだ乾ききっていないパイロットスーツから、更に体温を奪われる。
「ゔっ……すみません、助かりました……」
関節の軋む音とともに指先がシートを掴み、何とか身体を固定する。
薄暗い視界の先、ツバサの足元前方――フロントシートから、圧のある不機嫌な声が降ってきた。
「フン、
返す言葉もなく、ツバサは平謝りをすることしかできない。
「まあ、いいわ。謝礼は後回しよ。それじゃ、死にたくないならしっかり掴まってなさい」
前方から飛んできた唐突な警告。
ツバサが「は?」と顔を上げるより早く、脳髄が後方へ引っ張られるような強烈なGが機体を襲った。
「いッ……!?」
覚醒したばかりのツバサは、ハーネスに胸骨を軋ませ、舌を噛みそうになりながらシートのアームにしがみついた。
海面を打ち鳴らす轟音。
サブモニターの視界いっぱいに、暗闇の海を切り開いて跳ね上がる猛烈な飛沫が映し出される。
イブが操るAterva Custは、アリストリア軍から強奪した高速ホバー艇――“アルマ用水上セイルユニット”のデッキに身をかがめていた。機体底部のハードポイントとドッキング機構がガチリと噛み合い、コックピットからの直接制御によって水面を疾走していく。
機体背部のブースターとホバー艇のタービンが同時に火を噴き、漆黒の機体は白波の尾を長く引きながら、洋上に展開するアリストリア軍艦隊のど真ん中へと一直線に牙を剥く。
◇
「アルファ・エレメントもロスト! Atlas下層からの応答、完全に途絶えました!」
アリストリア軍旗艦の艦橋。オペレーターの悲痛な絶叫が、薄暗い空間に響き渡った。
「クソッ!なぜ我々がこんな目に……!」
コンソールにすがりつく管制官が、ギリギリと歯を鳴らして弱音をこぼす。
「狼狽えるな!」
艦長が席から立ち上がり、手すりを激しく殴りつける。
「我々はアリストリア軍最後の光だ!ハイルゼンの犬にまで負けられるものか!これ以上の敗北は、断じて許されない!」
「か、艦長! レーダーに反応! 味方識別信号を出すホバー艇が1隻、本艦に向かって超高速で接近中!」
「なに?」
「っ!あれはッ――!甲板上に……ハイルゼンのアルマが搭乗しています!」
モニターに拡大表示された映像には、波飛沫を割って迫り来る黒い機影。闇の中でネオンオレンジの軌跡が揺らめく。
艦長の男が眉を寄せ、メインモニターを睨みつける。
「チッ、目標変更!全砲門、攻撃目標をAtlasからあの小バエに変更しろ!待機中のアルマも迎撃に回せ!一斉射撃だ!」
「了解!!」
男の号令とともに、巨大な砲塔が一斉に旋回を始める。
――次の瞬間、夜の海面を眩く照らし出す、凄まじい砲口の閃光。
数十条の火線が、水面を這う小さな影へ向けて網の目のように放たれた。
だが、Aterva Custは止まらない。
迫り来る砲弾の雨を嘲笑うかのように、セイルユニットのエアスラスターが狂おしい旋回音を上げ、艇体を左右へ激しく斜行させる。
ホバー艇が海面を横滑りし、直後に放たれた砲弾が元の軌道上を虚しく通過して巨大な水柱を上げる。機体は波のうねりをサーフボードのように利用し、右へ、左へ、時に跳躍すら交えて不規則極まりない軌道を描く。
「なんだあの動きは……!」
「誘導ミサイルも躱された!?何がどうなってる?!」
「何をしている!いいから撃て!撃ち倒せえっ!」
艦長が目を血走らせ、艦橋いっぱいに声を反響させる。
「無茶です!……あんなの、人間の反射神経の限界を超えています!」
絶望に染まるオペレーターの声。
言葉の応酬の間に、黒い死神は既に迎撃のデッドゾーンを抜け、艦の懐深くへと侵入する。
Aterva Custが、セイルユニットを強引に横へ向ける。
強烈なパワーストップ。海面が削り取られ、数トンに及ぶ巨大な海水の壁が、艦橋の分厚い防弾ガラスへ滝のように打ち付けられた。
視界が完全に遮断された直後。
ズウゥン……ッ!
艦の
夜風が水煙を吹き散らす。
分厚く棚引く雲の合間、月光を受け、漆黒の装甲が冷たく光を弾いた。
一瞬の、完全な静寂。
Aterva Custは、腰部の鞘にアームを添え、ゆっくりと、極めてゆっくりと、長大な刀を引き抜いた。
擦れ合う金属音が冷たく響き渡る――。
カメラアイの橙光は、逃げ場のない艦橋を、静かに捉えて離さない。