偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
その言葉はやがて、アレン自身が四百年以上答えを探し続けてきた「家族」と「愛」へ向かっていきます。
「私は、アレン卿と今日こうしてお会いできて感動していますのよ!」
シュラインが両手を広げ、椅子から身を乗り出した。
近い。それに、そんな目で俺を見るな。
「人間になりたいと四百年以上もの間、人間を守り抜いた聖者!! 実に神々しい!! 我々は貴方のようになりたいのです!! 魔族の本能を克己心で抑え、より高みへと向かうその姿が……!!」
人間になりたい、か。
随分と美しくまとめてくれたものだ。俺が欲しかったのは人間そのものではない。
仲間や愛のために限界を超える、あの奇跡だ。
それを手に入れ、誰よりも強い魔族になるために人間へ近づいた。
だから俺は聖者ではないのだ。だから俺は人間になれないのではないか?
訂正しようとして、やめた。
俺を崇めている目ではない。俺の腹を裂けば、四百年分の変化が順番に詰まっているとでも思っているのか。
こいつが欲しいのは、俺の返事ではない。
「……ああ……実に……実に面白いわ」
やはり、そちらが本音か。
「……シュライン殿……」
リュグナーはまだ笑っている。だが、こめかみの汗までは隠せていなかった。
止めたいのなら、もっと強く言え。
「あれぇ? リュグナーは違うのかしら?」
「人間なんて、私たちにとっては、ただの食べ物だったのだけれど……。あ、失礼、グラナト伯爵。でも、これは事実ですわ!」
伯爵の椅子が軋んだ。袖へ伸ばしかけた手を、俺は膝の上へ戻した。
まだ止めるな。
こいつは、自分から腹を開いている。
「魔族は欺き、言葉を弄しますが……私は正直者ですの! 魔族は人間を食べる。……そして、食べなくても殺す。……実に不可思議な生き物ではありませんか」
正直者を名乗る魔族ほど、信用ならないものもない。
だが、今の言葉に嘘はなかった。
俺にも覚えがある。腹は満ちていた。魔力が増えるわけでもなかった。
脅威になり得る相手ですらなかった。それでも、逃げる人間の背へ魔法を放った。
理由など考えなかった。
殺したかったから、殺した。
では、いつから俺は、それをしなくなった。
リリアにそれを教えられたなら…。いや。
「自然界を見渡しても、意味もなく異種族を殺し続ける者など存在しません。ならば私たち魔族に知恵など意味がないのではないか……いいえ、私達魔族にこの知性がある意味はあるはず。だからこそ馬鹿げた殺戮の本能に、どこまでも抗ってやろうというのですよ!!」
俺は抗った覚えなどない。
人間の奇跡を観察するには、観察対象を殺さない方がよかった。
克己心などという立派なものではない。
それでも、結果だけを見れば、シュラインの言うとおりだった。
俺に起きたことを、こいつらにも起こせるのか。
知りたい。
「そこにアウラの小娘が和睦をなそうと提案された……! これは乗るしかありませんわ!」
「たとえアウラが裏で騙し討ちを狙っていたとしても、私たち二人が貴方がたの味方をします……! ……いかがかしら? 伯爵……?」
二人。
カタウは否定しない。
リュグナー、お前も知らなかったのか。笑えていないぞ。
「………シュライン殿……」
リュグナーが額へ手を当てた。
「……なに、この茶番?」
「リーニエ、抑えて」
立ち上がりかけたリーニエの肩を、ドラートが押さえた。
こいつらも聞かされていなかったか。
「聞き捨てならないな……!! 騙し討ちだと!?」
グラナト伯爵の拳が卓上へ叩きつけられた。
今度は止めなかった。茶器が跳ね、書面の上へ茶が広がっていく。
「それは誤解です、グラナト卿!!」
「我々は真摯な和睦の使者です。シュライン殿の仰ることは極論ではございますが、我らの意向を大きく外れたものではございません!」
どちらも捨てないつもりか。
だが、そいつを嘘つきとは言わないのだな。
「私たちは魔族の誇りも、魔法への執着も持ったまま……『進化』したいのです。シュライン殿の言うような、本能の矛盾を克服できるように。アレン卿は、まさにそれを体現しておられる。……我らは心からそう思っています」
進化。
やめろ。その言葉を俺に向けるな。
人間を愛したかったのではない。
人間の奇跡を得たかった。
