偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
ただし、この頃の彼にとって仲間とは、まだ理解すべき現象にすぎません。
人間になると決めて二日が経過した。俺は廃屋の中で、己の頭部に生える二本の角に触れていた。
指先から魔力を浸透させ、骨格を頭蓋の内側へ滑り込ませる。水桶の水面に顔を映すと、乱れた髪の間から突き出ていた突起は跡形もなく消えていた。
外見の変質は達成された。
「……これで終わりか?」
声を出してみるが、内側に生じる感触に何の変容もない。
俺は依然として魔族のままだ。形だけを模倣したところで、存在の根幹はさっきと変化していない。左胸に掌をあてがう。整然とした周期で心臓が脈動を打ち続けているだけだ。
人間へ近づいたという実感が湧いてこない。
そもそも、人間になるとは具体的にどういう状態を指すのか。
床に打ち捨てられていた人間の頭蓋骨を拾い上げ、目の高さに据えた。
「お前なら、どうする?」
空洞の眼窩は無言を守る。
死者は想いを遺す――あの魔法使いはそう口にしていた。厳密には表現が異なっていたかもしれないが、本質は同義のはずだ。
「仲間が死んでも戦うというなら、対話の機能を果たしてはどうか」
やはり応答はない。
「利便性に欠けるな」
骨を元の位置へ戻し、思考の順序を整理する。
まずは、人間に混入すること。
難易度は低い。魔族は古来、狩りを行うために人間の言語や表情を写し取ってきた。
俺自身、過去に集落へ侵入した実績がある。涙を流せば容易に接触を図れ、親とはぐれたと口にすれば居住領域の深部まで案内される。
しかし、その行為の延長に「人間化」は存在しなかった。
「紛れるだけでは到達できない」
次に、構造の解析。
これは試す価値がある。解剖学的な理解だけなら十分な知識を有している。爪先で足元の骨を叩いた。
「だが、絶望下で魔力を跳ね上がらせる特殊な器官は見当たらなかった」
心臓にも、脳組織にも、内臓器官にも、そのような異質部位は存在しない。どれほどの数を喰らっても見つからなかった以上、標本数を増やしても結論は変わらない。
最後に、強さの発生源そのものを獲得すること。
魔法使いは「仲間がいたから立った」と言った。ならば、俺も同様に仲間という関係性を構築すればいい。
「仲間とは、いかにして形成される?」
再び頭蓋骨を見つめた。
「お前は仲間ではない。個体の識別すらしていない」
死者の想いという概念も同様だ。生命活動が停止すれば思考も途絶する。残留するのは肉と骨という物質に過ぎない。それが生存者の出力を引き上げるというなら、未解明の機序が存在するはずだ。
「解析不能なら、当事者から聞き出すのが合理的か」
最も確実な手法は、人間に近接して同一の生活様式をなぞることだ。同一の物質を摂取し、同一の活動を行い、仲間と定義される個体を作る。そうすれば、俺の内部にも同一の現象が再現されるかもしれない。
再現されなければ、別の仮説を検証するまでだ。
外套を羽織り、深くフードを引き下ろす。
角の形跡は消去したが、人間は頭髪の形状から違和感を察知することもある。不確定要素は排除しておくに越したことはない。
「まずは街へ入る」
杖と最小限の荷を手に取り、廃屋を後にする。
「人間へ変質した後に、喰らった人間の骨を保持しているのは不都合か」
一瞬の思考の後、骨はそのまま残置した。不要物の処理作法までは把握していない。
◇◇
【街道沿いの町・門前】
正午前に街道沿いの町へ到達すると、門前には長蛇の列が生じていた。
荷馬車を引く者、行商、旅人、武装した傭兵。多様な人間がひしめき合っている。
これほどの密度で存在しながら、互いを捕食しようとする動きはない。
群れの中へ侵入する以上、同調した振る舞いを模倣する必要がある。
指先で足元の泥を掬い、頬と外套の表面へ均一になすりつけた。歩幅を短く設定し、背骨の曲がりを深くする。
