偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
しかしアレンにとっては、討伐対象以上に気になる相手がいるようです。
――アレン――
「で…………何でこいつがここにいやがる」
馬車の中で、アルトは出発してから何度目になるか分からない問いを口にした。
俺と同じ座席へ押し込まれたことが、よほど気に入らないらしい。
腕を固く組み、揺れるたびに触れそうになる肩を意地でも遠ざけながら、向かい側のエレナではなく俺を睨み続けている。
俺としても、隣に座る相手がエレナなら文句はなかった。
むしろ、そのために用意した馬車である。
「あ? 嫌なら貴様が降りて歩けばいい。俺は一向に構わんぞ」
「俺たちのパーティーが受けた依頼だろうが! 何で依頼を出したてめえが、当然みたいな顔でついてきてんだよ!」
「エレナが行くからに決まっているだろう。それに、お前たちのパーティーには後衛が一人しかいない。討伐対象を考えれば、強力な魔法使いが同行するのは合理的な判断だ」
「領主が冒険者に混じって遠征することのどこが合理的なんだ! 常識で考えろ、常識で!」
「領主である以前に、俺は強い魔法使いだ。戦力が増えるのだから喜べ。ついでに、この機会に身の程も学んでおけ」
「何だと、てめえ!」
この男ほど第一印象から一貫して不快な人間には滅多に出会わない。
エレナへの求婚を妨害するだけなら、まだ理解できる。
同じ女を望む雄同士が排除し合うのは、人間にも魔族にも見られる単純な行動だ。
しかし、こいつは俺が領主として真面目に仕事をしていても、道端の老人を助けても、孤児へ食事を与えても、いちいち横から疑いの目を向けてくる。
四百年以上積み上げてきた聖人としての評判が、まるで通用しない。
実に腹立たしい。
「まあまあ、二人とも。せっかく同じ馬車に乗ったんだから、仲良くしようよ」
そのもう一人の後衛-弓使いのクラウは止める気があるのかないのか、エレナの隣で干し肉をかじっていた。
「お前はしゃしゃり出てくるな!」
「僕が依頼を受けたんだけどなあ」
「まあ、いいじゃねえか」
エレナまでクラウの側へ加わった。
「今まで男一人に女二人のパーティーだったからな。どこへ行ってもアルトのハーレムだの何だの言われて、いい加減うんざりしてたんだ。男が一人増えりゃ、少しは黙るだろ」
「俺はエレナ一筋だっての!」
クラウが胸に手を当て、深く傷ついたように目を伏せた。
「ひどい。僕のひそやかな恋心は、最初から数にも入っていなかったんだね」
「お前、昨日は『男なんて暑苦しくて要らない』って言ってただろうが」
「昨日の僕と今日の僕は違うのさ。乙女心は移ろいやすいんだよ」
どうやら、クラウとアルトの間に恋愛関係はないらしい。
それが確認できただけでも、彼女の同行を許した価値はあった。今後アルトの関心がクラウへ移る可能性も考えていたが、現状では期待できそうにない。
「うんうん。せっかくの遠征だ。仲良くやろうじゃないか。アルト以外は」
「上等だ、表に出ろ!」
「走っている馬車の中でどうやって出るつもりだ。扉を開けて飛び降りてみろ。骨くらいなら拾ってやる」
アルトが本当に腰を浮かせたところで、向かい側から低い声が響いた。
「お前ら、いい加減にしろ」
エレナは座ったままだったが、その拳は膝の上で固く握られている。
「次に騒いだほうから、走ってる馬車の外へ蹴り出すぞ」
俺とアルトは揃って座り直した。
「…………はい」
◇◇
しばらく、車輪と蹄の音だけが続いた。
この集団における力関係が、少しだけ理解できた気がした。
だが、分からないこともある。
「クラウ。一つ確認したいのだが、このパーティーのリーダーは誰なんだ?」
「クラウだぞ」
答えたのはエレナだった。
「そう。僕が栄えあるパーティーリーダーだよ。今さら僕の偉大さに気づいたのなら、アレン様も今後は僕の指示に従ってもらおうかな」
