「次は、坂柳クラスです」
担当教師が発表を促す。
坂柳が杖を手に、ゆっくり立ち上がった。
神室が白い袋を持ち、橋本がありすぽーんの資料を運ぶ。
森下、山村、白石も壇上へ向かった。
坂柳クラスは人数が多い。
その分、何をするのか予測しづらかった。
演台の横へ、ありすぽーんの頭部模型が置かれる。
白いチェスのポーン。
身体より大きな王冠。
王冠は少し斜めに傾き、片方の目が隠れかけている。
「私たちのキャラクターは、ありすぽーんです」
坂柳が説明を始める。
「ありすぽーんは、チェスのポーンをモチーフにしています。
ポーンは盤上で最も小さな駒であり、一度に前へ一歩しか進むことができません」
スクリーンにチェス盤が映る。
最初の位置に立つ、小さなありすぽーん。
遥か前方には、盤上の終点。
「ですが、ポーンは最後の列まで進むことで、より強力な駒へ昇格できます。
ありすぽーんの夢は、いつか頭の王冠に相応しい存在となることです」
「最初から王冠を被っている理由は?」
池が小声で尋ねる。
幸村が答える。
「夢の象徴だろう」
坂柳の説明も同じだった。
「この王冠は、まだありすぽーんには大きすぎます。
歩けばずれます。時には前が見えなくなり、転んでしまうこともあります」
次のスライド。
王冠が顔を覆い、壁へぶつかるありすぽーん。
さらに次。
床へ転がるありすぽーん。
会議室から笑いが起こる。
「ですが」
坂柳の声が少しだけ強くなる。
「ありすぽーんは、転んだままでは終わりません。
何度でも自分の力で立ち上がり、王冠を直して、もう一度前へ進みます」
倒れたありすぽーん。
短い手で床を押す。
立ち上がる。
ずれた王冠を両手で直す。
そして再び、一歩を踏み出す。
見た目は可愛らしい。
転ぶ場面には笑いもある。
その一方で、諦めずに進むという明確な物語があった。
「一度に一歩しか進めないことを、弱さと考える必要はありません」
坂柳は会議室全体を見渡す。
「大切なのは、進み続けることです。
ありすぽーんは、昨日の自分より一歩だけ前へ進む全ての人を応援します」
発表として完成度が高い。
専門審査を強く意識している。
キャラクターの外見。
モチーフ。
学校の教育理念。
全てが一つの物語にまとめられていた。
「続いて、ありすぽーんの動きを実演します」
坂柳が言った。
神室と橋本が顔を見合わせる。
「本当にやるのか」
橋本が尋ねる。
「そのために森下さんへお願いしたのです」
白い袋が開かれる。
中から出てきたのは、ありすぽーんの試作衣装だった。
完成した着ぐるみではない。
円筒形の白い胴体。
大きな王冠。
腕と足は黒い布。
頭部はまだ簡易的な構造で、顔を完全には覆わない。
森下が無言で衣装を装着し始める。
「森下さん、本当に大丈夫ですか?」
白石が優しく尋ねる。
「問題ありません」
森下は円筒形の胴体へ入る。
「レベルアップの準備はできています」
「レベルは上がりません」
坂柳が改めて訂正する。
「可能性はゼロでしょうか」
「ゼロです」
「厳しい世界です」
森下は少し残念そうだった。
山村が舞台袖に近い場所で、小さな時計を持っている。
「山村さんは何をするんだ?」
橋本が尋ねる。
「じ、時間を測ります……」
「何の?」
「森下さんが何秒で立ち上がれるかです……」
山村は人前へ出たくないと言っていた。
だが舞台の端で時間を測る役なら引き受けたらしい。
白石は、転倒時に周囲の机へぶつからないよう、柔らかなマットを床へ敷いている。
「準備が整いました」
坂柳が言う。
森下演じるありすぽーんが、壇上の中央へ立つ。
王冠が大きい。
顔の上半分がほとんど隠れている。
前方はほぼ見えていないはずだ。
「一歩、前へ進んでください」
坂柳の指示。
森下が動く。
右足。
続いて左足。
円筒形の胴体が左右へ揺れる。
王冠も大きく傾く。
三歩目。
