偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
街へ残ったフリーレンが目にしたのは、彼女の知る「魔族」とは少し違う光景でした。
――フリーレン――
黒煙が上がってすぐに、城の客室から二つの魔力が離れた。
カタウとリュグナー。
「火事だ………!! 街じゅうが燃えてるぞ……!!」
「それもそうだし、魔力が動いた」
あの二人が、人間を助けるために動いたとは思えない。
「この隙に乗じて、街を内側から襲うつもりだね。……行こう、シュタルク」
「お、おお……!!」
屋根を蹴る直前、背後から小さな声がした。
「あ、あの……私は!? 私はどうすれば……!?」
昨日、今すぐ殺す理由を探すのはやめた。
見つけても殺さないとは決めていない。
「お前は私の後ろについてくるように。……余計な真似をしたら、即座に殺す」
「……聞かなければ良かったなぁ……!! 逃げ出したい……!!」
聞こえている。
けれど、逃げないならそれでいい。
煙の濃い方角へ飛び降りた。
◇◇
魔力の主を見つけたとき、杖はもうそちらを向いていた。
「『血を操る魔法(バルテーリエ)』――」
赤黒い血が、幾筋もの刃へ変わる。
撃たなかった。
血の刃は人間へ向かわず、崩れた梁と石壁の下へ潜り込んだ。持ち上がった瓦礫の隙間から、潰れかけていた男が這い出してくる。別の刃は倒れた壁を支え、その下を母親と子供が走り抜けた。
「リュグナー、右の建物内に子供が取り残されている」
「わかりました」
「……『助ける』のだぞ? 食うなよ」
「……………わかっております」
念を押さなければ食べるのか。
やっぱり殺した方がいい。
そう思ったのに、次に杖を向ける場所がない。
大剣が動いた瞬間、杖へ魔力を集めた。
「はあッ!!」
風圧は、伏せていた人間の頭上を通り過ぎた。
吹き飛んだのは、道を塞いでいた瓦礫だけ。
力任せに見えて、随分と細かい。
「ひっ……魔族……ッ!?」
「あちらが安全だ。家族は皆、避難を完了したか?」
「は………はい……っ……」
「た、助けてください……!!」
人間の方から、魔族の脚へ縋りついた。
「二階に、子供がまだ取り残されていて……!!」
「承知した」
石畳が割れた。
家を壊すつもりかと思ったが、カタウの姿はもう二階の窓へ消えていた。
戻ってきた腕の中で、子供が泣いている。
火傷はない。
杖へ集めた魔力を解いた。
母親が抱き取ると、子供の泣き声がさらに大きくなった。
カタウは礼を聞き終える前に、次の家へ歩き出した。
今のところ、撃つ理由を作らない。
「……………あいつら、普通に命がけで救助活動をしてるけど……」
シュタルクの声から、さっきまでの怯えが消えている。
私の杖は下がらなかった。
「………おかしいね。何か裏があるはずだよ」
「裏っていうか……シュラインの命令だからですよ!!」
「あの女に逆らったら何をされるか分からないから、怖いんですー!」
それなら理解できる。
強い魔族に従う。逆らえば殺されるから、人間を助ける。
善意ではない。
母親は、なぜ助けたのかを聞こうともせず、何度も頭を下げている。
……気に入らない。
「………まあ、そうかもね」
今は火を消す方が先だ。杖を空へ向けた。
「――『激しい雨を降らせる魔法(レーゲンガルド)』」
光が黒煙を貫き、その上で雨雲が膨らんだ。
一滴目が額へ落ちる。
次の瞬間には、通りの向こうが見えなくなった。
炎が一斉に白煙へ変わる。屋根を舐めていた火も、燃え落ちかけていた梁の火も、雨に叩かれて消えていく。
「すげー!! 一瞬で火が消えたぞ!!」
「ふふん」
完璧だ。
「……って、ちょっとフリーレンさん!?」
リリアの声が、雨音に負けない大きさで飛んできた。
「雨が強すぎませんか!? 排水が追いつかなくて、土砂崩れみたいになってますよ! 早く止めてください!!」
足元を見る。
くるぶしまで水が来ていた。
石畳の傾斜へ集まった濁流が、消したばかりの家から木材を攫っていく。水はまだ増えている。
少し強すぎたらしい。
「……これは発動すると、しばらくやまないんだ」
「おいッ!! 大丈夫か、みんなー!! 流されるなーッ!!」
シュタルクが濁流へ飛び込み、流れてきた柱を両腕で受け止めた。
「ええい、もうっ! 『一般攻撃魔法(ゾルトラーク)』!!」
私の後ろで震えていたはずのリリアが、その横へ駆けていく。