人間のようになることは目的ではなく、魔族としてさらに高みへ至るための手段だった。
そんな不純な俺を、そんな言葉で飾ってくれるなよ。
俺と同じだ。
不快なほどに。
違うと言い切る言葉を探したが、見つからなかった。
娘…か。簡単に言いやがる。
「なるほどな……。実に殊勝な心がけだ」
「俺としても、同調者がいることに越したことはないのだが……。お前たちに一つ、尋ねよう」
リリアの指が、膝の上で僅かに動いた。
何度も父と呼ばれた。そのたびに、俺は監督者だ、保護は契約に必要なだけだと訂正してきた。
食事を与え、文字や魔法を教え、見えない場所へ残すことを嫌がり、危険な場所へ連れてきてまで隣へ置いている。
それでも父ではないと言うのなら、何が足りない。
そもそも、父とは何だ。
俺には答えがない。
答えられるものなら、答えてみろ。
「この質問に納得のいく答えが得られれば、俺はお前たち――いや、アウラを含めた全員と、人間との融和を歓迎しよう」
言ってしまった。アウラまで含める必要はなかった。
もう遅い。
「お前たちは、そこにいるリリアを『娘』、俺を『父』と評したな」
「――『父親』とは、何だ? 一人ずつ答えろ」
リュグナーは俺とリリアを見比べた。
何を探している。答えか。俺がこの問いを口にした理由か。
「『父親』とは……ですか。……ずいぶんと抽象的な質問ですね。生物学的な、種付けの親……という話ではないのでしょう?」
「無論、違う」
そんなものなら、俺がリリアの父でないことなど、問うまでもない。
「知らない」
リーニエが目を逸らした。
「魔族は、生まれたときから一人」
かつての俺なら、同じ答えを返していた。
今も間違いだとは言えない。魔族に親はいない。誰かに育てられずとも生きられる。
だから、魔族には必要もない。
必要がないものを、なぜ俺は知りたがっている。
「……人間の言う『父親』とは、娘を育てる者のことでしょう?」
育てる。ドラートの答えはシンプルだが…。
それなら、俺は父親になるのか。
リリアへ文字を教えるだけなら、家庭教師でもできる。
食事や衣服を与えるだけなら、使用人で足りる。契約を破らないよう監視する者を父とは呼ばない。
足りない。
だが、何が足りないのかは、やはり分からない。
「『父親』とは……家の先頭に立ち、家族を守り、家族を養う者です」
リュグナーが一つ咳払いをした。
「無論、家族も父を慈しみ、互いに支え合う。……人間とは、そうして共同体を形成するものでしょう」
よく覚えたものだ。
俺か。伯爵か。誰に聞かせている。
人間の家族について書かれた本を開けば、似たような文はいくらでも見つかる。
家を率い、守り、養う。そこへ慈しむという言葉まで添えれば、人間はそれらしく聞こえる。
俺にも当てはまる。
当てはまることが、気に食わない。
「カタウ殿は?」
「お前が今問うている質問に、何の意味もあるまい」
「魔族の社会性のなさを強調する。あるいは、価値観の違いを浮き彫りにして、交渉の継続意思を挫くつもりだろう」
半分は正しい。
俺が答えを知っていれば、そう使ったかもしれない。
だが、俺はお前たちの無知を嗤うために訊いたのではない。
「……『父親』とは?」
カタウの眉間に皺が寄った。
返事はない。
言いたくないのか。知らないのか。どちらだ。
「まったくもって、疑り深いですねぇ!!」
笑ってやがる。
「私が答えましょう!! 『父親』とは――娘や息子を『愛する』ものでしょう」
愛。
なぜ、お前がそれを言う。
リュグナーは避けた。ドラートも、口にしなかった。
リリアも俺を見上げていた。視線が合うと、なぜか先に目を逸らした。
俺がこいつへ向けているものを、愛と呼んだことはない。
呼べなかった。
「…………『愛』とは、何だ?」
くすくすと笑われた。
「『愛』なんてものを、いちいち言葉で定義しようとするのが間違いなのですよ」
質問まで笑うな。
腹が立った。それでも、続きを待った。
「自分の血を分けた子――あるいは、守ると決めた者がいるなら、いつか自分を超えていかれる楽しみを持ち……それでも、どうしようもなく助けてしまう。それが『親愛の情』というもの。……違いますか? アレン卿」
どうしようもなく、助けてしまう。
その前に、シュラインは何と言った。
自分を超えていかれる楽しみ。
俺は最強になるために生きている。
