偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
その頃、街へ残った者たちにも、それぞれの変化が起き始めていました。
――エレナ――
振り返ると、クラウが矢筒を背負っていた。
「おい! クラウ!! どこ行くんだよ!!」
クラウはそのまま廊下へ出る。追いついて肩を掴むと、ようやく足を止めた。
「…………邪魔しないで」
邪魔。
止められるとは言わない。ついて来いとも言わない。ただ、そこを退け。
何年一緒にいると思ってる。
「何をしようとしてるのかも分からないで、邪魔もあるかよ! ……体調が悪いから休んだんじゃねえのかよ!」
「………それは、嘘」
頭へ血が上った。
嘘だとは思っていた。熱もない。吐きもしない。具合が悪いと言いながら、アレンたちが城へ向かう時刻ばかり気にしていた。
それでも残ったのは、クラウが、アタシに残ってほしいのだと思ったからだ。
「なんだって………?」
「シュライン………あの女だけは……」
また、その名前だ。
昨日から、クラウは何一つ話さない。
甘かった。
こいつは初めから、アタシを置いていくつもりだった。
「だからって、今はマズいだろ!! アレンと一緒に仕事を……アウラとの話し合いが終わるまで……!!」
「うるさい!!」
クラウの手が、アタシの手首へ重なった。
「――『私に従え!』」
耳の奥で何かが弾けた。
こいつを離したら駄目だ。
そう思ったはずなのに、指から力が抜けていく。
なぜ、止めようとしていた。
クラウが行くと言った。
クラウ様が従えと言った。
なら、従えばいい。
「……………わかりました。マスター」
クラウ様の靴先が離れていく。
ついて行くことに何も思わなかった。
不意にとても懐かしい光景が見える。
アレン‥‥ごめん‥‥逃げて……
誰から?
愛して‥‥…
誰を?
ああ、アルト‥‥。
◇◇
――フリーレン――
「シュタルク、もしも戦闘になったら、死なないように頑張るんだよ」
「朝から言うことがそれかよ……」
「カタウとかいうのの相手をしてたら、リュグナーまではどうにもならないから」
「うう……怖いよ~……。なんで俺たちが、こんな凶悪な魔族と留守番なんだよ……」
今にも逃げ出しそうだ。
その声を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
今日も、いつものシュタルクだ。
「お兄ちゃんは臆病なんだね!! 頼りないな~!」
だがその膝も、シュタルクより細かく揺れている。
「……そう言いながら、自分も膝をガクガク震わせてるお前には言われたくないと思うけど」
「だ……だって! 『葬送のフリーレン』のすぐそばにいると思うだけで…………ガクブルが止まらないんだよ……っ!!」
私から離れようとして、もう端まで来ていることに気づき、身体を小さくした。
小さくなった肩へ、ずっと昔の魔族の子供が重なった。
私の杖を押し下げたヒンメルの手。
そのあとで見た、村長の血。
泣くことも、震えることも、魔族を信じる理由にはならない。
分かっている。
違うのは、首に契約があることだけか。
「恐怖をそんなに表に出す魔族も珍しいね……」
立ち上がると、リリアの肩が跳ねた。
逃げる前に襟首を掴み、そのまま持ち上げる。
「ぐえっ!?」
「じっとして」
襟をずらし、首元へ魔力を通す。
奥へ沈んだ術式は鎖のように閉じている。
「アレンの『契約魔法(アイトゼーゲル)』で縛ってるのか……」
「縛るって言い方やめてくれません!? 私も同意しましたからね!?」
宙に浮いた足が忙しなく動く。
同意した。
殺す本能に逆らい続けなければ死ぬと知って、契約を選んだか。だけど。
「……でも不思議だね。契約の内容を理解できても、人間を前にしたら本能に負けて、あっさり破って死にそうなものだけど」
「いやいや! 言葉も仕組みも分からないほどバカじゃないですから!! 死にたくないから守ってるんです!!」
死にたくない。
それだけなら、あの子も同じだった。
首元から手を離し、地面へ下ろす。
「………『人を騙したら発動して死ぬ』のか……」
リリアはアレンを騙せる。アレンは人間ではない。
私を騙しても死なない。私も人間ではない。
「じゃあ、少なくともシュタルクへ向けた言葉には、嘘がないってことか……」
隣を見る。
シュタルクと目が合った。
「……ねえ、シュタルクに色仕掛けしてみたら?」
「なんで!? 私に死ねって言ってるの!!?」
リリアが首を両手で押さえた。
「なんで俺に!? 色仕掛けとかやめてくれよ!!」
「……ちぇっ。騙されないか」
「今の、どっちに言った!?」
二人の声が重なった。
リリアは、考える間もなく拒んだ。
契約に殺される可能性を確かめるより先に、自分が死ぬと信じている。
あの魔族の子供は、助かるためなら迷わず人間の家族を演じた。
この子は、嘘をつけば死ぬ鎖を自分から受け入れた。
死にたくないから、破らない。
本当に、それだけだろうか。
「………………死ぬかと思った……」
もう一つ、確かめたくなった。
「ねえ。私とアレンが『恋人同士』なのは知ってる?」
「え!? そうなの!?」
リリアの目が丸くなった。
「お父さんは、エレナお姉ちゃんを狙ってるはずじゃあ……」
「……『恋人』って、何?」
「……………。なんでそんなことを私に聞くの……?」
「さあね。アレンも、よく似たようなことを言っていたから」
アレンは愛を知りたがっている。
