親友のままじゃ、いられない。―TS美少女になった親友は俺にだけ昔の顔を見せる― 作:エイジアモン
「ただいまー。
「お邪魔しまーす」
尚哉が千尋の家の玄関で靴を脱いでいると、リビングから千尋のおばさんが顔を出す。
「あ、母さん、尚哉連れてきたよ」
「おかえり千尋。いらっしゃい尚哉くん、驚いたでしょう? 千尋がこんな美少女になっちゃって」
「お邪魔しますおばさん。今日は話があるって聞きましたけど」
おばさんの言葉をスルーして、早く用件に入るように尋ねた。
千尋のおばさんはおしゃべりが大好きで、脱線して興が乗るとずっと帰ってこずに時間だけが過ぎてしまうことが多かった。だがおばさんは、別のところが引っかかったようだった。
「あ! またおばさんって言った! もー、小さかった頃みたいに「
幼稚園や小学生の頃に「千尋ママ」と呼ばせずに自分のことを「香菜さん」と呼びなさいと言っていて、中学生に入る前までは「香菜さん」と呼んでいた。
中学生になって反抗期が始まった尚哉は、「香菜さん」呼びをやめて「おばさん」へと変わった。
ところが最近になって、また「香菜さん」と呼ぶように言い出した。
「そうでしたね、香菜さん」
尚哉としては、別にどの呼称でも構わない。だが、そんなことで一々話の腰を折られてはたまらないと思い、素直に従うことにした。とはいえ、長年染みついた呼び癖が変わるわけもなく、思わず「おばさん」呼びをしては香菜さんにツッコまれるのだった。
尚哉に香菜さんと呼ばれた千尋のおば……香菜は嬉しそうに微笑み、千尋には荷物を置いたらリビングへ来るように指示し、尚哉にはリビングで待つように伝えてキッチンへと入っていった。
「じゃあ荷物置いてくるからリビングで待ってて」
「おう。早く来いよ」
香菜さんの無駄話に付き合わされては敵わない、と尚哉は千尋へ早くおりてくるよう促した。
千尋は意図を察したのかニヤリとし、応えた。
「おけおけ、なんか母さん機嫌良さそうだからゆっくりしてて良いよ。俺もゆっくりするから」
「だから早く戻って来いって言ってんの。無駄話が始まる前にだ」
尚哉がそう念を押すと、千尋は頷いて応える。
「冗談だって、じゃあ後でな」
そう言って階段をトントントン、とリズム良く上がっていく。
千尋が階段を一段上がるたび、長い黒髪が揺れ、制服のスカートが踊る。尚哉は千尋の後ろ姿に目を奪われ、階段を上りきって視界から消えても動くことができなかった。
「ダメだよ~。スカートを覗いちゃ~」
聞こえてきた言葉に、尚哉は思わず後退りして周りを見た。そこには面白半分驚き半分の表情で香菜がいた。どうやら香菜が耳元で囁いたようだ。
「ち! 違いますよ! 覗いてたわけじゃないです!」
尚哉は必死に否定した。確かにスカートや、そこから覗く太ももが目に入らなかったかと言えば嘘になる。だけど、スカートを覗いていたわけじゃない。
香菜はニヤニヤし、尚哉の肩に手を置いて続ける。
「確かに千尋はまだまだ女の子、って意識が足りないからね。その辺の心得は教えとく。あと尚哉くんも、千尋以外の女の子にしたら犯罪だからね~、だから覗くのは千尋だけにしときなさい、それならこの香菜さんが許す!」
「違いますって! それになんですか許すって! 千尋でもダメでしょ!?」
至極真っ当な意見を述べる尚哉だが、それを意にも介さず香菜はウンウンと頷き、なおも続けた。
「勘違いしないでね尚哉くん。これは尚哉くんだから許可してるんだよ、誰にでもそう言うわけじゃないんだから、そんで、外ではちゃあんと千尋を守ってやってね」
「そりゃ……守りますよ。千尋は親友ですから」
尚哉が観念したように応えると、香菜は嬉しそうにまた頷いた。
「やかましいと思ったら、なんでまだこんなとこにいるんだ?」
姿を見せた千尋は、不思議そうに尋ねながら階段を降りてきた。
