飛行訓練当日である木曜日。
朝から泣きそうな顔で飼っているヒキガエル、トレバーを探すネビルに付き合ってあちらこちらを探し回っていたキースが大広間へたどり着いたのはフクロウ便が到着する直前だった。
「ありがとう、ネロ」
音もなく舞い降りた黒いフクロウ___祖母から贈られ、ネロと名付けたそれは毎日のように何かしらの小包を運んでくる。今日の中身はキースが孤児院時代に好んで食べていた小さなチョコレート菓子だった。
「ネビル、それなんだ?」
メンフクロウが届けた包みからネビルが取り出したのは大きなビー玉くらいのガラス玉だった。
「思い出し玉だ!何か忘れてると赤くなるんだ」
あれれ、と声を漏らしたネビルの手の中の思い出し玉は真っ赤に染まっていた。自分の手の中を見下ろし、何を忘れているのか思い出そうとしているネビルの手をキースの手がそっと下げさせた。
「おっと。見せてほしいなら声をかけろよ、お坊ちゃん」
キースが庇ったことで空振りすることになったマルフォイの手。睨んでくるマルフォイを意に介さず、からかいを含んだ声音でそう言ったキースはこれ見よがしに足を組んだ。従者のようにそばに控えていたクラッブとゴイルが一歩前に出ようとしたのに反応してハリーとロンがはじけるように立ち上がった。
「ちょっと借りるだけだ」
「さあ、それを決めるのはネビルだからな。一声かけるのが礼儀だろ?」
ホー、とキースに同調するかのように一声鳴いてネロが肩に飛び乗った。光を飲み込むような黒髪と黒羽。その奥にのぞく赤と金の鋭さにマルフォイはわずかに怯んだようだった。
「ぼ、僕を馬鹿にしてるのか」
「いいや?お坊ちゃんは世間一般の礼儀に疎いのかと思って。善意さ」
今度こそ明確に顔を赤くしたマルフォイが何か言いつのろうとしたとき、しれっと体を回転させ皿に載せられたクランペットに向き直ったキースの指がピシッと教員席を指さした。つられてそちらを見やったマルフォイの表情がしかめっ面に変わり、クラッブとゴイルを連れて去っていった。
「どうしたんですか?」
「ただの世間話ですよ」
現れたマクゴナガルに何でもないような顔をしていけしゃあしゃあと宣うキースに周囲のグリフィンドール生がニヤッと笑いを浮かべた。
◆
「箒の柄をしっかり握って、ゆっくり地面を蹴るの。そしたら___」
「なぁんとおどろき。空を飛べるんです、だろ。朝から同じこと言ってるぜ、勘弁してくれ、ハーマイオニー」
「でもそれすらできなかったらどうしよう?僕、本当に箒に乗ったことないんだよ!」
「ネビルさんや、俺の育ちをお忘れか?マグル育ちが箒でやることなんて掃除が関の山だろ。だいたい箒に乗れなかったとして魔法界にはそれ以外にも移動手段はあるだろうさ」
時刻は午後三時半。朝から緊張でピリピリした様子のハーマイオニーとネビルに挟まれて延々と同じ話を聞かされていたキースはついに呆れかえって大きなため息を吐いた。
なおも「クィディッチ今昔」の暗唱を続けようとしたハーマイオニーは、短い白髪と黄色い眼でどこか鷹のような印象を受けるマダム・フーチが来たことに気づいて口を閉じた。
「右手を箒の上に突き出して。そして『上がれ!』と言う」
キビキビとしたフーチの掛け声に合わせてみんなが「上がれ!」と叫んだ。
すんなりと右手に飛び込んできた箒を確認したキースはちらりと周囲を見渡した。一発で成功した者は少なく、キースの他ではハリーとマルフォイしかいなかった。こちらを不満げに見たマルフォイの視線は華麗に無視して、キースは目が合ったハリーにニヤッと笑いかけた。
全員が箒を浮かび上がらせるのに成功するのを待った後、授業は本格的に乗り方の指導に移った。
「ネビル、こうだ。ハーマイオニーは力を抜け」
早々にマダム・フーチから合格を貰ったキースは緊張でがちがちの両隣の二人の腕からどうにか力を抜かせようと頑張った。
「さあ、笛を吹いたら地面を蹴ってください。笛を吹いたらですよ」
一、二の___とフーチの号令を待っていたキースは隣から息を吸いそこなったかのような音が聞こえてそちらを振り返った。
「おい、待てネビル!」
止めそこなった手を伸ばしたまま、唖然とした顔でキースはすさまじい勢いで飛び出していったネビルを見送った。
「こら、戻ってきなさい!」
わあぁぁぁ、というだんだん小さくなっていく悲鳴が後を引き、グングン離れていく地面を見下ろすネビルの顔が真っ青になっていくのを見て取った。
「ね、ねえ、ネビル、もしかして高度の下げ方がわからないんじゃ___」
ネビルに負けず劣らず真っ青な顔でキースのローブを引っ張ったハーマイオニーの声にハッと我に返ったキースは、ハーマイオニーの真っ青な顔を見て、次にフーチを見やり、そのことに気づいてなさそうに見える様子に大きな舌打ちを漏らした。
「ちょっと、なにを……」
