偽りの聖者と枯れぬ羨望   作:かなりゆっくりめ

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和平交渉を終えた魔族たち。

人間との共存を語ったシュラインが、本当に見ようとしているものは何なのか。

今回はシュライン視点です。



魔族の未来のために

――シュライン――

 

林檎を四つに割り、魔力で組み上げた筒へ落とす。

 

取っ手を回すと、内側の刃が果肉を細かく刻んだ。潰された林檎が網へ押しつけられ、淡い金色の汁だけが下の容器へ落ちていく。

 

カラカラ、カラカラ。

 

実に良い音。

 

魔法で一息に搾ってしまうこともできるけれど、それでは面白くない。

どの角度で刃を入れれば果肉が詰まらず、少ない力でより多くの果汁を得られるのか。

試して、直して、また回す。

 

そういう時間が、私は好きだ。

最後の一滴まで搾りきり、用意されていたグラスへ移す。

細い管を差し込んで吸えば、甘酸っぱい味が舌へ広がった。

 

悪くない。

 

伯爵のお城ともなれば、客室へ置く果物まで選んでいるらしい。絨毯は柔らかく、椅子も私の身体には少し大きいけれど、座面の硬さはちょうどいい。

 

それにしても。

 

アレン卿が、まさかここに来ているなんてね。

 

隣の領地なのだから、可能性がまったくないとは思っていなかった。

アウラが使者を送ったと知れば、いずれ嗅ぎつけるかもしれない。

その程度は考えていた。

 

けれど、交渉を始める前から先回りされるとは思わなかった。

 

ガルドからここまで、近いとはいえ即座に駆けつけられる距離ではない。アウラの動向を探る者がいるのか、この街に情報源を持っているのか。

それとも、私たちの側から何かが漏れているのか。

 

どれでもいい。

確かなのは、アレン卿が人間の領地で四百年もただ笑って暮らしていたわけではないということ。

あの方は、人間の営みを眺めていただけではなく、その中へ根を張っている。

 

実に面白いわ。

 

「シュライン殿……貴女のおかげで台無しだ」

 

リュグナー、客室へ案内されてからずっと黙っていたから、少しは頭を使っているのかと思っていたのだけれど。

 

「本来であれば、私があのまま言葉巧みに結界を解除させ、この町を内側から滅ぼせたものを……」

 

あら。思っていたより重症ね。

もう一口飲んでから、グラス越しにリュグナーを見た。

 

「アレン卿がいる時点で、そんなことは不可能ですよ? ……リュグナー、貴方、そんなことも分からないの?」

 

結界を解除させるだけなら、最初の案にも三割ほどは成功の見込みがあった。

 

長く続く戦いに疲れた領主へ和平を持ちかけ、民の命と引き換えに防壁を捨てさせる。

人間が何を守りたいのかを正しく選べば、言葉で動かすことは難しくない。

 

もっとも、結界が消えたあとで約束を守るつもりのない使者を、伯爵が最後まで信じればの話だけれど。

 

交渉が成立して町が襲われた場合の手順も決めていた。

 

私とカタウでリュグナーたちを殺す。

 

アウラの命令に背いてまで人間との和睦を守った魔族として、その首をアレン卿への手土産にする。ガルドへ迎え入れてもらえたなら、あの方と、あの方が娘と呼ぶ幼い魔族を間近で観察できる。

 

アレン卿が拒めば、次はアウラを殺せばいい。

 

そのときはリュグナーたちが消えた理由も、私たちがアウラを討つ理由も、一つにまとめられる。

 

とても簡単な計画だった。

 

アレン卿本人が現れたせいで、最初から使えなくなってしまったけれど。

 

まあ、いいわ。

予定どおりに進む実験ほど、退屈なものはないもの。

 

「………何?」

 

リュグナーの眉間の皺が深くなった。

 

「いかに『嘘の大魔族』と言えども、我々五人がかりで一斉に襲いかかれば、勝てない相手ではないと思いますがね」

 

ドラート、我々五人…ねえ。

 

危うく笑いそうになった。

誰が誰と同じ側に立つと言ったのかしら。

 

貴方たち三人は、アレン卿と戦うなら足手まといよ。すぐに死ぬだけならまだしも、動きを読まずに前へ出て、こちらの邪魔をする。五人で挑むのではない。私とカタウが、三つの障害物を抱えながら戦うことになる。