森下の足が自分の衣装の裾へ引っかかった。
身体が前へ傾く。
そのままマットへ倒れた。
鈍い音。
会議室から笑いと小さな悲鳴が同時に上がる。
「森下さん!」
白石が駆け寄ろうとする。
だが坂柳が静かに手を上げた。
「お待ちください」
マットの上で、ありすぽーんが動く。
短い腕で床を押す。
だが胴体が丸く、上手く力を入れられない。
右へ転がる。
今度は左へ転がる。
王冠がさらにずれる。
「起き上がれねぇじゃねぇか」
龍園が笑う。
神室が額を押さえる。
「だから試作品でやるのは無理だって言ったのよ」
橋本も笑いを堪えながら近づこうとする。
しかし森下が衣装の中から声を上げた。
「まだです」
くぐもった声だった。
「経験値を獲得しています」
「獲得していません」
坂柳は冷静だった。
森下は再び床へ手をつく。
膝を曲げようとするが、円筒形の胴体に遮られる。
今度は後ろへ倒れそうになる。
山村が時計を見ながら、小さく数字を数えていた。
「に、二十秒です……」
「何の実況だ」
橋本が言う。
「立ち上がるまでの時間です……」
「このままじゃ一分かかるぞ」
「ありすぽーんは諦めません」
坂柳の声。
森下は床でもがき続ける。
笑いが起きている。
だが、徐々に応援する声も混ざり始めた。
「頑張れ!」
一之瀬クラスの生徒が言う。
「あと少し!」
白石も優しく声をかける。
「右の膝を先に立ててください」
山村が小さな声で助言する。
森下が右膝を立てる。
短い腕で身体を支える。
ゆっくりと重心を上げる。
一度傾く。
それでも倒れず、踏みとどまった。
そして。
森下演じるありすぽーんが、自分の力で立ち上がった。
会議室から拍手が起きる。
転倒から四十七秒。
決して優雅ではない。
格好よくもない。
だが何度転がっても起き上がろうとする姿は、坂柳が説明した物語そのものだった。
森下はずれた王冠を両手で直す。
その動きで再びバランスを崩しかける。
だが白石が背後からそっと支えた。
「立てましたね」
「はい」
森下は衣装の中から答える。
「レベルは上がりましたか」
「上がっていません」
「残念です」
会議室が再び笑いに包まれた。
「今後は、三秒以内に立ち上がれるよう改良します」
坂柳が説明する。
「今のままでは、ステージ時間の大半を起き上がることへ使ってしまいますから」
「最初から分かってただろ!」
橋本が突っ込む。
「実際に試さなければ、正確な時間は分かりません」
「四十七秒もかかるとは思わなかったけどね」
神室が言う。
山村は時計の記録を大切そうに資料へ書き込んでいる。
人前へ出ることは苦手でも、自分の役割には真面目だった。
坂柳クラスの発表が終わる。
ありすぽーんは、設定の完成度だけでなく、森下の実演によって強い印象を残した。
席へ戻る途中、森下がオレの前で足を止めた。
まだ試作衣装の上半分を身につけている。
「きよぽんも転びますか」
「転ばない」
「一度転んでみてはいかがでしょう」
「必要ない」
「起き上がることで人気が増えるかもしれません」
「転ばなくても人気はある」
長谷部が横から答える。
「きよぽんは基本的に転ばないから」
「なぜですか」
「無理なことをしないから」
「慎重なのですね」
「やる気がないわけじゃないよ」
「まだ何も言っていません」
二人は再び牽制を始めた。
白石が森下を連れ戻す。
「森下さん。次は龍園くんたちの発表ですよ」
「承知しました」
森下は素直に席へ戻った。
今度こそ合同説明会に集中してほしい。
「続いて、龍園クラスです」
龍園が立ち上がる。
その後ろから、ひより、伊吹、石崎が続く。
西野とアルベルトも展示物の運搬を手伝っていた。
壇上へ並べられたのは二体。
黒いドラゴンのりゅうまる。
本を抱えた熊のぶっくまる。
「俺たちのクラスは、まだ代表を決めてねぇ」
龍園が最初に言った。