「緊急事態だ、フーチも大目に見るだろうさ!」
箒に雑にまたがり、片手で体を支える若干不安定な姿勢を維持したままキースは弾丸のような勢いで飛び出した。
視線の先、地上から六メートルほどの高さでついに箒から手が離れ、落下を始めたネビルを見据える。背後に置いてきた誰かの悲鳴が聞こえた。
「クソ!間に合え……!」
猛スピードで落下地点に向かいながら空いている右手でローブをまさぐり杖を引っ張り出す。
「アレスト・モメンタム!」
切羽詰まったキースの大声に応えた杖を放り投げ、目に見えて落下速度の鈍ったネビルの手をつかんだ。
「ぐ、ぅ」
魔法が解け片手で人一人分の体重を支えることになり苦し気な声を漏らしながらキースはゆっくりと高度を下げ、地上に降り立った。
「わ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!あ゛り゛がどう゛!!!」
「ハハッ、きったねぇ顔。ほら、もう泣くなよ」
助かった安心感からかついに涙腺を崩壊させたネビルに勢いよく抱き着かれしりもちをついたキースは、ポンポンとその背中を叩いた。
「ぃってて……ああ、ありがとう、ウィロウ」
空中で投げ捨てた杖を影から飛び出してキャッチしていてくれたらしいウィロウから受け取ったキースはいつものように頭を撫でようとして手首に走った痛みに顔を歪ませた。
「キース、君もしかして……」
「無事ですか、ロングボトム、ゴーント!」
駆け寄ってくるマダム・フーチに気づき立ち上がったキースはささっとローブについた汚れを払った。
「ええ、無事ですよ」
右手を若干背中に隠してそう言ったキースの隣から手が伸び、隠されていた右手を前に引っ張り出した。
「いっっってぇ!なにすんだネビル!」
「まあ、なんてこと……!医務室に行きましょう。ロングボトム、あなたも一緒に来なさい」
医務室という言葉に思いっきり顔を顰めたキースは無事な左手で持っていた箒を近くに来ていたハリーに向かって投げ渡した。
「友人を助けたその勇敢さと適切な魔法の行使でグリフィンドールにニ十点差し上げます」
その言葉に一瞬で機嫌を上向けたキースの足元でしょうがないものを見るようなまなざしでウィロウが主を見上げていた。
◆
医務室に行ったはいいものの、その主である校医マダム・ポンフリーは不在で治療を受けるのに長時間待つ羽目になった。結局彼女が医務室に返ってきたのは夜になってからで、ケガをした本人であるキースよりもよっぽどひどい顔をさらすネビルのためにもおとなしく医務室で校医の帰還を待ち、きれいさっぱり治してもらった手首をプラプラとさせながらキースは言った。
「軽いケガって言ったろ。ポンフリーを待たなくても治ったって」
「でも心配したんだよ!僕のせいでケガしたようなものだし……」
「お前、俺がいなかったらこんなんじゃ済まないレベルのケガしてただろう自覚はあるのか?」
「だから心配してるんだよ!」
「はいはい。治ったんだからもう気にすんなよ。……ん?」
グリフィンドール塔に帰る道中で人影に気づいたキースが目を細めた。数回すれ違った「血みどろ男爵」のせいもあって完全にビビっているネビルが短い悲鳴を上げ、キースのローブにしがみついた。
「……ハリー?ロン?そんでそっちは……ハーマイオニーか?」
キースの声に呼ばれるようにして物陰から出てきた三人に、キースとネビルは目を丸くした。
「キース!手の具合は?」
「ポンフリーが一瞬で治したさ。それで?なにしてるんだお前らは?」
ネビルと話しているロンとハーマイオニーの様子を横目で窺いながらハリーはキースに耳打ちした。
「マルフォイと決闘するんだよ。真夜中、トロフィー室」
「マルフォイと決闘?それもわざわざ真夜中のトロフィー室で?」
キースはまじまじとハリーの顔を見つめた。
「おい、まず間違いなく罠だろ。あいつに決闘を挑めるような魔法の腕があると思うか?」
「それでも行かなきゃ。もし罠じゃなかったとき何を言われるか君も想像つくだろ」
「絶対にあいつは来ないぞ」
「分かってる」
キースはため息を吐いてガシガシと頭をかいた。
「それなら俺は止めない。寮に帰るよ……さすがにもう眠い」
「『太った婦人』なら留守だよ」
「帰ってきてるかもしれないだろ。新しい合言葉は?」
「『豚の鼻』」
「ありがと」
決意の固そうなハリーにもう一度ため息を吐いたキースは話を切り上げた。
「ネビル、行こうぜ。俺はもう休みたい」
「あ、うん。そうだよね」
「ハーマイオニー、お前は?一緒に戻るか?」
バッと集まった視線に思わず一歩下がったハーマイオニーはしばらく悩んだ後、口を開いた。
「……いいえ。私が見届けないと」
「そうか。じゃあ気をつけろよ、三人とも」
ひとつ頷いておやすみ、と一言残してキースはネビルを連れてグリフィンドール塔へ去っていった。