偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
今回は、アレンが自分なりの「愛」の形に、一つの答えを出すお話です。
魔王が勇者ヒンメルに討たれたという報せは、彼らが帰ってくるよりも早く、城塞都市ガルドへ届いていた。
出立から十年。あの頃でさえ周辺随一の規模を誇っていた町は、今や一国の首都さえ凌ぐ大城塞都市へと発展している。
幾重にも増設された城壁の内側には新たな街区が生まれ、石畳の街道には商人の荷車が絶えず行き交う。戦乱によって住む場所を失った者も受け入れたため、人口は十年前の倍近くにまで増えていた。
魔王が消えたことで、これから人間の時代はさらに広がっていくだろう。
やはり俺の理論は正しかった。
人間は、仲間や愛や覚悟といったものによって、本来の限界を超える。それを理解できなかった魔王は、人間との共存を望みながら人間に敗れた。
魔族と人間が同じ場所で生きられる可能性を、奴よりも先に証明したのは俺だ。この町には魔族である俺を領主として慕い、俺の庇護を受けながら暮らす人間が何万人もいる。
この事実だけは、魔王にも否定できなかった。
その魔王を討った勇者一行が帰ってきた。
城門から領主館まで続く大通りには花が撒かれ、家々の窓から色鮮やかな布が垂らされていた。町民たちは道の両側を埋め尽くし、人類を救った四人の帰還を歓声で迎えている。
ただし、その熱狂の裏側には小さくない不安も混じっていた。
十年前、フリーレンは俺を討とうとした。町民たちは、俺を庇うために彼女の前へ立った。再び同じことが起きるのではないかと心配するのも当然だろう。
前回の俺は、少し感情的になりすぎた。
ヒンメルに胸の空虚を言い当てられ、三百八十年かけて作り上げたものを否定されたように感じた。その結果、必要のない反論まで重ね、フリーレンの生き方にまで踏み込んだ。
今回は、もっと理性的に迎えなければならない。
領主館前の広場を横切り、立ち止まった四人の前へ進み出た。集まった町民たちの視線を受けながら胸へ片手を添え、祝いの場にふさわしい笑みとともに一礼する。
「勇者ヒンメル。おめでとう。君が魔王を討伐したことを、心から祝福するよ」
祝福は正しく伝わったはずだ。
それなのに、四人の沈黙を前にしているうちに、抑えていた本音が口から滑り出た。
「実を言えば、まったく成し遂げられるとは思っていなかったんだ」
「俺をこき下ろしたあの馬鹿野郎には、とっとと死ねと思っていたが……まさか本当に討ち取ってくるとはな。ハハハッ、痛快だ。奴が死ねば人間たちのためにもなる。実に痛快だよ!」
広場に俺の笑い声が響き渡った。
勇者の凱旋を迎える領主の言葉としては、少々品位を欠いていたかもしれない。近くにいた町民たちが反応に困り、祝いの旗を振る手を止めている。
ヒンメルは笑わなかった。
咎めることもなく、ただ俺を見ている。
「……なんてな。分かっているさ」
「結局のところ、俺は魔族だからな。お前たちから見れば、俺が分かっていることなど僅かなものなのだろう」
ヒンメルとの間に残っていた距離を一歩だけ詰め、その目を正面から見つめる。
今回は、心があるとは主張しない。
エリーの死を悲しんだとも、ガルドを失って胸が痛んだとも言わない。
そんなものが俺の内側に存在しないことは、この男に見抜かれている。
ならば、その事実を認めたうえで、俺にできることを示すしかない。
「だがな。俺はエリーも、ガルドも、カルラも、大切に思っていたと信じたい」
三人の顔は今でも明瞭に思い出せる。
記憶に触れたところで胸の中には何も生じない。それでも、彼らを忘れたことは一度もなかった。
「いや、正確には――そう信じ込みたいんだ」