「アルトのパーティーではなかったのか?」
「うるせえ」
言動と態度から、俺はてっきりこの男がパーティーを率いているものと考えていた。
あるいは、本人だけがそのつもりで振る舞っているのかもしれない。
「アルトに首輪を嵌めておけるのは、クラウくらいだからな」
「誰が犬だ!」
「餌をやると静かになるところも似ているね」
なるほど。クラウは先ほどから争いを眺めているだけに見えたが、放置しても問題のない範囲を見極めていたのだろう。
自分が手を出さなくても、エレナが俺たちを黙らせると分かっていたのだ。
このパーティーを実際に動かしているのは、確かにクラウらしい。
◇
俺が今回の依頼で最初に読み違えたのも、彼女だった。
必要人数を少なく設定し、足止めに長けた槍使いを指定しておけば、エレナが選ばれると考えた。依頼主である俺が案内役兼魔法使いとして同行すれば、街を離れて二人きりで過ごす時間も自然に生まれる。
人間は、日常から離れた場所で共通の経験をすると親密になりやすい。危険をともに乗り越えれば、なおさら効果が高い。
景色を眺め、野営で料理を作り、星空の下で互いの過去を語る。
俺が考えた限りでは、極めて優雅で効率的な遠征になるはずだった。
ところがクラウは、依頼書を見るなりパーティー全員で受注した。
見知らぬ討伐対象を相手に仲間を分けるつもりはない、と笑顔で告げられたときには、既にエレナもアルトも出発の準備を始めていた。
今さら依頼を取り消せば俺の意図が露骨になるため、俺自身を後衛兼案内役として加えることで妥協するしかなかったのである。
結果、エレナと二人で乗るはずだった馬車の隣には、最も乗せたくなかった男が座っている。
「この魔族がしゃしゃり出てきたせいで、俺は出発前からずっと苛々してんだよ」
「貴様のようなクソ男の毒牙に、エレナをかけさせるわけにはいかないからな」
「誰が毒牙だ。お前こそ、金と権力でエレナを囲い込もうとしてるだろうが」
「俺は正々堂々と求婚している。自分の女と吹聴しながら、本人には一度も想いを伝えていなかった臆病者と一緒にするな」
「てめえ……!」
「いやあ、アタシも大した女になったもんだな」
「領主と、腕利きの剣士が取り合ってるんだ。こんなに男にモテるとは、我ながら鼻が高いねえ」
「ほかの男には、川で全裸になって水浴びしていても見向きもされなかったのにね」
クラウの一言で、エレナの顔から笑みが消えた。
「…………あれは、近くに誰もいねえと思ったんだよ」
「いたよ。木こりが三人」
「見るなって怒鳴ったら、本当に一度もこっちを見なかっただろうが」
「槍を持ったまま全裸で追いかけてくる女なんて、誰だって見ないようにすると思うよ」
「おい、クラウ。お前がリーダーなら、今すぐこの魔族を依頼から外せ。戦力なら俺たちだけで足りる。領主サマには街へ帰って、机に積まれた書類と仲良くしてもらえ」
「馬鹿か、貴様は。消えるべきなのはお前だ。エレナも、そろそろ目を覚ましたほうがいい。こいつのクズぶりは、今の発言だけでも十分に分かっただろう」
「依頼へ勝手についてきた奴が何を言ってやがる!」
「勝手ではない。依頼主の権限だ」
「そんな権限があるか!」
「僕が認めたから、あるよ」
クラウの言葉で、アルトの口が止まった。
「アレン様は討伐対象に詳しく、魔法使いとしても申し分ない。護衛対象として扱う必要もないから、報酬を余計に分ける必要もない。リーダーとしては断る理由がないんだよね」
「俺にはある!」
「それはパーティー全体の事情ではなく、アルト個人の恋愛事情だろう? 僕は仕事と私情を混同しない、立派なリーダーなのさ」
この遠征へ三人全員を連れてきた時点で、十分に私情が混ざっているように思える。
もっとも、彼女と議論しても俺に有利な結論にはならないだろう。