 

それ以前に、アレン卿の後ろにいた者たちが黙って見ているはずもないけれど。

 

「……私は、アレンには挑みたくない」

 

ソファーの上で膝を抱えていたリーニエが言った。

 

へえ。この中では一番若く見える娘が、最初に正解を選んだ。

 

他者の魔力を読み取り、動きまで模倣する性質のおかげかしら。

 

リーニエ。貴女は、自分の力量をきちんと弁えているじゃないの。

 

「若い奴は血気盛んなことで結構だが……周りが見えておらんようだな」

 

腕を組んだカタウが、ドラートを見下ろした。

声まで重い。言っていることも重い。

おかしくなって、私は椅子の背から身を起こした。

 

「もぉ~、カタウったら。おじいちゃんみたいなこと言って~。見た目はこんなに渋くてイケメンの・ク・セ・に。愛してるわよ」

 

最後の言葉に合わせて指で小さな心臓を作ってみたけれど、カタウは見てもいなかった。

 

酷い男。けれど、口にした言葉は嘘ではない。

 

カタウが私の望まない選択をすれば止めたくなる。傷つけば治ると分かっていても、傷つけた相手を殺したくなる。離れれば探し、戻れば触れたくなる。

 

理屈はあとからいくらでもつけられる。

 

最初に湧くものは、選べない。

だから、愛している。

 

「……問題は、あのフリーレン……だな」

 

リュグナーが窓の外を見た。

私の告白を無視して話を戻すなんて、面白みのない男ね。

 

「なるほど……かつて魔王を討った勇者パーティーの魔法使い、ですか」

 

「でも、そんなに大きな魔力じゃなかった。アレンの十分の一にも満たないくらい」

 

ドラートに続いて、リーニエが首を傾げた。

 

「ふふふ……未熟ねぇ、貴方たち」

 

三人とも、あれを見ていたはずなのに。

 

「あれは魔力を高度に制御して『偽装』しているのよ。日常に溶け込むような、極めて自然に見えるレベルでね」

 

魔力を小さく見せるために抑え込んでいるのではない。

あのエルフにとっては、抑えた状態こそが日常なのだ。

 

呼吸をするように魔力を殺し、長い時間をかけて不自然さそのものを削っている。費やした年月は百年や二百年ではないでしょうね。

 

馬鹿げている。

魔力を誇りとする魔族なら、自分を小さく見せるためだけに一生を使うなど耐えられない。

だからこそ、魔族を殺すにはよく効く。

 

「………でも、私には分かるわ。ほんのかすかに、表面の魔力が揺らいでいる」

 

完全ではない。

 

完全ではないから、奥行きが分からない。

 

あの揺らぎの下に、どれほどの魔力が折り畳まれているのか。私にも底までは見えなかった。

 

「常に魔力を抑え込むなど……魔法使いの風上にも置けんな」

 

ええ、そう言うと思った。

 

「……しかし、フリーレンとてグラナト伯爵の仲間というわけではない。時を待てば問題あるまい。いずれあのエルフは町を去っていくさ」

 

この男は、見たいものしか見ない。

人間を脅威ではないと見なすのは、とても魔族らしい。傲慢で、素直で、少し可愛いとさえ思う。

 

でも、頭を使おう?知性があると自称するならね。

 

「……あのね」

 

「アレン卿のそばにいた三人の人間も、フリーレンの後ろにいた二人の人間も……貴方たちの首に十分届きうるわよ?」

 

ドラートが壁から背を離した。

 

「特に、フリーレンの後ろにいた二人――フェルンとシュタルクは、リュグナー、貴方たちでも一対一で殺されるかもしれないわね」

 

人間の魔法使いは、フリーレンの後ろでほとんど口を開かなかった。

 

魔力も抑えていたけれど、師ほど自然ではない。あれならリュグナーにも見抜けたはずなのに、自分より若い人間というだけで評価を下げた。

 

斧を背負った男の方は、さらに分かりやすい。こちらを恐れていながら、逃げる足へ力を移していなかった。恐怖で身体を固めたのではなく、いつでも前へ出られるように構えていた。

 