「だから今日は、両方見せる」
余計な前置きはない。
「先にりゅうまるだ」
スクリーンに黒いドラゴンが映る。
丸い身体。
短い翼。
背中の棘。
一本だけ覗く牙。
目付きは悪いが、どこか生意気で憎めない。
「りゅうまるは強いドラゴンだ」
龍園が説明する。
ひよりが隣で小さく首を傾げる。
「正確には、強くなりたい子供のドラゴンです」
「今でも強ぇ」
「まだ空を上手に飛べません」
「飛べる」
「飛ぶと木にぶつかります」
「その設定は聞いてねぇ」
「昨日追加しました」
龍園がひよりを見る。
ひよりは穏やかな表情のまま、少しも引かない。
「翼が小さいので、最初は長く飛べません。でも毎日練習しています」
次のスライドには、空を飛ぼうとして木の枝へ引っかかるりゅうまる。
地面では、仲間たちが心配そうに見上げている。
「弱そうに見えるだろ」
龍園が不満を口にする。
「だから応援したくなります」
ひよりが答える。
「最終的には火を吐く」
「小さなくしゃみで煙が出るだけです」
「聞いてねぇぞ」
「子供のドラゴンなので」
会議室から笑いが起きる。
龍園が想定しているりゅうまる。
ひよりが育てているりゅうまる。
二体の性格は完全には一致していない。
「好きなものは勝利」
龍園が言う。
「温かいスープです」
ひよりが訂正する。
「嫌いなものは敗北」
「仲間が悲しむことです」
「特技は敵を威圧すること」
「高い棚の本を取ることです」
「お前、俺の設定全部変えてるだろ」
「ゆるキャラとして親しみやすくしています」
伊吹が横で笑っていた。
「もう椎名に任せた方がいいんじゃない?」
「うるせぇ」
石崎も笑いを堪えている。
龍園が視線を向ける。
「何だ」
「いや、龍園さんと椎名の説明、どっちが正しいんすか?」
「俺だ」
「椎名」
伊吹が答える。
「椎名さん」
西野も続ける。
アルベルトは無言でひよりを指した。
「全員裏切りやがったな」
龍園の声に、会議室がさらに笑う。
「次は、ぶっくまるです」
ひよりが一歩前へ出る。
声は大きくない。
だが会議室は自然に静かになった。
ひよりの腕には、ぶっくまるの小さなぬいぐるみ。
スクリーンへ、正式なデザイン案が表示される。
丸眼鏡を掛けた熊。
一冊の本を大切そうに抱えている。
耳には栞。
背中には小さな鞄。
「ぶっくまるは、本が好きな熊です」
ひよりが説明する。
「いつも森の図書館で本を読んでいます。
でも、一人で読んでいるだけではありません。
面白い本を見つけると、誰かに紹介したくなります」
ページをめくるぶっくまる。
友達へ本を差し出すぶっくまる。
二人で同じ本を読んで笑う姿。
「ぶっくまるの夢は、世界中の人に自分の大好きな一冊を見つけてもらうことです」
一之瀬が優しく微笑む。
佐倉も熱心にスクリーンを見ている。
本を読む者。
本に興味がない者。
どちらにも分かりやすい設定だった。
「嫌いなものは、本を乱暴に扱う人です」
ひよりが続けた。
龍園が腕を組む。
「そういう奴がいたら噛む」
「噛みません」
「一回くらい噛ませろ」
「注意します」
「聞かなかったら?」
「もう一度注意します」
「それでも聞かなかったら?」
「悲しい顔をします」
「弱ぇ」
「相手が反省してくれるかもしれません」
龍園は納得していない。
「俺なら本を破った奴の指を――」
「龍園くん」
ひよりが穏やかに名前を呼ぶ。
龍園は言葉を止めた。
ゆるキャラの説明会で話す内容ではないと判断したらしい。
「ぶっくまるには、戦闘能力はありません」
ひよりは改めて明言した。
「ですが、どんな人にも合う本を探すことができます」
「俺にもか?」
龍園が尋ねる。
「はい」
「どんな本だ」
「穏やかな気持ちになれる本です」
「必要ねぇ」
「必要だと思います」
ひよりは真顔だった。
「伊吹さんには、料理の本を」
「読まない」
「石崎くんには、英語の参考書を」
