偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
契約に縛られながらも人間社会へ馴染んでいく彼女と、それを監督しているだけのはずのアレンの日常です。
「え~と。これ、くださいな♪」
勇者ヒンメルが死んでから、二十七年。
陽射しを避けるためでもないだろうに、リリアは淡い色の日傘を肩へ載せ、果物を並べた露店の前で可愛らしく首を傾げている。
どの角度から見れば幼く見えるか、この一年でよく研究したものだ。
昔のこいつなら、台の向こうに立つ男の喉と、腰に下げた銭袋を先に見ていただろう。
今は赤く熟れた果実を一つ手に取り、傷がないか確かめるふりをしながら、店主の頬が緩んでいくのを待っていた。
「いや~、リリアちゃんは本当に可愛いねぇ! 流石はアレン様の娘さんだ! はいどうぞ、オマケしとくよ!」
店主は選んだ果実だけでは飽き足らず、二つ、三つと紙袋へ放り込んだ。
最後に加えようとした一つは、下になっていた部分が僅かに潰れている。
リリアが気づくより早く俺がその手首を掴むと、店主は目を丸くしてから、慌てて別のものへ取り替えた。
「お父さん~! 早く早く~っ!!」
誰がお父さんだ、と一年前なら即座に訂正していた。
実際、口を開きかけたのだが、日傘を持ったままでは紙袋を落とすと思い、先にそちらへ手を伸ばした。
代金を払う間にもリリアは店主へ愛想よく笑い、受け取った果実をその場で一つ俺へ差し出してくる。周囲の客まで微笑ましそうにこちらを眺めている。
差し出された果実は受け取らず、代わりに紙袋を持ってやる。
「走るな。人にぶつかるぞ」
「は~い、お父さん♪」
「返事だけは良いな、貴様は」
「リリアちゃん、またおいでね」
リリアは振り返って何度も頷いた。
甘ったるい声も、少し内側へ向けた爪先も、頬の両側へ均等に作った笑窪も、俺の知るこいつには一つとして似合わない。
それでも首に刻まれた契約の鎖は、俺の魔力の底で眠ったままだった。
罰が下る兆しはない。リリアが口にしたのは、果物が欲しいという希望と、俺を呼ぶための名だけだ。
礼を述べ、また来ると頷き、あとは店主が自分から『領主の愛娘』と呼ぶのを待っていた。
俺がこいつを屋敷へ置き、食事を与え、外へ出るときには必ず同行させている以上、その呼び名を誤りだと退けようとすれば、俺自身がこの一年の行動へ別の説明をつけなければならなくなる。
随分と器用に、首輪の内側で生きる方法を見つけたものだ。
「そりゃあ……死にたくないからね~。……にしし」
「お? 僕の真似かい? 嬉しいねぇ!」
リリアの作った笑窪とは違い、クラウの頬は勝手に緩んでいるように見えた。
何がそこまで琴線に触れたのかは分からないが、自分の笑い方を継承する者を見つけたというだけで、朝から笑顔になっている。
「やめとけやめとけ、リリア。このババアの真似したって、良いことなんて一つもねえぞ?」
アルトがリリアの頭を軽く小突く。
クラウの口元の形は少しも変わっていない。歩調も、呼吸も、周囲へ漏れる魔力の量さえ先ほどまでと同じだった。
それなのに、俺たちのすぐ脇を通り抜けようとしていた男が不意に足を止め、理由も分からぬまま道の反対側へ逃げていく。
軒下で丸くなっていた犬まで耳を伏せ、腹を石畳へつけた。
「……ババア?」
クラウとアルトを見比べた。二人が並べば、どう見てもクラウの方が年下である。
幼さの残る顔立ちも、小柄な身体も、十代の少女と呼んで差し支えない。
エルフのように耳が長いわけでもなく、ドワーフの血を示す骨格でもない。
魔族ならばどれほど抑えても消せない魔力の癖があるが、クラウから感じる気配は、初めて会った日から人間のものだった。
「お前より年下にしか見えないのだが……」
「あ? 言ってなかったか? こいつは俺がガキだった頃から、ずっとこの見た目なんだよ」
「……いや~、アルト?」
柔らかな声が市場の喧噪へ紛れていく。怒鳴り声よりも遥かに小さい。
アルトは、そこでようやく自分が何を口にしたのか理解したらしい。
指を引っ込め、助けを求めるように俺とエレナへ視線を走らせた。
「乙女の歳をバラそうなんて……この世とのお別れは、もう終わったのかな?」
