偽りの聖者と枯れぬ羨望   作:かなりゆっくりめ

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ヒンメルの死から二十年。

アレンのもとで修行を続けるフェルンの前に、旅をしていたフリーレンが現れます。



残される者たちへの導き

ヒンメルが死んでから、二十年が過ぎた。

 

フェルンへ魔法を教え始めて、およそ一年になる。

 

庵の裏手から森へ入り、しばらく歩いた先に巨大な岩がある。

フェルンは、その岩を目標に攻撃魔法を放ち続けていた。

 

白い光が森を走り、岩肌へ衝突する。砕けた石片が勢いよく飛び散ったものの、表面を抉っただけで奥までは届いていない。

 

威力が足りないわけではない。

 

保有している魔力量も、術式の構築速度も、この年齢の人間としては既に並外れている。問題は、放出した魔力が岩へ到達するまでの間に僅かずつ散っていることだった。本人は一点を狙っているつもりでも、術式の完成を急ぐあまり、発動の直前に照準がぶれている。

 

「フェルン。もう一度、今と同じ魔法を使え。ただし、撃つことを急ぐな。魔力を集めたあと、岩の中に自分の魔法を通す道を想像しろ。表面を壊すのではなく、向こう側まで一本の穴を作るつもりで撃て」

 

フェルンは息を整え、杖の先へ再び魔力を集めた。

先ほどより時間はかかったが、光の収束は明らかに安定している。放たれた魔法は岩肌を穿ち、最初の一撃よりも深い穴を残した。

 

それでも、貫通には至らなかった。

 

「申し訳ありません。まだ、向こう側までは……」

 

「謝る必要はない。今の一撃は、先ほどより遥かによかった。あの岩を打ち抜くために必要なのは、魔力の制御と調整、そして最後まで狙いをずらさない集中力だ。どれほど強力な術を覚えても、基礎を疎かにする者は必ずどこかで行き詰まる。届かないのではない。お前の鍛錬が、まだそこへ至っていないだけだ」

 

「……はい。次は必ず成功させます」

 

この子は、一度教えたことを次の試行で修正する。成功しなかったときも、才能や道具のせいにはしない。どこを直せば目標へ近づけるのかを考え、それでも分からなければ素直に尋ねる。

 

魔法使いとして、実に好ましい性質だった。

 

もっとも、優れた資質だけでここまで自分を追い込めるものではない。

 

フェルンは一刻も早く一人前になろうとしている。

自分を救い、育ててくれたハイターへ恩を返すために。そして、自分がいつまでも庇護される子供でいるうちに、あの男が死んでしまわないように。

 

人間の子供は、親の衰えに気づかないと思われがちだ。

だが、フェルンは聡い。ハイターが以前より長く眠るようになったことも、食事の量が減ったことも、庭を歩くだけで息を切らすようになったことも、すべて理解している。

 

だから休もうとしない。

遊びたいとも、楽をしたいとも言わず、自分の幼さを一日でも早く捨てようとしている。

 

立派な心掛けだ。

同時に、あまり賢明ではない。

 

「今日はここまでだ。これ以上続けても、疲労で制御が乱れるだけだぞ」

 

「ですが、まだ時間はあります。あと一度だけ試せば――」

 

「駄目だ。誤った感覚を身体へ覚え込ませることになる。努力しているという満足感を得るために鍛錬するな。強くなるために鍛錬しろ」

 

そこで俺は、その頭へ手を置いた。

 

初めの頃は触れただけで身体を強張らせていたが、今では逃げなくなった。

撫でられたらどのような顔をすればよいのか、本人にもまだ分からないらしい。

 

その点では、俺とよく似ていた。

 

「それから、魔法以外にも学ぶべきことがある。明日はガルドへ連れていくから、午後は町の子供たちと過ごせ。聖都へ行く機会があれば、そちらの子供たちとも関わるといい」

 

「勉学についても、決して怠らないようにいたします」

 

どうやら、別の教師から学問を習わせる話だと思ったらしい。

 

