神と呼ばれる者 作:匿名の筆者
俺は人間のことを、とても美しいと思っている。
寿命は百年そこら。人生の大半は燃え尽きる火のように刹那的で、一年が経つにつれて目を丸くするほど急激に成長していく。
『どんな生物でも成長速度を加速させる能力』
『どんな生物でも米が食えるようになる能力』
『どんな生物でも食欲が湧くようになる能力』
『どんな生物でも食べられるようになる能力』
俺には主にこの四つの力があって、これを使って家畜や人間たちを他の厄介な霊的存在から保護してきた。
おかげで、彼らからは神様なんて崇められるようになったわけだ。悪霊の類いは俺が食ってやるし、死人の霊は怪異に囚われることなく、すんなり成仏できるように見守ってやる。
……なんだけれど、俺自身、まったくもって神らしい振る舞いというものがわかっていない。
そもそも、この四つ以外にも力はあるのに、日常で使い道が存在しないのだ。作物につく害虫を駆除させるために鳥へ能力を与えるくらいで……正直なところ、信仰してもらったところで俺が出せるご利益なんてその程度のものである。
それなのに、いつのまにかご利益には尾鰭がついた。
この社で祈れば幸運になるだの、悪霊から安全になるだの、なんなら子孫の代までその効果が続くだの。
大多数の人間が乏しい情報から勝手に想像を膨らませ、噂話として広めてしまったらしい。人間の持つ情報の破壊力というやつを思い知らされたのは、記憶に新しい。
しかし、いつの時代も不届き者は多いもので。俺が酒は飲むなと言っているのに、肝臓を悪くするヤツがどんどん増えている。
僧侶を通して伝えても、都合のいい噂ばかりが一人歩きして肝心の警告は広まらない。結果、大酒飲みの連中がポックリ死んでは、よく俺のところへやってくる羽目になる。
節制の美と、豊満の美。人間の美しさには大まかに二分できる要素があると思っていたが……どうやら、時代がすっかり違くなってしまったのだろう。
今の時代は飽食、兎にも角にも満たされた時間だ。
満ち足りた生活を送る者が大勢いる。
それはかつて俺が夢見た光景のはずだったのだが、いざ実現してみるとどうにも空虚なものだ。
社にうず高く積まれる奉納酒は味がよく分からないし、本業だったはずの酢作りをやめて、いつのまにか俺専用の酒屋になってしまった僧侶もけっこういる。現代には酢や醤油、味噌以外の調味料も溢れているせいか、昔はよくお供えされていた漬物もめっきり見なくなってしまった。
まあ、とりあえずこの大酒飲みの民衆たちに言いたいことは、いくつかある。
まず一つ目。暮らしが豊かになったのはいいけれど、量を弁えてもっと己の身体を労れ、ということ。
次に二つ目。社を増築しすぎるのはどうなんだ、ということだ。
元々あった村がまるごと移動しているし、信仰のためだけに山岳一帯を封鎖して、稜線に宗教都市を作るのはちょっとやりすぎじゃないか。
丘陵なんてもともと海に通じるただの通路みたいなもので、内陸のところへ魚人がここまで足を伸ばしては、魚の干物や綺麗な螺鈿細工、そして塩を持ってきてくれたものだ。
こちらからは米や野菜、家畜を渡し、そして魚人からは塩をもらう。
持ちつ持たれつの実にいい関係だった。
それが今や、山岳が封鎖されたことで交流は海岸都市の狭い港に限られてしまい、内陸では魚人の姿などまったく見なくなってしまった。
直接の関わりが消えると、人々は恐ろしい速度で妄想と偏見を膨らませていく。
いつのまにか内陸の僧侶や住民たちの間では、魚人のことを『言葉も通じぬ不気味な怪物』だの『災いをもたらす異形』だのと、根も葉もない悪評で語るのが当たり前になってしまった。
