偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
人間と魔族が本当に共存するなら、守るべき約束は魔族側だけのものではありません。
――アルト――
天秤がない。
腰にも、背にもない。両手も空だ。
見落としたかともう一度目を走らせたが、やはりない。
「シュライン、リュグナーはどうしたの?」
リュグナーのことを訊いているくせに、見ているのはアレンだ。
リュグナーの居場所など、最初からどうでもいいらしい。
「街に残してきたわ。彼にはカタウをつけているから、不自由はしないでしょう」
返事も随分と軽い。
「私は、なぜリュグナーの代わりにアレンが来ているのかを聞いたつもりだったんだけど」
やっぱり、聞きたいのはそっちか。
「魔族らしくない遠回りな言い方ねぇ。そんなの、私に分かるわけないじゃない」
怒るかと思った。
だが、笑っているのはシュラインの方だ。
アウラがこいつらの親玉だと聞いていたはずだ。
親玉。
本当にそうか?
俺がアレンへ同じ口を利けば、まず言い返される。次に言い返す。最後は喧嘩になる。
いや、あいつとの話はどうでもいい。
少なくとも、シュラインはアウラの機嫌を取る気がない。それだけは分かった。
「隣の領地でお前が動いていると聞いたものでな」
柄を握る指へ力が入った。
一歩出ただけだ。何を身構えてる、俺は。
「魔族と人間が和睦するなど、実に喜ばしいじゃないか。……まかり間違っても、人間を欺くつもりではないと信じているが……な?」
笑っている。
俺と話すときと同じ、腹の立つ笑い方だ。
アウラの顎が上がった。
それで怯えを隠したつもりか。
「な、何を言っているの? 私は魔族よ? そんな回りくどいことをするわけがないじゃない。……騙すなら、もっと単純にするわ」
それは騙さないという答えになっているのか。
隣で伯爵が僅かに眉を動かした。俺だけが引っかかったわけではないらしい。
「そうですわね。……アウラ様、今回のグラナト伯爵との交渉は、このようにまとまりました」
「一、不戦条約の締結。二、大魔法使いフランメの防御結界の解除は『なし』。三、人間と魔族の交流事業については、これから協議を重ねる。……以上ですわ」
「やっぱり怒る」
「しっ……!」
遅えよ。もう全員に聞こえてる。
怒鳴るなら、ここだ。
俺なら怒鳴る。
結界を解かせるために送り込んだ奴が、結界を残すと決めて帰ってきた。しかも本人を前にして、悪びれる様子もない。
来る。
そう思った途端、目だけがアレンへ逃げた。
「い………いいえ……っ! よ、良くやってくれたわ……。私の主目的は、あくまで『不戦条約』よ……」
怒鳴り声の代わりに、妙に高い声が出た。
ああ。
この女、本当にアレンが怖えのか。
軍勢を丸ごと消されたという話は、少なくとも嘘じゃなさそうだ。
アレンの力を知っているのは俺も同じだ。
分からなくはない。
分かりたくもないが。
「……でもね……? 結界が張られたままなら、交流事業も何もないのでは……??」
よく言い切った。
目の前で笑みを深くされているとも知らずに。
「それは確かに、一理ありますわね」
「ならば、俺の娘のリリアに施したのと同じ『契約魔法(アイトゼーゲル)』を結ぶのなら、結界を通してもよいぞ?」
指先に浮かんだ金色の線を見た途端、首筋がむず痒くなった。
あの魔法か。
リリアの首へ、黒い鎖が沈んでいった光景が浮かんだ。
破れば死ぬ。
あんなものを自分へかけろと言われりゃ、俺だって笑い方くらいおかしくなる。
「ふ………ふふふ………ふふへへへへ……」
「アウラ様が壊れた。気持ち悪い」
「しっ……!!」
今度は塞ぐのが早かった。
あいつも大変だな。もう手遅れだが。
「い………いいわよ……!? で……でででで、でもよ!? 私は………えっと……人間から恨み?? を買ってる?? わよね!? もし私が一方的に害されそうな時に、何も……もももも、何もできないの!?」
「いや……『正当な自衛』であれば可能だぞ?」
「まあ、過剰防衛だと判断されれば、契約が反応して即座に死ぬかもしれないがな」
「どこからどこまでが『正当な自衛』よぉぉぉっ!!?」
耳が痛え。
俺だけじゃない。魔物どもまで身を伏せている。
俺だって同じ条件なら聞く。
斬りかかってきた相手の腕を落とせば自衛で、首まで落とせば過剰なのか。腕を落としてもまだ魔法を撃てる奴ならどうなる。後ろに仲間がいたら、そいつが杖を上げるまで待たなければならないのか。
自分の首が懸かっているのに、「だいたいこの辺」で頷けるか。
俺なら御免だ。
「流石はアレン卿!! 実によい条件ですわ! 私もその契約、喜んで誓いましょう!」
何を喜んでやがる。
「何?」
珍しく、アレンと考えが合った。
今の話を聞いていたのか。
「嘘」
「え……っ!?」
驚くのはアウラじゃなく、ドラートの方かよ。