放った光が木材だけを砕いた。二発、三発。人間のすぐ脇へ落としているのに、一度も掠めない。
「これで瓦礫を粉砕して、逃げ道を確保します! 皆さん、こっちへ逃げてー!!」
契約は、人間を傷つけるなと命じる。
助けろとは命じていない。
「……………失敗しちゃった……」
「フリーレン!!」
濁流の中でも微動だにしないカタウから、怒鳴り声が飛んできた。
「貴様は何をやっている!! 火を消すどころか、水害で人間たちを殺す気かッ!!」
魔族に、人間を殺す気かと叱られた。
長く生きていると、珍しいこともある。
「おやおや……立場が完全に逆になってしまいましたね」
血で作った傘の下から、リュグナーが笑っている。
あいつはあとで殺そう。
「仕方あるまい……」
「『雨雲を散らして空を晴らす魔法(ヴォルケンリース)』――ッ!」
雨が途切れた。
空へ抜けていく魔力を追ったところで、顔を上げた。
知っている。
雲へ入る位置も、散らす順番も、アレンの魔法と同じだ。
「驚いた………。アレンが昔使っていたのと……全く同じ魔法……」
なぜ、カタウが使える。
答える者はいなかった。
◇◇
消火が終わっても、負傷者は消えない。
広場へ運び込まれた人間が、敷き詰めた布の上で呻いている。火傷。裂傷。骨折。泥水を吸い込んだ者もいた。
火によるものだけではない。
私の雨のせいで増えた怪我も、少しある。
少しだけだ。
「よし、添え木はこれで固定できたぞ……!」
「傷口の泥を水で洗い流して……! フリーレンさん! 傷口の消毒をお願いします!」
足元へ水桶が置かれた。
リリアが必要なものを口にするたび、町の人間がそれを運んでくる。
消毒なら、私にもできる。鞄から大瓶を取り出した。
「うん。……この、『ものすごく強い酒』を傷口にぶっかければ……」
瓶が手から消えた。
「やけどや裂傷に、そんな強い酒を直接ぶっかけたらショック死しちゃいます!! 消毒って言ったら、魔法で優しくやるんです!!」
ちゃんと消毒はできる。
少し痛いだけだ。
「………わかった」
「……フリーレンさん、もしかして女神様の治癒魔法は使えないんですか??」
「……私、僧侶じゃないから……」
魔法使いだからといって、すべての魔法を使えるわけではない。
それに、この酒は高かった。
「止血程度なら、私のこの魔法でなんとかなるな……」
赤い膜が、負傷者の裂けた腕へ貼りついた。
リュグナーの血だ。
杖へ手を伸ばしかけたが、流れていた血は本当に止まった。傷口へ入り込む魔力もない。
人間へ向けた血の魔法を見て、撃たずに終わるのは今日だけで二度目だ。
嫌な日だ。
「道を空けてくれ!!」
担架が運び込まれてきた。
載せられた青年を見て、周囲の声が消える。
両脚がない。右腕は骨まで焼け、残った皮膚もほとんど黒く変わっていた。胸は僅かに動いている。それも、次が最後になりそうなほど遅い。
「おい………おいッ!! しっかりしろ、目を開けろ!!」
「こ、これは……あまりに酷すぎる……!!」
「右腕は骨まで黒焦げ、両足は完全に吹き飛んで欠損……全身の皮膚もほとんど残っていません……! 私の治癒魔法では、もう……!!」
僧侶でなくても分かる。
青年の内側から、魂の気配が薄れている。
「これは………手遅れ……だね……。もう魂が肉体を離れかけている」
「……俺に任せろ」
カタウが担架の前へ膝をついた。
止めるために、杖を構えた。
このままなら、どちらにせよ死ぬ。
指が止まった。
「何をする気……? 一思いにトドメを刺して楽にしてやる、とでも言うんじゃないでしょうね」
青年の胸へ両手がかざされる。
「『他者の肉体を完全な状態へ戻す魔法(ハイレニール)』――」
白い魔力が青年を包んだ。
女神様の治癒魔法ではない。
傷口を塞いでいるのでも、失われた脚だけを作っているのでもなかった。魔力が肉体の隅々まで入り込み、壊れる前の形を探している。
黒く焼けた皮膚が剥がれ、その下から新しい肌が現れた。
欠けた脚の断面から骨が伸びる。筋肉がそれを覆い、血管と皮膚が続く。右腕も同じだった。
時間を戻しているように見えた。
違う。
この魔法は、肉体が本来持っていた形を読み取り、そこへ戻している。
止まりかけていた心臓が、大きく一度跳ねた。
もう一度。
三度目には、離れかけていた魂の気配が身体へ沈んでいく。
「お………俺は……いったい……!?」
