偽りの聖者と枯れぬ羨望   作:かなりゆっくりめ

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今回は、アレンが正体を明かしてから、勇者の時代を迎えるまでのお話です。

三百八十年をかけて築かれた町と、変わらぬ魔族の行く末をお楽しみください。



虚実の聖域、そして勇者の時代へ

広場に集まった人間たちは、俺の角を見て声を失っていた。

見慣れた顔に恐怖が浮かび、親たちは子供を抱き寄せている。

 

予想どおりの反応だった。

 

「皆、聞いてくれ! アレンは魔族だ。それは事実だ!」

 

「だが、こいつが俺たちを殺すつもりだったなら、とっくに町は滅びている! 一年なら気まぐれだったと言えるかもしれん。だが十五年だ! 十五年間、アレンは俺たちと暮らし、この町を守ってきた!」

 

ガルドは、俺が助けた人間たちの名を挙げた。

魔物に襲われた商人。吹雪の中で行方不明になった子供。

流行病に苦しんだ住民。洪水で家を失いかけた家族。

 

俺自身が忘れていた者まで含まれていた。

人間は、受けた恩を長く記憶しているらしい。

 

「アレンは俺の相棒だ! カルラとルカにとっては家族だ! この町を救った英雄だ! 魔族だと分かっただけで、十五年間のすべてが嘘になるのか!?」

 

誰も答えなかった。

どうやら、最後の説得は俺自身が行う必要があるらしい。

 

「皆を騙していたことは謝罪する。俺が魔族だと知れば、恐怖する者がいることも分かっていた。だから隠していた。俺はこの町で、皆と同じように暮らしたかった」

 

嘘ではない。

目的を説明していないだけだ。

 

「受け入れられない者がいることも理解している。俺が去ることを望むなら、それに従おう。ただ、最後に一つだけ信じてほしい。俺はこれまで一度も、この町の人間を傷つけていない。これからも傷つけるつもりはない」

 

「俺にとって、ここは故郷だ」

 

最初に木こりが「俺は残る」と言った。

それに救われた者たちが、一人ずつ続いた。

 

やがて拍手は、広場全体を包んだ。

 

恐怖が完全に消えたわけではない。それでも人間たちは、俺が魔族であるという事実より、積み上げた記憶を選んだ。

 

「騙されるな!」

 

人垣の後方から、炎が放たれた。

町へ来たばかりの若い魔法使いだった。

 

俺は片手で炎を消し、二発目を撃とうとした腕を掴んだ。

 

「放せ! 人食いの魔族が!」

 

「君が恐れるのも無理はない。俺も、魔族が人間に何をしてきたかは知っている」

 

「だが、俺は君を殺さない。しばらくこの町で暮らしてみるといい。それでも俺を討つべきだと思ったなら、そのときに改めて話をしよう」

 

「何を話すっていうんだ! お前は魔族だぞ!」

 

「そのとおりだ。だからこそ、言葉を交わす必要がある」

 

魔法使いを責める声が上がった。

この町を守ってきた俺と、今日来たばかりの魔法使い。

どちらを信用するか、彼らの中ではすでに結論が出ていた。

 

「安心してくれ。俺はこの町を守る。君も、この町にいる限りは俺が守ろう」

 

驚いた。

多少の混乱は想定していたが、問題と呼べるものはほとんど起こらなかった。

 

人間は魔族という種族を恐れながら、目の前にいる一個人への信頼を優先できるらしい。

 

積み上げた時間。

受けた恩。

共に過ごした記憶。

 

それらが人間の判断を変える。

ここは、俺にとって最高の実験場になる。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

正体が明らかになってからも、町の暮らしは変わらなかった。

 

最初の数年は、俺とすれ違うたびに足を止める者もいた。

子供を近づけたがらない親もいたが、その子供が魔物に襲われた際に俺が助けると、態度を変えた。

 

町の外から訪れた者が俺を恐れれば、住民が説明した。

 

『アレンはほかの魔族とは違う。この町を何度も救った。妻を亡くしてからも町に残り、皆を守り続けている』

 

同じ話が繰り返され、俺の正体は秘密ではなく、この町の誇るべき歴史となった。

 

ガルドは何十年も町長を務めた。

 