疲弊した人間は、概ねこのような運動パターンを示す。
列の消化に伴い門前へ達すると、甲冑に身を包んだ身体の大きい男から制止を受けた。
「おい、そこの若いの」
「俺ですか?」
「他に誰がいる。見ない顔だな。名前は?」
「アレンです」
「出身は?」
「北の村から来ました」
男の視線が鋭く狭まる。
「北のどこだ?」
応答の前に一度だけ下唇を噛み、視線を地面へ落とす。人間は負荷の高い記憶を想起する際、即座の応答を遅延させる傾向がある。
「森を抜けた先にあった、小さな村です。ですが、もうありません」
「ない?」
「数日前、魔族の襲撃を受けました」
男の顔面が硬直する。
「魔族だと?」
「はい」
「村はどうなった。生き残りは?」
「俺だけです」
男の手が俺の肩を掴んだ。攻撃行動への移行かと思われたが、明確な殺気は感知できない。
「一人でここまで来たのか!?」
「はい」
「怪我は? 腹は減っていないか?」
発せられた問いは予測の範疇外だった。
「怪我はありません。腹は……」
昨夜、人間を摂取したため栄養状態に不足はない。
だが、それを率直に開示すれば入城を拒絶される危険性が高い。
「少し、減っています」
「そうか。よく生きてここまで来たな」
男は肩を掴む力を緩めぬまま、後方に位置する別の門衛へ顔を向けた。
「クラウス隊長、どうしました?」
「北の村が魔族に襲われたらしい。この若者だけが生き残った」
「またですか……」
二人の表情から色彩が陰る。襲撃した村も死した住民も架空の存在だ。それにもかかわらず、目の前の個体たちは心理的な痛みを発生させているように観測できた。
「アレンと言ったな。魔法使いか?」
クラウスと呼ばれた男の視線が、俺の所持する杖に固定される。
「はい。まだ未熟ですが」
実際には、この都市機能を崩壊させる程度なら容易だ。しかし、人間側の基準において「未熟」がどの程度の出力を指すのか判断がつかなかった。
「これからどうするつもりだ?」
「この魔法を、人間のために役立てたいと思っています」
「人間のために?」
「魔物や……魔族と戦います。俺と同じ目に遭う人が出ないように」
言葉を発しながら、眉をわずかに引き下げて見せる。
水鏡で幾度も微調整を繰り返した表情だ。喪失の痛みを抑え込み、前方を見据えようとする人間はこのような歪みを顔面に生じさせる。
クラウスは唇を固く一文字に結ぶと、俺の手を両手で強く包み込んだ。
「なんという立派な若者だ……!」
「そうでしょうか」
「そうに決まっている! 故郷を失ったばかりだというのに、もう他人を守ろうとしているんだぞ!」
他者を保護する意思など皆無だ。だが、この場での自己否定は非効率だと判断した。
「ありがとうございます」
「分かりました。共に戦いましょう! 貴方のような魔法使いが加わってくれるなら、この町も心強い!」
突如として言葉の丁寧度が上昇した。人間は対象への評価が高まると、言語表現の属性を変更する特性があるらしい。
クラウスは部下の背を掌で力強く叩いた。
「宿へ案内してやれ! 温かいスープも用意しろ!」
「隊長、また自腹ですか?」
「当たり前だ! この若者から金を取れるか!」
「先週も旅人の宿代を払って、奥さんに怒られていたでしょう」
「あれとこれとは別だ!」
「奥さんは同じだと思いますよ」
クラウスの運動が停止した。
「……では、俺が払ったことは妻には言うな」
「承知しました」
合意が形成されたようだ。俺は頭部を傾けた。
「ありがとうございます、クラウスさん」
「礼はいらん。困ったときはお互いさまだ」
俺とクラウスの間に過去の接触記録はない。俺を支援しても、この個体の戦闘力が上昇するわけでも、保有資産が増加するわけでもない。むしろ配偶者からの叱責という不利益すら予想される。
それにもかかわらず、栄養と安息の提供を申し出ている。
人間は同族を擁護する。
