偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
しかし交渉の席で魔族たちが持ち出したのは、人間側に立つアレン自身の存在でした。
応接間へ通されると、窓には鎧戸が下ろされ、壁際には槍を構えた衛兵が並んでいた。
和平の席にしては息苦しい。
だが、長机の向こうに魔族が腰を下ろしているのだから、これでも伯爵は随分と譲ったのだろう。
茶を運んできた侍女が、リュグナーの前へカップを置く。
白い陶器が受け皿に触れ、かすかな音を立てた。
震えているのに、リュグナーは気づかないふりをして微笑んでいた。
リュグナー。かなり歳を重ねた魔族で、かつて魔王の軍勢にも加わっていたはずだ。
隣はリーニエ……だったか。少年の方は記憶にない。
残る二人には、客を演じる気さえ薄いらしい。大剣を背負った巨漢は狭苦しそうに腕を組み、足の届かない椅子へ浅く腰掛けた小柄な魔族は、部屋中を眺め回したあと、クラウへ目を留めた。
赤い瞳が次に俺を捉え、愉快そうに細められる。笑いやがった。
俺はリリアの椅子を引き寄せた。木の脚が床を擦り、全員の視線が集まったが、構わず腰を下ろして向かいの五人を見渡した。
「和睦、か……。五人も雁首を揃えて、随分と物々しいことだな」
リュグナーは胸へ手を当てた。広場で俺を見たときの嫌悪など、最初から存在しなかったような顔だ。
「アレン卿。我々には言葉があります。言葉によって歩み寄ろうとすることは、決して間違いではないはずです」
俺を見ているくせに、俺へ話してはいない。視界の端でグラナト伯爵の眉が動いた。
なるほど。俺を使うのか。
厄介なところへ手を掛けるものだ。俺も初めから人間へ寄り添おうとしたわけではない。
では、向かいの五人と何が違う。
費やした年月か。守った人間の数か。俺の正体を知ってなお後ろにいる連中か。
「ああ、分かるぞ。捕食者である我ら魔族が言葉を話す理由は、ただ一つ。人間を欺き、その警戒を解いて近づくための道具だからだ」
「――俺という、唯一の例外を除いてな」
隣から冷たい視線が刺さった。リリアだった。
唯一ではない。隣にいるこいつが、何よりの証拠だ。
分かっている。それでも、今はそう言うしかなかった。
黙っていろと膝へ手を置くと、つねられた。痛くはないが、腹が立つ。
「それはあまりに無体な言いがかりというもの。貴方がそこまで人間に寄り添い、歩み寄ることができたのです。私たちに同じことができないとは、言い切れないのではありませんか?」
俺にできたのだから、自分たちにもできるかもしれない。その可能性だけなら、俺にも否定はできない。
だが、認めたくなかった。
「なるほど……そうだな。確かに、俺の勇み足だったかもしれん」
伯爵がこちらを見た。フリーレンの指が杖へ掛かる。
向かいでは、リュグナーの口元が緩んだ。
笑うには早い。
まだ、お前は何も差し出していない。
好きに喋れ。その舌が最後に何を欲しがるのか、聞いてやる。
「お父さん。リーニエの横にいるのは、同じく首切り役人のドラート。『糸の魔法』を使う奴です」
「ほう……。リリア、お前はあいつらを知っているのか」
「強い奴の能力を知っておくに越したことはありませんからね」
保身のために集めた知識まで誇らしげに披露できるのだから、大したものだ。
だが、今はありがたい。知らない敵を前にしている方が、よほど気分が悪い。
「では、後の二人は? アウラの首切り役人は三人だと記憶していたが」
リリアは背筋を伸ばした。
「ここ最近加わったらしいですが……厄介ですよ。本来なら、アウラ様の下につくような格の奴らではないんですが……」
アウラ様、か。
「確かにあいつらは、八十年前のアウラより強そうだね」
向かいの二人を見たまま、フリーレンがぼそりと言った。
どちらも魔力を深く抑えているが、そのせいで底が見えない。抑えること自体が魔族としては異常だ。
リリアを隣へ寄せたのは、間違いではなかった。
全員を生かしたまま勝てるか。
すぐに答えが出なかった。誰にも悟られたくはなかった。
「ドラートの隣にいる小さな女が『蒼き智謀のシュライン』彼女の魔法は何でも……『攻撃を絶対に躱す魔法』だとか」