「それ、アルベルトにも言われた」
石崎が苦笑する。
「龍園さん、俺はぶっくまるもいいと思うっす」
「どっちに投票する気だ」
「それは……」
石崎がりゅうまるとぶっくまるを見比べる。
龍園の視線。
ひよりの穏やかな視線。
どちらへ答えても問題が起きそうだ。
「まだ決めてないっす」
「逃げたわね」
伊吹が言う。
「お前はどっちなんだよ」
「ぶっくまる」
即答だった。
龍園が伊吹を睨む。
「理由は?」
「可愛いから」
「それだけか」
「ゆるキャラなんだから十分でしょ」
西野もぶっくまる。
アルベルトもぶっくまる。
石崎だけが中立。
現時点では、クラス内でもぶっくまるが優勢に見える。
「だがな」
龍園が演台へ手をつく。
「人気がある方をそのまま選ぶだけじゃ、他のクラスと同じだ」
「何が言いたいの?」
伊吹が尋ねる。
「りゅうまるには、ぶっくまるにねぇもんがある」
「牙ですか?」
ひよりが言う。
「そうだ」
「一本です」
「増やす」
「増やしません」
再び同じ争いが始まりかける。
担当教師が咳払いをする。
「発表を続けてください」
龍園は不満そうにしながらも、話を戻した。
「りゅうまるは可愛いだけじゃねぇ。
目付きが悪い。口も悪い。すぐ他の奴と張り合う」
「それ、龍園さんそのものじゃないっすか」
石崎が言った。
龍園が見る。
「何か言ったか?」
「何でもないっす」
「だが」
龍園は続ける。
「仲間が困ってりゃ、放っておかねぇ。自分が傷ついても前へ出る。そういう奴だ」
ひよりが龍園を見る。
伊吹も少し表情を変えた。
石崎は黙っていた。
りゅうまるの設定。
怖そうに見える。
不愛想。
だが、実際は仲間思い。
それは龍園本人が積極的に認めたがる性質ではない。
ひよりが最初に提案したものだった。
龍園も内心では、悪くないと思っているのだろう。
「だから俺は、りゅうまるを捨てる気はねぇ」
龍園は言い切った。
「ぶっくまるが人気一位だろうが関係ねぇ。最後はクラスの連中に選ばせる」
りゅうまるとぶっくまる。
単なる強さと可愛さの対立ではない。
龍園クラスが、自分たちをどのような集団と考えているのか。
その選択でもある。
発表終了。
大きな拍手が起きた。
ぶっくまるの完成度。
りゅうまるに込められた龍園クラスの関係性。
どちらも強い印象を残していた。
「最後は、堀北クラスです」
担当教師の声。
いよいよオレたちの順番になった。
堀北が立ち上がる。
平田も続く。
長谷部がきよぽんのファイルを抱え、勢いよく席を立つ。
「愛里、みやっち、ゆきむーも来て」
「俺たちも壇上に行くのか?」
三宅が驚く。
「制作班だから」
「全員で?」
「きよぽんは友達と協力するキャラだよ」
「設定を便利に使ってないか?」
「使えるものは使う」
幸村はすでに資料を持って立っている。
佐倉も緊張しながら席を離れた。
オレは残ろうとした。
長谷部が振り返る。
「きよぽんも」
「オレは必要ない」
「モデルがいないと説明できない」
「資料だけで十分だ」
「森下さんが本物を見たいって」
「他クラスの要望に応える必要はない」
斜め前から森下が挙手した。
「希望します」
「手を挙げるな」
会議室から笑いが起きる。
堀北がオレを見る。
「綾小路くんも来て」
「ほりぽんの説明には必要ないだろう」
「公平性のためよ。きよぽんに関係する生徒だけ席に残すわけにはいかない」
理屈は分かるようで分からない。
だが全員が待っている。
これ以上拒否して注目を集めるより、壇上へ行った方が早い。
オレは席を立った。
堀北クラスの参加者は、他のクラスより多くなった。
堀北。
平田。
オレ。
長谷部。
三宅。
幸村。
佐倉。
展示台には二体のキャラクター。
ほりぽん。
きよぽん。
最初に説明するのは、ほりぽんだった。
堀北が演台へ立つ。
スクリーンに、白いフクロウが映し出される。