海岸都市で貿易を続けている人間すら、内陸からは『化け物に魂を売った連中』と蔑まれる始末だ。
俺からすれば、どちらも同じように愛おしく守ってきた命だというのに。
昔、気さくに干物を分けてくれた魚人の青年や、その細工を楽しそうに手にとっていた村人たちの姿を覚えているだけに、この歪んだ溝の深まりには心底頭が痛い。
夢の中で魚人は異形などではないと諭そうとしても、人間たちの都合いい解釈や恐怖の噂話にかき消されてしまう。
どうにかしてこの偏見を解いてやりたいのだが、一度根づいた人間の思い込みというのは、どうしてこうも頑固なのだろう。
最後に三つ目。農地が大きくなったからといって、収穫くらいは昔ながらの人間の手でやってほしい。
四百年経ったくらいでいつのまにか牛や馬が消えていき、犂などではなく今では機械が稲を刈り取っては『こんばいん』とやらに運んでいく。
しかも、収穫した米の品質がすこぶる良いらしく、船に乗せて輸出までしているそうだ。
相手は海の向こうの国だが……
食べ物が多すぎるから誰かに分け与えるのではなく、外からお金を持ってきてそれで買い付ける。
その輸出船に至っては、蒸気ではなくエンジンというものを使うらしい。またも新しいやつだ。
僧侶たちはよくバイクを乗り回すが、このエンジンとはまた別のヤツと聞いたことがある。
いや、百年くらい前まで船といえば蒸気だったはずなのに、いきなりそんなことになるか? ……まあ、現になっているのだから有り得るのだろうが。
農業技術が進化するのはいいことだけれど、僧侶たちが伝統的な機械と呼ぶ機織り機でさえ、俺からすればそこまで伝統的でもない。
飛び杼とか、全て手動なのが煩わしいのは分かる。分かるが、最近の奉納物はだいたい蒸気機関の産物じゃないかと思うのだ。
大量生産された安価な綿織物が貿易で大量に持ち込まれた結果、それまで高い水準を誇っていた村の伝統的な手織り機産業や繊維産業は完全に破壊され、多くの職人が都市へと移り住むことになってしまった。
川の下流に都市があるからかもしれないけれども、
農村こそ至上、都市は溢れ者の集まりと言うものが多い。
そんな古い価値観にしがみつきながら、その実、都市の産物に依存している人間たちに、俺はすっかり困り果てている。
僧侶たちの主導する養蚕も、加工しているのは都市だ。
蚕たちに能力を与えれば、『どんな生物でも米が食えるようになる能力』のおかげで桑の葉がいらなくなる。
正確にいえば要らなくなると言うより、食べられるままだが、まあこの能力を持ってる蚕は殆ど桑の葉を食わなくなる。
若者が言っていたが、『えねるぎいの差』というのがあるのだと。
一千反以上の絹糸とかとんでもない量を作っても、それを布に加工してるのは都市だし、それらを着物にでもするのかと思えば、これまた織ったらそのまま船に乗せて輸出するのだとか。
分断が進んでしまっている。
確かに山岳近郊は農村の故郷だし、歴史的に見ても僧侶たちが占めてきた土地だ。でも、都市の人間だって、海の魚人たちだって、本質的には変わらない命なのだ。
怪異やら悪霊やら霊的存在どもを等しく追い払うことに変わりはないし、かといって怪異の仲間のように魚人たちを下に見るのはやはり大きな誤りで、絶対に正さねばならない。
海底都市、海岸都市……海の周辺は、あくまで魚人たちの都市だ。
彼らの港を使わせてもらっているとか、彼らの都市の上を通らせてもらっているという立場なはずだ。
貿易路だといって海面を勝手に占有しているのも、なんとも忍びないじゃないか。
それにしても、『ぐろうばる化』というやつの何がそんなに凄いのか――人間同士どころか、種族間の溝さえ深めている現状を見ていると、俺にはいまだによくわからない。