Dual Drive!-鉄翼のスカイタッグ- 作:都島 京子
巨大なメインモニターいっぱいに広がる赤黒い炎が、発令所の薄暗い空間を明滅させていた。
崩落し、骨組みだけが焼け残る洋上プラットフォーム“
「全機、帰投。大破した
オペレーター席のティオが、硬い声で告げる。
報告を受けたトットは、鼻根に深い皺を刻んで固く目を閉じた。奥歯がギリギリと軋む音が、静まり返った室内で異様に響く。コンソールの縁に突いた両手は、指の関節が白く変色するほど力み返っていた。
「……クソッ」
喉の奥から絞り出された、擦れ声。普段のヒステリックな怒号すら湧き上がってこないトットに、メイラが恐る恐る一歩を踏み出す。
「ま、まあ、死者が出なかったのは不幸中の幸いじゃないですか。皆、無事で……」
「そんなものは当然だ」
慰めの言葉を、トットは鋭い一瞥で斬り捨てる。
「こちらには“ハイエンド”が二人もいるんだぞ……チッ、結局のところは
「そんな、言い方は……」
眉を八の字に曲げたメイラの反論を、トットは短い鼻息で弾き飛ばす。
「フン。私情は慎みたまえ、フォートリオ中尉」
冷え切った空気が発令所の床に沈殿していく。そこへ、背後のドアレバーが、カチャリと軽い音を立てて落ちた。
「まあまあ、そうカリカリしないでくださいよ」
いつの間にか現れたナレムが、薄汚れたパイロットスーツ姿のまま、ひらひらと右手を振って歩み寄ってくる。その緊張感の欠片もない足取りに、トットの額に太い青筋が浮き上がった。
「貴様……!そうだ、貴様の現場指揮が原因なのだ!そうに違いない!」
「いやいや、そりゃないでしょ。割と最善だったと思うけどなぁ」
「いいや、貴様だ!貴様で決定だ」
スイッチが入ったように声を荒らげるトット。
ナレムは飛沫を浴びる前に首を逸らし、のらりくらりと躱しながら、モニターの損害報告へ視線を流す。
「まあ、じゃあ、それでいいとして。起きたことは変えられないわけで。この散々な状況を打開する作戦を考えてくださいよ」
「なっ……なんだ、その口の利き方は!」
ナレムはわざとらしく「はぁ」と長い溜息を吐き、肩を落としてみせた。
「もとはと言えば、副長がアリストリア軍に無許可で補給を強行したのが始まりでしょ?どうせまた、通信で相手を無駄に煽ったりでもしたんじゃないんですか」
「っ!」
図星を突かれたトットは、双眸を見開き、顔面を赤く染め上げる。唇を
「マリンちゃん、今の艦の状況は?このままじゃやばい?」
コンソールを叩いていたマリンが、泣き出しそうな顔で振り返る。
「か、芳しくありません。砲撃による外殻ダメージが想定以上で、特にバラストタンクのバルブ系が……このままでは、作戦深度での潜航は不可能です。補給もできていないので、エ、エンジンの方も、いつガタがきてもおかしくないかと……」
マリンの背後、モニターに浮かぶシレーヌの艦体ホログラム。外殻の三割近くが、致命的な破損を示す赤色で不吉に明滅していた。
「……チッ」
トットが鋭く舌を打ち、腕を組んで深く俯く。
空調の低い駆動音と、コンソールが刻む電子音だけが響く発令所――。
数十秒の沈黙の後。トットが、ゆっくりと顔を上げた。
「……『ナルテル』へ向かう」
その言葉に、発令所がフリーズした。
「……へ?」
飄々としていたナレムの目が丸く見開かれ、メイラも信じられないものを見る目でトットを見つめる。
「副長……ほ、本気ですか?」
コンソールに向かっていたティオとマリンも、硬直したままトットへ顔を向ける。
「『与えられた役割を全うできない者に、ハイルゼンの席はない』……最高司令官殿はそう仰っていたな」
トットは手のひらでコンソールをバンッと叩き、モニターの向こうの闇夜を睨み据えた。
「私は最期まで諦めんぞ。必ず作戦を完遂する。どんな手を使っても、だ。そして、帰還した暁には、相応の地位を獲得するのだ……ッ!」
どこまでも利己的で下賤な信念が、限界を超えたトットの脳内で異常な熱を帯びる。
「それに、このシレーヌには
全員が引き攣った顔で注目する発令所の中心。モニターの赤い光を浴びながら、トットはひとり、口の端を吊り上げて醜悪な笑みを浮かべていた。
◇
マルチウェルドック内は、焼け焦げた装甲の臭いと、冷却ガスの白煙に包まれていた。
開放された
「おわっ、ちょっと待てって……って!」
「おっそいわね。これだから二人乗りは面倒なのよ」
体勢を崩し、キャットウォークに両手をつくツバサに、イブは頭上から冷たい声を降らせると、スタスタとドックの出口へ歩き去っていく。
痛む肩を擦りながら文句を言おうと振り返ったツバサの視界の端。そこに、先ほど回収されたばかりの真紅の機体――
背面のハッチが開き、煤にまみれたソラが、足を引きずるようにしてゆっくりと降りてくる。
「ソラ!」
ツバサは全身に伝う傷の痛みをもろともせずに、キャットウォークの鉄板を鳴らして駆け寄った。
「っ!」
しかし、正面から近づくボロボロのツバサの姿を認めた瞬間、ソラの肩がビクッと跳ね、不自然なほど素早く視線を足元へ突き落とす。
「ソラ、無事だったか。すぐに通信できなくて悪かった」
安堵と謝罪を口にするツバサに対し、ソラは一瞬だけ立ち止まった。
「……こっちこそ、ごめん」
消え入るような短い呟き。視線は一度もツバサと交わらない。そのまま、ソラは逃げるようにツバサの横をすり抜け、パイロット待機室へと足早に去っていく。
「お、おい、ソラ……!」
遠ざかる小さな背中を追おうと踏み出したツバサの肩を、横から伸びてきた分厚いグローブがガシリと掴んだ。
「……少しだけ、一人の時間をやれ」
振り返った先には、首元までジッパーを下ろしたアネッサが立っていた。汗で額に張り付いた赤い前髪の奥から、静かだが、有無を言わせぬ重い眼差しがツバサを射抜く。
「お前にも必要だ」
低い声に含まれた圧力に、ツバサの足は床に縫い留められたように動かなくなる。
「アネッサ先輩!」
そこへ、場の空気を読まない明るい声が飛び込んできた。
「どうですか!一人でも、しっかりと任務を果たしましたよ!」
普段と違い高揚しているカケルに、アネッサは視線も向けず「よくやった」とだけ短く返す。しかし、それだけでカケルは満足げに鼻を鳴らし、メガネのブリッジを押し上げた。
「フフ……ん?
