親友のままじゃ、いられない。―TS美少女になった親友は俺にだけ昔の顔を見せる― 作:エイジアモン
親友の席であった後ろの席に
1限目の授業が始まった。だが
尚哉は考えていた。
本来なら、親友が戻ってきて、それは嬉しいことのはずなのに、全くそんな気分にはならなかった。
ただ後ろの少女が本物の千尋なのかという疑問と、仮にそれが本当だとして、どう接してたらいいのか分からなかった。
都市伝説と言われていたTS症、それが実在していて、親友がそれを患ったと言われても、簡単には飲み込めない。たまたま同姓同名の転校生がきたもんだから担任の先生とグルになって生徒をおちょくってる、と言われたほうがまだ納得できる。
尚哉は大きく息を吸い込み、ため息を吐いた。
――分かってる。担任の先生も、千尋も、わざわざそんなことをする意味やメリットなんかない。俺が勝手に親友の千尋じゃない可能性を探しているだけだ。
だけどそう思いたいくらい、簡単には受け入れられない。
尚哉は1限目、何度もため息を吐き出した。
本当にあいつなのか、これからどう接すればいいのかという疑問ばかり考えていたら、自然とでてしまうものだった。
◇◆◇
1限目終業のチャイムが鳴る。
先生が出ていくのと同時に、何名かの女子が後ろの席に群がってきていた。
「ねえ、ほんとーに若葉くん?」
「実は兄弟とか従兄弟だったりしない?」
「サプライズ企画とかじゃないの?」
などなどの質問攻めだ。
千尋が応えだすとその言葉に、教室全体とまでは言わないが、かなりの人数が千尋の言葉に耳を傾けていた。当然、尚哉もその一人だ。
「はい、私は若葉千尋。親族や同姓同名でもありません。正真正銘、先週までこの席に座っていた……今とは性別が違うだけの、同一人物です」
教室はしん……と静まり返った。大半が想像していたとおりの、ただの事実確認な質問だった。誰もが予想していた答えのはずなのに、本人の口から断言されると、すぐには次の声が上がらなかった。それは尚哉も同じだった。
だがその静けさも少しの間だった。群がった女子は次の疑問へと移ったからだ。
「じゃあTS症について聞かせて!」
「それって、完全に男じゃなくなった……てこと!?」
「男から女に変わる時、どんな感じだったの!?」
当然の、だがあけすけなその質問は答えにくいだろう。
後ろの席にいる千尋の表情は分からない。だが尚哉は、――以前の千尋なら、こういうときは笑って誤魔化しながら俺に助けを求めてきた。そんな状況に思えた。
「なおや~」
そう思った瞬間、千尋の声が聞こえ、思わず尚哉は立ち上がって振り向いた。声そのものは、以前とはまるで違う。それでも、困ったように尚哉の名前を呼ぶ調子は、何度も聞いてきた千尋のものだった。
視線が交差し、すぐに外れた。――いや、外したと言ったほうが正しいだろう。
尚哉は千尋に群がる女子たちを見回し、追い払うように手を振った。
「ほら、困ってるだろ、離れた離れた」
――本当にこいつが千尋か分からないのに、俺は何をやってるんだ。と思いながら。
タイミングよく2時限目のチャイムも鳴り、女子たちは席へ戻っていった。
「ありがとう尚哉。持つべきものは親友だな」
忘れ物をした時、勉強が分からない時、困った時に助け舟をだされた時に言う、千尋のいつものお決まりのセリフだった。だが、尚哉はそれを聞いた時、少しイラつきを覚えた。さっき目が合った時に思ってしまったのだ、千尋の声と感じて後ろを振り向いたのに、そこにいたのは親友の千尋ではない、と。
そう思った瞬間、後ろの席の女子は親友の千尋を騙る、同姓同名の女でしかなかった。親友の言葉を、知らない女が使っていることに腹がたってしまった。
尚哉は千尋の言葉を無視し、応えることなく、ドサリと席に座って授業の準備を始めた。
そして2限目が始まる。
授業が進み、段々と尚哉の精神状態が落ち着いてきた後、今度は猛烈な自己嫌悪に陥った。
冷静になれば、腹を立てるようなことではなかった。本人なら口癖が同じなのは当然だ。むしろ千尋である証拠と考えるべきだったのに、一方的に無視した。
――俺は最低だ。
今さら振り返って謝ることもできず、尚哉は頭を抱えたい気分で黒板を見つめた。
そんな尚哉の背中に、ツンツンとつつかれるような感触を感じた。
そして先生が黒板の方を向いた時、肩の後ろから2本の指が伸びてきて、その指には紙が挟まれていた。
紙を受け取り開いてみると、そのメモ書きにはこう書いてあった。「次のきゅうけい ちょっとつきあって」
一体何を考えているのか、そんなことを思いながらもメモをポケットにしまいこみ、後ろの席にも分かるよう頷いてみせた。これで伝わっただろうか。