「……すごいですね。迷いなく受け入れるなんて……」
フェルンまで真に受けてる。
待て。
こいつが、何も考えずに自分の首へ縄をかけるはずがない。
「ただし」
やっぱりな。
「アウラの言うように――」
「呼び捨て!!?」
「――アウラの小娘が言うように、人間側からの悪意や一方的な攻撃が契約の対象外というのは、あまりに不公平ですわ」
今度は小娘まで付いた。
呼び捨てより悪くなってるぞ。
だが、今度は抗議の声も出ないらしい。
「よって、契約の適用範囲を厳密に明文化することを求めます。グラナト伯爵、いかがでしょうか? 契約の内容が曖昧なままでは、我々は街に入った瞬間に無抵抗で殺されてしまいます。それでは『対等で平等な条約』から逸脱するのではありませんか?」
「…………当然だ。人間側から騙し討ちにするような卑劣な真似は、魔族に言われるまでもなく儂が許さん」
声は揺れなかった。
アウラを目の前にして、か。
この爺さんまで大したものだ。
「では、まず魔族側の契約事項」
「一、人間を『自衛』以外で害さない。二、人間を食料としない。三、人間を騙さない。……これらを絶対遵守といたします」
あの小娘へ課したものと同じか。
ここまではいい。
「そして、問題の『自衛』の定義についてですが――」
「一、敵対者の『敵対の意思』が確認できなくなるまで、を自衛の範囲とする。なお『敵対の意思の喪失』とは、対象の戦闘能力の喪失、または敵対行為の明確な終了のいずれかを意味する」
腕を落としても魔法を撃つ奴なら、まだ自衛。
武器を捨て、攻撃をやめれば、そこで終わり。
「二、敵対者が『殺害の意図』を持って攻撃したと我ら魔族が判断した場合に限り、敵対者本人への殺害を許可する」
殺すつもりのない相手は殺せない。
だが、判断するのは魔族側か。
それでは、殺す気だったと言い張れば――。
いや。
『言葉の隙を探しても無駄だ』
あの村で、アレンが小娘へ言った声が蘇る。
なら、言い張るだけでは通らねえ。
「三、敵対者の家族等に対する、連座した報復行為は一切認めない」
本人だけ。家族へ手を出せば、理由が何であれ契約違反。
「四、この際、殺害の意図を持って攻撃してきた敵対者については、『人間』という保護対象の種族として認識しない」
そこまで聞いて、ようやく息を吐いた。
言葉は長い。
だが、やろうとしていることは分かる。
殺されそうになった魔族へ、死ぬまで無抵抗でいろとは言わない。ただし、止まった相手も家族も殺すな。
少なくとも、好きに人間を殺せる条件じゃない。
「そして……人間側にも同等の契約を課していただきます」
「グラナト伯爵に対し――一、配下の人間および領民に対し、魔族を『自衛以外で害さない』よう命令すること。二、魔族を『騙さない』よう命令すること。三、人間側に命令違反があった場合、被害の対象が魔族であっても、人間の法律に則り厳格に処罰すること」
伯爵もアレンも止めない。
ここまで聞かせる気か。
「……なお、魔族が人間の街で法を犯した場合も、人間と同じ法律の条項を適用し、処罰するものとする」
なるほどな。
魔族だからというだけで、勝手に斬るな。
罪を犯したなら、人間と同じに裁け。
シュラインたちには盾になる。
……いや。盾だけじゃねえ。
同じ法で守れと言ったぶん、同じ法へ縛られる。魔族だから人間の決まりなど知らねえ、では済まなくなる。
守られる代わりに、自分から首輪もつける。
それが、こいつの言う平等か。
気づけば、柄を握る力が抜けていた。
信用したわけじゃない。
今も目の前にいるのは、人間を食う魔族だ。
だが、人間と同じ法で裁かれろと言われて、自分から頷く魔族を俺は知らない。
「……これで、いかがかしら?」
どこまで本気だ。なら、署名させりゃいい。
口だけなら、あの鎖は閉じねえ。
「……………い………いい………わよ?? べ、べつに……へ、平和的で……平等?? な話…………じゃないの……??」
その顔で「いい」と言うのか。
頭を抱えたまま、口の中で何かを数えている。
今から一つ目へ戻ったらしい。
「アウラ様、何一つ理解できていない。たぶん」
まったくだ。
「しっっっ!! 余計なことを言うな!!」
リーニエの頭で、ぱしんと音がした。
叩く相手が逆だろ。
まだ口だけ動かしてやがる。
本当に、何一つ分かってねえらしい。
斬り合いなら話は早かった。向かってくる奴を斬ればいい。
だが、シュラインが持ち出した理屈は、俺の剣じゃ斬れねえ。
柄から手は離しても、こいつから目まで離す気にはなれなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
魔族も人間も、同じように守られ、同じように縛られる。
シュラインの提示した「平等」と、それを受け入れようとするアウラたちについて、感想をいただけると嬉しいです。