「なんでもな~い。尚哉くんとちょ~っとお話してただけ」
◇◆◇
それから3人はリビングへ移動した。制服姿のままガニ股でソファーに座ろうとする千尋を香菜が注意される一幕もあったが、3人とも香菜の用意した麦茶で喉を潤して、ようやく一息ついた。
香菜が学校ではどうだったかと尋ね、千尋は問題なかったことを伝えると、もう一度同じ内容を尚哉に尋ねた。
「本当に大丈夫だった? 変な目で見られたり、イジメにあったりはしてなかった?」
「……まあ、多少変な目で見られたりはしたと思うんですけど、他は心配するようなことは無かったですよ」
香菜を見ると、それまでのちょっとふざけているようなノリは全く無く、心底千尋を心配する様子が見て取れた。
当然だ、母親であればTS症にかかり男から女になった娘がどんな目に遭うか、心配で堪らなかっただろう。さきほどまで香菜が明るく振る舞ってるように見えたのは、心配だったからこその空元気だったのかもしれない。
その後は学校での出来事を千尋が話し、尚哉がそれを補足して、そうすることでやっと香菜は安心した様子だった。
「良かった~。母さんもう本当に心配で心配で、千尋に何かあったら……って思ってたんだけど……。尚哉くん、本当に色々とお願いね」
「大丈夫だって、母さんは心配性だなあ。それに尚哉もいるんだし」
「香菜さん、千尋に何かあったらすぐにお伝えしますよ」
「うん、お願いね」
「はい」
香菜は念を押すように尚哉にお願いすると、場には沈黙が流れた。
一つの話題が終わり、次の話題までの間のような時間だ。それが尚哉には長く感じられて、思わず次の話題を急かしてしまった。実際の沈黙の時間は、10秒にも満たない時間だった。
「今日の話というのは、この話ですか?」
「いいえ違うわ、話というのは千尋のことよ。尚哉くんと……そうね、
広美は尚哉の母、
「俺の両親も……ですか」
「そうね、これまでもお世話になったし、これからも仲良くしていきたいからね。――あ、広美……ご両親には私から言っておくから、尚哉くんは心配しなくて大丈夫よ」
「はい」
尚哉は内心安心していた。千尋のこと――おそらくTS症についてだろうと予想はしていたが、それを上手く両親に説明する自信が無かった。都市伝説であるTS症のことなんか誰も信じないからだ。
香菜が一つ咳払いして、話し始めた。
「千尋は見てのとおりTS症を患ったの。1週間前の朝――」
――香菜の説明を要約するとこうなる。
1週間前の朝、千尋が目覚めると身体が女の子になっていた。
香菜がパニックになったりと色々揉めたが役所に行ったりして色々あり、結果的にTS症と診断された。この詳細については国として機密として伏せられているため話せないとのことだった。
それから1週間の間は千尋はとある病院で検査を受け、香菜ら両親は各種書類を提出し、千尋が戻ってくるまでは他言無用と言い渡されていた。そのため、尚哉が千尋のことを尋ねても適当に誤魔化すしかなかった。
また、戸籍上では男の千尋と女の千尋は別人ということになっている。
そのため、同一人物という証拠がない。また国としても過去が男であったことは伏せられている。これはTS症患者がその後の人生を平穏に過ごすために行われている処置であった。
このことからTS症だ、という噂はあっても実証・証明が出来ないため、都市伝説として扱われるようになった。
以上が千尋がTS症になってからの経緯であった。この説明は尚哉にとって、目の前の千尋と名乗る美少女が本当は千尋ではないことを、心のどこかで疑い、あるいはそう望んでいた気持ちを打ち砕き、この美少女こそが幼い頃からよく知る千尋なのだという事実を突きつけるものだった。
「本当はお引っ越しして転校も勧められて、千尋の将来を考えたらそうしたかったんだけどね~。だけど千尋が「今の学校のままで良い、尚哉がいるから」って言って聞かなくて。……だから本当に心配だったのよ」