「痛みが……ない……!?」
「良し。死んでいなければ治る」
「次は重傷の人間から回る。……案内しろ」
「は………はいッ……!! こちらです、どうかあの方たちも……!!」
僧侶の両手が、祈るときと同じ形に重なった。
おかしい。
祈りを向ける相手は、女神様だったはずだ。
「魔族なのに……人間を助けてくれたのか……?」
「まるで、ガルドのアレン卿のようだ……」
「そうだ……。魔族の中にも、アレン卿のように心優しく慈悲深い方がいらっしゃるんだ……!」
精神を操る魔法を探した。
ない。
今の言葉を聞いて、自分で頷いている。
「……………まずいかもしれない」
「え?」
「さっきの土砂降りで街の人を殺しかけたから、怒られるの……? ぎゃあああっ!!?」
言い終える前に、杖を向けた。
『一般攻撃魔法(ゾルトラーク)』
リリアが頭を抱えて伏せ、光が背後の壁を消し飛ばした。
「………外したか」
「今の完全に殺意の籠もったゾルトラークだったよね!? 死ぬかと思ったーッ!!」
契約があるとはいえ、調子に乗らせるのはよくない。
杖を下ろし、救護所へ目を戻した。
カタウの前には、もう次の負傷者が横たえられている。
また白い魔力が広がった。
潰れていた腕が戻る。次に運ばれてきた人間は、焼けた目を開いた。
治ったのに、誰も救護所を離れない。
「いやはや………カタウ様、本当にありがとうございます……!!」
「ありがとうございます……! なんとお礼を言えばいいか……!!」
さっきまで「魔族」と叫んでいた人間が、もう「様」をつけている。
「礼には及ばん」
「……これは、我が配偶者たる『蒼き智謀のシュライン』の差配によるものだ。感謝を捧げるならば、すべて彼女にするように」
「配偶者……? 妻ってことか……」
「魔族にも、互いを思いやる夫婦の絆があるのか……」
「アレン卿も、四百年前に人間の女性を妻に娶っていたと聞く……。やはり彼らも、理解し合える存在なんだ……!」
違う。
カタウが口にしたのは、「配偶者」という呼び名だけだ。
愛しているとは言っていない。
「カタウ殿……配偶者とは一体何です?」
リュグナーが、本人へ小声で尋ねた。
「貴方、シュライン殿と人間の真似事をして、婚姻を結んだのですか?」
「知らん。シュラインが他人に俺を紹介するとき、いつもそう言うから真似て口にしているだけだ」
「……………なるほど」
意味さえ知らなかった。
「夫婦の絆」と言った男を見る。
カタウの答えを聞いたあとも、頷くのをやめなかった。
リュグナーの口元が上がる。
杖を向けかけた。
その「なるほど」は、嫌いだ。
◇◇
「カタウ様、次はこちらです」
また、その呼び方が聞こえた。
少し前まで聞こえていたのは、「魔族」という悲鳴だった。
「……………これは、ものすごく危険なことだよ」
「どういうことだ? フリーレン」
シュタルクは、折れた戸板を担いで戻ってきたところだった。
「カタウの旦那は……本当は良い奴だった、って話じゃないのか?」
「そうじゃないよ、シュタルク」
「カタウは、人間を助けたいとは一度も言っていない。助かって嬉しいとも言っていない。シュラインの命令に従っただけだよ」
「でも……助けたことは、本当だろ?」
「うん。それが脅威なんだよ」
嘘なら見抜ける。魔法なら解ける。
でも、あの青年の脚が戻ったことは消せない。
「カタウは、『配偶者』の意味さえ知らなかった。それでも、あの人たちは『夫婦の絆』があると言った」
「……勘違いしただけじゃないのか?」
「その勘違いを、誰も訂正していない。カタウも、もう次の人間を治している」
白い魔力が、また救護所の中で膨らんだ。
「カタウは何も変わっていない。少なくとも、私にはそう見える」
「なのに、人間の方がカタウをアレンと同じだと思い始めている」
杖を握る指へ力が入った。
「これは…………魔族が『魔族の論理』を変えないまま、人間社会へ入ってくるやり方だよ」
「力で人間を滅ぼそうとした魔王なんかより……よっぽど性質が悪いよ」
返事をしないカタウへ、また別の人間が「カタウ様」と呼びかけた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
人間を理解していなくても、人間を救うことはできるのか。
カタウたちの行動と、それを目の当たりにしたフリーレンについて、感想をいただけると嬉しいです。