ルカは成人し、結婚して子供を作った。俺はその子供からも叔父と呼ばれ、次の世代が生まれると大叔父と呼ばれた。

 

俺の姿だけは変わらなかった。

 

ある冬、ガルドが寝台から起き上がれなくなった。

かつて大剣を振り回していた腕は細くなり、俺の手を握る力もほとんど残っていない。

 

「……アレン」

 

「ここにいるよ、ガルド」

 

「俺も、随分と年を取ったもんだな」

 

「初めて会った頃のお前からは想像できない」

 

「お前は……本当に変わらねえな」

 

寝台の周囲には、カルラとルカ、その妻や子供たちが集まっていた。

 

「覚えてるか。初めて会った日のことを」

 

「覚えている。お前は飲みすぎていたな」

 

「当たり前だろ。気の合う奴と会えたんだぜ」

 

「今でも正しい判断だったと思う」

 

「俺は馬鹿だからな。お前が何を考えてるのか、最後まで全部は分からなかった」

 

呼吸が浅くなっていく。

 

「でも、これだけは分かる。お前は俺たちを裏切らなかった。俺の家族も、町のみんなも守ってくれた」

 

「これからも守る」

 

「ああ。頼んだぞ」

 

指から力が抜けていく。

 

「やっぱり、お前は……良いやつだったな……」

 

「お前の目に狂いはなかったよ。親友」

 

ガルドは満足そうに息を吐き、そのまま動かなくなった。

カルラとルカが泣いていた。

俺も涙を流した。

 

この場で求められているのは、親友を失った者の涙だ。長く演じ続けたことで、涙を流す程度なら意識する必要もなくなっていた。

 

ガルドの胸の上で両手を組み、冥福を祈った。

 

心臓は、いつもと同じ速さで動いている。

魔力にも変化はない。

 

最も長く関係を維持した人間だった。その死を看取っても何も起こらないのであれば、友情だけでは人間の力を再現できないらしい。

 

数年後にはカルラも死んだ。

ルカも老い、子供と孫に囲まれて寿命を終えた。

 

そのすべてを見送った。

 

何度も墓の前で泣き、残された家族を慰めた。

百年が過ぎても、俺は人間になっていなかった。

 

得られた力もない。

ならば、まだ数が足りないのだと考えた。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

二百年が経った頃には、かつての町は城壁に囲まれた都市へ変わっていた。

 

街道の魔物を排除し続けたことで商人が集まり、人が増えた。町を離れた者も、やがて家族を連れて戻ってきた。

 

生まれた子供を祝福し、病気になれば薬を与え、危険が迫れば守った。親を失った子供を引き取り、魔法を学びたい者には教えた。

 

俺を友人と呼ぶ者。

師と呼ぶ者。

父や祖父のように慕う者。

 

ガルドの時代から町を守ってきたと教えられ、物心つく前から俺を信じている者まで現れた。

 

町の外から俺を殺しに来る者も絶えなかった。

 

曰く魔族が人間の都市を支配している。

住民は魔法で操られている。

何百年も善人を演じ、人間を食べる機会を待っている。

 

彼らはそう主張した。

 

俺が説得するまでもなく、町の人間たちが反論した。討伐者が武器を抜けば衛兵が捕らえ、俺が寛大に釈放する。そのたびに、住民からの信頼は強くなった。

 

討伐者の中には、俺より強い者もいた。

 

大魔法使いゼーリエ。

そして、フリーレンという名のエルフ。

 

フリーレンが初めて町へ来たとき、俺は話し合いを提案した。

 

彼女は応じなかった。

魔力の扱いも、魔法を発動する速さも、それまで戦った魔法使いとは比較にならない。

俺は広場まで追い詰められ、石畳に血を流した。

 

「これで終わりだね」

 

その前に、町の人間たちが立ちはだかった。

衛兵に続いて商人や職人が並び、子供を抱いた母親や、杖をついた老人まで俺の前へ出た。

 

「退いて。そいつは魔族だよ」

 

「知っています」

 

フリーレンの攻撃が止まった。

 

「分かっていて庇うの?」

 

「アレン様は、私たちの町を二百年も守ってくださいました。魔族であろうと関係ありません」

 