「ぐっ……!」
普段なら好きなだけ脅されていろと眺めているところだが、俺の意識はアルトから外れていた。
人間の成長は、ある時期を境に緩やかになる。
それでも老いが止まることはない。肌、髪、声、筋肉、魔力――どれほど若く見える者であっても、年月は必ずどこかへ痕跡を残す。
俺は人間の一生を、何度も最初から最後まで見てきた。
不老の魔法なら知っている。肉体の時間を留める呪いも、他者の生命を奪って若さへ換える術もある。いずれも身体か魂へ歪みが残り、近くで見れば隠し通せるものではない。
だがクラウの頬には温かな血が通い、陽射しの下には人間と同じ影が落ち、こちらの探る魔力を受けても何も返さない。あまりに何もない。
ならば、こいつは――。
「僕は人間だよ~?嫌だなもう、変な深読みしちゃって」
俺は何も言っていない。
問いを向けてもいない。
耳も目もクラウのものを確かめはしたが、これまでにも何度となく行ってきたことである。今に限って内心を読まれたと考える方が早計だ。
聞けば答えるのだろう。
そして今と同じ笑顔で「人間だよ」と繰り返し、俺がどこまで追及するかを眺める。
その先まで想像できてしまうと、問いを口へ運ぶことさえ、クラウの用意した流れへ乗るようで躊躇われた。
「アタシと会った頃から、あんな感じだもんね。全然変わらねえや」
エレナはどうでもよさそうに言った。身近にいる者ほど異常を異常と思わなくなるのかもしれない。
あるいは、二人ともずっと以前に問い質し、クラウが答えたくないのならそれでよいと受け入れたのか。
後者だとすれば、俺にも同じものを求められることになる。
納得できるはずもないが、無理に暴こうとすれば、先ほどアルトへ向けられたものが笑顔だけでは済まなくなるだろう。
「…………クラウお姉ちゃん!」
「うんうん! リリアはよく分かってるねぇ!」
クラウの指が、リリアの髪を容赦なく掻き回す。リリアは止めようとしなかった。
撫でる手に合わせて頭を傾けながら、こちらへだけ見える角度で赤い目を細める。
「にしし……」
「にししししし」
この一年で、随分と馴染んだものだ。人を殺した魔族だと知っている。
泣き声も、縋る手も、自分たちを止めるために使っただけだと見抜かれている。
それでもアルトは朝になるとリリアの髪を小突き、エレナは食べきれなかった菓子を渡し、クラウは笑い方を真似されただけで喜ぶ。
こいつらの中では、何をすれば相手を仲間と見なしたことになるのだろう。
一緒に歩くことか。食事を分けることか。殺されかけたときに庇うことか。
どれも一年前から変わらず続いているのに、いつから馴染んだのかと問われれば、境目が思い出せない。
「ところで、アレン」
クラウが肩越しに振り返った。
「リリアのお母さんは、いつできるんだい?」
三人の視線が一斉に俺へ集まった。リリアの母親など必要ない。
俺はこの小娘を育てているのではなく、契約が守られているか監督しているだけだ。
そう答えようとして、隣を歩くエレナへ目が向いた。
もしエレナが俺との結婚を受け入れれば、屋敷で暮らすことになる。
そこにはリリアもいる。こいつが俺を父と呼び、領民も娘として扱っている以上、エレナだけをその関係の外へ置くのは不自然だろう。
求婚を続けるなら、リリアの存在を伏せておくわけにもいかない。
一年も同じ街で暮らしているのだから、伏せるも何もない。
それでも結婚後の話として正式に確認しておくことには意味がある。
「エレナ……。済まないが、俺と結婚したら、自動的にリリアの『母』になってしまうな」
考えていたよりも声が低くなった。リリアの面倒を見るのが嫌だから断る、と言われる可能性が頭へ浮かんだのだ。
そうなった場合、リリアを別の屋敷へ移せばよい。契約の鎖は離れていても辿れるし、監視役も用意できる。
エレナとの結婚を優先するなら、方法はいくらでもある。
続きを考えるほど腹の奥へ重いものが溜まっていく。
結婚のためにリリアを追い出す理由を並べている自分の思考が、ひどく不快だった。
「あ? まあ良いさ。そもそも本当の子供ができるかも分からねえしな……!」
本当の子供。
種族の異なる人間と魔族の間に子が生まれるかどうか、俺にも確かな知識はない。