人間は、怖いものから逃げる。

けれど、恐怖を抱えたまま、逃げるのとは反対へ動くことのできる人間もいるのよ。

アレン卿が奇跡と呼ぶものの入口は、案外ああいうところにあるのかもしれない。

 

「……アレン卿の後ろにいた、あの弓使いの女」

 

カタウがようやく腕を解いた。

 

「あれは……『別格』だな。ぜひ手合わせ願いたいものだ」

 

「えぇ~。あの娘は私が欲しかったのにぃ~~」

 

わざと頬を膨らませて、カタウを睨む。

 

「そう……あの娘は私のものよ? カタウ?」

 

譲るつもりはない。

弓使い――クラウは、私を見た瞬間から警戒していた。

アレン卿が言葉を交わし、フリーレンが魔力を向け、ほかの者がカタウへ目を奪われている間も、私から一度も意識を外さなかった。

 

あの娘は、私のものだ。

あの目と弓が、どこまで届くのか見てみたい。

カタウに斬らせてしまうのは、あまりにも惜しい。

最初からあの娘は私のものと決まっている。

 

まあ、残る二人も大概だけれど。

 

二本の大剣を持つ男は、私たちの魔力に当てられてなお剣を抜かなかった。

自分が先に動けば交渉を壊すと分かっていたのだろう。

槍を持つ女は隠す気もなく戦いたがっていたけれど、あれも人間の枠からはみ出しかけている。

 

五人。誰から試しても、良い結果が取れそうね。

 

「……何を言っている?」

 

「我々とは違い、貴女が自ら進んでグラナト伯爵と『不戦条約』を結ばせたのではなかったのか?」

 

やっと、そこへ辿り着いたの。

 

「ええ。もちろん」

 

「でも…………私が結んだのは『この町』と『アウラ様の軍勢』の間の不戦条約よ?」

 

伯爵は領民を守るために署名した。

リュグナーはアウラの使者として署名した。

条文に守られる者は、正しく定めてある。

 

「『単なる冒険者たち』を、結界の外――町の外で襲わないとは……一言も約束していないわ」

 

リュグナーの眉間から皺が消えた。

 

「……安心したよ。やはり貴女も、人間を欺く『魔族』だ」

 

あらあら。

何を安心しているのかしら。

 

私は襲うと言った。

予告なしに襲うとは言っていない。

殺すとも、一言も言っていない。

 

それでは実験にならないでしょう?

 

大切なものを守るため。

 

死者の想いを継ぐため。

 

人間は限界を超える。

 

本当に?

 

どこからが限界で、何を失えば超えるのか。誰でも起こせるのか。心と魔力は、どこで繋がっているのか。

 

あれほど熱を込めて語られたら、試さずにはいられない。

しかも、目の前には極上の標本が五つもある。

 

フリーレンまで数えれば六つ。

 

どんな順番で、誰と誰を組み合わせようかしら。

考えるだけで、喉の奥から笑いが漏れそうになる。

けれど、それも余興にすぎない。

 

私が本当に知りたいのは、アレン卿の方だ。

夕日は低くなり、窓から差し込む光がグラスの縁を赤く染めていた。

 

アレン卿は、人間の奇跡を手に入れたとき、初めて愛を得られると言った。

四百年も人間の中で生き、最初の妻を失ったあとも、その女へ執着し続けているのに。

 

では、いつか本当に奇跡の力を得たなら。

それ以前のすべては、何になるのかしら。

 

人間へ近づいたのは、最強の魔族になるため。

人を愛する真似をしたのも、心と魔力の関係を確かめるため。

 

妻を選び、その死を何百年も抱えていることさえ、奇跡へ至るための過程だったと認めるの?

 

『もし貴方がその奇跡の力を手に入れたとき……そのときにこそ、貴方が執着し続けた最初の妻への愛は、ただの「魔法のための手段(嘘)」だったことになりませんか?』

 

いつか、そう尋ねてみたい。

 

アレン卿は、どんな顔をするのかしら。

 

理屈を並べて否定する?

 

それとも、最初の妻を手段と呼んだ私を殺そうとする?