誰かに追い越されることを喜ぶなど、理解できるはずがない。
それなのに、リリアが自分の魔法を使いこなし、蓄えた魔力を今より自在に扱う姿を思い浮かべても、不快ではなかった。
むしろ、その先を見たいと思った。
あの日、リリアを殺さなかった理由なら、いくつも並べられる。
人間に紛れた魔族が変われるかを確かめるため。
アルトたちとの関係を続けるため。契約魔法を試すため。
どれも嘘ではない。
だが、こいつをガルドへ残してこられなかった理由にはならない。
俺はリリアの喉へ目を落とした。契約の鎖は見えない。違反すれば、俺には分かる。誰かに傷つけられても分かる。
分かるだけでよかったはずなのに、離れた場所から知ることを嫌った。
「…………男女の愛とは、違うのか?」
言葉が出てから、伯爵と衛兵がいることを思い出した。
だが、もう止める気にはならない。
「親愛と情愛は違う。そんなことは、アレン卿が一番ご存じでしょうに」
「男が女に向け、女が男に向ける愛……そんなものは、昔から決まっていますわ」
知っているのなら、訊いていない。
俺は妻を持った。エリーを抱き、同じ家で眠り、戦場へともに赴いた。
墓へ入ったあとも花を供えた。
人間は、それを愛と呼ぶ。
俺も、そう呼んできた。
けれど、呼び名を覚えたことと、中身を知っていることは同じではない。
だが…俺はエリーを愛している。そうであるはずなのだ。そうでなければならないのだ。
「………何だ」
シュラインが長机へ両手をつき、また顔を近づけてきた。
近いと言っている。
「要は……『抱きたいやつ』か、『抱かれたいやつ』ですよ」
シュタルクが咳き込み、フェルンに睨まれた。
アルト、お前はなぜそこでエレナを見る。
槍で殴られても知らんぞ。
「そのうえで大切に思い、自分の力の限り守っていきたいと思うこと。守られたいと思い、行動すること。……それが『愛』です」
エリーを抱きたいと思った。
守ろうともした。
なのに俺は守らなかった。
彼女を失ったことで人間の奇跡へ近づけるのかと、自分の魔力を確かめた。
増えてはいなかった。
「そこに高尚な哲学なんて要りませんわ。性欲も本能、愛情も本能……それを切り離せなんて、無理な話です。…少なくとも私には無理なことでした」
シュラインの声だけが、妙に近く聞こえた。なぜお前はそんな目でカタウを見る?そしてクラウを見る?
「……『惚れたやつを守る』愛している理由を確かめてから守るのではなく、守ったあとでそれを愛と呼ぶ……そういうことです」
違う。
喉まで出た言葉は、声にならなかった。
ならば、理由を探し続けてきた俺は、エリーを一度も愛していなかったのか。
人間の奇跡を得るために妻を選び、夫を演じた。
彼女が死んだあとでさえ、自分の魔力が増えたかを確かめた。
それでも、墓へ供える花は、誰に見せるでもなく自分で選んだ。
エリーが好んだ花を今も覚えている。
それは愛ではないのか。
答えを欲しがること自体が、愛していない証拠なのか。
「……だからこそ、私はそれが知りたいのですよ」
「我ら魔族に……その感情を持ち得るのか。それを受け継ぐことができるのかをね」
暗闇の中へ浮かんだのは、書物から学んだ愛の定義ではなかった。エリーの笑った顔と、花を選ぶたびに思い出す声だった。
その隣へ、俺の外套を掴んで歩く小さな手が重なる。
答えにはならない。
それでも、消えなかった。
目を開けても、シュラインは俺を見ていた。
その目は、まだ俺の中身を覗こうとしていた。
こいつも、愛はきっとまだ知らない。知らないはずだ。知っていてはならない。
どうせ……やつも魔族だ。
知らないくせに、俺より先に答えへ触れている。それがあっていいはずがない。
それが、ひどく羨ましい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「父親とは何か」「愛とは何か」。
四百年以上答えを探してきたアレンと、別の形で同じ問いへ辿り着いたシュラインについて、感想をいただけると嬉しいです。
第一回キャラクター人気投票!!(3位までのキャラは出番が増えます。)
-
アレン
-
フリーレン
-
アルト
-
フェルン
-
シュタルク
-
エレナ
-
クラウ
-
シュライン
-
カタウ
-
アウラ
-
リュグナー
-
リーニエ
-
ドラート
-
リリア