現象としては既知の事実だ。しかし、血縁関係も所属領域の共通性もない個体に対して防衛行動を取る合理性が理解できない。
もしかすると、この極めて非効率に見える習性こそが、あの限界突破を引き起こすトリガーなのかもしれない。
◇◇
【豪商の館】
町へ潜入し、人間としての擬態生活を開始してから一定の期間が経過した。
魔物を討伐し、護衛任務を遂行し、住民を救助する。人間側の術士から、火や風を発生させる基礎的な術式も習得した。
元より保有する術式は規模が大きすぎるため、偽装には不向きだ。威力を制限した火球や風の刃であれば、出力の調整次第で「筋の良い術士」として認識させることができた。
ある日、街道で魔物の襲撃を受けていた商人を救助すると、その個体は俺を自身の邸宅へ招き入れた。
「いやあ、アレン先生! どうぞ、もっと食べてください!」
カルロと名乗る商人は、俺の器へ追加の肉類を勝手に落とし込んだ。
「もう十分です」
「遠慮なさらず! 先生は命の恩人なのですから!」
「では、いただきます」
人間の調理物は摂取不能ではない。しかし、素材の原形を留めぬほど手をかけている割に、生命維持以上の価値を感じることはなかった。
それでも、咀嚼時には満足感を示す演出を行う。
「おいしいです」
「そうでしょう、そうでしょう! その肉は南方から仕入れた上物でしてね!」
カルロは頬を弛ませ、座席の位置を俺の近くへ寄せてきた。
「それにしても、あの火の魔法! 実に鮮やかでしたな! あのままでは、私は今頃きれいな骨になっていましたよ!」
骨の形状が整うか否かは、捕食者の咀嚼方法に依存する。
「間に合ってよかったです」
「まさに人間の鑑! そこで、先生にお願いがあるのですが」
「我が商会の専属護衛になっていただけませんか? 月に金貨十枚お支払いします!」
「金貨十枚…?」
「さらに食事と部屋も用意しましょう!」
提示された対価の妥当性は判断がつかない。通貨の交換価値は学習したが、現在の活動で得られる対価で必要経費は充足している。
「なぜ俺を?」
「先生ほど強い魔法使いが後ろにいてくだされば、北方の交易路を大きく広げられます。盗賊も競合の商会も、我々には手を出せません」
「俺がいると、カルロさんがもうかるんですね」
「ええ、まあ。率直に言えば、がっぽりと」
カルロは悪びれる様子もなく、歯を見せて笑った。
クラウスとは明確に異質な反応だ。
クラウスは無償で救済の手を差し伸べた。対してカルロは俺の保護ではなく、俺の保持する出力を事業拡張の道具として利用しようとしている。
「これも、人間らしさですか?」
「はい?」
「いえ。こちらの話です」
思考を巡らせた末、申し出を固辞する結論に至った。
同一の商人を継続して護衛するより、多様な人間と接触する方がサンプルデータの収集には好都合だ。
「ありがたいお話ですが、俺は魔物や魔族と戦うために魔法を磨きたいんです」
「おお……!」
カルロの眼が大きく見開かれた。
「故郷を滅ぼされてもなお、復讐ではなく人々のために戦うと!」
そこまでの思想は含まれていない。
「アレン先生、私は感服いたしました!」
「そうですか」
「では、せめてこの町にいる間の滞在費は、すべて私に持たせてください!」
「なぜです?」
「もちろん先生を応援するためです。それと、できれば我が商会の名前を広めていただければ」
「どちらが本当の目的ですか?」
「両方です!」
カルロは胴体を大きく逸らして胸を張った。
行動理念のわかりやすい個体だった。
損得勘定で動く人間は、命を賭して仲間を防衛したあの術師とは明らかに性質が異なる。だが、カルロも紛れもなく人間という種族の一員だ。
人間性のサンプルを蓄積すれば真理に到達できると考えていたが、どの要素を抽出して学習すべきなのか、再び混迷が生じた。
◇◇
答えを得られぬまま、一年という歳月が流れた。
俺はガルドという名の剣士と隊列を組み、深い森の奥で巨大な怪鳥の群れと交戦していた。