記録がほとんど存在しないのだから当然だ。調べるには実際に婚姻を結び、相手と――そこから先へ思考が進んだところで、胸の内側を強く叩かれたように息が詰まった。
エレナは、俺との間に子供が生まれる可能性を考えたことがある。
少なくとも今、その場面を想像しなければ出てこない言葉だった。
しかも、子ができないかもしれないと承知したうえで、リリアの母になることを「まあ良い」と受け入れた。
俺と夫婦になり、同じ屋敷で暮らし、リリアを間に置いて――。
「おお……!」
胸へ手を当てる。鼓動など意識しなくても制御できるはずなのに、今は掌の下で妙に速い。
「ついに俺と一緒になる決心をしてくれたのだな……!」
「アタシの夫になる相手は、まだ決まってねえからな!」
「……は?」
先ほどまで開きかけていた未来が、音を立てて閉じたというのに、エレナは何事もなかったように残りの干し肉を口へ放り込む。
彼女の言葉を最初から並べ直した。
『本当の子供ができるかも分からない』。婚姻の意思ではなく、種族差について述べただけ。
『まあ良い』も、リリアの母になることを許容したのであって、俺の妻になると決めたわけではない。
なぜ先に言わない。聞かなかったのは俺の方だ。
どうにか別の解釈を探していると、隣で誰かが深く息を吸い込んだ。
「……ほっっっ…………!」
「……アルト、安堵の息が大きすぎるぞ」
「うるせえ! まだ俺にもチャンスがあるってことだろうが!」
「ない。お前が入り込む余地は最初からない」
「だったら、てめえも今しがた振られてんじゃねえか!」
「振られてはいない。まだ決まっていないと言われただけだ」
「それを世間じゃ振られたって言うんだよ!」
「言わん!」
「エレナ! 今のは子供のことまで考えているという意味ではないのか!?」
「知らねえよ、馬鹿!」
振り向きもせず、片手だけが乱暴に振られた。
耳が僅かに赤く見えたのは陽射しのせいかもしれない。
「ほら、二人とも遅れるぞー! 今日は酒場で肉を食うんだからなー!」
「待て、エレナ。まだ話は――」
「お父さん、振られてやんのー」
リリアが俺の手を取り、エレナとは反対の方向へ引いた。喉の奥でクラウの笑い方を真似ながら、実に楽しそうにこちらを見上げている。
店主へ向けていた笑顔と違い、今度は作る必要もないらしい。
「……黙れ、娘」
「…………」
領民の前で関係を否定すれば、余計な疑念を招く。
店主も、行き交う者たちも近くにいる。
リリアが俺を父と呼ぶ以上、それに合わせただけだ。
呼称として最も短く、今の状況に適していたから選んだにすぎない。
「……お父さん。今、私のことを――」
「聞き違いだ」
「でも、人間を騙しちゃ駄目なんだよ、私は」
「俺は人間ではない」
「じゃあ、娘で合ってるんだ?」
「話を聞け」
「にししししし!」
逃げると思っているわけではない。こいつが人間へ危害を加えれば、首の鎖が先に命を奪う。
離れたところで契約の気配は辿れるのだから、混雑した市場で手を繋いでおく必要もなかった。
「置いてくぞー!」
「今行く!」
咄嗟にリリアの手を握り直し、人の隙間へ踏み込んだ。小さな身体が一歩遅れて引かれ、日傘が慌てたように揺れる。
「お父さん、速い!」
「ならば走れ。今日の食事はエレナの隣だ」
「私もそこがいい」
「貴様はクラウの隣へ行け」
「嫌だ。お父さんの隣がいい」
「なぜだ」
「肉を取っても怒らなさそうだから」
「怒るに決まっているだろう」
リリアの手を引いたまま、市場の人波を先へ急いだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
一年を経たリリアとアレンの関係、そして少しだけ見えてきたクラウの秘密について、感想や予想をいただけると嬉しいです。
次の章はアウラ編の予定です。アウラはアレンとどうなると思いますか?
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フリーレンと戦う(原作通り)
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