「私たちのクラスは、現在二つの候補から正式な代表を選考しています」
堀北の声は落ち着いていた。
「最初に紹介するのは、ほりぽんです」
ほりぽんは白いフクロウ。
紺色の制服。
赤いリボン。
丸眼鏡。
片方の翼には教科書。
もう一方には、小さな鉛筆を持っている。
「ほりぽんは、努力と成長を象徴するキャラクターです。
最初は空を飛ぶことができません」
小さな翼を懸命に動かすほりぽん。
少し浮かぶ。
すぐに地面へ落ちる。
「勉強も運動も、最初から得意だったわけではありません。
失敗を繰り返しながら、毎日少しずつ練習を続けます」
ページをめくる。
走る。
翼を動かす。
疲れて机へ伏せる。
眠ってしまう。
「ほりぽんは、努力を続けるキャラクターです。
ただし、いつも頑張れるわけではありません」
以前の堀北なら、弱さを入れなかったかもしれない。
だが周囲の意見を受け、設定を変えた。
「苦手な科目から逃げることもあります。
疲れて、何もしたくなくなる日もあります。
自分より優秀な誰かを見て、落ち込むこともあります」
スクリーンには、机の下へ隠れるほりぽん。
参考書を見ないよう、翼で顔を覆っている。
会議室から小さな笑いが起きる。
「それでも、ほりぽんは最後には机へ戻ります。
すぐに戻れない時は、友達に助けてもらいます」
友達の動物たちが、ほりぽんを机の下から引っ張り出す。
一緒に教科書を開く。
「ほりぽんは、努力できない自分を責めません。
休んだ後に、もう一度始めればいいと考えています」
堀北は一度、会議室を見渡す。
「今日の努力が、明日の翼になる。これが、ほりぽんの言葉です」
最後のスライド。
成長したほりぽんが、青い空を飛んでいる。
下には仲間たち。
ほりぽんは一人で飛んでいる。
だが、そこまで成長できたのは、一人の力だけではない。
堀北自身の歩みと重なる部分があった。
入学直後。
他人を必要としなかった堀北。
クラスメイトと関わり。
失敗し。
助けられ。
少しずつ成長してきた。
ほりぽんは、確かにこのクラスを象徴している。
会議室から拍手が起こった。
長谷部も拍手をしている。
対立していても、ほりぽんそのものを否定しているわけではない。
堀北が一歩下がる。
「続いて」
平田が演台へ立とうとした。
だが長谷部が先に進み出た。
「きよぽんです!」
声が大きい。
スクリーンが切り替わる。
眠そうな目。
丸い身体。
ヨーグルト帽子。
ほりぽんの感動的な物語の直後。
きよぽんが大きく映し出された。
会議室が少しざわつく。
何もしていない。
ただ立っているだけ。
それなのに、妙な存在感があった。
「きよぽんは、謎の生き物です」
長谷部が言う。
「説明を諦めたな」
龍園が呟く。
会議室に笑いが広がる。
「諦めてません!」
長谷部は龍園へ反論する。
「謎であることが設定なんです」
「便利だな」
「きよぽんは、高度育成高等学校のどこか静かな場所で暮らしています」
次の絵。
校舎の隅。
窓際。
図書館の奥。
屋上。
様々な場所に、きよぽんが座っている。
「普段は目立ちません。人が多い場所も少し苦手です。
だから、みんなが楽しそうにしていても、少し離れた場所から見ています」
絵の中で、動物たちが集まって遊んでいる。
きよぽんは木の陰にいる。
仲間外れではない。
自分から距離を取っている。
だが表情は、どこか寂しそうにも見える。
佐倉が描いたものだった。
「きよぽんは、話すことも得意ではありません」
長谷部の声が、少しだけ静かになる。
「何を考えているのか分からないと言われます。やる気がないようにも見えます」
「実際やる気なさそうだな」
龍園が言う。
「静かにしてください!」
長谷部が睨む。
「ですが」
今度は幸村が説明を引き継いだ。
「きよぽんは、周囲をよく見ています。