 

もし後者なら、その瞬間に答えは出てしまう。

 

あの方が何百年も探し続けているものは、魔力より先に。

とっくに、あの方の中にある。

 

「どちらにせよ、まずはアウラにこの不戦条約の話を持ち帰らねばならんな」

 

カタウが扉へ向かった。

 

「アウラ様……絶対に怒るだろうなぁ」

 

リーニエの声が少し沈んだ。

 

自分が送り出した使者が結界を解除するどころか、勝手に不戦条約を結んで戻ってくる。しかも提案したのは、アウラより古く、アウラの配下ではない私。

 

怒らない理由がない。

 

「確かに!! アウラがヒスッたら、なだめるのはカタウにお願いね!!」

 

笑いながら手を叩くと、カタウがこちらを見た。

 

「…………断る」

 

まあ、私も嫌だけれど。

グラスの底に残っていた最後の一滴を吸い上げた。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

人間は面白い。

 

『奇跡の種族』

 

とても良い言葉だと思う。だけど、違うわよ、アレン様。

 

人間は『偉大な種族』よ。

 

奇跡が起きるからではない。

弱い個体を守り、知識を残し、一人では成し遂げられないことを次の世代へ渡せる。

殺したい相手がいても、殺さない方が自分たちの繁栄に繋がるなら法を作り、それに従う。

 

欲望も本能も消してはいない。

 

抱えたまま、自分たちを縛る仕組みを作った。

だから、目標にできる。

 

私の真のテーマは、人間ではない。『魔族』なのよ。

 

魔族は、不可思議な生き物だ。

 

群れを作らず、親が子を育てず、同じ種を守ろうともしない。それでいて言葉を話し、魔法を磨き、自分には知性があると信じている。

 

人間を殺して食べること自体が問題なのではない。

 

人間だって家畜を食べる。一つの種を食料として扱いながら、その中の一頭へ名をつけ、家族のように可愛がることさえある。

 

食べられることと、食べることは同じではない。

殺せることと、殺すことも同じではない。

 

選ぶだけの知性を持っていながら、目の前に人間がいれば殺さずにはいられないのなら、それは知性ある強者ではない。

 

ただの、不自由な獣だ。

 

魔族のような生き物が、その無意味な殺戮の本能を抑え込み、繁栄した人間社会に適応できるのか。

 

人間を真に理解し、共存共栄ができるなら、いつかエルフやドワーフのように『亜人の一種』として、この世界に受け入れられるのか。

 

それとも私たちは、未来永劫、ただの『言葉の通じない猛獣』として狩られ続けるのか。

 

結果が出るまでには、長い時間がかかるでしょうね。

 

百年では足りない。

 

千年でも、結論は出ないかもしれない。

 

扉の前に立つカタウの背中を見る。

この男は、最後まで私に付き合ってくれる。

 

それは、とてもいいこと。私はカタウを愛している。

 

では、カタウは?

私を愛してくれるのかしら。

 

尋ねれば、何かしら答えるでしょうね。けれど、魔族の言葉はいくらでも目的に合わせられる。愛していると口にしたところで、それが愛の証明にはならない。

 

だから、見ていればいい。

カタウ自身にも説明できない何かが、いつか理屈より先にこの男を動かすのか。

 

私のために戦い、私のために生き、私を守ってしまうのか。

 

それとも最後まで、強者と戦える場所へ私が向かうから、隣を歩くだけなのか。

 

どちらでも、とても興味深い。

 

前者であればいいと思う。そう思ってしまうことも、きっと私の愛なのだろう。

 

この『蒼き智謀』シュラインの目が、歴史の行方をすべて見定めてあげるわ。

 

「……だからこそ、人間と魔族は無益な争いをやめるべきなのよ」

 

リュグナーがこちらを向いた。

ドラートも、何を言い出したのかと目を細める。

分からなくても構わない。

 

貴方たちが理解できるかどうかも、私が確かめたいことの一つだから。

 

「すべては……魔族の未来のために」

 

人間のためではない。

正義のためでもない。

私が答えを知るために、世界には続いてもらわなければ困る。

 

人間にも。

 

魔族にも。

 

そして、カタウにも。

 

「さあ、この世界に『平和』を齎そうではないか……!!」

 

誰も答えなかった。

 

まったく。こんなに素晴らしい提案なのに。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

人間ではなく、「魔族」の未来を見ようとするシュライン。

彼女の考える愛や共存、そしてアレンたちへの興味について、感想をいただけると嬉しいです。

第一回キャラクター人気投票!!(3位までのキャラは出番が増えます。)

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