この子が欲しがるのは、自分の命だけなのか。
「……番になる前段階でしょう? でも……私にはまだ、そういうのは分かりません。私はただ、死にたくない。だから強いお父様に従う。単純なことです」
やっぱり、そこへ戻る。
「……たくさん人を殺したのに?」
リリアの震えが止まった。
「そうですよ。魔族には罪悪感も悪意もない。……それが、人間には許せないのでしょうか」
殺した人間の命には、何も感じない。
自分の命だけは、失いたくない。
「なら、なんでそこまでして生き残りたいの?」
「……命を捨てようと思うほど、私はまだ十分に生きていない。だからです」
誰かと離れたくないとは言わなかった。
やり残したことがあるとも言わなかった。
ただ、まだ足りない。
人間の命を奪ったことと、自分が生き足りないことは、リリアの中ではぶつからない。
身勝手で、魔族らしい。
それなのに、命乞いのために泣いたあの子と、同じには見えなかった。
「……『生への渇望』……。魔族がね……」
「え~~と」
シュタルクが、私とリリアのあいだへ顔を出した。
「リリア。フリーレンはいつもこんな感じだからさ、気にすんなよ」
その手が、リリアの頭へ載る。
リリアは払い除けなかった。
「……魔族だって……絶望して泣くくらいなら、笑っていたいですよ」
魔族の笑顔に意味を求めるな。
何度も見てきた。笑うことも、泣くことも、あいつらにとっては人間を欺く道具だ。
さっきまでなら、そう答えていた。
けれど、言葉が出てこなかった。
シュタルクの手は、まだリリアの頭にある。
リリアも、そこから逃げようとはしなかった。
杖へ添えていた指を離した。
信じたわけではない。
ただ、今すぐ殺す理由を探すのはやめよう。ヒンメルならそうするだろうから。
◇◇
――リュグナー――
アウラ様のもとへ戻ったとき、私は何を報告すればいい。
不戦条約を結びました。
グラナト伯爵を説得しました。
肝心のアレン卿が現れたあとは、シュライン殿に主導権を奪われ、見張りを付けられて城へ残されました。
そんな報告ができるものか。
「シュライン殿は、何を考えている!!」
「これでは、何のために我々がここまで来たのか分からないではないですか!!」
カタウは壁際で腕を組んだまま、返事すらしない。
こいつは知っている。
私がグラナト伯爵の前で言葉を重ねるたび、シュライン殿の一言で流れを奪われたことも。アレン卿を前に何もできず、最後には見張られる側へ回されたことも。
黙って立たれているだけで、そのすべてを眺められている気がした。
「私は道化を演じるために、ここへ来たのではない! ……いっそ、アレン卿のいない隙に、この街を私が内側から崩壊させて……!!」
このまま待つよりはいい。
結界の内側から町を落とせば、アウラ様も私の失態だけをご覧にはならない。
「……フリーレンに勝てるとでも言いたいのか?」
足が止まった。
勝てるか。
昨日、あのエルフが向けた魔力を思い出す。まともにぶつかれば、私が先に消される。
「それは……貴方が彼女を抑えれば……!!」
「俺は、シュラインの指示どおりにするだけだ。……余計な真似はするな」
また、シュライン。
あの女の名前一つで、私の手柄が消えていく。
言い返そうとしたとき、カタウが窓へ顔を向けた。
「……む?」
遠くで建物の崩れる音がした。
城下の一角から黒煙が上がり、その下で赤い炎が屋根を舐めていた。通りから悲鳴が聞こえる。火から逃げる人間たちが、我先にと広場へ雪崩れ込んでくる。
「火事……ですか?」
頬が緩んだ。
これなら、私が始めたことにはならない。
人間たちが炎へ気を取られているあいだに門を閉じる。フリーレンをカタウへ押しつけ、逃げ場を失った人間を私が仕留める。
アレン卿の留守にグラナト領を落とした魔族として、アウラ様の前へ戻れる。
「そのようだな。…………行くぞ」
カタウが壁から背を離した。
やはり、この男も同じものを見たらしい。
指先を切り、滲んだ血を空中へ引き上げる。
「ハッ! 火事に乗じて、パニックになったここを潰すのですね!!」
「……『救助』が必要なら、救助だ」
浮かせた血が指へ落ちた。
「………………は??」
カタウは冗談を言わない。
聞き間違いであってほしかった。
「お前の血の魔法なら、火元の酸素を奪って消火するのも容易かろう」
「待ってください。なぜ、我々が人間の火事を……!」
扉を開け、廊下へ出た。
「弱者を守るのが、人間の道理だ。シュラインが戻るまでに、人間の『信用』を稼いでおくに越したことはない」
信用。
グラナト伯爵の顔が浮かんだ。
息子を殺したことへ頭を下げ、これからの行動を見てほしいと告げたとき、あの男は拳を握ったまま私の言葉を聞いた。
ここで人間を救えば、あの謝罪は言葉だけではなくなる。
伯爵は、我々が変わろうとしていると信じる。
その信用を利用すれば、次はもっと深く入り込める。
そうだ。
これは救助ではない。
シュライン殿が、人間を助けたいはずなどない。
「………なるほど。分かりやすく我々を信用させて、油断させると……」
ようやく笑えた。
カタウは振り返らない。
「シュラインなら、そうする」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
リリアを見極めようとするフリーレンと、人間を「救助」することになったリュグナー。
魔族たちの変化が本物なのか、それとも別の何かなのか、感想をいただけると嬉しいです。