「そろそろ馬車で進める道も終わるよ。二人とも、喧嘩はそこまでにして荷物をまとめて。ここから先は魔物だけでなく、魔族と出くわす可能性もあるんだからね」
窓の外へ目を向けると、街道脇に並んでいた耕作地は既に途切れていた。人の手が入らなくなった土地を夏草が覆い、その先には途中から崩れ落ちた石畳が続いている。
「この先は、去年の襲撃で壊されたんだったな」
「ああ。断頭台のアウラの軍勢が通った際に、橋も街道もかなり破壊された。主要な経路の復旧は済ませたが、ここから先まで完全に直すには、まだ時間がかかる」
街道を守る兵を増やし、冒険者への依頼も出しているが、城塞都市ガルドの領域は広い。俺一人ですべてを処理することはできても、それを行えば人間が育つ機会を奪うことになる。
それでは意味がない。
やがて馬車が速度を落とし、前方に臨時の検問所が見えてきた。
◇◇
――アルト――
面倒なことになる、と俺は近づいてくる兵士を見ながら身構えた。
ここへ来るときにも同じ検問を通ったが、そのときは荷物を全部ひっくり返され、二本差している剣を預けろだの、冒険者証だけでは足りねえだの、泊まる町と目的を言えだのと散々だった。結局、通るだけで半日近く潰されている。
別に、こっちは何も悪くねえ。
兵士どもの頭が石より固かっただけだ。
山向こうで何人も消えている以上、怪しい旅人を止めるのが奴らの仕事だということくらいは分かっているが、仕事だからと納得するのと、腹が立たねえのはまったく別の話だった。
また荷を解けと言われたら、今度こそ剣の一本くらい抜いて、その切れ味を見せてやろうと思っていた。
ところが、近づいてきた二人は馬車の扉へ刻まれた紋章を見るなり足を止めた。
「アレン様。お待ちしておりました」
片方が背筋を伸ばして敬礼し、もう片方は何も聞かずに遮断棒へ走っていく。荷台を覗くどころか、俺たちの冒険者証を出せとも言わねえ。
「ご苦労。そのまま通してくれ」
「はっ。次の検問にも連絡済みです」
馬車はほとんど速度を落とさないまま二人の横を抜けた。あっさり閉じていく遮断棒を振り返っていると、向かいに座ったクソ領主がこちらへ目を向ける。
「…………おい」
「何だね」
「何でもねえよ」
領主本人が乗っている以上、通れて当然だろう。そう思って無理やり納得したが、二つ目の検問でも三つ目の検問でも、俺たちが着く前から兵士が詰所の外で待っていた。
アレンの顔を確かめればすぐに道を開け、余計な質問一つしてこない。
三つ目の詰所では、兵士が持っていた紙へ俺たち三人の名前まで書かれていた。『アルト――双剣』『エレナ――長槍』『クラウ――弓』。文字の横には雑ながら顔の特徴まで描かれており、今朝になって同行を決めたはずなのに、俺たちを止めねえための話はとっくにここまで回ってやがる。
それでもアレンは、『俺が手配しておいた』と胸を張るでもなければ、ここへ来たとき検問で揉めた俺を鼻で笑いもしなかった。通れるようにしておいたから、通る。
それが当たり前だとでも言いたげに、何でもねえ顔で座っている。
気に食わねえ。こういう野郎は、もっと無能であるべきだろうが。
顔がよくて、強くて、金も権力も持っている。そのうえ仕事までできるとなれば、俺が罵る場所がなくなっちまう。
「ずいぶん静かになったね、アルト」
クラウが、にやにやしながらこっちを見ていた。
「寝てんだよ」
「目を開けたまま?」
「そういう修行だ」
「便利だねえ」
相変わらず腹の立つ女である。言い返すほど喜びそうなので無視していると、昼前には街道沿いの中継所へ着いたが、そこでまた、クソ領主の抜かりなさを見せつけられることになった。
厩の前には、鞍と荷を載せた四頭の馬が並んでいた。水筒は満たされ、飼料は一頭ごとに分けて括りつけられ、馬車から移す荷物まで乗り換えやすい大きさにまとめてある。馬車を降りてから、俺たちが自分で用意するものは何一つ残っていなかった。