「違うぞ、フェルン。俺は遊べと言っている。友達を作り、くだらないことで笑い、ときには喧嘩をして、疲れたらよく眠れ。よく遊び、よく学び、よく休む。人間の子供には、そのすべてを与えられる権利がある」

 

魔法を教えたときよりも、遥かに理解し難いことを聞かされたような顔だった。

 

戦争で家族を失い、死ぬために崖へ立っていたこの子にとって、生きることは最初から義務だった。自分にも楽しむ権利があるなど、考えたこともなかったのだろう。

 

「ハイターの世話が心配なら、俺が人を手配する。お前が半日遊んだ程度で、あの男は死なん。もしそれで死んだのなら、単に日頃の不摂生が祟っただけだ。お前の責任ではない」

 

「……その言い方は、ハイター様がかわいそうです」

 

「安心しろ。本人にも同じことを言っている」

 

 

 

 

 

 

 

 

庵へ戻ると、ハイターは庭先へ椅子を出し、木漏れ日の中で本を読んでいた。

 

俺たちの姿に気づいて本を閉じたところで、森の奥から別の足音が聞こえてくる。

 

エルフが、木々の間から姿を現した。

 

最後に会ったのは、ヒンメルの葬儀だった。フリーレンの姿はほとんど変わっていない。人間なら人生の大半に相当する年月も、エルフにとっては旅の途中に迎えた季節の一つに過ぎないのだろう。

 

それでも、以前とまったく同じではなかった。

顔立ちではなく、表情が僅かに変わっている。

 

ヒンメルの葬儀で流した涙の理由を知るために旅へ出たと聞いていたが、少なくとも無駄な二十年ではなかったらしい。

 

フリーレンはハイターの前まで歩いてくると、久しぶりに再会した友人を懐かしむ様子もなく、その老いた姿を見下ろした。

 

「ハイター。まだ生きてたんだ」

 

「かろうじてですが。貴方が来るまでは死ねないと思いましてね」

 

やがて俺の存在に気づき、露骨に眉を寄せた。

 

「……それで、なんでお前がいるの?」

 

再会を喜ぶどころか、こちらには挨拶すらない。

俺は胸へ手を当て、深く傷つけられた人間の顔を作った。

 

「おお、何と悲しい言い方だろう。俺はただ、死期の近い友人を気遣って足繁く通い、その養女へ無償で魔法を教えているだけだというのに。久しぶりに会った友から、まるでいるはずのない害虫を見つけたような目を向けられるとは思わなかった」

 

「相変わらず、ふざけるのが下手だね」

 

「開口一番に憎まれ口を叩く友人へ、多少の意趣返しをしただけだ。お前のために、わざわざ分かりやすくみせたのだぞ。もう少し申し訳なさそうな顔をしたらどうだ」

 

「友人になった覚えはないよ」

 

「なるほど。俺がお前にとって初めての人というわけだな。何事にも最初はある。光栄に思うぞ、フリーレン」

 

フリーレンが何かを言い返すより先に、ハイターが楽しそうに笑い始めた。

 

「お二人とも、本当に仲良くなりましたね」

 

「そうそう。俺も長年の努力が実ったことを嬉しく思っている」

 

「違うからね」

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

その日の夕食は、久しぶりに四人で囲むことになった。

 

フェルンは当初、フリーレンにも警戒していた。だが、フリーレンが旅先で集めた魔法の話を始めると、次第にその話へ引き込まれていった。

 

風呂場を汚くする魔法、甘い大根を辛くする魔法、持っている宝石を忘れる魔法。

 

俺には用途の分からない術ばかりだったが、フリーレンはどれも貴重な魔法であるかのように語る。フェルンも当初は困惑していたものの、やがて真剣に話を聞き始めた。

 

魔法を強さや利益だけで評価しない考え方は、俺には教えられないものだった。

 

食事を終えたあとも、フリーレンは旅先で起きた出来事を淡々と語り続けた。フェルンは眠気に耐えながら聞いていたが、最後にはハイターに促されて自分の部屋へ戻っていった。