涼しい顔で、恩着せがましい言葉を並べ立てるカケル。だが、ツバサの耳にその言葉は入っていない。
視線の先。閉じていく待機室の扉を、ただ上の空で見つめ続けていた。
◇
薄暗いロッカールーム。等間隔に並ぶスチール扉の表面が、蛍光灯の光を鈍く反射している。
ソラはロッカーの前に立ち尽くしていた。パイロットスーツの首元へかけた指先が、痙攣するように小刻みに震えている。
網膜の裏でフラッシュバックする、赤黒い爆炎。業火に呑み込まれていく、ツバサの身体。
「ゔっ……」
突然、胃袋の底から、粘り気のある強い吐き気がせり上がった。
ソラは咄嗟に口元を両手で覆い、その場にうずくまる。膝が床にぶつかる硬い音が響いた。肩だけが浅く、早く上下する。
「大丈夫~?」
不意に頭上から間延びした声が降ってきた。
隣で着替えを済ませた艦内着のシンディが、丸めたタオルを片手にソラを見下ろしている。
「……だい、じょうぶ、です」
床を見つめたまま、ソラは掠れた声を喉の奥から絞り出す。立ち上がろうと太腿に力を込めるが、泥のように重く、動かない。
シンディは、小刻みに震える小さな背中を、霞んだ硝子玉のような眼で静かに見据えた。
「そう」
短い相槌。直後、シンディは歌うような軽い調子で言葉を落とす。
「今日が、最初よ」
ビクリと、ソラの肩が硬直する。
「今日より明日、明日より明後日。良くなる日なんて一度も来やしない。ただひたすらに沈むことしかないの……ま、頑張ってねぇ~」
ひらひらと手を振り、シンディはブーツを鳴らしてロッカールームから消えていく。
扉が閉ざされる音が、異様に大きく響いた。
——今日が“最初”。
ツバサを失いかけ、己の無力さを思い知らされた絶望が、まだ単なる“始まり”でしかないという事実。
ソラの足元から、床の感覚が消失していく。果てのない暗い穴へ、身体ごと真っ逆さまに落ちていくような浮遊感。
口元をきつく塞いだまま、ソラは温度のない床に額を擦り付け、声なき嗚咽を漏らし続けた。
◇
ひび割れたコンクリートの平原を、硝煙と焦げたオイルの悪臭が風に乗って流れていく。
完全に沈黙したアリストリア軍の沿岸防衛施設。瓦礫と化したコンクリートとねじ曲がった鉄骨の山。生の気配は露と無い。
徹底的な破壊の痕跡。その真ん中に、
機体のコックピット。後席でコンソールを撫でる男の細い指先が、暗号化された通信ログを再生する。
『ハイルゼン軍のアルマに襲われています! まだ生きている者がいるなら、今すぐ救援をお願いします!!今すぐに救援を――』
悲痛な叫び声がスピーカーから響き渡り、ノイズと共にプツリと途絶えた。
「うん、ビンゴだ」
男は三日月の形に口角を吊り上げる。
「
推し量っていた盤面がぴたりと符合した悦び。男の喉の奥から、「フフ、フフフ……」と抑えきれない笑い声が漏れ続ける。
「……気持ち悪い」
フロントシートから、少女の冷え切った棘のある声が飛んできた。
男は大げさに肩をすくめ、わざとらしく両手を挙げる。
「ごめんごめん。あの“シルバー”にリベンジできると思うと、ついね」
「負けてない」
少女は、シート越しでも伝わるほど、不機嫌に眉をひそめてコンソールを睨みつけた。
「そもそも二対一。ノーカン」
その負け惜しみを聞いた男は、さらに機嫌良さそうに目を細めた。
「本当に負けず嫌いだなぁ、イスナは」
男のくぐもった笑い声が、コックピットの闇に溶けていく。
瓦礫の山を見下ろすロイヤルブルーのメインカメラが、高く輝く月光を反射し、刃のように鋭く煌めいた。