誰かが困っていることへ、他の者より早く気づくことがあります」
落とし物をした兎。
重い荷物を運ぶ熊。
道に迷った小鳥。
きよぽんは、遠くから見ている。
「積極的に声をかけることはありません。
自分が助けたことを誇ることもありません。
誰にも気づかれないよう問題を解決し、
何もしていない顔で元の場所へ戻ります」
きよぽんが落とし物を拾い、持ち主の近くへ置く。
重い荷物を少しだけ押す。
小鳥が帰るための道標を、地面へ描く。
助けられた者は、誰がしたのか分からない。
きよぽんは離れた場所でヨーグルトを食べている。
「だから、何か聞かれてもこう答えます」
スクリーンに大きな文字が表示される。
『違う。きよぽんが勝手に』
会議室が笑いに包まれた。
「使い方が違う」
オレは小さく言った。
マイクが近かったため、声が拾われた。
「きよぽんが喋った!」
森下が立ち上がる。
「座っていろ」
「再現度が高いです」
「本人だからだろ」
橋本が言う。
長谷部は嬉しそうだった。
「今みたいに、本人は何もしてないって言います」
「今は本当に何もしていない」
「照れてます」
「照れていない」
会議室の笑いが続く。
だが長谷部は、次のスライドへ移った。
「きよぽんは、一人でいることが多いです。でも、一人で何でもできるわけではありません」
短い腕で、頭上に丸を作ろうとするきよぽん。
左右の手が届かない。
何度試しても、小さな腕では丸にならない。
「きよぽんは、一人では大きな丸を作れません」
長谷部がオレを見る。
「ここからは、みやっち、ゆきむー、愛里」
三人が前へ出る。
「本当にやるのか」
三宅が小声で尋ねる。
「朝もやったでしょ」
「朝だけだと思ってた」
「本番は今」
佐倉は緊張している。
幸村も少し表情が硬い。
「オレも必要なのか」
「もちろん」
長谷部がオレを中央へ立たせる。
「頭部がない」
「今日は人間形態」
「そんな形態はない」
「特別版」
また勝手に設定が増えた。
長谷部がオレの左。
佐倉が右。
三宅と幸村がその外側へ並ぶ。
「きよぽんは、友達に手伝ってもらいます」
長谷部が両腕を上げる。
佐倉も上げる。
三宅と幸村も続く。
オレの頭上を囲むように、四人の腕が大きな輪を作った。
朝の教室で撮影したものと同じ形。
ただし今回は、頭部を被っていない。
オレの顔が見えている。
そのせいで余計に気まずい。
「一人ではできないことでも、友達と一緒ならできます」
佐倉が、控えめな声で続ける。
「きよぽんは、友達がいるから大きな丸を作れます」
会議室が静かになった。
笑う場面のはずだった。
短い腕。
丸を作れない。
それを友達に手伝ってもらう。
単純な設定。
だが綾小路グループの四人が、オレを囲んで輪を作っている。
その光景が、設定以上の意味を持ってしまっていた。
オレはかつて、人間関係を必要としていなかった。
友人という言葉の意味も、正確には理解していなかった。
それでも。
長谷部。
三宅。
幸村。
佐倉。
彼らと過ごした時間は、オレの学園生活の一部だった。
今は以前と同じ形ではない。
毎日一緒にいるわけでもない。
だが完全に失われたわけでもなかった。
長谷部たちの輪の中に立つ。
自分から望んだ形ではない。
それでも、拒絶するほど嫌ではなかった。
「清隆くん」
佐倉が小さく呼ぶ。
「手を上げて」
オレは左右へ腕を伸ばした。
長谷部と佐倉の手へ届く。
全員の腕が繋がる。
大きな丸が完成した。
会議室から拍手が起こった。
一之瀬は嬉しそうに笑っている。
ひよりも静かに拍手していた。
平田は目を細めている。
龍園は笑っていない。
ただこちらを見ていた。
坂柳は、興味深そうに微笑んでいる。
森下は端末へ高速で何かを書き込んでいた。
「何を記録している」
オレが尋ねる。
「きよぽんは友達と接触すると、腕が少し伸びます」
「伸びていない」
「比喩です」