「ここからは馬で行く」
先に降りたアレンへ、俺も続きながら尋ねた。
「馬車じゃ行けねえのか?」
「この先は先日の雨で道が崩れている。馬車で迂回すれば、現地へ着くのが明日の昼になる」
「ずいぶん用意がいいじゃねえか」
「討伐へ行くのに、現地へ着くまで疲れる趣味はない」
嫌味でも自慢でもなく、本当に当然のことをしただけだと思ってやがる。
それが余計に癪だったが、文句をつける場所があるか確かめるように、俺は用意された四頭を順に見ていった。
青毛と黒鹿毛は胸が厚く、長い道でもへばりにくそうだった。栗毛は少し小柄だが、その分だけ脚の運びが軽い。最後の鹿毛だけはまだ若く、他の三頭と同じ荷を背負わせて長く走らせれば、先に息が上がるだろう。
だが蹄鉄はどれも新しく、脚にも悪いところは見当たらない。背の軽いクラウへ鹿毛を回し、青毛へ少し多めに荷を載せれば十分に持つ。少なくとも、出発の時刻へ間に合わせるため数だけ揃えた駄馬じゃなかった。
「お、こいつ可愛いな。アタシはこいつにする」
エレナは俺が見終えるより先に栗毛へ近づき、首筋を撫でていた。馬の方も気に入ったらしく、鼻先をエレナの肩へ押しつけている。
「よーし。よろしくな」
そのまま手綱を掴み、鞍へ跨がろうとしたので、俺は慌てて腰を押し戻した。
「待て」
「ん?」
「乗る前に鞍くらい見やがれ」
腹帯へ手を差し込むと、案の定、指が二本どころか拳まで入った。このまま走り出せば、最初の急な曲がり角で鞍ごと横へ回りかねない。
「見ろ。このまま走ったら落ちるぞ」
「マジか。ちゃんと用意されてたんじゃねえのか?」
「締めた跡と穴の位置が合ってねえ。途中で誰かが緩めたんだろ」
馬に蹴られない位置へ立って腹帯を引くと、栗毛が嫌がって身体を揺らした。
首を二度叩いて落ち着かせ、呼吸が抜けたところで素早く穴を二つ詰める。
「これでいい。ただ、少し歩かせたらもう一回締めるぞ。馬は腹を膨らませて締めさせねえことがあるからな」
「へえ、賢いな。ありがとな、アルト」
エレナが何の疑いもなく顔を寄せ、まっすぐ笑いかけてきた。近い。
礼くらいでいちいちそんな顔をするんじゃねえ。こっちは急に近づかれたところで、どんな顔を返せばいいのか分からねえだろうが。
「落馬されて足を引っ張られたくねえだけだ」
そう吐き捨て、逃げるように馬の腹へ顔を向けると、その向こうからアレンが俺たちを見ていた。
笑っても怒ってもいないが、俺の手元とエレナの顔へ交互に視線を移してやがる。
「何見てやがる」
「いや。お前にも役に立つことがあるのだと思ってね」
「テメェの鞍だけ逆さにつけてやろうか」
「できるものなら試してみたまえ」
「よし、二人ともそこまで。日が暮れる前に崩れた街道を抜けたいんだ。せっかく用意した馬を、ここで喧嘩に巻き込まないでおくれ」
細い身体で、どうして毎回こいつが止め役になるのか分からねえ。
「チッ。分かってるよ」
先頭へ出たアレンは振り返りもせず、青毛を街道の先へ進ませ始めた。土地勘のある奴が前へ出るのも、体格の軽いクラウへ若い馬を回すのも、荷を分けて日暮れまでに崩落箇所を抜けようとするのも、全部正しい。
ひとつくらい間違えろ、クソ領主。
◇◇
――アレン――
街道は、報告で聞いていた以上に酷かった。
山肌から流れ込んだ土砂が道の半分を塞ぎ、残った部分にも雨水が深い溝を刻んでいる。ところどころでは石畳が基礎ごと谷へ落ち、剥き出しになった土から太い木の根が伸びていた。
馬車で来ていれば、最初に車輪を取られた時点で引き返すことになっただろう。
魔法で土砂を退けること自体は難しくないが、崩れかけた斜面へ不用意に力を加えれば、残っている道まで土台ごと谷へ落ちかねない。
足場を一つずつ固めながら進む方法もあるものの、四人と四頭が一度通るだけなら、自分たちの足で抜けた方が早かった。
「エレナ、そこを踏むな! 右へ寄せろ!」