心が存在しないのなら、俺自身の意志で作ればいい。何度否定されようとも同じ言葉を繰り返し、同じ行動を積み重ね、いずれ否定することのほうが難しい事実に変えてしまえばいい。
「だから俺は、これからもここを守る。俺が死ぬまでな」
人間を食べない。
人間を騙して破滅させない。
病人を治し、飢えた者へ食料を与え、町を襲う魔物を退ける。人間の心を理解できなくても、人間を守るために必要な行動を選び続ける。
「……おかしいか、勇者」
やがて彼は深く息を吐き、穏やかな声で答えた。
「おかしくはないよ。君がそう信じるのなら、僕はそれを否定しない」
それだけ言うと、ヒンメルは俺の横を通り、待ち受けていた町民たちのもとへ歩いていった。
俺はその背中を見ながら、ひとまず必要な結論を得たと判断した。
勇者ヒンメルは、俺を否定しなかった。
その後、領主館で簡単な歓迎を済ませ、俺たちは庭園へ場所を移した。
町民たちの歓待を受けている間、ヒンメルたちは魔王城へ至るまでの旅について多くを語らなかった。俺も詳しく尋ねるつもりはなかった。
俺が知りたいのは、どのように魔王を討ったのかではない。
限界を超えて魔王を倒した人間が、心を持たないまま人間の行動を続ける俺を、どのように判断するかだった。
「たとえ魔族に、心という受容体が存在しなかったとしてもだ」
「千年、二千年と続けた行為は、いずれ歴史の中で本物になる。後世の歴史書に、『魔族アレンは二千年もの間、人間を欺き、その実何一つ成さぬまま死んだ間抜けである』とは書かれないだろう?」
町を築いた事実は消えない。
俺が救った人間の命も、俺の行動を見て育った者たちも、その子孫も残り続ける。始まりがどのような意図によるものだったとしても、結果まで偽物になるわけではない。
「人間を愛しているから守るのではなく、愛していることにするために守る。順序が逆であっても、最後に残るものが同じなら、俺には十分だ」
エリーの手を握ったときと、何も変わっていない。老いることもなく、皺も傷痕もほとんど残らない手だ。
「俺は、自ら望んでこの牢獄へ入っている」
この町が牢獄なのではない。
アレンという人間として生きるため、自分で作り上げた規則こそが牢獄だった。
人間を食べることは許されない。町を見捨てることも、エリーたちを忘れることも許されない。たとえすべてが嘘から始まったとしても、その嘘を捨てれば、三百八十年分の俺自身を失う。
「嘘で自分を縛ろうが、何であろうが構わない。これが俺の、エリーに捧げる愛だ。誰が何と言おうと、これだけは否定させない」
心がなければ愛ではないというのなら、俺はその定義のほうを拒絶する。
「これが、魔族の俺にある唯一の本物だ」
「……救いようがない」
フリーレンが吐き捨てるように言った。
以前なら、彼女の反応も予測の範囲内として処理していただろう。
しかし今は、その態度が不快だった。
「俺は救いを求めて、ここにいるわけではない」
「お前は千年以上生きていて、それすら分からないのか?」
「分かりたくもないよ」
フリーレンの手には杖さえなかった。それでも、いつでも俺を殺せると言わんばかりの目をしている。
「人の形をした獣が、人の言葉らしき音を並べているだけだ。そんなものを努力とは呼ばない」
「千年生きようとも他者を知ろうとしない、言葉を話す木石に言われたくはないな」
目に見える魔力を放ったわけではない。フリーレンも杖へ手を伸ばしてはいなかった。それでも俺たちの間に生まれた敵意を察し、風に揺れていた花が一斉に動きを止めたように思えた。
「まあまあ。お二人とも、そこまでにしておいてください」
ハイターが苦笑しながら間へ入った。
「魔王を倒した帰り道に、立ち寄った町を壊してしまったのでは格好がつきません。吟遊詩人も歌に困るでしょう」