クラウの殺気が先ほどから尋常ではない。アルトがピリピリしているのも同じだろう。
「へぇ……。なら、躱す隙間がないくらい全方位から矢を射たら、どうなるのかな?」
声だけは明るかった。
細めた瞳の奥にあるものは、俺の位置からでも分かった。それを正面から浴びながら、シュラインは微笑んだ。
クラウの指が止まる。
シュラインの笑みが深くなる。
「………クラウお姉ちゃん、もし戦うことになったら絶対にそれ試してね。……で、最後の一人が『猛き勝利のカタウ』」
「………知らん名だな」
知らんものは知らん。そんな顔をされても、興味のない魔族の異名まで覚えていられるか。
「お父さんは魔族に興味が無さすぎます。……マハト様やクヴァール様くらいは知ってますよね?」
「それは流石にな」
偉そうにしやがって。ガルドへ残りたいと騒いでいたくせに、すっかり俺の案内役のつもりでいる。
それでも、知っていることを隠さず俺へ渡してくる声には、先ほどまでの怯えがない。契約で命令したわけでもない。
巨漢――カタウは、俺たちの囁きへ眉一つ動かさなかった。俺を見て、フリーレンを見て、また俺へ戻る。
値踏みされているのは、たぶんお互い様だ。
「我々としては、グラナト領との不戦条約、そして通商条約を交わしたいと考えております」
不戦までは分かる。だが、通商? 魔族が人間の街へ売るものなど、俺にも思いつかない。
「不戦は分かる。だが、通商だと?殺戮しか知らん死体どもが、一体何を売るというのだ!」
先に言われた。同感だ。
「ふふ。ここからは、私が説明させてもらってもよろしいかしら? リュグナー」
「お任せいたします」
リュグナーが掌を向け、一歩引いた。
小細工を。伯爵が怒鳴った途端、今度は女の顔を前へ出すか。
シュラインは身体の前で両手を重ね、伯爵へ可愛らしく微笑みかけた。
「我々が提供するものは、『安全と戦力』です」
よりにもよって、その二つか。
「断頭台のアウラ様が率いる不死の軍勢……これについても、先の戦いにおいて人間たちの軍団は、あちらのアレン卿によってすべて浄化されました」
「ですから、伯爵方にも過去の遺恨はございませんでしょう? 新たに使役した魔物の軍団が隊商や通常の旅人の護衛となり、有事の際には強力な防衛戦力となります」
守る、か。その光景に人間が何を感じるか、こいつには本当に分からないのだろう。
◇
地へ横たわった兵士たちが浮かぶ。
俺は兵士たちの名を知らない。
死体が消えたあと、その場へ縋りついた者たちの悲しみも、同じようには感じられない。
それでも、あの顔は見た。何も残っていない地面へ手を伸ばし、泣いていた声も聞いた。
俺が消したのは死者の身体だけだ。あの声まで消した覚えはない。
椅子が鳴った。伯爵が立ち上がろうとしている。
駄目だ。まだ立つな。
伸ばした指で袖を押さえると、伯爵が俺を睨んだ。怒りで濁った目が、指先へ落ちる。
離さなかった。やがて伯爵は奥歯を噛みしめ、椅子へ腰を戻した。
「ぐっ……! それで……? 見返りに何を要求するつもりだ」
シュラインの笑みが明るくなる。
「はい!! つきましては、この街を覆う……大魔法使いフランメが設置した『防御結界』を解除し、魔族である我々が自由に通過できるようにしていただきたいのです!」
来たか。書面の文字が、急にくだらないものへ見えた。
「ふん。そんなことをすれば、街は滅びるぞ」
「これは異なことを。……アレン卿自らが、人間との『共存共栄』を証明されておられるというのに」
口元へ手を当て、傷ついた少女の顔を作った。赤い瞳だけは笑っている。
その言葉を、俺に向けるな。お前が俺の何を知っている。
「そして……お一人ではなく、そこに可愛らしい御息女のリリア殿を連れられているではありませんか。これこそ、貴方だけが例外ではないという、何よりの証拠ですわ!」
伯爵がリリアを見る。壁際の衛兵まで、こちらへ目を向けた。
リリアは一瞬だけ瞬きをし、俺の背後から顔を出した。頬の横で二本の指を立てる。
「イエイ。……でいい?」
「煽りにしかならん。やめろ」
俺とリリアを、一緒にするな。
そう言いかけて、飲み込んだ。