「魔族は人間の言葉を使って騙す。あんたたちが信じているものは、全部この魔族が作った偽物かもしれない」

 

「それでも、助けられた命は本物です」

 

殺すなら自分たちを先に殺せ。

誰かが叫び、多くの人間が続いた。

 

誰も武器を持っていない。フリーレンへ勝てると思っている者もいない。

それでも彼らは逃げなかった。

 

「皆、退いてくれ。俺のために命を懸ける必要はない」

 

「アレン様は黙っていてください! 今まで私たちが何度助けられたと思っているんですか!」

 

叱られた。ああ、羨ましい。

 

「こうなることも計算していたの?」

 

「何のことだ?」

 

「その顔。誰が死んでも困らない顔をしている」

 

理解できなかった。

適切な表情を作り、声にも住民を案じる感情を込めている。

俺は人間が羨ましい。

 

「俺は皆を愛している。だから傷つけたくない」

 

「魔族は、本当にくだらない嘘をつくね」

 

杖を下ろした。

 

「今ここでお前を殺せば、この町は壊れる。だから今日はやめる。でも、お前が一人でも人間を食べたら、今度こそ殺す。何人に庇われても関係ない」

 

「約束しよう。そのような日は来ない」

 

フリーレンが去ると、町の人間たちは泣きながら俺を治療した。

良い傾向だった。

 

大切な人間という変数は、すでに特定の個人へ限定されていない。

町全体が俺を愛し、俺のために命を懸けようとしている。

 

人間が俺を守り、エルフが俺を魔族だと罵る。

どちらが正しいかは重要ではない。

 

この町では、俺を信じる者が正しい。

だからきっと俺は皆を愛している。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

さらに百年が過ぎた。

 

町の中央には、歴代町長の像と並んで俺の像が建てられた。

 

ガルドの像より俺の像のほうが大きかったため、撤去させようとした。しかし住民からの反対が多く、最後には俺が折れた。

 

大通りを歩けば、誰もが俺へ頭を下げる。

 

「おはようございます、アレン様」

 

「今日も町をお守りいただき、ありがとうございます」

 

その日、大通りの先にフリーレンが立っていた。

以前と変わらない姿だった。

 

俺より年上だという話だが、相変わらず感情の読みにくい子供にしか見えない。

 

「久しぶりだね、フリーレン」

 

「まだ、こんなお遊びを続けているんだ」

 

「遊びではない。俺はこの町で暮らしているだけだよ」

 

「三百年も?」

 

「長命な者にとって、不自然な長さではないだろう」

 

「気持ち悪い町にしたね」

 

「随分な言い方だな。ここにいる者たちは幸福だ。戦争も飢饉もなく、魔物に襲われる心配もない。俺は三百年間、一人の人間も食べていない」

 

「そういうことじゃないよ」

 

「では、何が問題なんだ?」

 

「この人たちは、お前を疑う方法を知らない。生まれたときから、お前は善良な守り神だと教えられている。お前が何をしても、正しい理由があると思い込む」

 

「俺は実際に、彼らを裏切っていない」

 

「気持ち悪い」

 

理解できなかった。

町の人間は俺を信じ、俺は信頼に応えている。危険から守り、食料を与え、病気を治し、争いを収めてきた。

 

人間が望む善人を、俺は三百年間、一度も間違えずにいる。

その結果に、何の問題があるというのか。

 

「俺はこの町を愛している。それでは足りないのか?」

 

「その言葉を口にするときも、お前は町の人たちを見ていない」

 

俺の胸を指した。

 

「そこには何もない。三百年前と同じだね」

 

「俺の内面がどうであろうと、彼らが幸福なら問題はないだろう」

 

「そうかもしれない。でも、お前が人間になれる日は来ないよ」

 

「なぜ、俺が人間になろうとしていると思った?」

 

「分からないと思っているところが、魔族らしい」

 

それだけを残し、フリーレンは町を出ていった。

あのエルフが何を見抜いたのかは分からない。

 

それでも、俺がまだ何の力も得ていないことだけは事実だった。

 

ガルドを見送った。

カルラを見送った。

ルカと、その子供たちを見送った。

 