 

夜も深まり、囲炉裏の火が小さくなった頃、ハイターがフリーレンへ向き直った。

 

「フリーレン。お願いがあります。次に旅へ出るとき、フェルンを連れていってはもらえませんか。あの子には魔法使いとして生きる才能があります。世界を見て、自分で進む道を選べるようになってほしいのです」

 

「それだけはできないよ。才能があるのは分かる。でも、旅をするにはまだ幼すぎるし、魔法使いとしても未熟だ。自分の身を守れない子供を連れていけば、いずれ死なせることになる。私にとっても、フェルンにとってもよくない」

 

拒絶したように見えて、その理由はフェルンの安全を考えたものだった。

 

「では、もう一つお願いがあります」

 

用意していたらしい古い魔導書を取り出し、フリーレンの前へ置く。

 

表紙もページも相当に傷んでいる。女神の天地創造を記した時代の文字が使われているものの、その形式には見覚えがあった。

 

「この魔導書には、不死の魔法が記されていると言われています。内容を解読してはいただけませんか。私もこの年になって、もう少し生きていたいと思うようになりましてね」

 

フリーレンは魔導書を手に取り、数ページを捲った。

 

「不死の魔法なんて、たぶん存在しないよ。それに、この時代の暗号化された術式を解読するなら、五年か六年はかかる。それでもいいの?」

 

ハイターの視線が、俺へ向けられた。

腕を組んだまま、フリーレンから見えない角度で片目を閉じてみせる。

 

実に分かりやすい嘘だった。

だが、この場で暴く理由はない。

 

「不死になれるかもしれないのなら、五年や六年は安いものだろう。それまでは何としても生き延びろ、ハイター。解読が終わる直前に死んだら、フリーレンが費やした時間まで無駄になるからな」

 

「ええ。老体に鞭打ってでも、頑張るとしましょう。ついでと言っては何ですが、滞在している間、フェルンの鍛錬も見ていただけませんか」

 

フリーレンは魔導書から顔を上げ、今度は俺を見た。

 

「アレンが教えているんでしょう? さっきフェルンから、先生だと聞いたけど」

 

「俺が師であることは変わらん。基礎と戦闘技術は、これからも俺が教える。だが、俺には領地があるからな。毎日顔は出せても、一日中ここへ張り付いているわけにはいかん。それに、お前の経験や魔法への考え方は、俺には教えられないものだ。俺が来られない時間に鍛錬を見てくれるのなら、フェルンにとっても悪い話ではない」

 

二人が何かを企んでいることには気づいているのだろう。それでも、魔導書を閉じて自分の膝へ置いた。

 

「分かった。解読が終わるまで、ここにいるよ。ただし、不死の魔法が見つからなくても文句は言わないでね」

 

「もちろんです。よろしくお願いします、フリーレン」

 

これで、ハイターの望んだ形になった。

フェルンには、俺以外の優れた魔法使いから学ぶ機会が与えられる。

 

フリーレンには、この庵へ留まる理由ができる。

そしてハイターは、残された時間を使って二人の間に繋がりを作ることができる。

 

夜更けにフリーレンが眠ったあと、俺は一人で庭へ出た。

 

雲のない夜空に、月が浮かんでいる。

少し遅れて、背後から杖の音が近づいてきた。寝ていろと言ったところで、今夜のハイターは大人しく従わないだろう。

 

「ハイター。お前は本当に分かりやすい男だな。あの魔導書に不死の魔法など書かれていない。お前自身、最初から信じていないだろう」

 

「試すような真似をして、申し訳ありません。貴方なら気づいたうえで、話を合わせてくださると思っていました」

 

「随分と都合よく信用されたものだ。だが、お前が試したかったのは俺ではない。フリーレンとフェルンだ」

 

解読に五年か六年。

それは、ハイターに必要な時間ではない。

 

フェルンが一人前の魔法使いへ近づき、フリーレンと共に旅へ出られるようになるまでの時間だ。

 