視界の右隅から二匹の影が高速で接近する。
「見えています」
「だったら先に言え!」
「ガルドなら避けられると思いました」
「避けたけどよ! そういう問題じゃねえ!」
ガルドは側方から迫った怪鳥の爪を鉄剣で弾き、続く一撃を大盾で受け止めた。
人間社会で過ごした一年間で、対話のパターンは十分に学習したつもりだ。しかし、このように指摘を受ける局面は依然として多い。
指先に熱量を収束させ、ガルドの頭上を通過する軌道で解き放つ。
火球が怪鳥の頭部へ着弾し、羽毛が一瞬で燃え上がった。
「近い! 俺の髪まで焼く気か!」
「当てていません」
「お前は当たらなきゃいいと思ってるだろ!」
「違うんですか?」
「あとで話し合おうぜ!」
ガルドの剣が風を切り、襲い来る怪鳥を牽制する。だが敵の数は五頭。巣穴にいた幼体を先に発見したことで、親個体が過剰な攻撃性を剥き出しにして集結していた。
一頭の爪がガルドの腕を掠め、赤い飛沫が空中に散る。
「アレン、逃げろ!」
ガルドの喉から切迫した声が上がった。
「なぜです?」
「数が多すぎる! 俺が食い止める!」
「ガルド一人では死にます」
「分かってるよ! だから、お前だけでも逃げろって言ってんだ!」
その言葉を受け、俺は怪鳥群から視線を外し、ガルドの身体反応に注視した。
ガルドの個体性能は俺より遥かに劣る。一頭を倒す過程で残りの個体から致命傷を受け、生命活動を停止させるのは明白だ。それにもかかわらず、俺の離脱時間を稼ぐために自らを極限状態へ置こうとしている。
実験を行うには、これ以上ない好条件だった。
「分かりました」
「おう、早く行け!」
俺は後退する代わりに、前進への一歩を踏み出した。
怪鳥の鋭利な爪が肩の肉を掠めていく。
視認し、容易に回避可能な軌道だった。だが、あえて回避行動を取らなかった。外套が引き裂かれ、皮下組織から流血が生じる。
痛覚の信号が脳へ届く。
「アレン!」
ガルドの声の周波数が劇的に変化した。
俺は傷口を抑え込み、地面へ片膝をつく演技を行った。
「すみません。避けられませんでした」
物理的には完璧に回避可能だった。
怪鳥が再び姿勢を立て直し、突進を開始する。
死の恐怖。肉体の損壊。追い詰められた同行者。あの戦場で目撃した人間と、前提条件は一致している。
俺は自身の内部に滞留する魔力を走査した。
何も変化は起きない。
魔力の総量も、密度も、循環速度も、平常時と寸分違わず一定を保っている。恐怖の感覚を再現しようと呼吸を意図的に乱してみたが、数値的な変動は皆無だった。
「こいつに……」
「俺の仲間に、何しやがる!」
ガルドの身体から放出される魔力密度が、一瞬で急上昇した。
損傷した腕で保持しているとは思えぬ速度で剣が奔り、俺へ迫っていた怪鳥の首級を容赦なく刎ね飛ばす。そのまま軸足を踏み込み、二頭目の翼軸を断ち切った。
やはり発現した。
通常のガルドの筋力・神経伝達速度では到達不能な運動領域だ。筋肉の出力も魔力の放射量も、先ほどまでの限界値を明らかに超越している。
「アレン、動けるか!?」
「はい。問題ありません」
「どこが問題ねえんだよ! 血が出てんだろ!」
「浅い傷です」
「強がるな! 残りは俺が――」
「必要ありません」
俺は立ち上がり、右手を水平に一閃した。
放たれた不可視の風刃が樹々を薙ぎ倒しながら進み、最後の怪鳥の胴体を正確に両断する。切断された二つの肉塊が、泥の上へ重く落下した。
ガルドは剣を構えた姿勢のまま、俺の顔と怪鳥の死骸を交互に見つめた。
「……お前、それができるなら最初からやれよ」
「数が多かったので、効率的な行使の機会を測定していました」
「本当か?」
「本当です」
人間関係において、仲間と規定した相手に虚偽を伝えるのは推奨されないらしい。
だが、俺はまだ人間へ変質していないため、論理的な矛盾は発生しない。
「まあ、生きてるならいい」
ガルドはその場に崩れ落ち、荒い呼吸を整え始めた。