「母さん! それ言わなくていいから!」
「あら? もしかして照れてるのこの子。……こんなに信頼されて、尚哉くんはどう思う?」
不意に香菜が尚哉へ矛先をむけた。
尚哉は考えこんだ。
友達と親友の境目なんて、きっと誰にも決められない。親友なんて、明確な線引きがあるわけじゃない。お互いがそう思うだけで成立するものだ。
――だけど、俺と千尋はそれとは違う。友達以上の何か、少なくとも俺たちはそう思ってる。
千尋はTS症になっても俺を信じて転校せずにそのままの関係を続けてくれた。普通なら転校を選ぶだろう。姿が変わり、これまでと全く違う人生になるんだから。
「親友としてそこまで信頼されてるなんて、そりゃ嬉しいですよ。そしてそこまで言い切ってくれる千尋は本当に、本当に、尊敬します」
――翻って俺は、千尋と同じ境遇になったとして、同じ選択ができるだろうか。
今この瞬間なら、できる、と言える。だが本当に同じ立場になったときにも迷わずそう言えるのか。……正直、自信はなかった。
もし立場が逆だったなら、千尋は香菜さんに適当にはぐらかされても引き下がらず、食い下がったり、何度も聞いたかもしれない。探したい、会いたいという気持ちは……千尋のほうが強いと思う。
――だから俺も、千尋に負けてはいられない。
「俺も、これからは千尋の信頼に応えるために、もっとがんばりますよ」
尚哉の口から自然とこぼれた。
何を頑張るのか、それはまだ分からない。例えば……千尋のことをもっと考える。とかだろうか。
尚哉は昔から負けず嫌いだった。それは相手が自分を見てくれれば見てくれるほどに燃え上がる、そういう性質のものだ。
ただの対抗心ではない、信頼されるならば、それだけの価値を示したいし、こちらもそれ以上に信頼したい。ただそれだけだ。
「あら頼もしい。良かったわね千尋、信頼に応えてくれるって」
尚哉の言葉に安心するような様子の香菜が、茶化すような口調で千尋をイジった。
「おう! 頼むぜ親友!」
半ばヤケになるような勢いで千尋は顔を紅くさせながら腕を前に突き出した。
「任せとけ親友!」
尚哉も応えるように腕を突き出し、交差させた。
「良いわねえ男の子同士って……って、今は違うんだった」
香菜がそう言うと、尚哉と千尋は急に恥ずかしくなったのか、慌てて腕を引っ込めた。
「母さん、水差すようなこと言わないでよ……」
「ごめんごめん。じゃあそういうことで話は以上です。尚哉くん、千尋本人が何を言うかまでは止められてないの。でも、病院や国の対応については絶対に他言無用だからね」
「分かってます。誰にも言いませんよ」
◇◆◇
「じゃあな、また明日、寄ってくから」
玄関先で千尋は別れの挨拶を告げる。
「本当は俺が迎えに来たほうがいいんだろうけど」
尚哉と千尋の家の距離は数百メートル、最初は尚哉が迎えに来ようかと提案したが千尋が駅と逆方向だからと断った。そして今まで通りで良いんだ、とも言っていた。
「あー、そうだ! 言い忘れてた。明後日の土曜日、暇だよな? 買い物付き合ってくれよ」
何を思い出したのか、突然両手をパンと叩いての千尋の買い物のお誘いだった。
「暇って決めつけんなよ……まあ、暇だけど」
元々尚哉は週末、千尋に音沙汰がなければ探すつもりだったので、予定を入れていなかった。
千尋が帰ってきたため、結果として暇である。
「じゃあ決まりな! ……あ~、土曜は10時ごろに迎えに来てくれ」
「いや駅方向的に千尋が家に迎えにくるんじゃないのか?」
「いいから! 頼むぞ親友! じゃあな!」
尚哉の疑問を強引に押し切り、千尋はバタンと玄関の扉を閉めた。
「なんだか良く分かんねえな……」
何か釈然としないまま、尚哉は帰路についたのだった。