後ろから飛んできたアルトの声に、エレナが栗毛の手綱を引いた。
「こっちか?」
「寄りすぎだ、馬鹿! 谷へ落ちてえのか!」
「注文が多いな!」
そう言い返しながらも、エレナは迷わず指示された場所へ栗毛を進ませた。
アルトは彼女の前へ回り、自分の足で道に埋まった石を踏む。
爪先から踵へゆっくり体重を移し、石が沈まないことを確かめてから、手綱を引くエレナへ顎をしゃくった。
「今だ。途中で止まるな、一気に来い」
「おう!」
俺がエレナと出会うより前に、二人は二年をともに旅している。
アルトの言葉遣いは常に乱暴だが、エレナはどの声がただの悪態で、どの声へ従うべきなのかを迷わない。
足場が狭くなればアルトは自分の馬を置いて先に渡り、エレナもいちいち礼を言うことなく、その背中へついていく。危険な場所では返事も説明も必要なく、互いがどう動くかは、すでに二人の間で分かっているらしい。
俺であれば、道そのものを魔法で作り替える。
対してアルトは、自分の足と目で安全な場所を見つけ、エレナが通れる道を選び出している。
それは魔法を使えない者が長い旅の中で身につけた経験であり、俺が同じ手順を真似る意味はない。どちらが優れているという話でもない――そう結論づけたところで、二人の動きは妙に目に残った。
「アレン、どうした?」
考え込んでいた俺へ、エレナが足場の途中から振り返る。
「何でもない。そこは滑るから、前を見た方がいい」
「おう、分かった」
エレナは素直に前へ向き直ったが、その背後には、いつの間にかアルトが自分の馬を寄せていた。彼女の足元が崩れたとしても、谷側へ落ちる前に自分の身体で受け止められる位置である。
実に献身的で、合理的な備えだった。そして、それが自分でも説明しにくいほど気に入らなかった。
◇◇
街道が大きく左へ曲がったところで、崩落はようやく途切れた。
平らな場所へ馬を集め、少しずつ水を飲ませながら脚を休ませる。
アルトは先ほど言ったとおり、エレナの栗毛だけ腹帯を締め直していた。
俺も馬の首筋を撫でてから水筒へ口をつけていると、それまで森の方角を眺めていたエレナが、急に腕を組んでこちらを振り返った。
「………で、今回の討伐対象は何なんだよ!?」
昨日本人の前で依頼内容を話したはずだが、クラウが途中で依頼書を奪ったせいか、討伐へ向かっていること以外は頭へ入っていなかったらしい。
「魔法使いの成れの果て――『リッチ』だよ」
「そう。魔法使いがアンデッドになった奴だね」
近くで弓の弦を確かめていたクラウが補足すると、エレナは俺とクラウの顔を見比べた。
「アンデッド? それって魔族とは違うのか?」
その横で、アルトが何かに気づいたように口の端を持ち上げた。
声こそ出していないが、肩が僅かに震えている。
おそらく、エレナが魔族と不死者を同列に考え、いよいよ俺を怪しみ始めたとでも受け取ったのだろう。
そのまま俺を盛大に振ってしまえ――実に分かりやすい顔だ。くそが。
「だいぶ違うな。そもそも、アンデッドと呼ばれている者は、死体が勝手に起き上がっているわけではない。そういう性質を持つ魔物が死体へ取りつき、その人間が生前に持っていた魔力なり魔法を、外から強引に引き出しているのさ」
「少なくとも、動かしてるのは人間じゃねえからな。生きてた頃の安全装置まで外れてやがるから、タチが悪いほど強え」
「アルトは、やり合ったことがあんのかよ」
エレナが振り向くより先に、クラウが胸を張った。
「僕とアルトは、これでもベテランだからねえ」
「俺が直接やり合ったことがあるのは二体だ。少なくとも、そこらの人間の魔法使いよりは、どっちも遥かに強かったぜ。まあ――そこの領主サマと同列に考えるもんじゃねえかもしれねえがな」
俺と同列ではないという点には同意できたが、口を挟む必要はなかった。
「強さの規模で言えば、一級魔法使いのゲナウと同じくらいだったかな」