「傷を見せろ」
「自己修復能力の範囲内です」
「いいから見せろ。怪鳥の爪は汚いんだ。傷が浅くても、あとで腐ることがある」
「ガルドの腕の損傷の方が重度です」
「俺はいい」
「なぜです?」
「お前が先に怪我したからだよ」
因果関係として成立していない。
それでもガルドは俺の外套を剥ぎ、負傷部位を清水で洗浄し、布を固く巻き付けた。自身の腕から流血が継続しているにもかかわらず、俺の処置を優先して実行した。
「これでよし」
「痛覚の異常はありません」
「痛いかどうかじゃねえ。仲間が怪我してたら手当てするもんだ」
「俺が負傷した瞬間、急激に出力が上昇しましたね」
「は?」
「通常の運動速度を超駕していました。魔力出力の数値も上昇していました」
「そんなこと、いちいち測ってたのか?」
「はい」
「変なやつだな、お前」
ガルドは顔の筋肉を緩めて笑った。
「仲間がやられたら、頭にくるだろ。ぶっ殺してやるって思ったら、体が勝手に動いたんだよ」
「俺は、ガルドが負傷した際も出力の上昇は確認できませんでした」
「気にするな。お前が冷静だったから、二人とも助かったんだ」
「俺は冷静すぎるのでしょうか」
「何だよ、急に」
ガルドは不可解そうに俺を凝視した後、怪我のない方の手で俺の背を力強く叩いた。
「お前はお前でいいだろ。俺が熱くなって、お前が冷静に魔法を撃つ。ちょうどいい組み合わせじゃねえか」
「それで、仲間なんですか?」
「一年も一緒に仕事して、今さら何言ってんだ。とっくに仲間だろ」
「いつからです?」
「知らねえよ。気づいたらなってるもんだ」
「定義の手続きは?」
「ねえよ」
「双方の明示的な合意も不要ですか?」
「面倒くせえな! じゃあ今、決めるぞ。俺とお前は仲間だ。いいな?」
「理解しました」
「そこは『俺もそう思う』とか言えよ」
「俺もそう思います」
「言わせたみてえになったじゃねえか……」
実際のところ、要求された通りに言語を出力したに過ぎない。
それにもかかわらず、ガルドは納得を示した。立ち上がると、俺の肩に体重を分散させながら歩行を開始した。
「助かったぜ、アレン」
「最後の一頭を処理したに過ぎません」
「その前もだ。それに、お前、俺をかばって怪我しただろ」
「そう観察できましたか」
「当たり前だ。お前は本当に最高の仲間だよ」
「無事でよかったです、ガルド。仲間ですから」
俺は学習した通りの歪みを口元に作り、笑ってみせた。
ガルドも満足そうに微笑みを返した。
人間に混ざり、人間の言葉を用い、人間の食糧を摂り、人間を防衛した。気づけば仲間と呼称される存在すら形成されていた。
実験の前提条件はすべて満たされているはずだった。
しかし、俺の内部器官には何の変容も発生していない。
ガルドが負傷しても、死の淵に臨んでも、俺の魔力数値は僅かも増加しなかった。
自らの肉体を傷つけさせても同様だ。
自らの死という真の危機が存在しなかったからだろうか。
それとも、ガルドへ発した仲間という記号化された言語に、実質が伴っていなかったからだろうか。
人間と同一の行動を行えば、いずれ同一の機構が獲得できると推測していた。
しかし、一年が経過しても、俺の心臓は整然とした周期で規則正しく拍動を刻むのみだ。
俺は今も、不変で、正確で、どこまでも合理的だった。
どこまでも魔族のままだ。
「アレン、どうした?」
「何でもありません」
「傷が痛むのか?」
「いいえ」
「じゃあ、腹が減ったか。町に戻ったら肉でも食おうぜ」
「そうですね」
俺は作られた笑みを保持したまま応答した。
人間へ擬態することは、もはや容易な作業だ。
だが、真に人間へ至る構造は、いまだ何一つ解明できていなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
人間を真似し、仲間を得てもなお魔族のままであるアレンを、どのように感じたか教えていただけると嬉しいです。