同じ魔族だ。そこは否定できない。
リリアの喉には契約がある。人間を傷つけず、騙さずにいるのは、その罰が恐ろしいからだ。こいつを共存の証拠と呼ぶなら、あまりに都合がよすぎる。
けれど、先ほど俺へ能力を教えたことは契約に命じられていない。
クラウへ殺し方を勧めたことも、俺の椅子へ身を寄せたこともそうだ。
では、こいつは何なのだ。
答えが出ない。
出ないからこそ、シュラインの口で勝手に答えを決められることが我慢ならなかった。
「……で? 結界が解除されて、お前たちはどうするつもりだ」
「よくぞ聞いていただけましたわ! 我々は……ただ人間と『仲良く』したいのです」
嘘だ。
何をするつもりかと聞いて、何をしたいかで返した。
人間なら願いを語っただけで済む。魔族が目的と行動を取り違えるはずがない。
「……仲良く? 戯言にもほどがあるね」
まったく同感だ。俺が先ほどまで黙って聞いていた分まで、声にしてくれたらしい。
カタウが組んでいた腕を解き、上体を前へ傾けた。
「………フリーレン。お前とて、我ら魔族にとっては言葉の通じぬ『殺戮者』よ。口を慎め。……もしくは、そこにいるアレン卿のように、少しは異種族に歩み寄ったらどうだ?」
胸へ響いた。魔力ではない。ただ声を出しただけでこれか。
魔族から見れば、フリーレンが殺戮者であることは間違っていない。
言葉が通じようと、命乞いをしようと、あいつは魔族を殺す。
だが、魔族が人間を食うことと、フリーレンがそれを止めることまで同じではない。
そこを削り落とせば、どちらも殺す者という言葉だけが残る。
そして、また俺か。
リュグナーの口で伯爵へ運ばれ、シュラインの口で結界へ運ばれ、今度はフリーレンの前へ立たされた。
俺は随分と便利らしい。
フリーレンが横目でこちらを見る。怒っているのか、呆れているのか。
相変わらず分かりづらい顔だが、杖の先はカタウへ向いたままだった。
その隣で、フェルンの視線が俺と五人の間を行き来していた。眉を寄せ、口元へ指を当てたあと、何を思ったのかシュタルクへ身体を寄せる。
「シュタルク様」
「……話が難しすぎて……全然ついていけねえ……」
「………はぁ。期待した私がバカでした」
フェルンの冷たい目を受け、シュタルクの肩が落ちた。
「そう構えるなよ、嬢ちゃん」
アルトが二人の後ろで笑った。
「はい……? アルト様?」
「おう。相手の名前をしっかり覚えるのは大事なことだぜ、フェルン。……仮に、ここが俺たちを騙すためのクソみたいな茶番劇の席だったとしてもな」
アルトの顎が俺を示す。
嫌な予感がした。
「魔族の中に……このアレンに正面から逆らえるような命知らずがいるとは、俺には到底思えねえのよ」
やめろ。
五人を同時に相手取り、守り抜けるなどと、俺は一度も言っていない。
アルトはこちらを見もしなかった。
「へへっ! もしそこまでのバカがいるなら、アタシたちがその場でぶち殺せばいいだけの話だしな!!」
フェルンは二人を見比べ、深い溜息をついた。
「…………野蛮です」
まったくだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「アレンにできたのなら、他の魔族にもできるのではないか」
自分自身を和平の根拠として突きつけられたアレンと、魔族たちの交渉について、感想をいただけると嬉しいです。
次の章はアウラ編の予定です。アウラはアレンとどうなると思いますか?
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同盟する
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ガルドに招き入れる
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殺し合う
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フリーレンと戦う(原作通り)
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直接会わない