友人も弟子も家族も、数え切れないほど作った。

彼らが死ぬたびに墓を建て、悲しみ、残された者を支えた。

 

誰よりも多くの人間と関係を築き、多くの死を経験した。

それでも俺は、魔族のままだった。

いつか、人間になれるだろうか。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

この町へ来てから、三百八十年が経った。

 

小さな町だった場所には、今や幾重もの城壁と塔が立っている。

大通りを馬車が行き交い、市場には遠方から来た商人が並ぶ。

 

バルコニーから、その光景を眺めていた。

 

「アレン様。北方で魔王軍の動きが活発になっています」

 

今代の町長も、ガルドの血を引いていた。

顔は似ていない。

 

それでも口癖と、考えに詰まったときに鼻を触る仕草は同じだった。

 

「人間側の被害は?」

 

「複数の村が放棄されました。こちらへ避難してくる者も増えると思われます」

 

「西側の空き地を開放しよう。食料は三か月分を無償で配給する。孤児がいれば、町で引き取るように」

 

「承知しました」

 

魔王。

魔族を束ね、人類との共存を掲げている者。

 

俺は魔王軍へ加わらなかった。

 

人間との共存など、俺が三百年以上前から一人で実現している。ほかの魔族と協力する理由も、その思想へ従う理由もない。

 

そもそも、この町に俺以外の魔族はいない。

 

「もう一つ、報告があります。勇者を名乗る者が、魔王討伐の旅を始めたそうです」

 

「勇者?」

 

「ヒンメルという若者です。僧侶ハイター、戦士アイゼン、それからエルフの魔法使いを連れています」

 

「葬送のフリーレンか」

 

「ご存じなのですか?」

 

「昔、少し話をしたことがある」

 

殺されかけたことまで説明する必要はない。

 

「勇者一行は、近いうちにこの町へ立ち寄る予定です。魔法使いは、アレン様を快く思っていない可能性があると先触れの者が心配していました」

 

「構わない。彼女とはすでに話がついている」

 

勇者ヒンメル。

 

人間の中でも、勇者と呼ばれる者は特別らしい。

 

強大な魔物へ挑み、不可能だと思われていた戦いに勝利する。

人間たちを奮い立たせ、時には自らの力を超えた奇跡さえ起こす。

 

俺が三百年以上探し続けてきた、人間の強さ。

 

友情でも、愛情でも、喪失でも得られなかった力。

 

その公式に必要な最後の変数を、勇者なら持っているかもしれない。

 

しかも、その一行にはフリーレンがいる。

 

三百年前から俺を嫌悪し、俺が人間にはなれないと言い切ったエルフだ。

 

「勇者一行を歓迎しよう」

 

「よろしいのですか?」

 

「もちろんだ。彼らは人類のために魔王へ挑もうとしている。この町が協力を惜しむ理由はない。宿泊場所を用意し、必要な物資を確認してくれ。町を挙げて歓迎する。俺が直々に彼らを迎えよう」

 

「承知しました。すぐに準備を始めます」

 

一人になった俺は、活気に満ちた都市を見下ろした。

 

人々がこちらに気づき、手を振っている。

もちろん手を振り返した。

 

三百八十年。

 

人間を守り、育て、老いを見届け、その死を看取ってきた。

 

この町には、俺を疑う者など一人もいない。

 

これだけの時間を費やしても、俺の胸には何も生まれなかった。

 

だが、失敗したとは思わない。

必要な土台は完成している。

 

大切な人間という変数は、すでに町全体へ拡張された。

 

あとは、人間の心が奇跡へ変わる瞬間を見つければいい。

 

勇者ヒンメル。

 

彼が本当に人間の中で最も強い心を持つのなら、その仕組みを解き明かし、俺自身の魔力として再現する。

 

「待っているぞ、勇者」

 

勇者の時代が、俺の町の門を叩こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

城壁が完成した日、俺はこの町に、最初に俺を信じた人間の名を与えた。

 

城塞都市ガルド。

 

それが、今や大陸でも有数の繁栄を誇るこの町の名だった。

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

三百八十年にわたって善人を演じ続けたアレンと、彼を守り神として受け入れた城塞都市について、感想をいただけると嬉しいです。
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