「クラウは、ゲナウ殿と知り合いで?」
「手合わせをしたことがあってねえ」
片目をきゅっと瞑り、クラウは自慢げに笑った。
「にししし。いい女ってのは、色々と経験もあるもんさ」
「言ってろ。この洗濯板胸」
アルトが吐き捨てた途端、クラウの笑顔から目の光だけが消えた。背中の弓へゆっくり手を伸ばしながらも、声だけは先ほどと変わらず楽しげである。
「あとで背中に矢が刺さっていても、誰も知らないからね?」
アルトは舌打ちして目を逸らした。
これ以上続ければ本当に射られると分かっているらしい。
「死者自身の魔力に加えて、取りついた魔物の魔力まで上乗せされるからね。なり手は多くないが、たまに途方もない化け物が生まれる。それは魔族にとっても制御不能な存在だ」
「要するに…………足し算か?なる奴は少ねえけど、合わさったら、めちゃくちゃ強えってことだな?」
「まあね。それに今は、昔よりも人間の魔法自体が格段に強くなった時代だからね。昔のリッチより、現代のリッチの方が厄介なんじゃないかい、アレン様」
「そうだな。今回の相手は、死後十年以内の比較的新しいリッチだと見ている。解析された一般攻撃魔法――ゾルトラークと、防御魔法を生前と同じように使ってくるだろう」
調査隊の報告にあった攻撃魔法と、街道で犠牲者が出始めた時期を照らし合わせれば、おおよその見当はつく。
生前にどれほどの魔法使いだったかまでは不明だが、少なくとも数百年前の知識だけで戦う死者ではない。
「ん? 魔法使いって、昔の方が強いんじゃねえのか?」
エレナは納得しかけた顔のまま首を傾げた。
「何か、昔の有名な爺さん魔法使いの方が強そうな感じがするけどよ」
「魔力量の絶対値だけで言えば、昔の熟練の魔法使いも引けは取らないがね」
「何でも古けりゃいいってもんじゃねえよ、エレナ」
アルトは呆れたように片手を振り、俺の説明へ割り込んだ。
「女だって若い方が肌の艶がいいだろ。それと同じようなもんだ」
「なるほど……?」
納得したのか、していないのか。
基本的に、魔法使いとは研究職である。
一人の天才が生み出した魔法も、その一人だけで完成するわけではない。
誰かが術式を解析し、別の誰かが欠点を見つけ、さらに後の者が無駄を削る。
とりわけ、人類が魔族の魔法を解析して自分たちの技術として体系化したこの数十年で、魔法は日進月歩で進化してきた。
個人の魔力量や才覚とは別に、積み重ねられた知識と技術の精度では、現代の魔法使いが過去を圧倒している。
「別に、魔法使いに限った話じゃねえ。世の中の爺さん婆さんは、新しいことを覚えにくいだろ。あれは脳みそが覚えられねえんじゃなくて、単に覚える気がねえんだよ。古き良き世界ってやつが好きなのさ。んで、そういうのは大体、ただの錯覚だ」
「さっかく……?」
「『懐古主義』昔の方が今より素晴らしかったって考え方だ。伝統工芸だの何だのなら、本当に昔の方がいいこともあるかもしれねえ。だが、武器や魔法みてえな殺し合いの技術に、その手の甘い感傷は通用しねえんだよ」
クソ生意気な小僧ではあるが、言っていることは正しい。
人間の強さとは、過去の一人が持っていた力だけではなく、技術を絶え間なく更新し、次の世代へ渡していく変化そのものにある。
魔族は自分の魔法を研鑽しても、それを同族へ教え、後の世代へ積み上げることはしない。人間とともに暮らすようになって四百年を経ても、俺自身の本質はほとんど変わらない。
そんな俺にとって、一人では届かない場所へ世代を越えて近づいていく人間の仕組みは、ひどく眩しく、そして恐ろしいものだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回初めてアレン以外からの視点を入れてみました。
旅の中で見えてきたアルトの実力と、エレナとの積み重ね。
恋敵を間近で観察するアレンについて、感想をいただけると嬉しいです。