「なら最初からそう言え」
長谷部が説明を続ける。
「きよぽんの好物はヨーグルトです」
空気が一気に戻った。
スクリーンに、ヨーグルトを真剣に見つめるきよぽん。
「温度と時間に強いこだわりがあります」
「本人監修です」
幸村が補足する。
「監修していない」
「発酵時間の説明を修正しただろう」
「間違いを訂正しただけだ」
「監修です」
長谷部は満足そうに言う。
「普段は眠そうですが、ヨーグルトの話をすると少しだけ目が開きます」
スクリーンが切り替わる。
通常きよぽん。
目が細い。
ヨーグルト説明中のきよぽん。
目が数ミリ開いている。
会議室から笑いが起こる。
「違いが小さすぎるだろ」
龍園が言う。
「そこがいいんです!」
長谷部は本気だった。
「そして、ヨーグルトを二個持つと第二形態になります」
「ならない」
オレは即座に否定した。
スクリーンへ、両手にヨーグルトを持つきよぽん。
見た目はほとんど変わらない。
「何が変わるんですか?」
白石が丁寧に尋ねた。
「ヨーグルトが一個増えます」
長谷部が答える。
白石は数秒考えた。
「分かりやすいですね」
「納得するのか」
神室が突っ込む。
「変化が目に見えますので」
「一個増えただけでしょ」
「森下さんはどう思います?」
白石が隣へ尋ねる。
森下は真剣に第二形態を見ていた。
「戦闘能力が二倍になる可能性があります」
「ありません」
幸村が断言した。
「ではヨーグルト能力が二倍です」
「何だ、その能力は」
三宅が呆れる。
「発酵速度です」
「きよぽん自身が発酵するみたいに言うな」
オレが止めた。
再び笑いが起こる。
「きよぽんは、強いキャラクターではありません」
長谷部は最後に言った。
「勉強を教えてくれるわけでもないし、空を飛べるわけでもありません。
誰とでもすぐ友達になれるわけでもありません」
ほりぽん。
りゅうまる。
ほなわん。
ありすぽーん。
ぶっくまる。
それぞれに明確な夢や役割がある。
きよぽんには、それらしい大きな目標がない。
「でも」
長谷部がきよぽんの絵を見る。
「何か上手くいかなかった時。頑張れない時。
一人でいたい時。きよぽんは、何も言わずに近くにいます」
窓際へ座るきよぽん。
隣には、落ち込んだ小さな動物。
きよぽんは励まさない。
立ち上がれとも言わない。
ただ同じ方向を見ている。
「きよぽんは、無理に頑張れとは言いません。
休んでいる人を、怠けているとも言いません。自分も眠そうにしているからです」
笑いが起こる。
だが長谷部の表情は真面目だった。
「元気になったら、一緒にヨーグルトを食べます。それだけです」
最後のスライド。
二人で並び、ヨーグルトを食べるきよぽんと動物。
大きな事件はない。
成長もない。
夢も語らない。
ただ隣にいる。
「きよぽんは、何もしてくれないかもしれません」
長谷部が言う。
「でも、何もしないで一緒にいてくれます」
会議室が静かになる。
きよぽんは、当初は冗談から生まれた。
オレを丸くし、ヨーグルトを持たせただけ。
長谷部の思いつき。
だが設定が増え。
佐倉が表情を描き。
幸村が矛盾を整理し。
三宅が材料を運び。
クラスメイトたちが意見を加えた。
その結果。
きよぽんは、オレを模した内輪向けの冗談だけではなくなり始めていた。
誰かを強く励ますのではない。
努力を要求しない。
無理に輪へ引き込まない。
それでも、完全に一人にはしない。
そういうキャラクターだった。
「発表は以上です」
長谷部が頭を下げる。
オレたちも頭を下げた。
会議室から、今日最も大きな拍手が起こった。
きよぽんが最も優れているという意味ではない。
ほりぽんにも。
ほなわんにも。
ありすぽーんにも。
りゅうまるにも。
ぶっくまるにも。
それぞれの良さがある。
ただ、誰も意味を説明できなかったきよぽんに、初めて一つの輪郭が与えられた。