「お前は自分が死ぬまでに、フェルンを誰かの庇護がなくても生きていけるところまで育てたい。だが、強くするだけでは不十分だと考えた。俺が引き取れば、住居も食事も教育も保証できる。それでもフェルンは、お前を失ったあと、もう一度自分だけが残されたと思うだろう」

 

ハイターは何も答えなかった。

その沈黙は、肯定と変わらない。

 

「だから、先にフリーレンと暮らさせることにした。五年か六年も同じ家で過ごせば、二人は他人ではなくなる。お前が死んだあともフェルンは一人にならず、フリーレンには次の旅へ出る理由が残る。フェルンを託すだけではなく、ヒンメルの死からまだ進み方を探しているフリーレンにまで、その先の道を用意したわけだ」

 

残される二人が、そのあとをどう生きるのか。

 

ハイターは自分のいない時間について考え、互いに必要となる二人を引き合わせた。どちらか一方へ救う役割を押しつけるのではなく、共に歩くことで双方が前へ進めるようにしている。

 

「お前は本当に優しいな、ハイター」

 

悲しんでいる者へどのような言葉をかければよいのか。困っている者へ何を与えれば感謝されるのか。子供を守り、老人を敬い、死者を悼むとき、人間が何を正しいと考えるのか。

 

知識としてなら、いくらでも答えられる。

 

だが、自分ではなく残される者の未来だけを考えることは、俺にはできない。

少なくとも、教えられなければ思いつかない。

 

「俺が同じ立場なら、もっと直接的な方法を選ぶ。フェルンの生活を保障し、フリーレンへ同行を命じるための条件を整える。そのほうが確実で、失敗も少ない。だが、お前は二人の意思を奪わず、自然に互いを選べるように時間を残した。そういう配慮を、俺は自分から生み出せない」

 

ヒンメルも、そうだった。

 

人間は時折、結果だけを見れば遠回りにしか思えない方法を選ぶ。それでも、その遠回りによって誰かの心を守る。

 

俺には、結果と損失しか計算できない。

 

人間の心を模倣し、正しい振る舞いを積み重ねても、そこにあるものの正体には手が届かなかった。

 

「……俺も、お前のようになりたい。人間になりたいよ、ハイター」

 

ハイターは驚きもせず、俺の言葉を否定もしなかった。

ただ、昔から変わらない穏やかな目で、こちらを見ている。

 

「貴方はもう、十分に優しいですよ、アレン。フェルンに魔法を教え、あの子が一人にならないように先々まで考えた。先日も、鍛錬ばかりではなく、子供らしく遊ぶように言ってくださったのでしょう。それを優しさと呼ばないのであれば、私はほかにどのような言葉を使えばよいのか分かりません」

 

「言っただろう。俺は学習する魔族だ。子供には遊ぶ権利があると知っているから、そう教えただけだ。フェルンを守るのも、そうすることが正しいと判断したからに過ぎない。人間ならどうするかを考え、その答えどおりに振る舞っているだけさ」

 

「正しいと知っていても、実行しない人間は大勢いますよ」

 

ハイターはそれ以上、俺を説得しようとはしなかった。

 

俺の内側には、相変わらず何もなかった。

 

ハイターの寿命が尽きかけていると理解しても、胸が締めつけられることはない。

遠からず、この男もヒンメルと同じように動かなくなり、土の下へ入る。

その事実を知識として認識しているだけだった。

 

それでも、ハイターのようになりたいと思った。

死にゆく自分ではなく、残される者の未来を案じられる存在に。

 

正しい振る舞いを選ぶだけではなく、誰かを思う心から、自然にその答えへ辿り着ける人間に。

 

この憧れさえ、長い観察の末に覚えた模倣なのかもしれない。

 

だが、もし何もないはずの場所から生まれたのだとすれば――俺の空洞にも、まだ名前のついていない何かが残されているのかもしれなかった。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

残されるフェルンとフリーレンのために道を用意したハイターと、その優しさに憧れるアレンについて、感想をいただけると嬉しいです。
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