◇◆◇
2時限目が終わり、先生が出ていくと同時に尚哉は腕を引っ張られた。慌てて出ていこうとする千尋を見て、何をそんなに慌てているのか、と尚哉が思っていると、声をかけられる。
「わかば~、ちょっと話そうぜ~」
「あ、若葉くん、ちょっといい?」
今度は男子。それが千尋の席に集まりだしていた。事態を察した尚哉は千尋の腕を掴み、こう言い放って教室を後にした。
「わり、千尋借りるわ」
小言が聞こえた気がしたが無視して、千尋を連れ出す。教室を出ると、今度は千尋が尚哉の手を握った。
「下駄箱までいこ、あそこなら人が少ないし」
そう言って先導し、歩き始めた。千尋に手を握られて廊下を歩き、階段を降り、下駄箱の近くまで着く。
「このへんでいいか。――ッ!!」
そこまで行ってやっと気づいたのか、千尋は慌てて手を離した。尚哉はほどかれた自分の手のひらをぼんやり見ていた。
千尋と手を繋ぐなんて、小学校の時以来だろうか、中学高校と、千尋に限らず男と手を繋ぐなんてことはしない。
そして、男の手がどんなものかは自分がよく分かっている、硬さも大きさもだ。だが、さっきまで繋いでいた千尋の手は、男のものとはまるで違っていた。小さくて柔らかい、そして手のひらから感じる温かさ、それが千尋が正真正銘の女の子であることを証明していた。それに教室で掴んだ腕もそうだ、力を入れれば折れてしまいそうなほどに細く柔らかかった。
「えーと……あいつらから早く逃げたくて思わず手を握った、悪かったな」
普通なら、美少女に手を握られれば喜ぶところなのだろう。だが尚哉には、嬉しいとも恥ずかしいとも言い切れない。柔らかな手の感触が、千尋がもう男ではないという現実を、頭ではなく手のひらに突きつけていた。
「あいつらな~、珍しいのは分かるけどもうちょっと配慮ってものが欲しいよな~。どう思う? 尚哉」
「――ん、ああ、そうだな」
尚哉の生返事にも気づいていないように、千尋は話し続けた。
「だよな? しかも今度は男子が来てただろ? あいつら絶対やらしいこと言ってくるって。まあ、俺が可愛すぎるからしょうがないけどな。――っておい、聞いてるのか!?」
「あ、すまん。聞いてなかった。なんだっけ?」
「――なんでもない。実は呼び出したのはちょっと話したいことがあった……んだけど、今はそれよりも気になることが先だな。尚哉、ちゃんと見てろよ」
千尋は一歩下がり、手を広げて1回転してみせた。
膝上丈のスカートがふわりと広がり、細く艶のある長い黒髪がしなやかに舞う。千尋という美少女のそれは並の男子を魅了するには十分すぎるほどの破壊力があった。
「どうだ?」
尚哉は相変わらず顔を直視出来ていなかった。だけどそれでも、覆い隠せないほど千尋が際立った美少女であることは見て取れた。方向性の違う美人ならクラスにもいるが、可愛さという点では学校で一番と思えた。
だが、それを素直に認めたくないという気持ちが尚哉にはあった。別にお気に入りの女の子がいるだとか、嫌いだとかいう話ではなく、自分の親友が女の子になってしまったということそのものをまだ心が認められないでいた。
「おい、なんとか言えよ尚哉」
「いや、そんなことより話したいことって――」
尚哉は応えず、話を変えることにした。だが千尋はそうはさせなかった。
「まさか尚哉……可愛くないと思ってるのか? 俺がこんなに頑張ってるのに?」
「え、いや、そうじゃなくてな――」
「じゃあ応えてくれ! 可愛いのか! 可愛くないのか! ハッキリと!」
「ちょ! バカ! 声が大きいって!」
気付けば、人気が少なかったはずの下駄箱には人が増えていた。
美少女に目を奪われた生徒や、恋人同士の喧嘩を見るように見物している生徒など、注目の的となっていた。
こうなってしまっては尚哉は観念するしかなかった。早くこの場から去りたいという思いが強くなり、千尋を認める認めないは一旦脇へと置くことにした。
とはいえ、周りに聞こえるように言うのは恥ずかしい。だから千尋の耳元に口を寄せてこう言った。言うからには半端に言って何度も要求されないように、多少の誇張も込みだ。
「千尋は世界で一番可愛い、こんな美少女は見たことがない」
覚悟を決めたからといって、恥ずかしくないわけじゃない。尚哉は頬を染めながらその言葉を千尋の耳元で囁いた。
「――よし! なんか人も増えてきたし教室に戻ろうか。な!」
尚哉の言葉に満足したのか、千尋に大きなリアクションは無く、野次馬の間を縫うようにして尚哉より先に階段を登っていった。尚哉も慌てて追いかけるように千尋に付いていく。
尚哉には心なしか、階段を上がっていく千尋の横顔が真っ赤に染まっているように思えた。