アイゼンは何も言わなかったが、いつでも動ける位置に立っている。止めようとしているのか、俺の覚悟を見定めているのかは分からなかった。
ヒンメルはフリーレンの肩へ手を置いた。
「そうだな。ここで血を流す気はないよ」
一度息を吐き、体内で高まりかけていた魔力を鎮める。
ここで争うことに利益はない。町を守るという俺自身の主張にも反する。
「……済まなかった」
「だが、分からないものを分かろうとする俺の行為を、そこの魔法使いは侮辱した。言い返したことまで間違いだと言うのか?」
ヒンメルはフリーレンを庇うことも、俺を宥めることもしなかった。
ただ、以前と同じように、俺の言葉の内側まで見通そうとする目を向けている。
「間違ってはいないよ。君が怒るのは当然だ」
「俺には、愛情がないのだろう?」
「だからといって、何を言われても気にしないわけじゃない。君には君が守ってきたものがある。それを侮辱されたくないと思うことまで、僕が否定する理由はないよ」
怒りは感情だ。
だが、俺が感じた不快さは、自分の理論と積み重ねを否定されたことへの拒絶にすぎない。人間が感じる怒りとは、発生する仕組みが異なるかもしれない。
「君を討たないと決めたのは、君の言葉が美しかったからじゃない」
「君が四百年間、その言葉どおりのことを実際に続けてきたからだ。この町で救われた人たちの命は、君の心が本物かどうかとは関係なく、本物だからね」
十年前、俺を庇った老人も同じことを言った。
たとえすべてが人間を騙すためだったとしても、救われた命は本物だと。
「これからも、この町を守るといい」
「君が自分で選んだ牢獄なら、最後までそこにいるかどうかを決めるのも君自身だ」
「分かった」
穏やかな聖人の笑顔を作った。それが作られた表情であることを、もはや隠す必要はない。
「俺は、内から湧き上がる感情などというものがなくても、あいつらに報いるためにここにいると決めた。これからも変えるつもりはない」
フリーレンは最後まで納得しなかった。
俺を認める言葉も、見逃すという言葉も口にしなかった。ただ、ヒンメルの隣に立ち、死んだような目で俺を見ていた。
それで構わない。
彼女に認められることは、俺の目的ではない。
勇者一行が町を発つとき、巨大な城門の前には大勢の町民が集まっていた。
魔王を討った英雄たちを称える声が上がり、花と小さな贈り物が次々に手渡される。ヒンメルは一人一人の言葉へ丁寧に応え、ハイターは酒の入った瓶を見つけて喜び、アイゼンは抱えきれないほどの土産を持たされていた。
フリーレンだけは魔導書を一冊受け取ると、それまでの不機嫌さが嘘のように本を開いている。
俺は城壁の上から、その光景を見下ろしていた。
やがて四人は城門を出て、花の咲く街道を歩き始めた。
勇者ヒンメルは俺を討たなかった。
俺の勝ちだ。
魔族であることも、胸の中に人間と同じ心が存在しないことも、認めたうえで生き残った。
俺は人間と同じ仕様では愛せない魔族のまま、人間を守り続ける道を作り上げた。善意がなくても人を救い、悲しみがなくても死者を悼み、愛情がなくても一人の女へ生涯を捧げる。
それを千年、二千年と続ける。
たとえ俺の胸に、人間と同じ情愛が芽生えなかったとしても、この町が存続し、俺が人々を愛して守り続ける限り、積み上げた事実は消えない。
俺の嘘を暴くことはできる。
だが、嘘から生まれたものまで偽物に戻すことは、もはや誰にもできない。
胸に何も刻まれないのなら、世界の側へ消せない刻印を残してやればいい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
愛しているから守るのではなく、愛していることにするため守り続ける。そんなアレンの答えを、どのように感じたか教えていただけると嬉しいです。